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2014年9月

2014年9月26日 (金)

水沢勉さん来訪  『この終わりのときにも』 /  ちゃび

9月22日

水沢勉さん(神奈川県立近代美術館館長)が、私の仕事場に来られた。私についての文章を書いてくださるためだ。

社交辞令だと思っていたのに、本当に私の仕事場兼住居(ただのアパートの部屋)に来られることが信じられず、緊張と焦りで心拍数が上がりっぱなし。

水沢さんは、恐ろしくお忙しい方で、先週も出張で全国を飛び回ってらしたそうだ。そんな方が、売れっ子でもない、非常に地味な、私なんかの仕事場に・・・。

いつも来客(電話工事の人など)が来ると押し入れに飛び込んで石のように固くなって息をひそめているちゃびが、部屋に入って来られた時、意外にも逃げなかった。水沢さんも4匹の猫を飼っているから、匂いでわかるのかもしれない。

水沢さんは、まず飾ってある写真――吉増剛造さんや、若林奮さんや、中川幸夫さんらと一緒に撮ったものや、私の絵の前で舞踏する大野一雄さんを一枚ずつ丁寧に見て、とてもいい写真だと言ってくださった。

それから壁にかかっている絵――Horst Janssenの銅版画や、私が癌で手術した時に毛利武彦先生が送ってくださった銅版画、宮西計三のペン画や水彩、花輪和一のペン画などをゆっくり見てくださった。

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下が「祈念回癒」と書いてある毛利武彦先生がくださった孔雀の銅版画。水沢勉さんは、毛利先生の画集を見て、「毛利教武の息子か!」と驚いていた。

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中でも、美術評論家にほとんどまったく知られていない宮西計三の絵にちゃんと目をとめて、「これ、どうやって描いてるの?この人はとても濃密な人だ。」と言ってくださったことに感激してしまった。下が宮西計三の絵(墨と丸ペンのみの点描画)。

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水沢さんは、なんて偏見がない人なのだろう。私と宮西計三や花輪和一との親交について、「80年代カルト」という枠組みでくくって鼻で笑った某有名美術評論家(大学教授)の態度を思い出していた。

それから座ってお茶を飲んでくださって、いろいろお話した。(正直、私はお茶も飲んでくれないのではないかと思っていた。ぱっぱっと部屋を見て帰ってしまわれるのじゃないかと。ものすごく忙しい人が、お茶を飲んで、豆餅(おかき)を食べてくれるというのはすごいことだ。)

若林奮先生、中川幸夫先生、大野一雄先生との思い出、絵の技法のこと、ドイツに行ったこと、前の個展のこと、私の生い立ちからこれまでのことなど、いろいろ・・・。

PCの中の、私の前の個展(2012年11月キッドアイラックホール)の時の画像を見て、来てくれた人たちの顔が「落ち着いてる」とか「上品なおじいさんが多い」と言われたのにも感銘を受けた。私にとっては全然「おじいさん」ではないが。

初めてお会いしたときからお変わりない水沢勉さん。はっきりした知的なお顔立ちだが、率直で暖かい方だ。

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かつて、中川幸夫先生が香川に帰って、もう会うチャンスがなく辛かった時、銀座のエルメスでの展示があったが、その企画者は、中川先生とそれまで親しかった人たちを締め出し、私も入場を拒まれ、胸が潰れそうになったことがある。その時、水沢さんに「芸術家同士の絆は、そんなに簡単に切れるものではありません。」と励ましていただき、涙が出た。

また、あるダンス公演に請われて出した私の絵を破損されて、その保険の免責分の金額3万円を主催者に要求された時も、水沢さんに「その主催者はそうとう悪質だ」と言われ、たすけていただいたこともある。私が苦しんだ局面で、幾度も、具体的で適切な助言をいただいたことは忘れられない。

水沢勉さんの『この終わりのときにも』を再読している。

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 「いくつかの新しいメディアが登場したときには、まだ、そのメディアとの居心地の悪い関係が、奇妙な異邦の同居人という具合に、たしかな手触りで存在していた。

いつどこでどのようにしてかを正確にとらえることは難しいけれども、この十数年のうちに事態は急速に展開してしまったようにみえる。

それまでの現実の感覚神経よりも、はるかに至近距離でつぎつぎとめまぐるしく移り変わってゆく擬制の感覚刺激の明滅に応接しているうちに、がらんどう同然の感覚の洞だけが残る。

そのめまぐるしさとは反比例する、微弱なエネルギーの残響が、そこにむなしく充たされてゆく。それも、けっしてのっぺらぼうのものとしてではなく、おびただしい微細なニュアンスをもって。

おそらく、この微かな差異を感じるそのたびに、「ぼくのかけら」が、その空疎なスペクタクル性に圧倒されながら、無気力に反応をつづける。どこまでも惰性態としての主体が、感覚だけをたよりに、過去でも未来でもない、永遠の現在に吹きさらされているばかりだ。

それが心地よいものであれば、その空気のありよう、動き、風を、ぼくたちは、もはや「芸術」なぞとはいわずに、とりあえず、曖昧なまま、もっぱら気分で、わざわざ片仮名をつかって「アート」と呼んでいる。」 

(「『この終わりのときにも』水沢勉 思潮社 行分けは引用者)

・・・・・・

ちゃびの最近の状況

9月26日

昨夜、少量だが輸液できたせいか、きょうは朝からおねだりで起こされる。「ちゃお14歳から」を半缶ずつ2回食べ、さらに「dbfめざせご長寿」を半缶とドライを少々食べたのでよかった。

自宅でのねこ輸液について、ずっとネットで調べている。皆さん、最初はやはり怖いし、失敗もするし、たいへん苦労されている。それでもちゃびと私がお互い慣れていくように、がんばろうと思う。

夕方、オリンピック(ディスカウントストア)に行ってみたら、予想以上にねこのごはんいろいろあり、安かった。15歳以上のもので、発がん性添加物が入っていないものをいろいろ買ってみた。

ちゃびはずっと寝ていたが、夜、「dbfめざせご長寿」の残り4分の1缶と「シーバ15歳以上ドライ(総合栄養食」)を少々食べた。

9月25日

朝、大声で私を起こし、私がなかなか起きないので紙類をかじって破ろうとするくらい元気になった。「ミオ15歳以上」を半缶とドライ数粒、勢いよく食べる。うんこ少量。

ゴロゴロ言って私にまとわりついたり、だいぶ元気になったが、夜は食べない。

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私のふとんでゴロゴロくつろぐちゃび。わりと元気そうだが・・・

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ずっと食べないので、深夜一時頃、ついに私がおそるおそる輸液に挑戦してみた。

針を刺すのが怖くて私は汗びっしょり。右手で刺した後、それを左手で押さえながら、右手で輸液をストップさせているつまみを操作して液を出すのがたいへん。

ちゃびが嫌がって、途中で針が抜け、70ccくらいしか入らなかった。

そのあと、よいうんこをした。

9月24日

朝9時にうんこ少量。

ゴロゴロ言いながら草を食べる。私の背をかけのぼって冷蔵庫の上にジャンプ。

昼12時「カルカン15歳から」パウチ半分。

夕方、動物病院へ。皮下輸液と3種混合(小さい時に打ったのが消えていたので)。

自宅でできるように皮下輸液のやり方を教わる。が、怖くてぶすっとできず、針を刺せなかった。しかし一日おきに病院に行くのは、ちゃびにもストレスだし、現実問題として、とてもお金が続かないので、輸液セットを買って帰宅。

病院では250cc~350ccも入れていて、できれば家でも一回250ccくらいいれるとよいと先生に言われた。

病院から帰ったら急に元気になり、モンプチまぐろスープなど食べる。

この日、初めて気がついたが、「カルカン15歳から まぐろ」などには発がん性のある発色剤(亜硝酸Na)がはいっていることに、びっくり。なんのためにわざわざ発色しているんだろ。これからは亜硝酸Naのはいったものは絶対買わない。

9月23日

休日。ちゃび、食べない。よく水を飲んでいる。明日、また病院に輸液に行こうと思う。

9月22日

朝ウエット食べる。うんこなし。

9月21日

朝うんこ緑色。

病院で皮下輸液。

2回食べる。夜10時普通のうんこ。

9月20日

食欲あり、9時、12時、5時、9時30分と4回食べる。

夜うんこ。

9月19日

病院で皮下輸液。うんこなし。

9月18日

うんこなし。「カルカン総合栄養食15歳から」と「銀のスプーン15歳以上三ツ星ジュレ」を食べる。

9月17日

病院で血液検査。腎臓が悪いと言われ、皮下輸液。「銀のスプーン15歳以上三ツ星ジュレ」など食べる。うんこなし。

9月16日

ちゃび、何も食べない。水はよく飲んでいる。うんこなし。

9月15日

ちゃび、ほとんど食べない。うんこなし。

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2014年9月18日 (木)

ちゃび 動物 肉食について / 乳がん再検査

9月17日

ちゃびがきのうから全く何も食べていない。うんこもしていない。4日くらい前から急に食が細くなり、秋バテかな?と思ったが、ゴロゴロ言っているし、水は飲んでいるし、具合悪い感じでもないので様子を見ていた。

しかし丸1日以上、なんにも食べないのはおかしいので、すごく不安になって、H動物病院に電話してみた。水は飲んでいるか、おしっこの量は、など聞かれ、高齢なのでもっとも考えられるのは腎臓が悪くなっていることで、なるべく早く来た方がいいと言われた。

きょうは私の乳がんの再検査の日で、時間がどうなるかと思ったが、夕方急いで帰宅して行くことにした。

・・・

さて、区の健診を受けた新宿のクリニックにて乳がんの再検査。カルテをつくったりするのにけっこう時間がかかった。「この前撮ったのと別の角度で、もう一度マンモグラフィ撮りますか?嫌なら先生と相談で。」と言われ「相談させてください。」と応える。

まず臨床検査師の人にエコーを撮られる。検査の時、いつも「くすぐったいかもしれません。」と言われるが、私の場合は押されたりこすられたりすると痛いので緊張する。

画像を何枚も撮られ、ピッピッと音がして、見ると検査師の人が気になるところにやたらしるしを付けているので「そんなにいっぱい疑わしいスポットが?」と思い全身から汗が出てきた。

先生の診察でもう一度右胸のエコー。気になるのはマンモに写っている右胸の白いところ。だがエコーと触診ではだいじょうぶそうなので、乳腺がここに飛んでるだけかもしれない、と言われる。水がたまっている細かいふくろはたくさんあるが、それは問題なし。

3か月後にまたエコーをし、その時は両胸のマンモもしっかりやって検査しましょう、とのこと。そこで疑わしかったら細い針を刺して細胞診。さらに疑わしかったら太い針を刺して、確定になったら全身麻酔の手術だそうだ。

・・・

5時すぎ帰宅して、ちゃびを病院に連れて行く準備。タクシーでH動物病院へ。

H動物病院は最近新しくできた病院で、高円寺ニャンダラーズへの協力や、殺処分をなくす講演や、一貫して動物愛護の活動をしている院長さんだという記事を読んでいたので、何かあったらここに行くと決めていて場所の下見をしておいたところだ。

H動物病院に着いてびっくり。玄関の前にも、中にもびっしり待っている人と、大きな犬がいっぱい。こんなに混んでいる動物病院を初めて見た。おむつをして床に寝ている犬もいた。

ちゃびはほとんど外に出たことがないので、緊張してかわいそうだったのだが、まわりにいる犬や猫をキャリーの中から観察しているようだった。

ちゃび2800g。昔から小柄だ。診察台の上に乗せられるちゃびは、本当に怯えているので「ちゃび~、だいじょうぶよ~」と上半身を抱いて撫でながら・・・しかし25ccも採血されて痛がるちゃびを見て私もどきどきして汗まみれに。

検査結果が出るまで再び待合室で待機。お客さんはひっきりなしに来て、ちゃびよりも先輩の21歳という猫ちゃんも来た。

結果、腎臓が悪くて脱水症状を起こしている、と言われ、皮下点滴をしてもらう。明日はH動物病院は休みなので、これで食欲が出なかったらどうしよう、と不安にかられる。心臓も弱っていると言われ、飲ませられたらやってください、と薬を3錠出された。

いつまでも赤ちゃんの時と変わらずに、紐にじゃれて走ったり、パイルヘアゴムを飛ばすとキャッチしたりしているちゃびが、実際は人間に換算できないくらい歳をとっているということをつきつけられたようで、胸が苦しくてたまらない。

帰宅すると7時45分。とにかく何か柔らかいちゃびが食べそうなものを、と8時閉店の店へ走る。店はもう片付けをしていたが「すみませ~ん!」と飛び込んで「銀のスプーンプレミアム 三ツ星グルメ15歳以上用」というのを2種類とまたたび粉を買った。

ちゃびは、皮下注射の液がたまったところが脇の方にぷよぷよぶら下がっていた。お願いだから元気になって!!と涙が出る。

深夜、ちゃびに「銀の・・・」を袋からしぼってあげてみたら、食べた!!!すごくおねだりするようにして完食!

総合栄養食のほうは少ししか食べなかったが、まずはよかった。これからいろいろ気をつけてあげないといけない。

最近のちゃび。これは9月3日。すごく元気だった。

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9月7日のちゃび。私の薬袋にはいって、穴があいてるところから顔を出してみていた。

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9月15日のちゃび。ちょっと食が細い気がしたが、普通に元気だった。うんこ少量。

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動物について、

Bに「日本では、私が肉を食べられないと言うと攻撃してくる人がいる。外国ではすんなり通るのに。」と言ったら、

「欧米では狩猟民族の歴史が2000年以上続いていて、その中で逆に動物を殺して食べることに反対する人たちも出て来、さらにいろんな考え方も出てくる。日本では肉食の歴史が浅く、いろんな議論も全く成熟していないから」と言われて、なるほどと思った。

欧米ではベジタリアンというと卵やミルクはOKの人が多いようで、完全に動物を食べない人をヴィーガンという。さらに進んで、人間生活のあらゆる面で、動物を利用することを完全にやめるべきとする人たちがいて、過激な活動をしていたりする。

言葉にするのは困難だが、私が思うのは、すべてを厳格にしようと理屈で考えていくのはよくないということだ。すべてを単純に分類していくと感覚はどんどん死んでいく。それは身体感覚から発するものではなくなって、「信条」「イデオロギー」になって硬直する。

しかし、常に感じながら何かに向き合うということは、非常にしんどいことだ。だからほとんどの人はあるやりかた、やりすごしかたを覚える。

一度線引きをし、分類したものごとが決まり事になり、ルーティーンになると、本当の微妙さ、誠実さ、割り切れない感情は死んでしまう。

そういうふうに思うのは私が「活動家」ではないからだ。「活動家」であれば、現実に対しての有効性を考えるのは当然だ。

たとえばH病院の先生だって、犬猫の殺処分ゼロの運動をしている人たちだって、肉食をしないかどうかはわからない。犬猫をかわいがっている人でも牛豚鶏の命にはほとんど関心がないのは、まあ一般的だと思う。いろんな関わり方、考え方はあるが、自ら実践として活動している人たちについては尊敬せざるを得ない。

日本などでは「文化」的に習慣化し、固着してしまった「牛、豚、鶏は食べ物であり、そこに生き物に対するシンパシーは不要」という意識を根底から問い直すことは一般的には難しいのだろう。

もちろん肉食している人でも尊敬する人、大好きな人はいるし、肉食を絶対しないという人でも好きになれない人はいる。

かわいがられる動物と、殺される動物、殺されるために飼育される動物の区分、その差が激しすぎることが、本当に恐ろしいことなのだが・・・裕福すぎる人間と、命を尊重されない人間の差が激しすぎること以上に、その理不尽は途方もない。

私個人に関して言えば、最初に身体感覚が肉食を拒否し、その後で言葉が来た。

最初にいわゆる肉を食べられなくなったのはたぶん4、5歳のころだ。気持ち悪くて吐きそうになったのだ。その頃から、家には犬も猫もいた。

動物が自分に近い存在であり、個性(個々の生命)を持つこと、かわいがっている犬や猫と食肉にされる動物はいったいどこが違うのだろうか、という問題意識がはっきり(言語化)したのは、もっと後になってからだ。

問題意識はさらに強く身体を変化させるので、意識してからは、動物を殺すのは厭だという感覚、肉食に吐き気を覚える感覚は、相互作用でどんどん強くなっていった。

たとえば牧場などで、牛や羊と遊びながらその横で肉を食べる観光や、食べ物としての動物のユーモラスな戯画、そういった、文化的コードによる一見のどかで無垢な環境への翻訳が、私にはとても怖いのだ。特に「仔羊」や「仔牛」という名前のつく料理があるのを見ると、ものすごく怖い。仔羊や仔牛を見て、触れて、本当にかわいいと思ったことがあるからだ。

私の場合、その恐怖によって、肉を焼く煙やにおいでも吐きそうになるし、ハム、ベーコンなどの加工品や、ラード、ブイヨンなどの出汁、チキンと一緒に揚げたポテトなどもまったくだめだ。

かと言って、「ロハス」や「マクロビ」などの言葉が好きかと言われると好きではない。「ロハス」は経済用語だし、「マクロビ」は別に動物への思いやりがあるわけではなく、ただ自分の美容と健康のために称揚している人が多いからだ。

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話は少しずれるが、たちが悪いのは、頭がよくて言語操作に長け、最初から懐疑的無関心のうちにいる人たちだと思う。「偽の問題意識」でディスカッションし、一見、微細なところまで踏み込んで考えているふりをするが、実際は多くの議論が本質的なところで無関心をさらしている。

たとえば虐殺や飢えをテーマにした講演や展示をしたすぐ後に、関係者で焼肉三昧の宴会をする人たち。せめてそのイヴェント直後だけでも慎めばいいのに、それすらできない。彼らは、ただ知的遊戯を楽しんでいるのであり、虐殺する者、される者の話をしながら、少しの吐き気も感じない。

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2014年9月17日 (水)

青紫のベロア / 戸山 諏訪町 / 文学

9月15日

友人Bと戸山を散歩する。

新宿駅で午後3時頃の丸ノ内線に乗って、東新宿で降り、副都心線に乗り換えて東新宿へ。降りてしばらくしてから、ものすごく思い出のあるお気に入りのジャケットを電車に忘れたことに気づいてうろたえてしまった。

東新宿駅の忘れ物係りに届け、捜してもらったが見つからなかった。ものすごくショック。

私にとっては、亡くなってしまったあまりに大切な人たち、若林奮先生、種村季弘先生、毛利武彦先生と会うとき、そして日隅一雄さんのパーティーの時など、特別の時に着ていた一張羅といえるジャケットだったので、すごくショック。高円寺の庶民的な店で2900円で買ったものだが、個人的には濃密な記憶が詰まっている。

とりあえず気持ちを休めようと、なにか似たようなものはないか検索してみたが、青紫のベロアのジャケットはオークションにもどこにもなかった。(似たような古着でもどこかで売っていたら教えてください!)

昔、大切な友人の授賞式にて、私が着ていた青紫のベロアジャケットの写真です

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気を取り直して戸山の片隅の私の大好きな小さな花園に行く。

前は春と初夏に来て、ニゲラ、デルフィニウム、アイリス、ハナビシソウ、薔薇などが咲き乱れていた。今は枯れた向日葵に百日草、彼岸花、鶏頭、それに小さな葡萄など、秋の気配に満ちていた。

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彼岸花は赤いのと、白いのと、薄黄色の花が咲いていた。

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これは白でなく薄黄色の彼岸花。

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百日草はいろんな色の花がいっぱい。
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この鶏頭は赤ではなく、おしゃれなワイン色。
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薄荷の繊細な薄紫の花。

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いろんな花と雑草の陰にひっそりとかわいい葡萄が実っていた!色のグラデーションが微妙でとてもきれい。

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紅蜀葵(こうしょっき)、またの名は紅葉葵(もみじあおい)。ヨモギやヤブカラシなどの雑草が刈り取られすぎていないところがとても素敵だと思う。

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箱根山の頂上近くにある教会と、数百年も生きていると見える大欅を見、かつて731部隊の人体実験の証拠となる人骨が出たという戸山公園を抜け、国立感染症研究センターの脇の道を下り、早稲田のほうへ。

早稲田通りを高田馬場方面へ歩く。ここはかつて素敵な昭和の喫茶店「らんぶる」が会った場所。

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「らんぶる」が無くなってとても淋しいが、夏草が彩っていてくれることに少し慰められる。
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「らんぶる」のすぐ横の私の大好きだった古い階段。
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早稲田通りから少し左にはいった諏訪町あたり。古い階段を上ると真っ直ぐな細い道がある。ついこの前来た時は、この写真左側には小さな古いアパートがあったのに壊されていた。

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この細い道を行くと薄ピンクの塀に沿って野生の草花が咲いている。塀の罅割れの穴からドクダミや薄荷が伸びて花をつけているのは、フラワーアレンジメントやへたな生け花より美しいと思う。


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抽象画のような錆びた板。

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これも、素晴らしいタッチ、見事なマチエールの絵に見えるが、地下鉄のホームの柱。人間が意図的に作ったのではないもののほうに絵画的な感動を覚える。

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Bに「私は文学がまったくわからないのかもしれない。現代的だと言われ評価されている作品を読んでも、面白いどころかものすごいストレスを感じることが多いから。私にはみんなが評価するものを理解する能力がない。」と言ったら、

「理解できないのは悪いこととは言えない。」

「今は、表現のすべてがやられつくされた、新しい表現はもうないと言われる時代で、何かをやろうとするとアイロニカルにならざるを得ない。アイロニカルとは些末なところに価値を見いだす「身振り」であり、現実、実質と向き合うより文化的対象と向き合っているから。しかしアイロニーはアイロニー以上の価値を生まない。」と言われた。

アイロニーとは、対象と距離がないとできないことで、私のように関わっている存在すべてが同じ強度になってしまう人間にはできない、と。

たとえばある詩人が旅をしている文章を読んでも、どうしても私には彼がなにかを見たり、発見したりしていると思えない、と言ったら「彼は、歩くことによっての暴力的な驚きではなく、一定の価値を獲得している文化的対象(たとえば芭蕉など)を読み直し、再解釈することをしているから。ひかれた文脈のレールの中でものを言っている。」と言った。

私が見ているものや対象との関わり合いについて、過去に、ある文学者が知的言語によって攻撃や抑圧をしてきたことについて、「彼らは征服欲、支配欲で商売をしている。自分がわからないものを否定して勝ったような気になる。それをやらないと彼らは商売にならないんだ。」と。

Bは私なんかと違って、20代の時から著名な文学者たちと関わりがあり、刺激しあう仲間がいた。そのことを私はずっとうらやましく思っていた。しかしBに「あなたと知り合ってから「本物」の人たちと会えた。あんなに近い距離で話せるなんて有り得ないことだ。それはあなたが常にそういう志向性を持っているからだと思う。」と言われて驚いた。

9月14日

母のいる施設の敬老の日イベント。

バイキングが11時30分から、というので行ってみたら、高い帽子をかぶっったホテルのシェフみたいな人が3人も来ていて、中央のテーブルに豪華なオードブルなどが並べられていたのでびっくり。

母に料理をとってあげないといけないと思って来たのだが、母には職員さんが柔らかくしたものを持ってきてくれた。バイキングと言っても、立ち上がって自由にとる人はいなくて、それぞれに職員さんが彩りよく盛り合わせて持ってきてくれるので、きょうはたくさんの人手がいるようだ。

テリーヌ2種、ブロッコリーとアスパラのゼリー寄せ、グラタン、ハンバーグ、松茸ご飯(おかゆ)、お吸い物、ミニケーキ、など。

食堂ではシェフの人たちが、フライパンから炎を上げてステーキを焼いて見せるパフォーマンスで拍手が上がっていたが、私は肉を焼くにおいが苦手で、本当に吐きそうになってしまうので、廊下の家族用のテーブルで母に食事介助した。

途中、母は傾眠になってしまい、松茸ご飯だけ残りそうになったが、せっかくのハレの日のごちそうなんだからと、お吸い物でさらにゆるく溶いて、ゆっくり食べさせた。時間はかかったが完食。食べ終わってから眼が覚めたようだ。

近くに残る古い店の建物。「マルマス味噌」の看板が蔦に埋もれている。

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きょうは陽射しの強い日だった。

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2014年9月14日 (日)

「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展

9月13日

板橋区立美術館「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展へ。

午後2時より大野慶人さんの舞踏があるので、家を12時頃出る。きょうは陽射しがとても強い。(写真はクリックすると大きくなります)

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地下鉄赤塚駅に着き、地図を見ようとすると、外国人に声をかけられ、板橋区立美術館への行き方を聞かれる。一緒にタクシーに乗った。彼はボブと言って、アメリカから来た大野慶人さんのお弟子さんだそうだ。ボブはタクシーの中で、10年くらい前に大野一雄さんと慶人さんと上星川の幼稚園のクリスマスにサンタクロースとその仲間として出演した時の写真などを見せてくれた。
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展示は、マニエリスム、ナンセンス、悪魔、ノイエザハリヒカイト、世紀末芸術、贋物、覗き箱、日本のアングラ・・・などなど種村先生が紹介した美術家たちの作品をいっぱい集めてある。

2時に大野慶人さんが仮面をつけて薔薇をたずさえて登場。全部で4曲くらいだったろうか。慶人さんの舞踏を見るのは久しぶりだ。お元気そうでよかった。

新宿パークタワーの大野一雄さんの舞台で最初にかかった曲、バーバーのアダージョ。慶人さんが踊る後ろの窓越しに森が見え、木々の隙間から強い陽の光が輝いて見えていた。

(2001年、パークタワーの大野一雄織部賞受賞記念公演は最高だった。中川幸夫先生もお元気で、中川先生直筆の書が入ったポスターをいただいて帰った。)

日本で「舞踏」が誕生したのが1959年。その頃、大野慶人さんは10代、種村さんは20代だったそうだ。

土方巽は最初、外国人に肉体コンプレックスがあってオイルを塗ったりして筋肉を大きく見せていた、しかしある時秋田から帰ってきたらすごく痩せていて、「秋田は寒いからやせちゃった。」と言って、それから体を白塗りにしたとか。

土方巽のうめき声のテープをかけて、「土方さんはうめき声をやってから、おもしろかった?ってきくんですね。あのひとはさめてるんですね。」というような話で会場を笑わせていた。

種村季弘先生のことを想うと胸がいっぱいになって涙が出てしまう。ものすごく繊細で、優しくて、しかも正直なかたで、とてもかわいがってくださった。これは2000年、種村先生が泉鏡花賞を受賞された時の「立春の宴」(学士会館)の写真。

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帰りは地下鉄赤塚駅までてくてく歩いた。久しぶりに陽射しが強くて喉が渇いた。

知らない街を歩く時、必ず古い素敵な建物や、草の生えた場所、車の入れないような細い道をさがしてしまう。

赤塚駅近くの古い歯科の建物。
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オヒシバ、メヒシバ、エノコログサや薄紫の野菊の生い茂る線路沿いの細い坂道を歩く。

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遠くの空に積乱雲。西日が射してきた。

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裏道。キクイモが満開だった。キクイモはオオハンゴンソウと似ているが、オオハンゴンソウのほうは葉が裂になっているので区別できる。
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白と紅の混じった絞りのオシロイバナ。この匂いが夏の名残り。

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9月12日

切ったほうの声帯が左とわかったので、Sクリニックに星状神経ブロック注射に行ってみた。

久しぶりで結構筋肉が固くなっていたので、針を刺した時に、針の痛みというよりはびーんとくる筋肉痛のような感覚があった。

甲状腺切除の手術で左の声帯を切っているので、神経ブロック注射は右にはしないように、右に打つと気道閉塞になるとがんの主治医に言われた旨、報告すると、M医師は、「声帯じゃなくてはんかい神経でしょう。」と言った。「反回神経」というものらしい。

「切ったこと隠してました?」と言われ「は?」と思った。隠すわけない。甲状腺切除したことは初診の時に申告しているが、声帯切除のことは聞かれなかったし、「反回神経」なんて言葉は今初めて聞いた。それで毎回右に打っていて、気道が塞がって本当に苦しい思いを何回もしたが、「息が苦しくなる時はよく効いている」というような説明しか看護師さんから受けていなかった。

9月9日

母の施設へ行く。

とても親切な職員Oさんに「きょうは元気でしたよ~。」と言われて嬉しい。

夕食介護し、お茶のみを残し完食。差し入れの「極みプリン」も完食。食べている途中から傾眠になってしまったのでお茶を飲めなかったのだけが残念。

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2014年9月 9日 (火)

鎌ヶ谷 / 和田堀 永福

9月8日(月)

がんの定期健診のため、新鎌ヶ谷の病院に行く。高円寺から中野経由地下鉄東西線で西船橋へ。そこでまたJRに乗り換えて船橋に行くと470円。JRだけで船橋まで行くより170円安い。さらに船橋から東武線で200円。

A先生に開口一番「やせましたね。」と言われる。一番調子の悪かった時が41kgで、今はその時より3、4kg多いのであんまり気にしていなかったのだが「やせるとどんどん筋肉が少なくなってしまうから。」と心配された。

前回、聞き忘れてしまった重要な確認、「どっちの声帯を切ったんでしたっけ?」と質問すると、「麻痺の確認に、ファイバースコープ入れてみていいですか。」と言われ、両方の鼻の穴にシュッ、シュッと麻酔をスプレーされて、鼻からのどまで長いノズルのようなものを入れられる。

「痛、痛い・・・」と汗だくになってからだが固まってしまっていたら、「もう少し上を向いて。え~~と言ってみて。」と言われる。その後、画像をPC画面で見せてくれ、「これ、左の声帯は切ったので萎縮しているんです。右は声を出すときは伸縮しているけど、こっちにブロック麻酔を打ってしまうと気道がふさがれてしまうので。」と言われた。

なるほど、星状神経ブロック注射を右の首に打って、のどが詰まり呼吸困難になったことが6、7回もあるわけである。それにしても何回もブロック注射をしたSクリニックでは、首の手術をしたことは申告したが、一度も声帯を切ったかどうか聞かれなかったな。

赤いのどの中で、そこだけ白い細い筋肉(声帯)を見て感慨深かった。声帯を片方切ったら、低く響かない声に変わってしまう、と手術前に言われていたわりには、そんなに声は低くなっていない。右の声帯が予想以上にカヴァーしてくれている。

3時半くらいに病院を出、東武線のとなりの駅「鎌ヶ谷」で降りて散歩。

森や野原みたいなところをさがして歩くが、駅前はつい最近建ったと見える巨大なマンションと、同じく真新しい建売の似たようなかたちの家がたくさん並んでいて、都心より緑が少ない。

昔の土手や森は、ざっくりと残酷な傷のように切断されて、ほんの少しの断片がいくつか飛び飛びに残っている。最近開発されたところは、ほとんどが草も生えない、並木もないコンクリートとアスファルトで、その落差が極端だ。

「道野辺」という美しい地名の場所を歩いてみたかった。八幡神社の道しるべのところだけは少し古い。

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八幡神社の鳥居と階段の前を通ったが、あまりにも真っ暗で、雨も降って来たので階段を上るのはやめた。いかにも蚊にさされそうなので。

湾曲する道を行くと、市役所の横に百日草や鶏頭が植えられていた。
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近くにある基地の飛行機がしょっちゅう飛んでいる。Sdsc04024

とても不思議なオシロイバナを発見。オシロイバナは花弁はなく、花弁に見えるものは萼で、萼に見える緑のものは総苞だが、この株は、萼に見える総苞の部分が花弁のように変化している。
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変化によって、花の中からもうひとつの花が出ているように見える。こんなオシロイバナを見たのは初めてだ。
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これも初めて見る黄と白の混じったオシロイバナ。とても珍しいが開花していなくて残念。

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広い道を進むと「市民の森入口」があった。少し入ってみたが、やはりとても暗くて、蚊にさされそうなので奥に入るのをやめて引き返した。

ようやっと昔ながらの素敵な家を見つけた。この地域では、このような家はもうほとんどない。塀や柱に無造作に生い茂ったカラスウリの蔓が魅力的だ。

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ぐるっと回って駅前に帰って来たところで、きれいなターコイズの日よけと錆びた階段が美しい店を見つけた。

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3軒並んだ一番右の店は「銘茶」と書いてあるのにお茶屋さんではなく、なぜかカタカナの書き順表一枚50円やトランプのフリーセルの遊び方の説明書きなどを売っていた。
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駅に戻って地図を見たら、「囃子清水七面堂」というすごく魅力的な名を見つけて、それだけは見てから帰ろう、と引き返した。

威圧的な巨大マンションの横を通って細い坂の右側に小さな神社があり、そこが「囃子清水七面堂」だった。神社の奥から「囃子池」「囃子水公園」に降りられる階段が封鎖されていたので池を見ることができなかった。

東武電車で船橋に出て、以前からすごく気になっていた廃屋を撮った。都市計画により閉店となりましたという貼り紙があった。

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錆びた階段の微妙にひしゃげた螺旋の造形がすごく素敵だ。
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9月6日(土)

きょうも善福寺川沿いを歩く。枯れて緑色になった紫陽花をさがして歩いた。

最初に都営阿佐ヶ谷住宅がどうなったか、怖かったけれども見に行ったら、本当に何もないだだっぴろい土地になっていて、まだ何も建設されていなかった。

あれほど、他に類を見ないほど魅力的な場所だったのに。記憶の生き生きした素敵な家並や、ミモザやスモモや柘榴の樹や、白詰草やモジズリや蕗や紫陽花や立葵や乙女椿や、遊んでいた猫たちが見えて、ショックでとても言葉が出なかった。

とりあえず善福寺川沿いの道を和田堀池へ向かった。

甘い匂いがするという桂の樹の林を抜け、ユリノキや多曜咲きの朝顔を見ながら、蚊にさされないように注意して歩いた。公園の裏道にあった畑がなくなっていた。

途中で黄色の彼岸花を見つけた。

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和田堀池のとなり、釣り堀武蔵野園の売店、きょうは開いていた。まだ「氷」の旗がはためいていた。

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売店の正面真ん中あたりにいる青い忍者みたいなのが、「ぼく、じゃじゃまる~。」としゃべるポップコーン販売機。
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和田堀池のほとりの「りばあさいど」で休もうと思ったが、もう閉まっていた。

Aさんから伺った話によると、昔、Aさんが小さい頃、Aさんのお父さんが空気のきれいなところをさがして、この和田堀池のほとりの売店のある家(現在はその売店はない)に越してきたそうだ。その頃は、この辺の観光のための旅館などもあったらしい。

善福寺川沿いを永福町のほうへ向かう。とてもきれいな錆びの絵になっている扉を発見。

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ここは先ほどの錆びの扉とはまた別の場所。以前動画に撮った魅惑的な錆びの塀。
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永福町へと歩いている途中で素敵な廃屋を見つけた。

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「杉並区」という表示が「區並杉」となっている。いつごろ建てられた家なのだろうか。

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永福町に着いてから、西永福まで線路沿いの道を歩いた。オオマツヨイグサが茂った原っぱがあった。一本手折ったが、マツヨイグサの葉はどれも虫(たぶん蛾の幼虫)に食われた細かい穴がびっしりあいていた。

線路沿いに植えられている紫陽花の花はみな茶色く枯れていた。

西永福の三崎丸でかきあげを食べた。

9月5日(金)

和田堀池のほとりに住んでいるAさんとまた話した。池のほとりにある食事処「りばあさいど」はAさんのお母さんがやっていた売店とは別だそうだ。

昔、池のほとりで猫と遊んでいた時、話しかけてきてくれた優しいAさんのご主人はお元気ですか、と尋ねたら、7年前に亡くなったと聞いてショック。

ご主人は下関の人で、本当に動物好きで、ご主人の実家ではいろんな動物をかわいがっていて、猿なども飼っていたそうだ。

9月4日(木)

3時頃、父が玄関前で転んだところに居合わせて、救急車を呼んでくれた人がいて、父は新宿のH外科に運ばれた。脳のCTなどを撮って、異常なしだったので自宅に帰った。

近所の親切な人のお名前はわからないので、御礼を言うことができない。

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2014年9月 3日 (水)

和田堀池 夏の終わり / ちゃび

9月2日

朝、神奈川県立近代美術館館長、水沢勉さんよりメールをいただいて驚いた。社交辞令だと思っていたのだが、本当に私の仕事場(ただの住居)に来られるみたいだ。

ただバテてばかりの猛暑が終わり、9月からは忙しくなりそうだ。

きょうは、きのう予約をしていたのに行くのを忘れてしまった歯医者に行き、ブリッジのかたどり。

今年6回目か7回目の金柑の白いつぼみが、はちきれそうにふくらんできていた。

きのうAさんと話してから、ずっと行っていなかった和田堀池の周りが気になって、カメラを持って5時半に家を出た。

白と紅の斑の白粉花(オシロイバナ)。これが変化朝顔なら、白地に紅がしぶきのように散ったものを「吹掛」「吹掛絞」(ふきかけしぼり)というらしい。

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百日紅(サルスベリ)には紅、白、薄紅、紅紫、薄紫、淡薄紫などがあるが、私は紫がかった少し淡い色が一番好きだ。なよやかなレースみたいだな、と思う。

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家から徒歩でちょうど30分くらいで、午後6時頃、汗をかいて和田堀池に着く。

ちゃびを保護した植え込みだったあたりは、今は駐車場になってしまっていた。植え込みのところに住んでいたホームレスの人が、段ボールに入れられて粗大ごみとして不法廃棄されていたちゃびとちゃびの親兄弟を植え込みの中に避難させてくれていたのだが、あのホームレスの人、どうしているだろうか。ろくにお礼も言ってなかったなあ、と申し訳なく思う。ちなみに、ちゃび以外の親子は他の人が引き取った。

武蔵野園の売店は5時までだったのに遅れて行ってしまい、閉まっていた。
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それでも6人の子供たちが元気にやってきて、「カルピスソーダ!カルピスソーダ!」と高い声をあげていたのでその場が華やいだ。

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売店の奥が釣り堀「武蔵野園」

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とりあえず池の周りを一周。鴨さんたちがいっぱい。よく見ると島はふたつある。「ひょうたん池」とも呼ばれているらしい。

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中央池の奥のほう、島のほとりに水鳥の巣らしきものが見える。きょうはカワセミは来ていなかった。

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川岸の薄暗い木立で、金属の細い糸を鳴らすような、素晴らしく大きな声でヒグラシが鳴いていた。すぐ目の前にいるようなのに、蝉の姿は見えなかった。

川のほうが護岸工事中で、鉄のフェンスで川も向こう岸も全然見えない。いつも猫たちがいたAさんのお宅の前のほうもフェンスで囲われていて、残念だがたくさんいたはずの猫に会えなかった。

そういえば池のほとりに「りばあさいど」という食事処がある。500円以下でいろいろ食べられる変わった装飾の店だ。Aさんのお宅が戦前からやっておられたという売店とはここのことだろうか。今度食べに来よう。

和田堀池の周りで猫と撮った写真はたくさんあるが、データ化されていないので、UPできず残念。

これは何年か前の冬、中の島の裸になった樹の美しさに惹かれ和田堀池の前で撮った写真。ななめに傾いでいる白いプラタナス(鈴懸の木)がある。

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猫はいっぱいいた。
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善福寺川緑地沿いのフェンスの中にいる白猫。その頃は、行くとたいてい同じところにいてくれた。会えるたびにとてもほっとしたものだ。

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9月1日

冷たい雨。

3時前に治療院に行ったら待合室にAさんが来ていたので、17年ぶりに少し話した。

Aさんは、善福寺に沿った和田堀公園の中にある和田堀池のほとりにお宅がある方で、その周辺には捨てられた猫たちが何匹もかわいがられて暮らしている。

うちのちゃびは17年前にその近くから拾ってきたので、その頃Aさんとは何度かお話ししていた。Aさんが最近になってご自宅からはけっこう遠いうちの近所の治療院に来られた時は、ああ、あの時の方だ、と驚いた。

和田堀公園は戦前からあり、Aさんのおうちは和田堀公園の中で売店をやっていたそうだ。近くの釣り堀の売店は弟さんがやっているとのこと。あそこの釣り堀は入場したことはないが、とても風情があるところだ。けっこう映画の撮影に使われているそうだ。

17年前、「猫が縁の下をのぞいてはふーって怒ってるからね、なにかいるのかと見たら、タヌキがいたのよ。」と言ってらしたのが記憶にあり、尋ねると、そのタヌキは今も定住しているとのこと。

川の向こう岸に(今は塞がれているが)たくさん防空壕があって、その中にもタヌキが住んでいた。戦争の時は大勢の人が家を焼かれて、その防空壕に住んでいたり、公園にもたくさん住んでいたという。

和田堀は戦前から大きな公園だったと聞いて感慨深かった。

昔はAさんの家の裏側にプールがあって、ウォーターシュートなんかもあったそうだ。

和田堀池の中の島で、15年くらい前、蛍をいっせいに放すイベントがあったことについて聞いたら、あれはどこかの議員さんが票集めのためにやったらしいとのこと。あれきりやってないそうだが、あの島に踏み入れ、身体の周りで飛び交う蛍を見た経験は夢のようだった。

和田堀池にカワセミ(翡翠)が来るのは有名だが、最近はアオサギ(青鷺)が来たそうだ。池だけでなく、隣の釣り堀にも来て魚を食べてしまうので、釣り堀の上にネットを張って魚を守っていたら、なんとネットにアオサギがかかっていたそうだ。逃がしてあげたそうだが、ちょっとかわいそうだ。

8月31日

柘榴の実が色づいてきた。木槿と百日紅はだいぶ萎んできたがまだ咲いている。

青磁色とエメラルドグリーンのペンキと錆の赤茶色が美しい近所の場所。

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羽衣ジャスミンも紫陽花も椿も、葉が青々としている。その後ろの壁には去年の枯れ蔓が残っている。夏の終わり。

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電線の水平と枯れ蔓の乱れた垂直に惹かれた。
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しょっちゅう膝に乗っかってくるちゃび。

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パイルヘアゴムを飛ばすとキャッチしてからいっとき噛んで手(前足)で引っ張って遊ぶちゃび。気持ちよくなっている時、鼻に3本の縦皺が寄っている。

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いつもドーナツ座布団の穴にすっぽりはまるようにして寝るのが好き。

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この時は少し中心からずれているようだ・・・
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この丸みがたまらない。

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