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2015年2月 9日 (月)

ブログについて 「私性」をさらすこと 文学

2月8日

本名と顔をさらしてブログを書くことのリスクと意味を、自分なりに考えている。

最近は、時間が空いた時には、読書と並行して、主に闘病ブログや介護のブログ、猫の介護のブログなどを読んでいる。そこでとても得るものがある。

同時に「文学」の価値について考えている。不特定の他人の目にさらされている、という点において比較可能だ。

こんなにも文章が上手くて、かつ有意義な体験をもとにブログを書き残している人がいるのに、現在の「文学」とは何が違うのか、と。

文芸雑誌をいただくので、最近の若い人の小説を読む機会はあるのだが、面白いと思ったことがない。私が気に入って読んでいる何人かのブログのほうが圧倒的に「面白い」。

何が面白いか。そこには苦しみや困難と向き合うためのヒント、生きるためのヒントと同時に、個人の生き生きとした、時間とともに変動する、また多面性を持って揺れ動く「生」があるからだ。

「公共性」の外延を揺さぶっているのは、もちろん、そうしたブログのほうだ。

ブログを書き、少々だがネットをやることにより、よい出会いもある。

しかし、(本名と顔、曖昧で、ピントがはずれたことしか伝わらないにせよ、なんらかの「私性」をさらすことのリスクからして)当然ながら、嫌なこともある。

私に対して、私の感覚ではあきらかにおかしいとしか思えない人が、私に自分のエゴをぶつけてくることがあとを絶たないので、それが私の一番のストレスになっている。

その人たちに共通する特徴は、自分自身の思い込み、いわば自己愛に没頭していることだ。「心の病」なのかな、と思う。

彼らの中では、意識されていないまでも自分がやっていることが正当化されていて、「正しいこと」「よいこと」「役立つこと」「相手のためにしていること」「素敵な魅力的なこと」「思慮深いこと」になっている。

私に対して、彼らがやってくることは「自分を認めろ」「自分を称賛しろ」「自分を甘えさせろ」ということの強要だ。

彼らは、それを必ず「相手のために」とすり替えてくる。

彼らには相手が真剣に打ち込んでいることがわからない。相手が大切にしているものに、まったく関心がない。自分が相手を軽視して、相手の大切なものを無視し、妨害していることが意識できない。

彼らは相手ではなく、自分の中の葛藤やコンプレックスに関心があるだけで、それを解消する「装置」「道具」として、私をターゲットにしてくる。

相手の気持ちを推し量る能力の「欠落」。または心のどこかではわかっていても、自分のエゴを押さえられないのだろう。それを正直に私が指摘すると、大抵逆上してくるから始末が悪い。

「悪気はない」という人の硬直した頭の鈍さほど恐ろしいものはない。一度や二度、おかしな言動をされたくらいでは、私は相手に指摘することは、まずないから、私が直接はっきり言う時は、そうとう度重なるストレスが積もり積もった時だ。

私は、「良い仕事をしたい」ということしか望みはない。体力も時間もないので、極力やることを選んで、好きな人たちと交流して、出来る限り仕事をしたい。

私の本を買ってくれたり、絵を見てくれる人、私が仕事をすることを応援してくれる人に心から感謝しています。

私が望んでいないことを勝手にやってきて、私の神経をズタズタにする人に仕事を邪魔されることが一番苦痛です。

父が死んでから、これまでの人生が、父に滅茶苦茶にされるがままだったことについて、後悔の念に激しく責め苛まれ、これからは極力自分の人生を大切にしようと思った。

そのためには、自分が理不尽だと思うことをされたら、もう黙って我慢はしたくない、たとえ相手には私の気持ちが理解されなくても、「あなたが私にしてくることは、あなたに悪気はなくても、私には、そういうことは耐え難いストレスです」ということを正直に伝えよう、と決心した。

私はたいてい大人しく見られる。父のような「異常性格者」の暴力に耐えて我慢してきたことが、「長女の忍耐強い性格」をかたちづくってしまい、それが雰囲気に出ているのかと思う。

私は、嫌なことをされ、それが過大なストレスになっても、今まで、すぐにそのことを相手に言葉にすることはなかなかできなかった。

(悪い意味で)理解不能なこと、あまりにも不快なことをされても、むしろ私は相手が何をしたいと思っているのか、その疑問を考えるくせがついている。

しかしその結果、、私のストレスは相手には一向に伝わらない。私が素っ気ない態度をとっても、相手は自分が嫌がられているとは夢にも思わないでエスカレートする、ということの繰り返しだった。

もうこれ以上ストレスをため込んで自分の心身が痛まないように、これは変えるべきだと思う。たとえ相手が逆上しようとも淡々と自分の気持ちを述べたいと思う。

今度、私に大きなストレスを与えた、あきらかにおかしい、としか思えない人たちの例を具体的に書いて行こうと思う。

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