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2015年1月11日 (日)

父のこと 妹のこと (心の病)

1月9日

父がこの10年以上の母の毎月の年金と、母が必死でつましく貯めた預金を盗んで全部ギャンブルで使い果たしていた証拠のファクシミリを妹に送る。

金額は胸が痛すぎて書けない。それだけあれば何年も暮らせるような額と書けばいいのだろうか。

妹は父が大好きなので信じたくないようだ。どうしても事実をねじまげたいようで、なぜか父の本性にショックを受けたのではなく「コロの件で誰も信じられなくなった(まるで私が妹を騙したというような)」という意味不明のメールが来る。

私が学生のころに父がギャンブルで多額の借金をつくった時、母と私が凄絶な苦労をして父の借金を返したこと、それで妹だけはなんの苦労もせずに短大にも行け、妹は就職してからも家に一円も入れていないことが、妹の記憶からはいつのまにか削除されている。

母と私は父に殴る蹴るされていたし、もろに借金を背負わされたので、父に対して敬愛の情を持てるわけもなく、父も自分の本性を知っている私のことはすごく警戒していた。

だから父は妹を甘やかして操った。

父の思惑通り、妹は父にべったりで、妹をかわいがっていた母と私のことはなぜか恨んでいる。

1月6日

暮れも押し迫る12月26日に父が死に、その時は、父は酷い人間だったがかわいそうな人なのだと、感傷的になったりもしていた。

そのあと、家のこたつの下から、そんな感傷など吹っ飛び、ただ吐き気がするようなペラっとした紙が見つかったのが12月29日のことだ。

きょう、新宿の区役所に行き、もろもろ手続きした後で、そのペラの事実を確認に某所へ向かった。

高層ビル群を歩きながら、横殴りの雨にずぶ濡れになった。

西新宿のタワーのひとつの地下で、メリル・デイヴィスに似た細面の、てきぱきとしたUさんの親切により、10年以上前から、徐々に認知症になりかかってきていた母のお金を父が盗んで、賭け事などで使い果たしてしまった証拠を確認した。

29日にペラを見た時の私のショックは、こんなにも一生懸命やって来たのに、父の汚い盗癖を阻止できなかった自分の生ぬるさへの後悔と嫌悪感で、本当に頭がおかしくなりそうだった。

親友は皆、「騙す方が悪いんだ。騙されたほうは悪くない。」と言うが、母を必死で守りたかった自分は、そんな言葉で納得できるものではない。自分の責任だと思う。

そしてきょう、昔から、結局死ぬまで治っていなかった父の病理の、さらに大きな金額の明細を見て、もっと唖然とした。

夕方、心身ともにくたくたになって帰宅。きょうだけで1・5kgやせて、また43kgに戻っていた。

5時すぎに、今までずっとお世話になっている父と母のケアマネさんに電話した。その時に新たな事実を聞いてさらに呆れてしまった。

妹が暮れに酔っぱらって泣きながらケアマネさんに電話して来て「姉はお金のことばかり言う。父はいい人ですよね。父を悪くいうような姉は父の法要になんかきてほしくない。息子と二人だけで法要したい。」と言ったというのだ。

つまり、妹にとっては、あんなにも差額ベッドのことなどで妹をかばって病院と闘った私が「金のことばかり言う人」で、私をがんにして、母の預金を死ぬまで盗んで使い込んでいた父は「いい人」なのだ。もう妹のことを心配することが、ほとほと嫌になった。

・・・

最近、教育関係の人と知り合えて、いろいろメールで会話させていただいているが、その先生の経験からの話で、たいへん説得力のある言葉があった。

要約すると、こういうことだ。

「トラブルや盗み(万引き)、問題行動はどの生徒でも起こりうることだが、問題は繰り返すパターンである。 経験上、このパターンは指導が全く通らない。 また、繰り返すので何度も指導をしないといけないので、その度に指導に対する耐性というか、 自分の防御のスキルがついてしまい、「こう(あやまれば)すれば大丈夫」 「この言葉で許してもらえる」という良くない学習をしてしまうようである。」

「職業柄、たくさんの人を見ているが、教育ではどうにもならない例がある。本人の心の弱さもあるが、それを許してしまう環境要因が改善を妨げてしまう。」

「「悪いことをしても、謝れば許してもらえる」「この人にこう言えばなんとかなる」「悪いことをしても、いいことをすればそれがなかったことになる」「自分は~な人だから、仕方がないのに周りがそれを理解してくれない。なんてひどい奴らだ」生徒指導をしていて、話の中からそういう匂いがしたら、保護者と話さなければと思うのだが、なかなか難しい。」

これらの言葉が、あまりにも納得がいった。つまり盗みの常習とギャンブル依存症には、人を傷つけているという認識すらない。悪いなんて思っていないのだ。ただどういうふうにごまかせばいいか、卑劣な騙しの手口だけを必死に考えているのだ。家族内であれば、それが警察沙汰にならないのなら、なおることなく、えんえん続くのだ。

・・・

そして、私と母はさんざん苦しめられてきた。私は父を許せなくて、小中学生の頃は、よく父に「眼が反抗的だ」と言われて、殴る、蹴るされていた。

廊下に頭を叩きつけられて、本当に眼の奥の暗闇に火花が見えた。

私が21歳の時、父が大きな借金をつくった。その時に母が離婚すればよかったのだが、母が私に言ったのは、「おばあちゃん(父の育ての親)を捨てることはできない」ということ、それと、「父を捨てれば父は野垂れ死にするような人生だろうが、それでは(まだ高1くらいだった)妹がかわいそうだから、離婚しないでがんばる」という言葉だった。

あの時、「私には貫きたい道があるから、これ以上私の人生を父に目茶苦茶にされたくない」と言って、家を出て行けば違った人生があったのだが。

私はそうはできない雰囲気に流されてしまった。家を出ることも許されず、大卒で就職した会社に5時半まで勤め、6時からは原宿の高級喫茶で11時まで働き、帰宅してからは買い取り用のジュエリーデザインを明け方まで書いて、その給料の全額を家に入れた。

まだ元気だった祖母も、そうとうな苦労をして親戚中からお金を借りていたと思う。私と母はそれこそ死に物狂いで働かざるを得なかった。

私が最初に入った会社は手描き友禅を描く工房だった。短大を出た二十歳前の女の子ばかりで、話題と言えば成人式の晴れ着の話や、自分が稼いだお金で海外旅行へ行く話ばかりだった。

華やかでふわふわした女の子たちと同じ仕事部屋の中にいて一緒に仕事をしながら、自分ひとりがまったく別の真っ暗な世界にいる感覚だった。

あの時、家族の中で私しか正社員だった者がいなかったので、私が父のためにサラ金に連れて行かれて判子を押させられたりもした。嫌で嫌でたまらないものをずっしりと負わせられるほとんど息ができなくなる感覚。

・・・

あの時のいつ終わるかわからない悪夢の感覚が、私の「もののみかた」をつくったのは確かだ。

直覚というのか、その時の苦しみと切羽詰った記憶が核になって、自分が夢中になれるものと、まったく良さを感じないもの、むしろ嫌悪するものとがほぼ瞬間的な判断でわかれている。

・・・

父の借金を背負わされたことの多大なストレスによって、私は即、腎臓結石で倒れ、がんにもなったし、とにかく何があっても父の根本的な性格、家族への愛情のなさは変わらなかったので、その後も父とは打ち解けることはできなかったし、表面上は何もなかったように振る舞われても、どう接していいかわからなかった。

母が具合が悪くなってきた時には私がいくら言っても無視して母の介護をしなかった妹が、父が入院した時には、かいがいしく父のために介護をし出したので私は本当にびっくりした。

妹は父が大好きだと言うのだ。父がそうだったように、妹は、いつのまにか完全に心の病になっていた。父がギャンブル依存症なら妹はアルコール依存症だ。

妹は、父の借金のために必死に働いていた母が、子供の時に自分と遊んでくれなかったから恨んでいる、と、いい中年になった今になってから、まったく気が狂ったようなことを言う。

その母に過酷な労働を強いた、まさに元凶の父が失業して家にいて、妹をさんざん甘やかしていたことにコントロールされて、父は遊んでくれたからいい人だと言う。

そして、私が妹を可愛がらなかったから妹は自分自身を愛せない性格になってしまったという。妹は昔、順調だった時には言わなかったような歪んだストーリーを今になって作り上げて私をののしっている。

(昔、妹が短大を出て大手銀行に就職したときは「家族の中で有名企業に就職できたのは自分しかいない」と偉そうに発言していた。母が「あの子はとんでもないことを言う。歪んでる。」と呆れていたのを覚えている。その銀行も2年くらいで離職したのだが、妹は昔から姉である私に対抗意識を持っていて、美大なんか出た姉とは違って自分は優秀なんだと常に言いたがっていた。)

実際は、(アルコールを飲んで際限なくわめき散らす妹に耐えられず)妹の夫が出て行ったので、その不安やさびしさを絶対に認めたくないから、しょっちゅうアルコールを飲んで前後不覚になって、なぜか関係ない私をののしっているのだが。

愛されない理由が自分の性格にあることを認めず、自分の都合のいいように過去を「合理化」すれば、自分が愛されない不安をごまかせるものなのだろうか?

母が施設にはいる前、私が通いで介護している時、少しでも身体に良いものをと、つみれと根菜や芋の煮物をつくって持って行って食べさせたり、風呂をわかして母を入れて身体を洗ったり、手足をマッサージしたりしていた。

その時、少し母の認知症は進んでいたが、時々「なんでこんなに優しくしてくれるの?」と私に言うことがあって、涙がこぼれた。「私は幸せね。M子(妹の名前)ならこんなことしてくれないもの。」とも言っていた。認知にムラがあったが、時折正気になっている時の言葉だった。

その時期、妹は母が寝たきりになっている部屋を無視して、子供を連れて隣の父の部屋に行って、長時間酒を飲んでへべれけになって笑い転げていた。父はまともなことなど一切言わない人間なので、そういう思いやりのないがさつな妹の態度を注意するどころか(父は下戸だが、ほかに相手にしてくれる人がいないので)一緒にTVを見たりしてだらしなく楽しくやっていた。

私は、母がかわいそうだ、母の介護を手伝ってくれ、と何度妹に言ったかしれない。そのたびに妹の態度は異常だった。「私をこれ以上利用する気なら無理だから。」というようなことを言って私に対して怒鳴り散らしてくることが何回もあった。

妹は、ただ自分を甘やかしてくれる人間になつこうとして、それで自己肯定しようとしている。でも妹の歪んだだらしなさをそのまま許容してくれる人間は同じく歪んだ人間しかいない。

私の今の一番の悩みは、妹が私のやることすべてにねたみのような感情を持っていて、異常行動に出ることだ。

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