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2014年6月 6日 (金)

父の救急搬送、入院

6月6日(金)

一日中大雨。

朝、ケアマネさんと電話で話す。ケアマネさんはまだ私からのメールを見ていなかったそうで、危険な状態と言われた、という私の言葉に驚いていた。

たくさんの老人を見てきたケアマネさんの感覚では、父がこのまますぐ死んでしまうという感じはしないとのこと。今まで誰の言うことも聞かず、さんざん好き勝手して(家族に迷惑をかけて)不摂生してきた人だから、本人の意思を聞くのがいいのでは、と言われ、確かに私がここで重圧を感じて思い悩むのは筋ではないと思った。

午後、福山家に行ってコロ(猫)の様子を見ようとしたのに姿が見えない。激しい雨なのにどこに行ったのだろうと、「にゃ~お、にゃ~お」と得意の猫の声帯模写で家中うを廻ったがいない。食事は少し食べた形跡在り。

父の使えそうなもの(きのう忘れた分)を大きな手提げ袋に詰めて病院へ。

5時頃着き、病棟ロビーに行ったら妹がいた。丁度、私が着いた時に先生から「結核菌は出ていなかった。だからマスクは不要です。」との報告を受けた。

病室に入れてもらい、妹が父に、気胸になったらドレーンを入れる治療をしたいかと聞いたら、父はわりとはっきりと「うん。うん。」とやりたい意志を示した。

若い看護師さんが父の病室に来て、少し話をした。「簡易人工呼吸器の画面に、炭酸ガス濃度の値は出ているんですか。」と尋ねると、そこには出ていないそうだ。

炭酸ガスはあいかわらず70近く高い(正常値は35-45)のに、「でも意思疎通できてるんですよね。」とのこと。、普通の人ならそんな異常な状態で話が通じることはありえないので驚異的なことなのだが、父は高校生くらいから肺結核をやって、20才くらいに片肺を取ってしまったので、身体がその危険な状態にうまく対応して生きてこられたのではないか、と言われた。

きょう、酸素マスクをはずして一回、ベッドのふちに座ってみるリハビリをやったときいてびっくり。もちろんこれから悪くなる可能性はあるが、片肺で体重30kg代でヘビースモーカーの父の身体は、常識では計れないほど屈強だ。

この若い女性看護師さんのお祖母さんは、94歳でご健在で、91歳まで一人暮らしをされていたという。

あとからまた先生から病状の説明があるからと言われ、ロビーのソファでガラス越しに雨の町を眺めていた。

先生の説明によると、肺炎のほうは救急で運び込まれた時よりもよくなっているとのこと。腎臓は弱っていなかったとそうで、抗生物質投与を2倍にしてみたら効いていると言われた。

「きのうは、そうとう厳しい状態ということでしたが・・・」と言ったら、病院では、よくなると思っていたのに悪くなった、とクレームを言う家族もいるので、最悪の可能性もお話ししておくということです、と言われた。

延命処置について、心臓マッサージ、昇圧剤、器官挿管の三つをやるかどうか家族で考えておいてくださいと言われ、妹がひどく多弁で騒々しく「心臓マッサージは延命に含まれませんよね。」などと蒙昧なことを感情的に言うので疲れた。妹はすべてにおいて理知や黙考や集中力に欠け、自己満足的、依存症的な傾向が強い。今までまともに介護したこともないのに、結局自己満足優先なのだと思う。

6月5日(木)

病院から電話があり、父の今後の治療方針について医師から説明があるので4時までに病院に来てくれと言われる。

昼から近所でパジャマ2着とタオル類などを買い、2時30分頃、福山家に行って父が使う日用品もろもろをとり、タクシーで病院へ。

父は一人部屋に移動されていた。

家族面談室で第四呼吸器内科の医長I・S先生から説明があった。同席者A先生、記録K看護師。さすが最先端の研究をしている大きな病院で、すごく明晰できちんとしている印象だ。

父の状態の説明。「厳しい話になりますが」と言われた。今朝から簡易人工呼吸器をつけた。高齢で片肺しかないのに肺炎を起こしている、やせて胸の筋肉がとても薄いので肺を動かす力も弱く、肺活量が少ない。喀痰排出も困難。

浅い呼吸のせいで炭酸ガスを十分に吐き出せず身体に炭酸ガスがたまり、脳が麻酔のような状態になっている。そのため呼吸が十分でないのに呼吸困難で苦しいと感じることもできず、炭酸ガスの貯留が重篤になると自発呼吸が止まり死に至る。このような状況は心臓にも負担がかかっている。

通常PH(酸性アルカリ性の度合い)7.35-7.45、Pco2(炭酸ガスの貯留) 35-45mmHg のところ、6月5日朝の時点で PH7.29、Pco2 71.9mmHg だった。

このままだと自発呼吸が止まる可能性があったので、今朝、非侵襲的な人工呼吸器をつけた。

しかし人工呼吸器による圧に耐えられず気胸を発症する可能性が高く、特に父のように長年喫煙し続けている人間は肺が硬化していて気胸になりやすい。人工呼吸器装着後の3時のレントゲンに、すでに気胸を疑う所見(肺の上部に隙間のように見える影)が見られる。

今後、心臓や呼吸が止まりそうになった時に、心臓マッサージや挿管管理を希望するか、と聞かれた。

また、差し迫った問題として気胸が増悪した時、ドレーン(あばらに穴を開け空気を外に逃がす治療)をやるかを決めてくれと言われた。

簡易人工呼吸器で酸素を肺に送り込みながら、同時に肺に穴が開いていて空気が漏れているとしたらドレーンを入れて肺の外の肺の容器内の空気を外に排出したとしても治療効果としては空しいのではないか。

「お父さんは片方しか肺がないのによくここまで頑張ってこられたと思います。たいへんなこともたくさんあったでしょう。最後は苦しい思いをさせないという考えかたも・・・」というような言葉をI・S先生に言われて胸がつまった。

とにかく生きて病院を出られる可能性は高くない、なんとかがんばって命が助かっても、まず自宅には戻れないということ。

その後、面会の際、今、昔やった結核の菌(がまだ肺にあるのかは不明だが)を外に出す陽圧の治療をしていると言われ、N95マスク(ホタテ貝のような形の固いマスク)を渡され、装着方法の説明を受けたが、今ひとつフィットしていない感じのまま病室に入った。

入院したことを妹には連絡していなかったのだが、もういつ臨終になるかわからないという感じだったので妹に電話で知らせることにした。

6時くらいに、もうひとりの医師から新たに説明があるので、もう少し待てますか、と言われて一階のカフェで20分ほどお茶を飲んだ。妹に電話したが留守だった。

6時過ぎA先生から、「現時点では、気胸ではなかった、肺に穴は開いていなかった。」と言われた。しかし簡易人工呼吸器により、気胸になる可能性が高い状況は変わらないとのこと。

夜、ケアマネさんにメール。

6月4日(水)

2時ごろ、ケアマネさんから電話があり、父のところに介護ヘルパー料金の集金に行ったところ、父がぐったりしていてお金も出せない状態とのこと。1日、2日と猛暑だったので熱中症の脱水症状の疑いがあり、ほっておける状態ではないのだが、父が近所のかかりつけの医師I先生の往診も拒否、救急車を呼ぶことも拒否しているので、どうしましょうか、と言われる。

何度もケアマネさんが父を説得してくれたが、すべて拒否の押し問答。

とりあえず往診をお願いし、ケアマネさんからの報告を待つ。ケアマネさんからの電話で、I先生の判断により、救急車を呼んだ、と言われる。病院の第一希望は、と聞かれ、とにかく個室は無理なので多床室ではいれるところで、とお願いする。

その後、ケアマネさんからK病院の救急に入ったとの連絡を受け、慌てて出かける。営団地下鉄から都営線への乗り換えを間違えてしまい、走って汗だくになって、4時過ぎに着いた。

救命救急センターの中で、父の病歴についての質問を受ける。ケアマネさんから保険証、鍵、貴重品袋を渡していただいて、ケアマネさんは次の仕事へ。

時間外待合室で待っていて、と救急の医師に言われて2時間以上待つ。2時間20分くらい待ち続けたところで、初めに入った救急の部屋に聞きに行くと、やっといろいろな検査が終わりつつあり、これから入院できる部屋を探すのでもう少し待っていてくれ、と言われた。

時間外受付の前の椅子で待っていたら、救急担当の医師から受け継いだという二人の内科の医師から挨拶された。父の病状は急性肺炎と言われる。

入院手続き後、部屋が決まって搬送。救急病棟のロビーの椅子で待っていたら、内科の担当医の女性のほうのI・K先生(糖尿病内分泌代謝科フェロー)から、父は肺結核歴があり片方しか肺がないのに肺炎になって、C型肝炎もやっている、糖尿もある、など、いろいろ複合的に、これから「イベント」があったら悪くなる危険が高い、と言われた。

「イベントがあった時に、お父さんは痛い治療は嫌がりますか?」と聞かれ、どう答えていいかわからなかったが、とりあえず「あんまり凝ったことは必要ないと思います。」とだけ答えた。

終わって一階の受付のところに出てきたら8時20分をまわっていた。そのあと新宿へ寄る。

6月3日(火)

あまりに硬直している首の筋肉を少しでも緩めるため、きょうも星状神経ブロック注射をしに行く。最近首の緊張がひどすぎるため、火曜と金曜、時間があれば水曜もブロック注射を受けに行っている。

火曜のM先生が一番注射が丁寧で痛くない気がする。痛いと言っても注射針を刺す痛さはほとんどなく、がちがちに固まった筋肉にぐっと液体を注入する時に、筋肉が張るというか突っ張るような痛みなのだが。

この注射を打って30分後くらいが緊張性頭痛もなくなり、一番楽になる。

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