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2014年9月14日 (日)

「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展

9月13日

板橋区立美術館「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展へ。

午後2時より大野慶人さんの舞踏があるので、家を12時頃出る。きょうは陽射しがとても強い。(写真はクリックすると大きくなります)

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地下鉄赤塚駅に着き、地図を見ようとすると、外国人に声をかけられ、板橋区立美術館への行き方を聞かれる。一緒にタクシーに乗った。彼はボブと言って、アメリカから来た大野慶人さんのお弟子さんだそうだ。ボブはタクシーの中で、10年くらい前に大野一雄さんと慶人さんと上星川の幼稚園のクリスマスにサンタクロースとその仲間として出演した時の写真などを見せてくれた。
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展示は、マニエリスム、ナンセンス、悪魔、ノイエザハリヒカイト、世紀末芸術、贋物、覗き箱、日本のアングラ・・・などなど種村先生が紹介した美術家たちの作品をいっぱい集めてある。

2時に大野慶人さんが仮面をつけて薔薇をたずさえて登場。全部で4曲くらいだったろうか。慶人さんの舞踏を見るのは久しぶりだ。お元気そうでよかった。

新宿パークタワーの大野一雄さんの舞台で最初にかかった曲、バーバーのアダージョ。慶人さんが踊る後ろの窓越しに森が見え、木々の隙間から強い陽の光が輝いて見えていた。

(2001年、パークタワーの大野一雄織部賞受賞記念公演は最高だった。中川幸夫先生もお元気で、中川先生直筆の書が入ったポスターをいただいて帰った。)

日本で「舞踏」が誕生したのが1959年。その頃、大野慶人さんは10代、種村さんは20代だったそうだ。

土方巽は最初、外国人に肉体コンプレックスがあってオイルを塗ったりして筋肉を大きく見せていた、しかしある時秋田から帰ってきたらすごく痩せていて、「秋田は寒いからやせちゃった。」と言って、それから体を白塗りにしたとか。

土方巽のうめき声のテープをかけて、「土方さんはうめき声をやってから、おもしろかった?ってきくんですね。あのひとはさめてるんですね。」というような話で会場を笑わせていた。

種村季弘先生のことを想うと胸がいっぱいになって涙が出てしまう。ものすごく繊細で、優しくて、しかも正直なかたで、とてもかわいがってくださった。これは2000年、種村先生が泉鏡花賞を受賞された時の「立春の宴」(学士会館)の写真。

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帰りは地下鉄赤塚駅までてくてく歩いた。久しぶりに陽射しが強くて喉が渇いた。

知らない街を歩く時、必ず古い素敵な建物や、草の生えた場所、車の入れないような細い道をさがしてしまう。

赤塚駅近くの古い歯科の建物。
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オヒシバ、メヒシバ、エノコログサや薄紫の野菊の生い茂る線路沿いの細い坂道を歩く。

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遠くの空に積乱雲。西日が射してきた。

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裏道。キクイモが満開だった。キクイモはオオハンゴンソウと似ているが、オオハンゴンソウのほうは葉が裂になっているので区別できる。
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白と紅の混じった絞りのオシロイバナ。この匂いが夏の名残り。

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9月12日

切ったほうの声帯が左とわかったので、Sクリニックに星状神経ブロック注射に行ってみた。

久しぶりで結構筋肉が固くなっていたので、針を刺した時に、針の痛みというよりはびーんとくる筋肉痛のような感覚があった。

甲状腺切除の手術で左の声帯を切っているので、神経ブロック注射は右にはしないように、右に打つと気道閉塞になるとがんの主治医に言われた旨、報告すると、M医師は、「声帯じゃなくてはんかい神経でしょう。」と言った。「反回神経」というものらしい。

「切ったこと隠してました?」と言われ「は?」と思った。隠すわけない。甲状腺切除したことは初診の時に申告しているが、声帯切除のことは聞かれなかったし、「反回神経」なんて言葉は今初めて聞いた。それで毎回右に打っていて、気道が塞がって本当に苦しい思いを何回もしたが、「息が苦しくなる時はよく効いている」というような説明しか看護師さんから受けていなかった。

9月9日

母の施設へ行く。

とても親切な職員Oさんに「きょうは元気でしたよ~。」と言われて嬉しい。

夕食介護し、お茶のみを残し完食。差し入れの「極みプリン」も完食。食べている途中から傾眠になってしまったのでお茶を飲めなかったのだけが残念。

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