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2014年9月17日 (水)

青紫のベロア / 戸山 諏訪町 / 文学

9月15日

友人Bと戸山を散歩する。

新宿駅で午後3時頃の丸ノ内線に乗って、東新宿で降り、副都心線に乗り換えて東新宿へ。降りてしばらくしてから、ものすごく思い出のあるお気に入りのジャケットを電車に忘れたことに気づいてうろたえてしまった。

東新宿駅の忘れ物係りに届け、捜してもらったが見つからなかった。ものすごくショック。

私にとっては、亡くなってしまったあまりに大切な人たち、若林奮先生、種村季弘先生、毛利武彦先生と会うとき、そして日隅一雄さんのパーティーの時など、特別の時に着ていた一張羅といえるジャケットだったので、すごくショック。高円寺の庶民的な店で2900円で買ったものだが、個人的には濃密な記憶が詰まっている。

とりあえず気持ちを休めようと、なにか似たようなものはないか検索してみたが、青紫のベロアのジャケットはオークションにもどこにもなかった。(似たような古着でもどこかで売っていたら教えてください!)

昔、大切な友人の授賞式にて、私が着ていた青紫のベロアジャケットの写真です

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気を取り直して戸山の片隅の私の大好きな小さな花園に行く。

前は春と初夏に来て、ニゲラ、デルフィニウム、アイリス、ハナビシソウ、薔薇などが咲き乱れていた。今は枯れた向日葵に百日草、彼岸花、鶏頭、それに小さな葡萄など、秋の気配に満ちていた。

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彼岸花は赤いのと、白いのと、薄黄色の花が咲いていた。

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これは白でなく薄黄色の彼岸花。

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百日草はいろんな色の花がいっぱい。
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この鶏頭は赤ではなく、おしゃれなワイン色。
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薄荷の繊細な薄紫の花。

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いろんな花と雑草の陰にひっそりとかわいい葡萄が実っていた!色のグラデーションが微妙でとてもきれい。

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紅蜀葵(こうしょっき)、またの名は紅葉葵(もみじあおい)。ヨモギやヤブカラシなどの雑草が刈り取られすぎていないところがとても素敵だと思う。

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箱根山の頂上近くにある教会と、数百年も生きていると見える大欅を見、かつて731部隊の人体実験の証拠となる人骨が出たという戸山公園を抜け、国立感染症研究センターの脇の道を下り、早稲田のほうへ。

早稲田通りを高田馬場方面へ歩く。ここはかつて素敵な昭和の喫茶店「らんぶる」が会った場所。

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「らんぶる」が無くなってとても淋しいが、夏草が彩っていてくれることに少し慰められる。
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「らんぶる」のすぐ横の私の大好きだった古い階段。
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早稲田通りから少し左にはいった諏訪町あたり。古い階段を上ると真っ直ぐな細い道がある。ついこの前来た時は、この写真左側には小さな古いアパートがあったのに壊されていた。

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この細い道を行くと薄ピンクの塀に沿って野生の草花が咲いている。塀の罅割れの穴からドクダミや薄荷が伸びて花をつけているのは、フラワーアレンジメントやへたな生け花より美しいと思う。


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抽象画のような錆びた板。

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これも、素晴らしいタッチ、見事なマチエールの絵に見えるが、地下鉄のホームの柱。人間が意図的に作ったのではないもののほうに絵画的な感動を覚える。

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Bに「私は文学がまったくわからないのかもしれない。現代的だと言われ評価されている作品を読んでも、面白いどころかものすごいストレスを感じることが多いから。私にはみんなが評価するものを理解する能力がない。」と言ったら、

「理解できないのは悪いこととは言えない。」

「今は、表現のすべてがやられつくされた、新しい表現はもうないと言われる時代で、何かをやろうとするとアイロニカルにならざるを得ない。アイロニカルとは些末なところに価値を見いだす「身振り」であり、現実、実質と向き合うより文化的対象と向き合っているから。しかしアイロニーはアイロニー以上の価値を生まない。」と言われた。

アイロニーとは、対象と距離がないとできないことで、私のように関わっている存在すべてが同じ強度になってしまう人間にはできない、と。

たとえばある詩人が旅をしている文章を読んでも、どうしても私には彼がなにかを見たり、発見したりしていると思えない、と言ったら「彼は、歩くことによっての暴力的な驚きではなく、一定の価値を獲得している文化的対象(たとえば芭蕉など)を読み直し、再解釈することをしているから。ひかれた文脈のレールの中でものを言っている。」と言った。

私が見ているものや対象との関わり合いについて、過去に、ある文学者が知的言語によって攻撃や抑圧をしてきたことについて、「彼らは征服欲、支配欲で商売をしている。自分がわからないものを否定して勝ったような気になる。それをやらないと彼らは商売にならないんだ。」と。

Bは私なんかと違って、20代の時から著名な文学者たちと関わりがあり、刺激しあう仲間がいた。そのことを私はずっとうらやましく思っていた。しかしBに「あなたと知り合ってから「本物」の人たちと会えた。あんなに近い距離で話せるなんて有り得ないことだ。それはあなたが常にそういう志向性を持っているからだと思う。」と言われて驚いた。

9月14日

母のいる施設の敬老の日イベント。

バイキングが11時30分から、というので行ってみたら、高い帽子をかぶっったホテルのシェフみたいな人が3人も来ていて、中央のテーブルに豪華なオードブルなどが並べられていたのでびっくり。

母に料理をとってあげないといけないと思って来たのだが、母には職員さんが柔らかくしたものを持ってきてくれた。バイキングと言っても、立ち上がって自由にとる人はいなくて、それぞれに職員さんが彩りよく盛り合わせて持ってきてくれるので、きょうはたくさんの人手がいるようだ。

テリーヌ2種、ブロッコリーとアスパラのゼリー寄せ、グラタン、ハンバーグ、松茸ご飯(おかゆ)、お吸い物、ミニケーキ、など。

食堂ではシェフの人たちが、フライパンから炎を上げてステーキを焼いて見せるパフォーマンスで拍手が上がっていたが、私は肉を焼くにおいが苦手で、本当に吐きそうになってしまうので、廊下の家族用のテーブルで母に食事介助した。

途中、母は傾眠になってしまい、松茸ご飯だけ残りそうになったが、せっかくのハレの日のごちそうなんだからと、お吸い物でさらにゆるく溶いて、ゆっくり食べさせた。時間はかかったが完食。食べ終わってから眼が覚めたようだ。

近くに残る古い店の建物。「マルマス味噌」の看板が蔦に埋もれている。

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きょうは陽射しの強い日だった。

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