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2015年2月

2015年2月26日 (木)

肉食について 殺処分ゼロ

2月20日(金)

夜7時、ハナ動物病院の太田快作医師と話す。

太田先生(先生と言ってもまだ若い。20代と言っても通るかも)は犬猫殺処分ゼロの運動に身を投じている獣医師だ。

大学時代は、外科実習(保健所から払い下げられた生きた犬を手術の練習に使い、使ったあと安楽死させる)にひとりで反対して、「動物実験代替法」導入を提案し、大学側と闘ったという。

太田先生に、地方に行ってしまった私の親しい友人が参加できるような殺処分ゼロのボランティアを紹介してしてもらえたら、とお願いをした。

先生の知り合いのボランティア団体、動物のために自分でできる活動の話から、「肉食」の話に及んだ。

太田先生が「僕は肉食べないんですよ。」とふと言ったので、思わず「ええ!?本当ですか!?いつからですか!?」と身を乗り出してしまった(快作先生はゆる~いベジタリアンらしい)。

動物愛護の運動に関わっていても、それが肉食をしないこととは繋がらない人の方が圧倒的に多いと思うので、びっくりしたのだ。たいていの人は、目に入れても痛くないほど犬や猫をかわいがっていても、牛や豚は単に「食べ物」だと思っている。

だから私は自分が肉食をしない(できない)ことについて、自分からは、あまり人に話すことはない。私は魚介は食べるのでぺスコ・ベジタリアン、ペスキタリアン、またはノー・ミート・イーターである。

「私、2歳の頃からずっと肉食べられないんですよ。私が生まれた時から、うちには犬や猫がいたんで。・・・・・・私の場合、肉を焼く匂いや、肉屋のガラスケースの中を見ても吐きそうになるんで、小学校、中学校の給食は本当に地獄でした。好き嫌いはわがままだとか言われて。」と言ったら

「天才ですね。」と言われた。

(私の場合、動物を殺して食べている、という認識が身体化しているのだ。

自分のような(生きづらい)人に会ったことがないのだが、私は、夕方、焼き鳥店が営業し始めると、煙の匂いで吐きそうになるので、遠回りして、その道を避けて買い物に行ったりしている。スーパーのチラシの肉の写真を見るのも、すごく気持ち悪い。)

「先生はなぜ?」と聞くと「俺は自分がいかに卑怯か、わかったから。」と言う。

「大学の時、世話をしてかわいがっていた牛がハイエナ病という病気になって、解体して食べることになった、その時、僕はその牛を食べられなかった。それまでは、牛を食べる、となると、わーい、なんて言ってたのに。」と。

(私の場合、こういう話を聞くだけで、怖くてオエッと吐き気がしてくるのだ。)

「最近は肉食をしない人のための店、増えてますよ。昔よりずっと。ここに来てる人も隠れヴィーガンの人多いですよ。」と言われ、

「でも日本では、肉を食べないと言うと、なぜか攻撃されることありませんか?おいしいから食べてみなよってしつこくされたり。」

「ああ、そういう奴最低ですね、なぐっていいですよ。食べる、食べないは個人の自由。なんにも悪いことしてないんですから。よく野菜も殺してるじゃないか、とか言う人いるけどね。」

「そのよくある詭弁が一番嫌ですね。打ち上げとか、飲み会とか、すごく困るんですよ。鍋物に肉が入ってると、その匂いで吐きそうになって、一口も何も食べられるものがないのに会費5000円とか。」

「店の人に言ったらいいんですよ、すいません、ここひとり、肉食べられないんで、何かそれ用につくってください、って。そういう人もいるんだって伝えていくことが大事。禁煙も、昔は全部喫煙席だったんですから。煙草が嫌な人がいるって店側に伝える人がいて、分煙、禁煙の店ができてきたんですから。」

「ネットで肉食しないことを言うと、ネトウヨのように、なぜか攻撃的に絡んでくる人いませんか?」と言うと

「ああ、俺、そういう奴、だ~い好き!」と快作先生は元気ににっこりした。

「どんどん発信していったほうがいいですよ。昔は。日本は肉を食べない文化もあったんだから。斬り捨て御免なんていう文化が通った時代もあった、そんなのが正しい時代もあったんだから(世間のメジャーな風潮が正しいとはいつの時代も言えないのだから)、自分がいいと思ったことは言わないと。」と快作先生に言われると、とても気持ちが楽になってくる。

「肉食べてた人が急にヴィーガンになろうとして、食べるものがなくなって挫折することが多いからね、僕はあまり食べないけど魚や鳥は食べたり、牛乳と豆乳があったら豆乳を選ぶ、とかね、楽にやっていったほうがいいね。」

さすが、学生時代から誹謗中傷にもめげず、ずっとタフに意志を貫いてきた人は違う、と思った。

もちろんこれはアニマルライツに関わる意識と、生き方の問題だから、靴や鞄などの革製品を買わないこと、動物実験をしている化粧品を買わないこと、動物園のありかたなど、いろいろなことが含まれる。それぞれ個人で考え方も違うと思う。

けれどイデオロギーをつくるのではなく、「できるかぎり」「なるべく」「動物の命を大切にする」という姿勢が望ましいと思う。

ベジタリアン、ヴィーガン、アニマルライツについては、いろんな考え方がある。自分でどう実践していくかは自由だと思う。いろんな考えの人と、柔軟に、静かに、楽に交流していけたらいいと思う。

私は「アート」という人間がつくったものに関わる限り、人間以外の「動物」の生命を尊重するとはどういうことか、これを考えないではすまされないと思う。

私は動物を殺して利用して何かをつくり、それが「アート」だと言うような人に耐えられない。

・・・・

私が肉食しないのは健康のためではなく、動物を殺すのが嫌だからなので、ロハスとかマクロビとか、そういう店にお世話になることもあるが、美容と健康によいおしゃれなことを得々と語る人は、あまり好きではない。美容や健康にまったく関心がないわけではないが、そればかり言う人が苦手なのだ。

それより動物を殺すこと、犬猫の殺処分、ブリーダーの存在のほうがずっとずっと気になる。

私の食生活について少し書いてみると、気に入るとそればかり食べている傾向にある。だが偏食というのとは違うと思う。極力シンプルに、好きなものを、好きな時に、好きなだけ食べている。

(絵を描いて夢中になってしまうと、夜中の2時、3時におなかがすごくすいて、眠れないのでがっちり食べることもあります。)

(健康に関心ある人が、肉食を控えるきっかけになるかもしれないので、一応書くと、健康診断の結果、私の善玉コレステロールは一般基準値より多め、悪玉コレステロールは一般基準値より少な目です。ちなみに162.2cm44kgです。)

最近は玄米を炊いてジャーに保温しっぱなしにして、お腹がすいた時に「八菜」(はっぱ)というふりかけをかけて食べている。

おかずは最近は蕪と揚げの煮物、山芋のとろろ、牡蠣の紫蘇巻揚げ、野菜の天婦羅などが多い。

去年の夏は毎日カレーだった。市販のよくあるカレールーはラードがはいっていて食べられないので、動物性油脂や肉エキスが一切はいっていないカレーパウダーの大瓶を買ってきて、玉ねぎをオリーブ油で飴色に炒め、いろんな野菜を加えて、カレー粉、ケチャップ、牛乳、昆布粉などで味をととのえる。エビやツナを入れることもある。

去年の春は、アサリ、野菜、ニンニク、オリーブオイル、トマトペーストの玄米リゾットばかり食べていた。野菜をインゲンやブロッコリーや、いろいろかえて、時にはナチュラルチーズをかけて3か月くらい食べていた。

玄米は固いのを噛むのが快感で、大好きなので、一食につきどんぶりに山盛り1~2杯食べる。

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2015年2月24日 (火)

花輪和一 『あんちりおん3』 / 『呪詛』

2月16日

花輪和一氏から『あんちりおん3』(自費出版)のための原稿が送られて来た。

タイトルは「浮空」。ため息が出るほど素晴らしい絵。

下は花輪さんが2月の初めに送ってきてくれた『呪詛』(角川書店)。ここ10年の『幽』に連載したものと書きおろし。

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本を開くと、すごくかわいい女の子の絵を描いてくれていたので大感激した。

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十年前くらいにかいた作品は、本当に細かいタッチのニュアンスがすごくて、私は「浸水」という作品が好きだ。この頃の絵は、薄墨もトーンも使わず、細い線の交錯ですべてが描かれている。

表紙の光を反射する雲の絵を見ただけで、その、得も言われぬ世界に引きずり込まれてしまう。

「浸水」はこの作品集の中でも、「恨みつらみ」や「因果応報」のどろどろがなくて、ただ不思議で、悲しいけれど美しい話。

この本の後半のほうには、現代劇もあり、人間の醜さや滑稽さでどろどろした作品が集まっている。

特に「自己確立花火」という描き下ろし作品で笑ってしまった。

新興宗教の教団を揶揄した話だが、その中の「日本著名宗教者自己確立段階表」というのが面白くて。

このピラミッドの頂点には空海、2番目の段に卑弥呼と役行者、3番目に安倍晴明、4番目に道元、5番目に一休と最澄、6番目に栄西と鑑真、7番目に沢庵、隠元、白隠と書いてあって「ゴータマ・シッダールタがこのレベル。」と書いてある。このずっと下のほうに久米仙人(以下略)。

花輪さんによると「本当は一番は道元だろうけどね。卑弥呼と役行者は好きだから。」だそうだ。

花輪さんは「去年の5月から一日も休んでいないので、からだがきつい、苦しい、話を考えたら一日は休みたい。」と言っていた。漫画家というのは本当にきつい職業だと思う。その中で、ひとりで全部描いていながら長年この絵と内容の水準を維持している人は、花輪和一のほかにいないのではないか。

この本でも、あいかわらず田舎の母親と義父への怨念は描かれているのだが、花輪さんの場合、子供時代に直接、親に虐待された、ということではない。花輪さんが言うには、母親も義父も「神経が鈍くて濃やかさがなくて、どよ~んとした感じ」だと。実の父親が亡くなってから、常に居場所がないように、自分が邪魔にされていたように感じていたのだろう。

その「不安と苦しみ」が何十年も消えなくて、花輪さんの言う「神経症」(今の用語ではなんというのかわからないが)になり・・・、しかし不思議なのは、そんな苦しみの中で彼の天才が研ぎ澄まされていくことだ。

それだけの七転八倒するような苦しみの中で、どうして虫や魚や樹や草や水や雲や人を見つめる眼が、閉ざされもせず、濁りもせず、たえず新たな生命をうんでいけるのだろうか。

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2015年2月15日 (日)

介護施設への苦情

2月14日

駅に着いてから線路の反対側へ階段を降りて少し歩いた。いつもホームから見ていたセイタカアワダチソウの小さな群れの枯れた状態を見たかったからだ。

母の施設へ。

夕食を介助。傾眠が強かったが、夕食と「極みプリン」完食。

先日、施設に苦情の電話を入れてから初めての訪問。5時半頃に着いたので、とくに相談員さんたちと会うことはなかった。

・・・・・・

2月8日に母のいる施設に電話。ケアマネのKさんに、施設から私への電話連絡の際に、相談員Tさんからはしないでほしい、と伝えた。

理由は、Tの話し方が、思いやりや配慮が欠落していて、私には耐え難いからだ。「他の利用者の家族は何も不快感を感じないのかもしれないが、私は傷つく」ということ、「Tさんの話し方はなおらないと思うので、私への電話連絡は他の人にかえてほしい」とはっきり伝えた。

こういう苦情は、利用者本人(母)がいじめられるかもしれない、などの不安から、家族は言いたいことがあっても飲み込んでしまうことが多いと思う。

それと、私の感覚が少数派すぎるのかもしれない、我慢すべきレベルのことなのかもしれない、と悩んで、在宅ケアマネだったMさんにも前に相談してあった。Mさんは「利用者が言いたいことを言うのはあたりまえ」「言いたいことは言ったほうがいい」とアドバイスをくれたので感謝している。

「もうTさんとは話したくないです」と施設に伝えよう、と決めたのは、つい先日、Tから私に電話があり、母のベッドの下についているセンサーをはずしたいが、いいか、という問い合わせがあったのがきっかけだ。

「センサーの数が足りないんですか?」と尋ねたら、「そうじゃなくて、もう(母が)動かなくなっちゃったからあ。必要ないものをやってても仕方ないんで。」と言われた。

母がもう死にそうで動かないからセンサーは無駄、ということなのだろうか?

Tには、具合が悪い私の母に対するいたわりの感情もないし、家族(私)が母を心配しているという感情にも関心がないのか、と思う。

私は母と一緒に住んでいないのでセンサーが必要なのかは判断できないのだが、なぜ、老いて具合が悪い利用者(母)に対してまったく尊重しない言い方で、利用者の家族(私)に、わざわざ電話できいてくるのだろうか。

今回に限らず、この1年半、Tの態度はずっと私には耐えがたかった。

Tと最初に話したのは、2013年の8月、まだ母が今の施設にはいれる前、先行きの不安で押し潰されそうになりながら母がはいれるところを捜して必死に動いていた時だ。

施設にお願いの電話を入れた時に、「規則なのでお答えできません。わかりません。」という答えを4回繰り返し言われた時から、私は失望と落胆とともにTに嫌悪感を抱いた。Tはマニュアル通りの言動をしているつもりなのだろうが、苦境にいる家族に対して、もう少し言い方がありそうなものだ。

その時は、このTがいる施設は怖いな、と施設全体に不信感を抱いた(実際、今お世話になっていて、現場のヘルパーさんたちはとてもよくやってくれているので、感謝しているが)。

区内のほかの施設に面接に行った時は、そこの相談員さんの対応は非常に温かかった。「もちろん規則による順番になるが、どうなるかはわからない、4年、5年待つと言うことはないと思う、そんなには待ちませんよ」と言われた。

この相談員さんの言葉で、私はたいへん助けられ、諦めて母を遠くの施設に入れるという決断をしないですんだ。とても感謝している。

今まで、母が都心の施設にはいれたことはものすごい幸運なのだから我慢しようと思っていて、私の気の持ちようだと思おうと努力していた。が、Tの態度と、それに対する私の感受性は、この1年半ずっと変わらなかった。

以前、母の夕食の介助に行っていた時、廊下の椅子で利用者の高齢の女性が具合が悪そうになっていて、まわりの職員がばたばたと動いていた時があった。「救急車を呼んで!」「家族が来れないと言っている」とかの会話が飛び交っていた。 その時、母に食事をとらせながら心配そうに見ていた私に、Tは満面の笑顔で「お騒がせしてすみませんね~っ」と大きく元気に言った。

そういうのが私には、すごく無神経だと思えるのだ。別に騒がしくて迷惑だなんて思っていないのに、人が死にそうな時に満面の笑顔を向けてくれなくていいから、と思う。

Tは「いつも元気で満面のつくり笑顔」をすることが感じいいと思っているらしい。人が死にそうなことには一切何も感じない。

電話したら、ケアマネのKさんからは「言ってくださってありがとうございます。」と言われた。

2時間後、副施設長のIさんから謝罪の電話があった。私の気持ちを理解しての謝罪ではない感じを受けた。

もう何年も前のことだが、ショートステイで母がお世話になっていた時にも、ある職員の言動について、一度副施設長のIさんとお話ししたことがあった。「毎度毎度すみません。」と言われた。

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2015年2月11日 (水)

荻窪

2月10日

明け方、夢の中では見知っている街を、誰かと歩いている夢を見た。泰山木の白い花が咲いている小学校の校庭の脇を通りながら、「日本の樹の花では一番大きな花だよ。」と一緒に歩く人に伝えていた。それからいつもの道をたどり、何軒ものアンティーク屋さんが軒を連ねている路地にはいり、スージークーパーの小さな皿と猫の置物を見、土塀の古い旅館の写真を撮った。

・・・・

荻窪へ。

駅の近くに、骨董屋さんがやっているすごく素敵な飲み屋さんがあった。が、高そうなのでその店は外観を見るだけにして、その先へ。(写真は全部クリックで大きくなります)

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とてもリーズナブルなイタリアンへ。

2月は私の誕生月なので、私の大好きなBONZOの画集をもらった。日本でBONZOのコレクターってどのくらいいるのだろう。私は以前イギリスに行った時、アンティーク市や古本屋で、本や古い絵葉書をいろいろ買った。

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それと宇野誠一郎 作品集 IIをもらった。「ネコジャラ市の11人」 (熊倉一雄、テアトル・エコー、作詞:井上ひさし、山元譲久)、「もえ上がれ雪たち」 (中山千夏、作詞:阪田寛夫)、「空にはお月さま」 (星野美樹子、作詞:別役実)。私の大好きなこの3曲が、皆、宇野誠一郎さんの作品だと知った時は震えがきた。
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最初に来た冷たい前菜の「いろいろキノコと玉ねぎのレモン風味」。ガーリックがきいていてとてもおいしかった。これ500円で最高でした。

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シラスのクリームピザ。窯で焼いた本格ピザで、25cm560円だったかな・・・

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コーン、マッシュルーム、生クリーム、モッツァレラ、パルミジャーノのピザ。

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アマレットオレンジのカクテルを飲んだ。
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えびときのこのアヒージョ。これも600円くらいだったような・・・
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アヒージョのオイルはブロッコリーにつけて食べた。
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それから登録有形文化財の西郊(せいこう)ロッヂングの方へ散歩。図書館に行く道は以前来た時とはずいぶん変わってしまっていたが、ここは懐かしい感じそのまま。

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この洋風建築は1938年(昭和13年)に建てられたらしい。
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「藤間流舞踊教授」の古い看板。
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それから、荻窪銀座の古い商店街のほうを歩いた。なんともいい雰囲気の古レコード屋「月光社」。
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商店街の中に古い井戸を発見。「震災時には飲料用として使用しないで下さい 生活用水井戸」と書いてある。

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荻窪東銀座協同組合 見取り図
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「憩いの店々」「嬉しい店々」と書いてある。色合いも素敵。月光社のト音記号も。

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もうひとつ古い井戸を発見。「わあ!いい~。」と声が出てしまうほど、ここは、すごく私の好きな感じの場所だ。

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古い建物がけっこうある裏通りを散歩。
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「歌酒場」と書いてある店から誰かの歌声が響いていた。
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店内の雰囲気が素晴らしい喫茶店、邪宗門。今回は行かなかったけれど、また来よう。

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帰宅してからちゃびにお薬と輸液。


















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2015年2月 9日 (月)

ブログについて 「私性」をさらすこと 文学

2月8日

本名と顔をさらしてブログを書くことのリスクと意味を、自分なりに考えている。

最近は、時間が空いた時には、読書と並行して、主に闘病ブログや介護のブログ、猫の介護のブログなどを読んでいる。そこでとても得るものがある。

同時に「文学」の価値について考えている。不特定の他人の目にさらされている、という点において比較可能だ。

こんなにも文章が上手くて、かつ有意義な体験をもとにブログを書き残している人がいるのに、現在の「文学」とは何が違うのか、と。

文芸雑誌をいただくので、最近の若い人の小説を読む機会はあるのだが、面白いと思ったことがない。私が気に入って読んでいる何人かのブログのほうが圧倒的に「面白い」。

何が面白いか。そこには苦しみや困難と向き合うためのヒント、生きるためのヒントと同時に、個人の生き生きとした、時間とともに変動する、また多面性を持って揺れ動く「生」があるからだ。

「公共性」の外延を揺さぶっているのは、もちろん、そうしたブログのほうだ。

ブログを書き、少々だがネットをやることにより、よい出会いもある。

しかし、(本名と顔、曖昧で、ピントがはずれたことしか伝わらないにせよ、なんらかの「私性」をさらすことのリスクからして)当然ながら、嫌なこともある。

私に対して、私の感覚ではあきらかにおかしいとしか思えない人が、私に自分のエゴをぶつけてくることがあとを絶たないので、それが私の一番のストレスになっている。

その人たちに共通する特徴は、自分自身の思い込み、いわば自己愛に没頭していることだ。「心の病」なのかな、と思う。

彼らの中では、意識されていないまでも自分がやっていることが正当化されていて、「正しいこと」「よいこと」「役立つこと」「相手のためにしていること」「素敵な魅力的なこと」「思慮深いこと」になっている。

私に対して、彼らがやってくることは「自分を認めろ」「自分を称賛しろ」「自分を甘えさせろ」ということの強要だ。

彼らは、それを必ず「相手のために」とすり替えてくる。

彼らには相手が真剣に打ち込んでいることがわからない。相手が大切にしているものに、まったく関心がない。自分が相手を軽視して、相手の大切なものを無視し、妨害していることが意識できない。

彼らは相手ではなく、自分の中の葛藤やコンプレックスに関心があるだけで、それを解消する「装置」「道具」として、私をターゲットにしてくる。

相手の気持ちを推し量る能力の「欠落」。または心のどこかではわかっていても、自分のエゴを押さえられないのだろう。それを正直に私が指摘すると、大抵逆上してくるから始末が悪い。

「悪気はない」という人の硬直した頭の鈍さほど恐ろしいものはない。一度や二度、おかしな言動をされたくらいでは、私は相手に指摘することは、まずないから、私が直接はっきり言う時は、そうとう度重なるストレスが積もり積もった時だ。

私は、「良い仕事をしたい」ということしか望みはない。体力も時間もないので、極力やることを選んで、好きな人たちと交流して、出来る限り仕事をしたい。

私の本を買ってくれたり、絵を見てくれる人、私が仕事をすることを応援してくれる人に心から感謝しています。

私が望んでいないことを勝手にやってきて、私の神経をズタズタにする人に仕事を邪魔されることが一番苦痛です。

父が死んでから、これまでの人生が、父に滅茶苦茶にされるがままだったことについて、後悔の念に激しく責め苛まれ、これからは極力自分の人生を大切にしようと思った。

そのためには、自分が理不尽だと思うことをされたら、もう黙って我慢はしたくない、たとえ相手には私の気持ちが理解されなくても、「あなたが私にしてくることは、あなたに悪気はなくても、私には、そういうことは耐え難いストレスです」ということを正直に伝えよう、と決心した。

私はたいてい大人しく見られる。父のような「異常性格者」の暴力に耐えて我慢してきたことが、「長女の忍耐強い性格」をかたちづくってしまい、それが雰囲気に出ているのかと思う。

私は、嫌なことをされ、それが過大なストレスになっても、今まで、すぐにそのことを相手に言葉にすることはなかなかできなかった。

(悪い意味で)理解不能なこと、あまりにも不快なことをされても、むしろ私は相手が何をしたいと思っているのか、その疑問を考えるくせがついている。

しかしその結果、、私のストレスは相手には一向に伝わらない。私が素っ気ない態度をとっても、相手は自分が嫌がられているとは夢にも思わないでエスカレートする、ということの繰り返しだった。

もうこれ以上ストレスをため込んで自分の心身が痛まないように、これは変えるべきだと思う。たとえ相手が逆上しようとも淡々と自分の気持ちを述べたいと思う。

今度、私に大きなストレスを与えた、あきらかにおかしい、としか思えない人たちの例を具体的に書いて行こうと思う。

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