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2014年7月 1日 (火)

父の緊急搬送4 退院 / 新宿焼身 集団的自衛権抗議

6月27日(金)

西新宿保健センターの最後の日なので、健診関係の申請に行く。来週からは東新宿に移転して、新宿駅から歩くにはちょっと遠くなってしまう。

西口の横断歩道の前の植え込みに、植えてないはずの笹が繁茂していたのを見つけた。若い笹の葉の上に留まっているたくさんの雨の滴の玉が、とてもきれいだった。触ってみたらひんやりとはじけた。

6月29日(日)

父の退院。

4日前、25日に、夜間は呼吸が浅いので酸素吸入が必要と聞き、そんな状態で退院できるのかと思った。今の父は一時よりふらふらで口数も少なく、本人も「家に帰りたい」とは言わなくなったくらい元気はないのだが、とにかく退院となった。

父は病院のベッドを出てからエレベーターに乗るまでもふらふらして、エレベーターを待つ間もはあはあ、と肩で息をするような状態。

おととい27日に、酸素会社からの説明、キーボックスの設置、前のベッドの引き取りと介護用レンタルベッドの設置などを妹がやってくれ、きょうからいろんな介護関係の人たちにお世話になりながら自宅で暮らすことになった。

11時に病院に行き、清算。タクシーで父を福山家に運び、とりあえずあまりにもほこりがたまっているところを拭いたり、父に柔らかい食べ物を買ってきて昼食をとらせたりした。

強烈な日差しで頭がのぼせてしまい、少し具合悪くなった。2時前に福山家を出て、中央公園の木陰を歩いて新宿へ。

2時過ぎに新宿駅南口に着いたら、何やら煙が出ていて、警察や消防車がいっぱい来ていた。どこか近くが火事なのかと思ったが、人が多くて見えなかった。そのまま南口の駅の中、ミロードの前を通って階段を下り、高島屋のほうに向かった。

駅の中から通りの方がビニールシートの幕で遮られて見えなくなっていて、その前に警官が立っていたので、何が起きているのか見えなかった。

それが集団的自衛権の行使容認に対する抗議のための焼身事件だったと知ったのは夜、PCを見てのことだ。

ショックな事件なのに、あまりニュースで報道されていないようだった。安倍政権に対する抗議については報道が抑えられている感じだ。特にNHKではまったく報道されなかったらしい。

しかし海外では注目され、多くのメディアに報道されたみたいだ。

官邸前も集団的自衛権の行使容認、解釈改憲に対する抗議デモが盛り上がっているようだ。もちろん私も大反対だし、抗議デモに行きたいが、正直、首と肩と腰が痛くてどうしようもできない。

この日もとても激烈な不安定な天気だった。3時半くらいに高島屋を出てサザンテラスの上を歩いている時は南側の空は青く光り、北側の空はカオス雲だった。そのあと大きな雷鳴が轟き、ビルの12階の非常階段から外を見ると、無数の雨の鋭い剣が遮って街並みが見えない状態だった。

6月30日

母の夕食介助に行く。きょうは起きていた。夕食完食。「これぜんぶ好きなもの。」と言っていたのでよかった。

夕食後、薬と極みプリンと栄養補助食の桃ゼリーを食べさせる。

Gが来て一緒に中野へ。古本をたくさん買った。

天ぷら屋さんが定休日だったので、香林坊で台湾精進料理を食べた。

Gは吉田照美のラジオを聞いていて、新宿の焼身抗議事件について日本のメディアの報道は抑えられている(特にNHKはまったく報道なし)が、海外ではそうとうメディアに取り上げられていることがラジオで話題になっていると言った。

・・・・

うちの近所の、おばあさんがひとりで住んでいた古い家が明日(7月1日)取り壊しになるという張り紙がしてある。

ものすごくショックだ。

うちの近所の細い裏道にいくつも古い家があって、その細道を猫のようにそっと通るのが楽しみだった。

最初に潰されたのは屋根が膨らむように歪んでいた平屋で、オレンジの実がびっしりなるピラカンサの樹があって、玄関の扉にクリスマスのリースがずっと下がりっぱなしになっている家だった。そこには車椅子に乗ったおじいさんとそれを押すおばあさんが住んでいた。その家が潰された時、さみしくて、呆然とした。更地の土の上に、かつて誰かが使っていた油絵の具が落ちていた。

次に潰されたのは、やはり茶色い木の古い家で、おじいさんが一人で住んでいて、家のぐるりにびっしりと数えきれないほどの万年青や君子蘭の鉢が飾られていた。玄関横には山で拾ってきたと思われるたくさんの小石が積んであった。ぼこぼこした襞のあるハヤトウリがその石の山のてっぺんに飾られていた。

3番目に潰されたのは石屋さんの古い木造の作業場。ここには古い大きな石がごろごろしていて、どこかの墓場から引きあげてきた卒塔婆もよく置いてあった。息子さんがたまに作業していた。そのお父さんは枇杷の樹を手入れしていた。6月の末に枝を落とすとき、母が来ていて、橙色の実をもらって喜んだことがあった。

そして、最後に残っていたのがおばあさんがひとりで住む平屋の家。素敵な木の枠の丸窓があった。裏の部分や塀などは錆びたトタンが張ってあった。そのトタンの、水色のペンキと錆の赤茶色の華やかさを忘れない。

夏のお盆には、ここに住む小さなおばあさんが、玄関の前で、迎え火と送り火を焚いていた。懐かしい匂いがした。おばあさんは野良猫をかわいがってくれていた。

雪の日には、私はそこの錆びたトタンの塀の中の、柿や楓の樹の枝に積もった雪の造形を見ていた。

私の大好きだった大切な片隅の風景。

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