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2014年7月

2014年7月21日 (月)

目白 下落合 おとめ山公園ホタル / 『北中夜市』

7月20日

高円寺の北中通りでやっている夜市に出かけたのだが、5時半頃に家を出たので、ちょうどぽつぽつと雨が降り出した。

北中通りに着いた頃には、だいぶ強く降っていた。北中通りの奥のほう、「猫の額」(猫雑貨のお店)の前では、雨にもめげず、マイクでヴォイスパフォーマンス(ノイズ系)をやっている人がいたが、露店の人たちは急いで商品を片づけていた。

夜店の賑わいを写真に撮ろうと思っていたが、今回は断念。5月から10月の第3日曜日にやっているそうなので、また来ようと思う。

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北中通りには色と線が面白いごちゃっとした場所が残っている。

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その後、雷とともに、雨が激しくなり、傘を持っていてもずぶ濡れになりそうだったので、とりあえず近くのマンションの軒先に避難した。道行く人もそこに避難して来て10人くらいで豪雨を見つめていた。

はちきれそうな体躯の小型犬を連れた人も、犬のほうが雨を避けて人を引っ張るようにして、私のすぐ前に入って来た。犬が濡れない位置で雨をじーっと見つめている姿がかわいかった。

犬はよっぽど濡れるのが嫌のようで、「もうそろそろ行こうか」とリードを引く人に抵抗して、後ろに体重をかけてがんばっていた。犬がふと振り返って私のほうに来たので、頭をなでた。ぷるぷるぷるっと体を震わせて雨の粒を激しく周りにばらまいたので笑ってしまった。

雨がなかなかおとなしくならず、古本屋で本を物色した。夢野久作の歌集が面白かった。

7時くらいにセンプレピッツァ(激安ピザ屋さん)にいたら、幾度も空が裂けるような雷の音がして、ほかのお客も「近くに落ちたんじゃないか!?」と不安そうだった。

きょう露店と一緒に撮影したかった場所。これは先日16日に撮影した写真。(私は美容室に行くことはないのだが)このコティー美容室の内装が気になる。

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7月19日

もう何年も行っていなかった新宿区おとめ山公園のホタル観賞の夕べに、友人と行ってみることにした。

公園は高田馬場から近いのだが、昔歩いた不思議な建物がたくさんあった瀟洒な道の記憶を辿りたくて、目白から歩いた。

目白通りから左折したところ、緑の陰にすばらしい洋館があった記憶を確かめたかったのだが、その建物はなくなり、すっかり様がわりしていたので、すごくがっかりした。調べるとどうやらウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で、明治初期か大正末期に建てられた木造2階建ての日本聖書神学校の建物だったようだ。2006年になくなってしまったらしい。(今は新しい建物になっている。)

その道を少し進むとキクチ科学研究所という白い塀に囲まれた謎めいた建物がある。

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そして大きなお屋敷が立ち並ぶ道を通っておとめ山公園へ。

おとめ山公園はハケ(落合崖線)の斜面緑地だ。私が好きな国分寺崖線のハケの道と同じく、新宿区にも泉が湧いている地形があって嬉しい。国分寺のお鷹の道でもホタルが見られるらしいが、私はまだ見たことがない。

6時から整理券を配ると言われたので、それまで周辺を散歩。

近くの神社の階段の横に、空き地に続く階段が残っていて、その場所の記憶がとても強烈に残っていた。なんと10年以上前に見たその場所は、そのまま残っていたので、個人的にはとても感動した。

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神社に上る階段の横に空き地に続くふたつの階段(この下の写真の右側のふたつ)があり、さらに左側にもこの写真に写らなかった社務所に上る階段がある。

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おとめ山公園は拡張中で、昨年開園したばかりの地区にミゾハギ(溝萩)、ナデシコ(撫子、瞿麦)、オミナエシ(女郎花)やキキョウ(桔梗)が咲いていた。

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オミナエシは晩夏から秋に咲くはずなのだが、秋の七草がもう満開だった。

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英名でピンクと言われるナデシコの澄んだ薄紅色を画像で出そうとすると、草の緑がオレンジっぽくなってしまう。キキョウはきれいな薄紫だったが、画像では青味しか出ない。
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一本だけ咲いていたヒメユリ。
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おとめ山公園の池で元気に泳ぎ回るカルガモの赤ちゃんがとてもかわいかった。大きなカメもたくさんいて、見ていたら食べ物をもらおうと泳いで寄ってくるくらい慣れていた。
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5時30分くらいから長い行列に並んだ。10年くらい前と較べて、見に来る人の数が何倍にも増えたような気がする。周りではじっとしていられない小さい子供たちがたいへんそうだった。おとめ山の大きな木を眺めながら、ここの樹木は守られてよかったなあ、と思う。

並びながら友が我慢できずにコンビニで買ったおにぎりをぱくついていたら、落ち着かなさそうにしていた4才くらいの男の子が寄ってきて、友の真ん前に立ち、じ~っと友のおにぎりを見つめだした。それで友が動揺しているのでおかしかった。

6時に7時ー7時30分入場の整理券をもらってから、雨が強く降り出したので坂を下ってコンビニのイートインで休んだ。靴の底が減ってきているせいか、ちょっと歩くとやたらに足の裏と腰が痛い。その後も6時40分くらいから再び入場の行列に並んだ頃にはもうだいぶ暗くなっていた。

雨の中、そしてついに入場。10年以上前に来たときは、まず暗い池の周りをぞろぞろ行列しながらゆっくり進んで、ホタル舎から舞い逃げたホタルが草の上でふわ~っと光るのを見ることができた。そして最後にホタル舎の中に入れてもらって盛り上がって終わったのだが、今回は入場してすぐホタル舎にはいって終わりだった。

ホタル舎の中にいるのは2分くらいである。そこを出たあと、中高生のおとめ山の生物と地学の研究発表のブースと、カワニナの育舎を見ることができたが、ホタルを見られた時間が短かったので淋しかった。

友と高田馬場で夕食。4時に新宿で待ち合わせてから、7時に実際ホタルを見た時間は2分くらいなのだが、友とずっとしゃべっていることが楽しくて記憶に残る。最近よく話すのは詩について。

7月18日

母に会いに行く。きょうは起きていて夕食完食。加えて水羊羹。

アルバムを開き「この人わかる?」と父の写真を見せて「悪い人なんだけどね~。」と言ったら、母がおかしそうに笑ったので良かった。

中野で降りて古い(60年代の)まんがを買う。

7月14日

ここ2週間くらい自律神経を整える漢方薬を飲んでいたせいか、胃が痛くなってしまった。仕事をしなければと焦っていたら、ついに嘔吐。胃酸で喉がヒリヒリし、頭痛がひどく、1日寝込んだ。

7月13日

友とデルソルで食事。最近は体調が悪いので外で食事してもビールを飲めない。それでも少しずつ、少しずつ一か月前よりは快方に向かっているような気がする。

食事のあと、夕焼けのほうに向かって散歩した。何年も前に、百合をたくさん育てている家があって「わあ、きれい!」と声を出してしまったら、そのお宅の2階の窓から「百合、好き?」と声をかけられて驚いたたことがあった。あの家はどこだったろう。

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7月8日

このところずうっと精神的に疲れてしまい、いろんなことすべてが悲観的な傾向を帯びて捉えられていたのだが、メールを出しても返事をもらえなかった(知人であり、たぶん友人と言ってもいいと思える)人に、フェイスブックから連絡したら返事をもらえた。

メールの返事が来ない、わけはわからないけど無視されているという絶望から、「職場のサーバの不具合で、迷惑メールに振り分けられていた」と聞いて、ほっと救われた。そしていただいたメールの文章はとても誠実で好意的だった。

それでも、わ~、よかった!とぱあっと明るくなれないのは、なんだか自分の心がそうとう参っているせいだとわかる。

7月7日

数年ぶりに歯が痛み、歯科へ。

痛いところ(奥歯)のレントゲンを撮るため板状のフィルムを口の奥に入れると何度やってもおえっとなってしまい、顔が涙でぐしょぐしょになった。歯全体を撮りますか?と言われたが歯全体を撮ると4倍の被曝になると聞き、がんばってフィルムを入れます、と言った。結局指で入れないで器具で押さえて撮った。

画像診断の結果、昔被せた奥歯のブリッジにひびがはいって炎症を起こしているとのこと。口を閉じないで、と言われながらブリッジを切断して取る。唾液を吸引する器械を奥に入れられるとまたおえっとなる。

7月4日

ケアマネさんから父の退院後6日目の状況報告のメールをもらう。

酸素吸入の会社からレンタルしたのに本人は吸入器を使っていない、薬も飲んでいない、甘いものを食べている、というのは予想通りだが。

私がとにかく頭にきてしまったのは、きのう介護ヘルパーさんにタバコ購入を頼み、断られたら夕方自分で買いに行って吸っているということだ。

父はあんなに死にそうになって皆に迷惑かけたのに、6月29日に退院して4日後にはもうたばこを吸っている!!!!たばこの味は、「天国だった」と言ったそうだ!!!!

母が寝ていた部屋までヤニだらけにされるのが嫌で、ものすごくイライラしてしまった。

入院後に私が止めて清算したスポーツ新聞(競馬のため)をまたとっている。そのほか、とてもここには書けないような不快なことも・・・

過去の父にやられたことのトラウマがよみがえり、本当にストレスを感じた。私の場合、ストレスがもろに身体の痛みとして出てくる。ここひと月ほど首が鞭打ちのように固まって横を向けない。首と肩と背中と頭(後頭部と脳天)が痛い。

6月28日

神奈川県立近代美術館の水沢勉さんよりご寄稿いただけるとのお返事をいただいたと「あんちりおん」編集部からメールが来る。ほかにも早くも6月20日にお返事をいただいた私の尊敬する才溢れる文学者のかたがたがいる。これは、本当に予想外のことだ。

最初に「あんちりおん」次号の企画を聞いたとき、そんなの絶対無理でしょ、ご寄稿依頼しても書いてくれるわけないから、余計傷つくだけ、って思ったのだ。そんな依頼をするだけで恥ずかしいと。

良いお返事をいただいても、ものすごく幸せなことなのに素直に信じられない自分がいる。

父の件で一気に悲観にとりつかれ、よい知らせを聞いても、それが現実とは思えないような、へんな感じ。

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2014年7月 1日 (火)

父の緊急搬送4 退院 / 新宿焼身 集団的自衛権抗議

6月27日(金)

西新宿保健センターの最後の日なので、健診関係の申請に行く。来週からは東新宿に移転して、新宿駅から歩くにはちょっと遠くなってしまう。

西口の横断歩道の前の植え込みに、植えてないはずの笹が繁茂していたのを見つけた。若い笹の葉の上に留まっているたくさんの雨の滴の玉が、とてもきれいだった。触ってみたらひんやりとはじけた。

6月29日(日)

父の退院。

4日前、25日に、夜間は呼吸が浅いので酸素吸入が必要と聞き、そんな状態で退院できるのかと思った。今の父は一時よりふらふらで口数も少なく、本人も「家に帰りたい」とは言わなくなったくらい元気はないのだが、とにかく退院となった。

父は病院のベッドを出てからエレベーターに乗るまでもふらふらして、エレベーターを待つ間もはあはあ、と肩で息をするような状態。

おととい27日に、酸素会社からの説明、キーボックスの設置、前のベッドの引き取りと介護用レンタルベッドの設置などを妹がやってくれ、きょうからいろんな介護関係の人たちにお世話になりながら自宅で暮らすことになった。

11時に病院に行き、清算。タクシーで父を福山家に運び、とりあえずあまりにもほこりがたまっているところを拭いたり、父に柔らかい食べ物を買ってきて昼食をとらせたりした。

強烈な日差しで頭がのぼせてしまい、少し具合悪くなった。2時前に福山家を出て、中央公園の木陰を歩いて新宿へ。

2時過ぎに新宿駅南口に着いたら、何やら煙が出ていて、警察や消防車がいっぱい来ていた。どこか近くが火事なのかと思ったが、人が多くて見えなかった。そのまま南口の駅の中、ミロードの前を通って階段を下り、高島屋のほうに向かった。

駅の中から通りの方がビニールシートの幕で遮られて見えなくなっていて、その前に警官が立っていたので、何が起きているのか見えなかった。

それが集団的自衛権の行使容認に対する抗議のための焼身事件だったと知ったのは夜、PCを見てのことだ。

ショックな事件なのに、あまりニュースで報道されていないようだった。安倍政権に対する抗議については報道が抑えられている感じだ。特にNHKではまったく報道されなかったらしい。

しかし海外では注目され、多くのメディアに報道されたみたいだ。

官邸前も集団的自衛権の行使容認、解釈改憲に対する抗議デモが盛り上がっているようだ。もちろん私も大反対だし、抗議デモに行きたいが、正直、首と肩と腰が痛くてどうしようもできない。

この日もとても激烈な不安定な天気だった。3時半くらいに高島屋を出てサザンテラスの上を歩いている時は南側の空は青く光り、北側の空はカオス雲だった。そのあと大きな雷鳴が轟き、ビルの12階の非常階段から外を見ると、無数の雨の鋭い剣が遮って街並みが見えない状態だった。

6月30日

母の夕食介助に行く。きょうは起きていた。夕食完食。「これぜんぶ好きなもの。」と言っていたのでよかった。

夕食後、薬と極みプリンと栄養補助食の桃ゼリーを食べさせる。

Gが来て一緒に中野へ。古本をたくさん買った。

天ぷら屋さんが定休日だったので、香林坊で台湾精進料理を食べた。

Gは吉田照美のラジオを聞いていて、新宿の焼身抗議事件について日本のメディアの報道は抑えられている(特にNHKはまったく報道なし)が、海外ではそうとうメディアに取り上げられていることがラジオで話題になっていると言った。

・・・・

うちの近所の、おばあさんがひとりで住んでいた古い家が明日(7月1日)取り壊しになるという張り紙がしてある。

ものすごくショックだ。

うちの近所の細い裏道にいくつも古い家があって、その細道を猫のようにそっと通るのが楽しみだった。

最初に潰されたのは屋根が膨らむように歪んでいた平屋で、オレンジの実がびっしりなるピラカンサの樹があって、玄関の扉にクリスマスのリースがずっと下がりっぱなしになっている家だった。そこには車椅子に乗ったおじいさんとそれを押すおばあさんが住んでいた。その家が潰された時、さみしくて、呆然とした。更地の土の上に、かつて誰かが使っていた油絵の具が落ちていた。

次に潰されたのは、やはり茶色い木の古い家で、おじいさんが一人で住んでいて、家のぐるりにびっしりと数えきれないほどの万年青や君子蘭の鉢が飾られていた。玄関横には山で拾ってきたと思われるたくさんの小石が積んであった。ぼこぼこした襞のあるハヤトウリがその石の山のてっぺんに飾られていた。

3番目に潰されたのは石屋さんの古い木造の作業場。ここには古い大きな石がごろごろしていて、どこかの墓場から引きあげてきた卒塔婆もよく置いてあった。息子さんがたまに作業していた。そのお父さんは枇杷の樹を手入れしていた。6月の末に枝を落とすとき、母が来ていて、橙色の実をもらって喜んだことがあった。

そして、最後に残っていたのがおばあさんがひとりで住む平屋の家。素敵な木の枠の丸窓があった。裏の部分や塀などは錆びたトタンが張ってあった。そのトタンの、水色のペンキと錆の赤茶色の華やかさを忘れない。

夏のお盆には、ここに住む小さなおばあさんが、玄関の前で、迎え火と送り火を焚いていた。懐かしい匂いがした。おばあさんは野良猫をかわいがってくれていた。

雪の日には、私はそこの錆びたトタンの塀の中の、柿や楓の樹の枝に積もった雪の造形を見ていた。

私の大好きだった大切な片隅の風景。

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