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2015年6月

2015年6月29日 (月)

水声社 / 横浜市

6月23日

水声社へ。鈴木宏社長と次の本の打ち合わせ。建物の庭に、茶色くなりかけた梔子と大きな山百合の花が咲いていた。

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「いろは館跡 大正の初め、歌人島木赤彦ここに下宿してアララギの發刊に当る 小倉遊亀」と書いた碑がある。

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この出版不況の閉塞感は堪らないものがある。本も芸術も、どうしようもなく終わっているという感覚、希望のなさに押しつぶされそうになるが、なんとか自分が残すべき仕事を考える。

鈴木宏社長は、国書刊行会から独立して、書肆風の薔薇を起ち上げたかたで、素晴らしい本をたくさん出してきた人だ。笑った顔がすごく素敵な人。

こちらの言うことに対して何度も笑ってくれた。

『あんちりおん3』を差し上げると「よくこれだけの人に書いてもらったね。」と言ってくれた。

そのあと近所を散歩。「こんにゃくえんま」の近く、しゃれた木造建物の飲み屋。

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古本屋さんを発見。

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「イーグル文京」という変わった名前のパン屋さん。

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「保証牛乳」?

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「銅(あかがね)御殿」と呼ばれる古いお屋敷の欅の巨木。

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6月20日

横浜市の友人宅へ。

初めて降りる駅。最近まで森だったのが急にきらびやかに開けたような感じの街。

城址公園に行ってみたら春女苑が満開だったので嬉しくなった。

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これはもうひとつの公園。自然観察エリアがあった。
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この日、私は楽しそうに見えるが、いろいろな心配に胸塞がれる状態にあり、ある書類を届けるために友人宅に行ったのに、その肝心な書類を自宅に忘れてくるという酷い失敗をしてしまった。

とりあえず遠くまで来たので、友人の子どもさん二人と、猫の「にゃおん」ちゃんと対面できて嬉しかった。

「にゃおん」ちゃんと初対面。この子はかつて大けがをして腰にボルトが入っていることをメールで聞いてずっと心配していたが、そんなことが信じられないほど元気でかわいかった。

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ゴロゴロでなくて「ケラケラケラケラッ」と聞こえるほど高らかに喉を鳴らす「にゃおん」。
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本当に素直でかわいい。

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帰りに公園を横切ろうとすると、きれいな外国人の女の子がふたり、西日が当たる高い場所に腰かけて楽しそうにジュースを飲んでいた。
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座っている場所も、服装も、すべてさりげなくてとても魅力的だったので、英語で話しかけて撮影させてもらった。

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大人っぽく見えるが高校生だそうだ。“You are so beautiful.”と言ったら「ありがと。」と言われた。
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2015年6月18日 (木)

杏、ブルーベリー、 紫陽花

6月18日

私は梅雨の季節が大好きだ。

かんかん照りの夏が体力的に苦手だし、日光アレルギーの傾向で顔に湿疹が出てしまうということもあるが。

雨に濡れた植物の光。静かな小雨の降る日は心が浮き立つ。

枇杷、李、桜桃、杏・・・甘酸っぱい、きれいな果実がいっせいに実る6月。

近所の杏の樹(6月12日撮影)。母は昔から実の生る樹が大好きだった。

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下はみゆちゃんがくれたアクト農園の無農薬ブルーベリー。すごく大粒でおいしい。粒の大きさがわかるようにスージークーパーとトムキトゥンの小皿にのせてみた。

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動物病院にちゃびの輸液セットと薬をもらいに行く時に通る大好きな小道。

(この日、快作先生に「拾ったカラスを(ほかの動物病院に)連れて行ったら、点滴と痛み止めで10万円もとられたよ~。」と言っている人がいて、思わず快作先生が苦笑いしていて、先生と眼があった私も思わず笑ってしまった。)
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ここの紫陽花は白地に紅のぼかし。

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紫陽花は本当にさまざまな色のグラデーションがある。

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下のような、褪せた白にかすかなさし色の紫陽花も大好き。

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白地の装飾花(実は萼)に中心の花だけが紫のアジサイ。萼にギザギザがあるのとないのとが混じっている。
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下はウズアジサイ。装飾花(萼)に赤紫や青の血管のような脈が見える。

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下はアジサイとウズアジサイのキメラ。

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近づいて見ると、ウズアジサイ(萼)の中心の花序ばかりが多く開花していて、アジサイ(萼)の中心の花序はあまり開花していない。

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今年、花屋で、生まれて初めて見るしぼり咲きの紫陽花を見つけた。「舞姫」という品種らしい。私はチューリップでも朝顔でも椿でも、とにかく「絞り咲き」「斑」「変形」に惹かれる。

今度ぜひ描いてみようと思う。

6月17日

池袋の行政相談へ。Sさんは面構えも堂々として頼もしい人物。他人から被害を受けても、法律に無知でさえなければ、こちらが強気に出るべきなのだ、と言われ、自分の気の弱さを反省。

帰りに東武地下のの天一で食事。

池袋の古本屋さんもほとんど無くなってしまっったけれど、八勝堂は健在。古レコードと古い画集を細かく見ていたら、集中しすぎて疲れた。

立教大の近くの夏目書房に行って、またまた古い画集に夢中になってしまい、「あ、こんな展覧会やってたんだ~。行きたかったなあ。ああ、これもいいなあ。」と熱心に見ていたら、時間があっという間にすぎ、脚が攣るほど疲れてしまった。

古書店で随分長い時間を過ごし、結局、鮨詰めの地下鉄で帰る。

6月16日

カレッタ汐留でみゆちゃんと会う。ずっとがんセンターに通っていたのに、その近くにこんな大きなビルができていたことを知らなかった。

サラダバーの目の前に育てている野菜が植えてある、おしゃれなイタリアンでランチ。

「みゆちゃんで本当にすごいよね。たいへんな仕事なのにずっと続けてるなんて。普通の人ならとっくにやめてるよね。」と言うと、

「何かすごくやりたいことがあるならやめるけどね。私は特にそういうのがないから。私は働いてる方がいいの。」とさらりと言う彼女はすごくかっこいい。

彼女のような頭のしっかりした誠実な人が、私の変わらぬ友人でいてくれることを本当にありがたく思う。

私に親戚がつくっているという無農薬ブルーベリーをひと箱もくれた。私は自作のスズランの布花コサージュをあげた。

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2015年6月15日 (月)

宇野亜喜良全エッセイ『薔薇の記憶』 / 大日方明、志村立美

6月14日

80歳になっても謎めいて華麗な絵を描き続ける宇野亜喜良の感性の源をさぐるべく、彼のエッセイ、『薔薇の記憶』(2000年、東京書籍)を読んでいた。

印象に残るところは、たくさんあるのだが、非常に人間が好きで、人間がつくった文化に深く関心があるところが、まさに「イラストレーター」なのだと思った。

映画を見るときも、絵を見るときも、「メタファ」「形而上学」という言葉が何回も出てくる。つまり「読んで」いるのだ。

(私の場合は、人間が嫌いではないけれど、むしろ人間がつくったのではないもののほうに関心が向いているので、映画を見るときも、そこに意図なくして映りこんでいるもののほうに関心がいく。)

絵、イラストに関する印象に残った部分の覚書。

「イラストレーターは大衆の意識を科学的に反映させるのではなく、あくまで自分自身を大衆のなかの一人として認識し、快楽し、悲しむことによって獲得するのである。」(「夢二の絵に出会った日々」)

「ラッカムのように偉大なる巨木を育てたイギリスという国は、保守と前衛が不思議に共存する国で、パブなんかではシルクハットの老人と銀ラメのロックンローラーが同席して風景化しているようなところがあり・・・(中略)・・・マザーグースふうのおばあさんや、デパートのエスカレーターを走って駆け上がる紳士なんか日常に見ることができる」(「アーサー・ラッカムのこと」)

「モデルと、それを客体として二次元表現に置き換える芸術家との遊戯的関係において、ラルティーグとパスキンの二人に、共通の天才性を見つけることができる」(「ひとりごと裸体画論」)

「ぼくにとって人間が最も近しい風景と感じられる」(「九つのモノローグ」)

「あれは六〇年代、演劇のコンセプトなど話し合わなくても、感覚的な部分で連帯する同志であり、共犯者でもあるという、奇妙に幸福な時代だった。」(「ポスターという名の恐怖、あるいは懐かしい風」)

「ぼくも自分でやった仕事のなかで一番好きなものでもある。・・・(中略)・・・ボール紙のアルカイックな質感を感じていただいたあと、すべての光を吸い込む闇のような黒、それを日常にもどしてくれる光沢のあるマイカレイドの扉、そして本文にはいっていくという時間の儀式は、やはり平気で気障が演じられた若さという季節の産物であろう。」(「高橋睦郎詩集の装丁」)

「少年の背景にはなにひとつ描かれていなくて、白味がかった朱一色である・・・(中略)・・・紅や朱ほど感情的ではなく、春の曙を瞼の裏で知覚するような、あいまいな色彩、甘美な倦怠と気品の色彩である。」(「春信の色彩感覚」)

「やはり夢二の魅力は、感情がきわどいところで空間感覚や造形化に転化しているという、スリリングなバランスにあるような気がするのだ。」(「抒情画、あるいは鏡の国の少女たち」)

「『それいゆ』は、戦後のロマネスクの象徴だった。・・・(中略)・・・それが大人の目からは少女趣味と言われようと、機能だけで良い時代への反逆であり、ながい戦争の時代がなくしていた美しき心へのルネッサンスでもあったような気がする。」(「抒情画、あるいは鏡の国の少女たち」)

「創刊当時の『こどものとも』に好きな本がいくつかあって、たとえば長新太さんのものなどべらぼうに新鮮で、神様だけが喰べている果実のような、とても良い香りを発散していて」(「僕の好きな絵本」)

「西陵高校二年、十六歳の時、それまでに描き、創った作品ごと僕のことが新聞で取り上げられた・・・(中略)・・・僕はほとんど呆然としてしまい、しばらくはその出来事に浸りこんでいたが、それが醒めると、絵を描くことを自分の仕事にしようと決めたのだった。」(「父の記憶――昭和十年代後半」)

「僕は挿絵を小説の内容の視覚的な説明ではなく、もう少し別な性格を持ったもの、たとえば小説という台の上にデザインされたダイヤモンドのように、その位置において効果を発揮し、またそれ自体独立した光も所有するもの、そして、読者の気持ちをも映しこむようなそんなものを考えている。」(「イルフィルのこと――昭和39年」「僕の個人史」)

「「読むとディテールにこだわりすぎて、説明的なものになってしまいそうな気がするので、プロットだけを聞かせてください」と我儘を言い、今江さんはそれを気持ちよく承諾してくれた。・・・(中略)・・・今までの児童文学にはなかったタイプの絵だったらしく、今江さんは、もう一度原稿に手入れすると語り、一年後絵本『あのこ』は完成した。」(「『あのこ』との邂逅――昭和四十年)」「僕の個人史」 )

「ちょうどその頃、アートシアターのあった新宿の街は〈新宿ルネッサンス〉とでも言うべき時代のさなかで、僕はそこにのめりこんでもいたので、仕事と日常が境界を失くし、すべてがごたまぜになった不思議な一時期をすごしたのである。

昭和四十五年には、新宿厚生年金会館小ホールで、寺山修司作・演出による『千一夜物語・新宿版』の美術を手がけた。

『千夜一夜物語』の性と幻想の世界は、その当時の新宿の街にもっともふさわしいものだったようで、僕は社会的なものの自然感情の反映のようなイメージが次から次へと出てくる舞台をつくることを試みたのだった。

同じ年の十一月、アートシアター新宿文化で上演された『星の王子さま』は、レスビアン・バーのマスター(女性)が勢揃いして歌舞伎の『白浪五人男』のなかの稲瀬川の場のパロディ劇をするといった幕間狂言もあり、見世物小屋的な極彩色の装置をつくった。作・演出は寺山修司である。

三作品とも、ある興奮状態のさなかにあった新宿の街を抜きにしては考えられず、その時代の私もまた、二十四時間、得体の知れぬ何かに熱狂していたようだった。

ひとつの街が自分の体に密着するようにしてあった、という経験はそれ以後はない。」(「『あのこ』との邂逅――昭和四十年)」「僕の個人史」 )

・・・

宇野亜喜良さんが子どもの頃に好きだった挿絵画家、石井鶴三、宮本三郎、松野一夫、河目悌二、木村壮八、『それいゆ』に描いていた中原淳一、玉井徳太郎、村上芳正・・・

この中で、村上芳正の絵はジャン・ジュネの文庫本カヴァーなどでおなじみだ。

そして、なんと玉井徳太郎の絵本を私は持っていたのである。講談社の絵本ゴールド版『アルプスの少女』。眼はすごく大きいわけではないのに睫毛が長い、個性的なきりっとした少女の顔を描く画家。明治41年生まれとある。

昔の講談社の絵本ゴールド版で、私が大好きだった画家は大日方明と志村立美だ。

以前にも書いたが、特に大日方明の『しあわせの王子』と志村立美の『安寿と厨子王』には魂を奪われた。

下が玉井徳太郎画『アルプスの少女』。ハイジが夢遊病になるシーン。(画像はすべてクリックすると大きくなります)

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下が大日方明画『しあわせの王子』。大日方明は明治35年生まれで、普門暁に師事、元商業図案家だったらしい。
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表紙裏に「(前略)・・・この「しあわせの王子」は道徳さえもあざ笑って踏みにじるという、唯美主義者のワイルドの心の底に、ただ一つ、さんぜんとして輝いていた人間愛の結晶をつかみ出して、子どもたちのために、懸命に書いたものにちがいありません。したがって、哀れにも美しい物語は、幼いものにも、心暖まる、深い感銘を与えることでしょう。」と土家由岐雄の文がある。

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しかし、幼い私には、ツバメがあまりにもかわいそうで、かわいそうで・・・たいへんショックな話だった。

大日方明の色彩はシックで抒情的で、デザイナーでもあっただけあって、「塗り」がすごくきれいなのに驚かされる。

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下は志村立美画、山手樹一郎文の『安寿と厨子王』。山手樹一郎は明治32年生まれで「桃太郎侍」を書いた作家である。

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志村立美は、明治40年生まれで、18歳で雑誌の挿絵を描き始め、丹下左膳、人妻椿、投節弥之など、一世を風靡した傑作の挿絵を描いた人。下の絵の構図など、恐ろしく大胆でうまい。

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下の絵は、幼い私の脳裏に強烈に残って、やはり幼い頃に見た東映動画の『安寿と厨子王』というアニメの映像と混然一体となってしまっている。アニメの中でも桜吹雪の下を厨子王が歩いていたような記憶があるが、実際どうだったのかわからない。

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下のシーンの菫色と金色の夕焼けの光、雪の中に立つ冬の痩せた木々、右手の樹の幹に吹き溜まった雪、静寂の中を進む馬・・・、こうして見ると幼い頃に見た絵本の記憶が、いかに今の自分の感性をかたちづくっているかがわかる。

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志村立美は晩年「美人画」を描いていたようだが、なんと言っても「挿絵」のほうが魅力的だ。

下は佐多稲子文、大日方明画の『人魚姫』。頬に光のハイライトが入っているのが新鮮だった。

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6月8日

母の昔の友人(私の幼なじみの親)Nさんが母に会いたいと言うので、駅で待ち合わせて施設まで案内する。

6月9日

O・Hさんと会う。いつも通り帝国ホテルをご指名。地下の「天一」で食事のあとロビーでお茶。ここのロビーは珈琲でも紅茶でも1380円もする。おかわり自由らしいが、なんだかお茶を飲むのがもったいなかったので生ビールを一杯いただいた。

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2015年6月10日 (水)

親友と生まれ故郷の西新宿を歩く / 布花

6月6日

16歳の頃からの親友、みゆちゃんと、カメラを持って二人の生まれ故郷、西新宿を歩く。昔懐かしい場所をたどり、幼い頃から変わらないものをさがしに。彼女とは小、中ではなく高校で知り合い、ごく近所に住んでいたのは偶然の幸運なめぐり会わせだ。

朝、10時半に新宿西口で待ち合わせ。。(画像はすべてクリックすると大きくなります)

まずは西新宿7丁目へ向かう。かつてレストランだったところ、今は高級ではないがお洒落な外国人向けのホテルになっていた。入口に子どもの遊具だった白い馬。奥にかかっている絵と猫脚のキャビネットもなんとなくヨーロッパのさびれた宿風。

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昔「柏木」と言ったあたり、公園のフェンスに昼顔の蔓が絡まって薄ピンクの花が満開だった。公園の中に枇杷の樹があって、実が鮮やかな蜜柑色だった。「あ~枇杷!おいしそう。」と言うとみゆちゃんが水道の台の上に乗っかってもいでくれた。枇杷の実はとても酸っぱかった。

かつてみゆちゃんの家のあったところは、大きなマンションがいくつも建っていて、方角も道路の幅の感覚もわからなくなっていた。古いお豆腐屋さんも、もうない。

2005年くらいに、再開発が始まって、ここら辺一帯が破壊され尽くしてもぽつんと残っていた古い昭和のアパート、「ときわ荘」に「建築計画」の看板がつけられていた。ついにこのアパートも無くなるのか、と大ショック。

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このときわ荘には「勾欄」のようなもの(窓の外の木の柵)があるところが素敵。ときわ荘のは水色に塗ってあるのがまた好きだった。

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「昔、このアパートに友達が住んでた。誕生会によんでくれた。」とみゆちゃん。

この「ときわ荘」の向かいも古い建物で、年配の方々が集まっていた。

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税務署通りに続く道。ここにも昔からあって、まだなんとか残っている古いアパート群。

まずは「緑荘」。

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そして懐かしい雰囲気の「雅山荘」「瑞雲荘」「青雲荘」「東雲荘」・・・・

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古い建物とともに緑があるのがほっとする。
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紫陽花の色が今、盛りだった。

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みゆちゃんが撮影してくれた紫陽花の影の私。

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みゆちゃんも植物が大好きで「あれ、なんか実がなってる。何の実?これはなんの花?」と聞いてくれるので「あれは椿の実。これはカタバミ、これはブルーサルビア、これはペチュニア、これはツキミソウ」と応えるのがとても楽しい。赤と白のバイカラーの小さな蝶形花は、チェリーセージ・ホットリップス。

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かつて駄菓子屋さんと靴修理のおじさんの店があったあたり、細い道はそのまま。

昔、ここらへんにはけっこう犬がいたのに、今はマンションばかりになったので、犬を飼っている家が見えない。

みゆちゃんが子どもの頃遊んでいたと言う成子天神へ。ここもマンションの谷間となり、門がやたら新しくなっていて朱色ではなく、趣味の悪い派手なピンクがかった赤だったのでがっかり。

みゆちゃんが子供の頃、いつも登って遊んでいた築山がない・・・と思ったら、奥にあった!

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この山の上の岩が溶岩みたいだな、と思ったら、小山の上に富士山の溶岩をのせてつくった富士信仰の山(富士塚)だそうだ。

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けっこう高い(12m)山で、折しも陽射しがカーッと照りつけてくるし、私はスカートの裾を踏んで転がり落ちそうで怖かったので、途中までで引き返したが、みゆちゃんは颯爽と登頂して写真を撮っていた。私は中腹から撮影。

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山から下りて来たみゆちゃんに「はい、これ。」とシロツメクサの花一本と四葉のクローバー一本(自作の布花)を差し出す。

「あ、四葉、見つけたの?」と言うみゆちゃんに「私が作ったんだよ~」と言ったら、「ええ~!?、そこで摘んだんだと思った。本当に作ったの?ええ~、これ自分で描いたの?すご~い!」と予想以上に驚いてくれた(さすが親友・・・)。

そして「はい。」と用意していたシロツメクサと四葉のクローバーとマーガレットとヒナギクのコサージュをあげた。「私にくれるの?これ、すごく手間かかってるでしょ?」と、とても喜んでくれたので嬉しい。

庭の梅の樹の実が黄色く熟してたくさん落ちていた。「これ、桃みたいないい匂いがするんだよ。」と言うと「わ、おいしそう。食べられないの?」とみゆちゃん。「熟してるからだいじょうぶとは思うけど、梅は青酸カリが危ないよ。」と私。

成子天神を出て青梅街道を歩くとき、夏至近い強烈な日が雲から出てきて脳天がじんじんした。「ぎゃ~、顔に湿疹が出る~。」と焦る私に「だいじょうぶ?」とみゆちゃんが私の日傘の上から、さらに自分の日傘をかざしてくれた(優しい~)。

それからランチを食べに中央公園の脇にあるイタリアンへ。ここは前菜のサラダ盛り放題なのでいっぱい食べた。

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メインはリゾットを選んだ、飲み物付きで税込1000円ぽっきりというリーズナブルさ。

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レストランで、お互いの近況とけっこう深刻な悩みの話をした。

お互い二人姉妹の姉で、忍耐強い性格。ところが自分がどんなにしっかりと自分の道を歩んでいても、肉親に精神的におかしい人間がいると、ものすごい苦労を背負わされることになるものだ。彼女もたいへんらしい。私は父と妹のせいで心労が半端ない。

家族の中で真面目で忍耐強い人間がいると、その分、甘えてわがままな人間ができるようで切なくなる。

「精神的におかしくて異常にわがままな人間は、自分を甘えさせてくれると思う人には滅茶苦茶に酷いことを平気でするのよ。」と彼女。だから毅然とした態度をとらなきゃいけないということ。「結局、自分が思うようにいかないからイライラしてるんでしょ。自分のコンプレックスを自分でどうにもできないで、優しい人に八つ当たりしてるだけ。」

「父も妹も精神的に弱くておかしい人間で・・・私もあんなになったらどうしよう、と怖い。」と言ったら「ふっこはだいじょうでしょう。すごく強いもの。」と言われた。

私の実家の中に入ったら、一階の畳の上たたんであったふとんの上になぜか2cmくらいの茶色い毛玉がいっぱい。「あれ!なにこれ!?猫みたい。」「猫だよねえ、これ。さっき道の真ん中に寝てた大きな茶色い猫じゃないの?」恐ろしいことにうちの周りにいる野良猫さんたちが、うちに自由に出入りして、くつろいでいるらしい(古い日本家屋恐るべし)。

中央公園の中を抜けて新宿へ。中央公園の熊野神社の横の部分が「ビオトープ(自然観察地域)」になっていて、蛙が高い声で鳴いていた。トクサ(木賊)は、スギナの巨大なものにそっくりで、よく見るとツクシにそっくりな頭がある。同じトクサ科なのだ。

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そのあと、みゆちゃんの希望で、(私としては10年ぶりに)カラオケに行った。私は中学は吹奏楽部(スパルタの音楽系)、高校、大学時代もバンドをやって歌っていたが、みゆちゃんは歌なんて歌ったことなかったのだが、最近になって歌う楽しさに目覚めたのだと言う。

私が「最近、他人からの酷いストレスでやつれてしまった」と言ったので「歌って、ストレス発散して。」と言ってくれる。

みゆちゃんの選曲がまた「水の影」とか「翳りゆく部屋」とか「楓」とか「スカボロフェア詠唱」とか、ツボにはまるものばかりで、すべてに高音でハモったら「ふっこはハモってくれるからすごく気持ちいい。」と、またまた喜んでもらえた。

ちなみに私は「明日に架ける橋」や「私のフランソワーズ」「夜桜お七」などなどを歌った。「ユーミンは荒井由実の時は良かったのに、バブル期になってからの歌は好きになれない。」とみゆちゃん。私もほんとにそう思う。

彼女は大学卒業後から何十年も同じ外資系の世界的大企業に勤めているのに、少しも飾らない。初めて会った高校の時のまま変わらない。正直で、いつもしっかりした考えを持っているのに決して出しゃばらず、見栄や欲がなくて、デリカシーがあって、面白いことへの好奇心も旺盛で、柔軟性や遊び心もあって、気持ちのかよう私の大切な友人。

私のほうがずっと変わり者だが、彼女は私のことをよく理解してくれている。素敵と思うことと、嫌悪感を抱くものが非常に似ているから気が合うのだ。

私が(父からかけられたストレスによって)甲状腺がんになって国立がんセンターに手術入院した時、彼女の会社が日比谷にあったこともあるが、毎日必ず来てくれて、母が本当にいい友達だと感動していた。

高校の時、いつも彼女がそばにいてくれた。3月に二人で内房線各駅停車に乗って、南房総の先端まで行って、「江見」という駅で降りて「太海」という駅まで、線路の上をとぼとぼ歩いた時のことを鮮やかに思い出す。

線路沿いにびっしり鈴生りに咲いていた白い水仙の香りが、透明でむせかえるようで、春の陽が溢れていた。花畑でストックやキンセンカを摘ませてもらって両手いっぱい買って帰った。海の風はまだ冷たかったけれど、すごく楽しかった。帰りはまた各駅で外房を廻って新宿に帰ってきた。

あの頃のまま・・・あれから苦労は山ほどしたのに、ちっとも逞しくなれていない自分がいる。

・・・・・・

最近、生まれて初めて自己流で作ってみた布花の一部の画像を載せます(拡大して見てください)。

シロツメクサとクローバーの布花。

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白い花は服に合わせやすいし、作ってみると思いのほか楽しい。小さい頃摘んで遊んだ野の花、シロツメクサ、ハルジョオン、タンポポやレンゲに触れて匂いをかいでいる時の、胸が締め付けられるような嬉しさがよみがえるからなのでしょう。

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白い布花だけでも、こんな感じに、いろいろできてしまいました。
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大きくまとめるとこんな感じ。

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あんまり大きな花束になっても、使いづらいと思うので、人に差し上げるのはこんな感じでまとめました。綿と薄絹とオーガンジーのマーガレットとヒナギクのコサージュ。
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シロツメクサとヒナギクとスズランの組み合わせコサージュ。
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布花は、当初の目的は、以前無くしてしまった紫系の作家もののコサージュをまた欲しくて、それなら自分で作ればいいや、と思ったことだ。紫系の花も、いろいろ発想が展開してしまい、こんなにいっぱい作ってしまった。

これはかつて持っていたような紫のグラデーションのブーケコサージュ。特に何の花という具体的イメージはない。

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紫のグラデーションで、ダルトーン、ペールトーン、グレイッシュトーン、あらゆる色系の小花を作って、メインの花と自由に組み合わせられるようにしようと思った。6~8個のグラデの小花を一本にして、一本ごとの諧調も少しずつ変化をつけていったら、際限なく諧調ができ、手が止まらなくなってしまった。

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大きさがわかりにくいが、小花はかなりの量になった。一本の茎にまとめた数個の花がみな微妙に違う色彩の諧調になるようにした。

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下は紫のグラデーションの菫、すみれ、スミレ・・・。スミレの素材も、ビロード、シール、サテン、綿といろいろ・・・。

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いろんな布花の画像を見たら不思議なことに気づいた。

スミレのペップ(しべ)は、尖っていて外に飛び出しているように作るのが「画一的なやり方」みたいだ。最初に「お手本」をつくった先生のマネを皆がするからなのだろうが、実際の植物のスミレの蕊は飛び出していない。

私は「画一的なやり方」にすることが特に美しいとは思わなかった(蕊を飛び出して作る意味がまったく理解できない)ので、実際のスミレに近いように蕊は引っ込めて作った。

ネットで布花を作っている人の例の多くは、最初に作られたやり方の「定型」に依っていて、本当の花の姿はとかけ離れていることを不思議(不自然)に思った。

山本鼎(大正時代に自由画運動を推進)が改革したように、絵画でもかつては「画一的な描き方(自然を見ないでお手本を見て描く)」というものが存在した。これは異常なこと、おかしなことだと思う。布花も自然の花を見て、リアルにせよ、抽象的にせよ、自分が感じた通りに作ればいいのに、と思う。

(ちなみに山本鼎は、若くしてキリンビールの麒麟のラベルをデザインした才気溢れる画家、版画家、教育者で、従弟である夭折の天才画家、村山槐多を助けた。)

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下は綿オーガンジーの布をカットして作ったアンティーク風の淡くくすんだオールドローズ。

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下は一番最初に作り方も調べないで適当に作ってみた薔薇。これは失敗。コテをしっかりあてないと不細工になることがわかった。

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紫系のくたっとした薔薇。ロックシンガーみたいに黒いつば広の帽子に着けようと思った。
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このほかにも、くすんだ渋いワイン色と甘いピンクのぼかしの薔薇、水色、青磁、薄荷、紫、マルーンのぼかしのカーネーションなどいっぱい作ってしまった。

私は何か作りだすと止まらなくなってしまうので、布花作りは少しセーヴしないといけない。布花は、とにかくストレス解消になるので止まらない。

私にとって絵の具を使って絵を描くことはストレス解消にはならない。むしろすごく苦しい。自分がつくりたいものと自分の手の不自由さとの軋轢に苦しむうちに、暗闇の中でもがいているように混沌としていく。決して満足することがないので苦しい。

素描は少し違う。「時の断面」に身をまかせることで救われる。

6月5日

最近ずっと、唇の(尋常ではないほどの)荒れ、、高熱(風邪)、顔の湿疹、右目のものもらいと、連続で苦しんできて、やっと右目のものもらいが治ったと思ったら、2日前くらいから今度は左目がものもらいの初期症状となった。

瞬きをするたびに、ずきっと痛むので、今回は眼科へ。

すごく混んでいて一時間半も待たされた。診察室にはいると優しい話し方をする美人先生だったので、なるほどと思った。ものもらいの原因は「疲れ、ストレス」とのこと。

点眼液と軟膏を出された。市販のロート抗菌目薬よりもずっと成分が濃いそうで、早く効くらしい。

唇の異常な荒れは、まだ治っていない。最初に出してもらったプロペト10gを使い切ったので、また皮膚科に行って出してもらったら、50gの大きな容器のだったので驚いた。

唇にべた~とプロペトを厚く塗っている時だけ痛くない。普通にしていると乾燥しすぎて常に唇が痛い。

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2015年6月 7日 (日)

毛利やすみ展 森久仁子様、 春日井建

6月3日

師、毛利武彦の奥様、毛利やすみさんの絵を見に銀座の画廊へ。

銀座の中心あたり、大きなビルが無くなっていたせいで、昔はすっと目的地に行けたのに風景に違和感があって、不覚にも迷ってしまった。2時過ぎに着いたら、画廊はお客さんで混んでいた。

森久仁子様(早熟の天才歌人、春日井建の妹君で、毛利先生の従妹)にお声をかけていただく。久しぶりに対面、またお目にかかりたいとずっと願っていたので、運よくお会いできて感激する。

久仁子さんは、古いスケッチブックを持参されていて、毛利武彦先生が戦後すぐに描いたという幼い久仁子様の素描や、17歳のふくよかな少女の久仁子様を描いた素描など、たいへん貴重な絵を私に見せてくださった。

毛利武彦先生30歳の頃の、先生らしい力強く温かい太い鉛筆の線に感動した。

若い頃の春日井建さんと久仁子さんを建さんのご友人が描いた素描もあった。建さんが私が本で見たお顔とそっくりに描けていたのでびっくり。

森久仁子さんは、しゃべりかた、立居振舞が素敵で、それに文字も恐ろしく美しくて魅力的なかただ。少し話しただけでも、明るくて頭がよくて周りへの気遣いがスマートで、こんな人はなかなかいないと感じる。

さすが毛利先生の従妹で、春日井健さんの妹さん、と感動する。

春日井建は、利発で文学や芸術にも造詣の深い妹をどんなに愛したことだろう。

春日井建歌集には、幾度か毛利武彦先生の絵が装丁に使われている。

下は第七歌集『白雨』(1999年短歌研究社)。この装丁では毛利先生の絵の上に大きな文字と原画にはない斜線がかかっているのが私としては残念だ。

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カヴァーの絵は毛利武彦「ひとりの騎手」(1976年 40F)。

実際は微妙な色彩を含みながら石に刻んだような堅牢な空間を持つ抵抗感のある画だ。下の画像は『毛利武彦画集』(求龍堂)。

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「薄明のもののかたちが輪郭をとりくるまでの過程しづけし」

「日表の水の雲母(きらら)をおしわけて水禽の小さき胸はふくらむ」

「この春に夫を亡くせし妹と母をともなふ日照雨(そばへ)なす坂」

「つ、と翔びて、つ、つと尾羽を上下する鶺鴒を点景としての川の床」

「木漏れ日にみどりの水分(みくまり)渦なせり母は別れをいくつ見て来し」

「目とづれば乳の実あまた落ちつづく狂はずにをられざりし祖父かも」

「朔の月の繊きひかりが届けくる書けざるものなどなしといふ檄」

下は第八歌集『井泉』(2002年砂子屋書房)。春日井建の咽喉に腫瘍が見つかったときに作った歌が収めてある。

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カヴァーの絵は毛利武彦「公園の雪どけ」(1987年 50F)。

この絵ははっとするほど斬新な構図で、冬の公園の水の中に棲んでいる噴水の垂直の躍動と、それに対比して水面に水平に浮かぶ雪の静けさを描いている。下の画像は『毛利武彦画集』(求龍堂)。

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「エロス――その弟的なる肉感のいつまでも地上にわれをとどめよ」

「冬瓜の椀はこび来る妹よ患(や)みてうるさきこの兄のため」

「表情は怯えをらねど顫へたる膝を見たりき額のそとの膝」

「ひとりきなふたりきなみてきなよってきな 戻らぬ子供を呼ばふ唄とぞ」

「外敵より身を守るため天上に生くるといへり宿痾のごとし」

「細き枝を風に晒せる柳葉のさながら素描といふ感じして」

春日井建の歌は、言葉は強靭だが、非常にか弱いもの、脆弱なもの――植物、鳥、光などの微細な運動を見つめているところ、歳を重ねても少年らしい傷つきやすさが失われないところが、私の感覚を激しく揺さぶる。

・・・

たくさんいたお客さんが一段落したところで毛利やすみさんと記念撮影。お元気でおかわりなくて嬉しい。

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この「神無月」という毛利やすみさんの絵は、非常に黙想的で素晴らしかった。赤いアネモネ一輪とワレモコウと葡萄と鳩笛がテーブルの上にあり、月夜の闇に溶け込んでいるのだが、すべてが追悼の祈りに捧げられているように見える。

青い色は空間が透明になりすぎて使うのが難しいのだが、やすみさんは青を使ってもそこに何ものかが充満して漂う空間を描くことができるのがすごいと思う。

私はなかなか着る機会のないアンティークの刺繍のブラウスに、自作のスズランのコサージュを着けて行った。実は画廊にはいる直前の雨に打たれて、真っ白いブラウスにコサージュの緑色が溶け出して移染してしまったので、黒い上着を脱ぐことができなかった。(そのアンティークブラウスは、帰宅してすぐ色がついた箇所を漂白剤につけたらきれいになりました。)

やすみさんにも「トイレの棚に置いてください」とシロツメクサのコサージュを持参した。布花のコサージュ、とてもお好きだそうで、帽子につけてくださったので良かった。

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2015年6月 2日 (火)

大野一雄先生命日 池田淑人画伯 / 鎌ヶ谷、船橋 

6月1日

きょうは大野一雄先生の命日。

大野一雄先生の思い出は、数々の公演を見に行った時のことや、踊りのレッスンを受けに行った体験など限りない。そして命日でなくても、植物の運動を見ている時に、ことさら大野先生の姿が胸に迫る。

私の初個展に来てくださった時の驚きが、とりわけ強烈だった。

画廊に電話がはいって、誰だろうと思いながら出たら、「お~のです。」と言われて、一瞬誰だかさっぱりわからず、「ええ?!」とびっくりしたのを思い出す。

「あなたの花の絵を見てね。踊りはね、すっすっと行っちゃいけない。苦しんで苦しんでね。手足を伸ばしきれないで、ぐぐっとね。一生懸命伸ばそうとして。あなたの絵の花も、苦しんで苦しんでぐぐっと手を伸ばしている。」と言ってくださったことをずっと記憶している

大野慶人さんといらした一雄先生は、カセットテープを持っていらして、エルヴィス・プレスリーの「Can't Help Falling In Love 」と マヘリヤ・ジャクソンの「I Believe」をかけて踊ってくださった。その時間が何分だったのか、わからない。永遠に止まったような感覚があった。

涙が流れた。

そのあと、大野一雄先生は、「私のおじさんも画家だったんです。」とおっしゃって池田淑人様の93歳の時の絵の図録(1979年、新宿小田急百貨店グランドギャラリー)をくださった。(画像はすべてクリックすると大きくなります)

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池田淑人さんは1886(明19)年生で1981(昭和56)年に亡くなった。

東洋的精神を油彩で描いたような、特異な画風だ。キリスト教の逸話を題材にとるなど、私の氏、毛利武彦と心が通じるところがある。非常に精神的で、削ぎ落とした造形を描くところは、ルオー的なところもある。下の画像の上側の「道化師」という絵がすごいと思った。
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下の画像、左ページの右側の「黒豹」も大好きな絵。

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池田淑人さんはチェリストでもあった。

「よしと」という名前を、大野慶人さんが受け継いだのかな、と思う。

5月30日

母の施設に夕食介助に行く。

1、2週間ほど前から母の口のまわりが赤くただれていたが、きょうは一層ひどかった。看護師さんに聞いたところ、食べ物の刺激でかぶれたらしいとのこと。

折しも、私の口のまわりが赤く荒れてしまったのと同時期である。母と私は皮膚が薄くてかぶれやすいところがそっくりだが、母も私も食べ物の刺激で口のまわりが荒れてしまったのは初めてだ。

東中野のチェーン店の居酒屋で夕食。

若い店員さんが皆、ジャニーズ事務所に所属しているのかと思うほど、明るくてかっこよく、愛想がよかったのでびっくり。煙草の煙が来ないところに親切に案内してくれたのは、(雰囲気が)KAT-TUNの田口くん似の男の子。また楽しくおしゃべりをしながら会計をしてくれたのは、(やはり雰囲気が)NEWSの手越くんに似た男の子だった。

すっかりさびれた細い商店街を歩いていた時に、大きな地震があったらしいが気がつかなかった。昔あった古本屋をめざしていたが、無くなっていた。

駅につくと地震のせいで電車が遅れていた。

5月29日

がんの定期検診に鎌ヶ谷の病院へ。

「なぜかまたやせてしまいました。」(昨年の夏は47kgあったのに、少しずつ落ちて今は42kg代)と言うと、主治医のA先生は「福山さんは仕事に夢中になるとすごく集中するからねえ・・・」と優しい言葉をかけてくれた。

「先生は何か運動はやっておられるんですか?」と尋ねると、すごく恥ずかしそうに「ぼくは、実は・・・水中ウォーキングやってます。」とにこっと笑って答える浅井先生、本当に昔から変わらない。優秀な外科医として有名なのに、なぜかシャイな感じの優しい先生。

きょうは不思議な天気だった。家を出た時は暑かったのに、雨になり、急激に気温が下がった。電車が大きな川を何度か横切る頃には、窓ガラスに雨滴が光っていて、灰色の大きな川が霧で霞んでいるのが見えた。

電車の窓からまるっきり灰色の景色を見て、ハンブルクのブランケネーゼのホルスト・ヤンセンの家から、細い道をエルベ川の岸に降りた時、霧で向こう岸が見えなかった幻想的な空気が思い出された。

診察が終わり、小雨の中を駅の方に歩く途中でシロツメクサの観察。さっそく四葉を見つけた。この鎌ヶ谷のあたりは、信じられないほど緑がないのだが、ほんのちょこっと残っていた空き地に、シロツメクサ、ハルジョオン、ニゲラが咲いていた。

狭い公園にラヴェンダーが咲いていた。

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アカツメクサの葉の上の露が光ってきれいだった。

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ローカル電車に乗って船橋に戻る途中の駅で少し散策。

樹と一体になっている家を発見。このあたりは味のある古い建物がなく、つい最近建ったらしい同じような外見の建売住宅がびっしり並んでいるので、本当に珍しくこういう個性的な家が残っていると嬉しくなる。

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これも何の建物なのかわからない不思議な廃屋。

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中に螺旋階段が見える。

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石を投げ込まれたのか、何か所もガラスが割れていて、そこに内側から紙を貼ってある。

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雨の中を歩き疲れ、船橋の雑居ビルのはしっこのお寿司屋さんで食事。遠くの地方を旅していて、さびれた町でふらっとはいった店のような場末感が素晴らしいほっとするお店。

愛想のいい年配の女性の店員さんが親切で、まだ5時前だからとサラダとアサリの味噌汁とデザートをサービスしてくれた。お寿司は全品135円というリーズナブルさで、ウニやイタヤ貝の貝柱を食べた。おなかいっぱい食べてなま絞りグレープフルーツサワーを飲んでも1400円ほどだった。

帰宅してちゃびを抱いて体重を計ったら、計46.5kg。ちゃび3.7kg(増えてる~)私42.8kgだった。

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