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2014年9月26日 (金)

水沢勉さん来訪  『この終わりのときにも』 /  ちゃび

9月22日

水沢勉さん(神奈川県立近代美術館館長)が、私の仕事場に来られた。私についての文章を書いてくださるためだ。

社交辞令だと思っていたのに、本当に私の仕事場兼住居(ただのアパートの部屋)に来られることが信じられず、緊張と焦りで心拍数が上がりっぱなし。

水沢さんは、恐ろしくお忙しい方で、先週も出張で全国を飛び回ってらしたそうだ。そんな方が、売れっ子でもない、非常に地味な、私なんかの仕事場に・・・。

いつも来客(電話工事の人など)が来ると押し入れに飛び込んで石のように固くなって息をひそめているちゃびが、部屋に入って来られた時、意外にも逃げなかった。水沢さんも4匹の猫を飼っているから、匂いでわかるのかもしれない。

水沢さんは、まず飾ってある写真――吉増剛造さんや、若林奮さんや、中川幸夫さんらと一緒に撮ったものや、私の絵の前で舞踏する大野一雄さんを一枚ずつ丁寧に見て、とてもいい写真だと言ってくださった。

それから壁にかかっている絵――Horst Janssenの銅版画や、私が癌で手術した時に毛利武彦先生が送ってくださった銅版画、宮西計三のペン画や水彩、花輪和一のペン画などをゆっくり見てくださった。

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下が「祈念回癒」と書いてある毛利武彦先生がくださった孔雀の銅版画。水沢勉さんは、毛利先生の画集を見て、「毛利教武の息子か!」と驚いていた。

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中でも、美術評論家にほとんどまったく知られていない宮西計三の絵にちゃんと目をとめて、「これ、どうやって描いてるの?この人はとても濃密な人だ。」と言ってくださったことに感激してしまった。下が宮西計三の絵(墨と丸ペンのみの点描画)。

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水沢さんは、なんて偏見がない人なのだろう。私と宮西計三や花輪和一との親交について、「80年代カルト」という枠組みでくくって鼻で笑った某有名美術評論家(大学教授)の態度を思い出していた。

それから座ってお茶を飲んでくださって、いろいろお話した。(正直、私はお茶も飲んでくれないのではないかと思っていた。ぱっぱっと部屋を見て帰ってしまわれるのじゃないかと。ものすごく忙しい人が、お茶を飲んで、豆餅(おかき)を食べてくれるというのはすごいことだ。)

若林奮先生、中川幸夫先生、大野一雄先生との思い出、絵の技法のこと、ドイツに行ったこと、前の個展のこと、私の生い立ちからこれまでのことなど、いろいろ・・・。

PCの中の、私の前の個展(2012年11月キッドアイラックホール)の時の画像を見て、来てくれた人たちの顔が「落ち着いてる」とか「上品なおじいさんが多い」と言われたのにも感銘を受けた。私にとっては全然「おじいさん」ではないが。

初めてお会いしたときからお変わりない水沢勉さん。はっきりした知的なお顔立ちだが、率直で暖かい方だ。

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かつて、中川幸夫先生が香川に帰って、もう会うチャンスがなく辛かった時、銀座のエルメスでの展示があったが、その企画者は、中川先生とそれまで親しかった人たちを締め出し、私も入場を拒まれ、胸が潰れそうになったことがある。その時、水沢さんに「芸術家同士の絆は、そんなに簡単に切れるものではありません。」と励ましていただき、涙が出た。

また、あるダンス公演に請われて出した私の絵を破損されて、その保険の免責分の金額3万円を主催者に要求された時も、水沢さんに「その主催者はそうとう悪質だ」と言われ、たすけていただいたこともある。私が苦しんだ局面で、幾度も、具体的で適切な助言をいただいたことは忘れられない。

水沢勉さんの『この終わりのときにも』を再読している。

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 「いくつかの新しいメディアが登場したときには、まだ、そのメディアとの居心地の悪い関係が、奇妙な異邦の同居人という具合に、たしかな手触りで存在していた。

いつどこでどのようにしてかを正確にとらえることは難しいけれども、この十数年のうちに事態は急速に展開してしまったようにみえる。

それまでの現実の感覚神経よりも、はるかに至近距離でつぎつぎとめまぐるしく移り変わってゆく擬制の感覚刺激の明滅に応接しているうちに、がらんどう同然の感覚の洞だけが残る。

そのめまぐるしさとは反比例する、微弱なエネルギーの残響が、そこにむなしく充たされてゆく。それも、けっしてのっぺらぼうのものとしてではなく、おびただしい微細なニュアンスをもって。

おそらく、この微かな差異を感じるそのたびに、「ぼくのかけら」が、その空疎なスペクタクル性に圧倒されながら、無気力に反応をつづける。どこまでも惰性態としての主体が、感覚だけをたよりに、過去でも未来でもない、永遠の現在に吹きさらされているばかりだ。

それが心地よいものであれば、その空気のありよう、動き、風を、ぼくたちは、もはや「芸術」なぞとはいわずに、とりあえず、曖昧なまま、もっぱら気分で、わざわざ片仮名をつかって「アート」と呼んでいる。」 

(「『この終わりのときにも』水沢勉 思潮社 行分けは引用者)

・・・・・・

ちゃびの最近の状況

9月26日

昨夜、少量だが輸液できたせいか、きょうは朝からおねだりで起こされる。「ちゃお14歳から」を半缶ずつ2回食べ、さらに「dbfめざせご長寿」を半缶とドライを少々食べたのでよかった。

自宅でのねこ輸液について、ずっとネットで調べている。皆さん、最初はやはり怖いし、失敗もするし、たいへん苦労されている。それでもちゃびと私がお互い慣れていくように、がんばろうと思う。

夕方、オリンピック(ディスカウントストア)に行ってみたら、予想以上にねこのごはんいろいろあり、安かった。15歳以上のもので、発がん性添加物が入っていないものをいろいろ買ってみた。

ちゃびはずっと寝ていたが、夜、「dbfめざせご長寿」の残り4分の1缶と「シーバ15歳以上ドライ(総合栄養食」)を少々食べた。

9月25日

朝、大声で私を起こし、私がなかなか起きないので紙類をかじって破ろうとするくらい元気になった。「ミオ15歳以上」を半缶とドライ数粒、勢いよく食べる。うんこ少量。

ゴロゴロ言って私にまとわりついたり、だいぶ元気になったが、夜は食べない。

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私のふとんでゴロゴロくつろぐちゃび。わりと元気そうだが・・・

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ずっと食べないので、深夜一時頃、ついに私がおそるおそる輸液に挑戦してみた。

針を刺すのが怖くて私は汗びっしょり。右手で刺した後、それを左手で押さえながら、右手で輸液をストップさせているつまみを操作して液を出すのがたいへん。

ちゃびが嫌がって、途中で針が抜け、70ccくらいしか入らなかった。

そのあと、よいうんこをした。

9月24日

朝9時にうんこ少量。

ゴロゴロ言いながら草を食べる。私の背をかけのぼって冷蔵庫の上にジャンプ。

昼12時「カルカン15歳から」パウチ半分。

夕方、動物病院へ。皮下輸液と3種混合(小さい時に打ったのが消えていたので)。

自宅でできるように皮下輸液のやり方を教わる。が、怖くてぶすっとできず、針を刺せなかった。しかし一日おきに病院に行くのは、ちゃびにもストレスだし、現実問題として、とてもお金が続かないので、輸液セットを買って帰宅。

病院では250cc~350ccも入れていて、できれば家でも一回250ccくらいいれるとよいと先生に言われた。

病院から帰ったら急に元気になり、モンプチまぐろスープなど食べる。

この日、初めて気がついたが、「カルカン15歳から まぐろ」などには発がん性のある発色剤(亜硝酸Na)がはいっていることに、びっくり。なんのためにわざわざ発色しているんだろ。これからは亜硝酸Naのはいったものは絶対買わない。

9月23日

休日。ちゃび、食べない。よく水を飲んでいる。明日、また病院に輸液に行こうと思う。

9月22日

朝ウエット食べる。うんこなし。

9月21日

朝うんこ緑色。

病院で皮下輸液。

2回食べる。夜10時普通のうんこ。

9月20日

食欲あり、9時、12時、5時、9時30分と4回食べる。

夜うんこ。

9月19日

病院で皮下輸液。うんこなし。

9月18日

うんこなし。「カルカン総合栄養食15歳から」と「銀のスプーン15歳以上三ツ星ジュレ」を食べる。

9月17日

病院で血液検査。腎臓が悪いと言われ、皮下輸液。「銀のスプーン15歳以上三ツ星ジュレ」など食べる。うんこなし。

9月16日

ちゃび、何も食べない。水はよく飲んでいる。うんこなし。

9月15日

ちゃび、ほとんど食べない。うんこなし。

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