阿部弘一先生のお宅訪問 毛利武彦先生の画
6月27日
朝、雨だった。午前中に家を出、阿部弘一先生のお宅へ。
阿部弘一先生は詩人で、ポンジュの『物の味方』(1965)、『表現の炎』(1982)、フランシス・ポンジュ詩選』(1982)なども訳された方だ。詩集は『野火』(1961)、『測量師』(1987)、『風景論』(1995)などがあり、現代詩文庫にもはいっている。
玄関で『あんちりおん3』への寄稿の御礼を申し上げた。
玄関には、阿部弘一先生のご親友であり、私の師である毛利武彦先生の版画がいっぱい飾ってある。阿部先生の詩集の装丁は、最初の詩集『野火』より以前の、同人誌『軌跡』の時から毛利武彦先生が画を描いている。
上の画像の、壁の上段真ん中の絵が阿部弘一先生『測量師』のカバーの絵。
タンポポの穂綿を決して丸く描かず、種子が離れていく時のもっとも面白い瞬間を描いていることに、徹底して俗を嫌った毛利武彦らしさがある。
毛利先生は非常に厳しい師であったが、多くの教え子に慕われていた。
阿部弘一先生はというと、今時どこにもいないほど敵意と拒絶の意志を持って文壇・詩壇との関わりを断った詩人であり、人の集まるような場所に出向くことはない。
私の個展はずっと見ていただいているが、こうして、やや強引にだがお宅を訪ねることによって、久しぶりにお目にかかれてたいへん嬉しかった。
大正9年、阿部先生のお母様が教職についた頃に弾いていたという古い貴重なオルガン。このオルガンや、阿部先生のご両親についての文章、フランシス・ポンジュ訪問記などのエッセイは、同人誌『獏』に書かれ、現代詩文庫『阿部弘一詩集』(1998)に納められている。
阿部先生が弾くと、抵抗感と温かみのある本当に大きな風の声のような荘厳な音が広がった。
このオルガンは引き取ってくれる演奏者を探しているということだ。
阿部弘一先生は椿がたいへんお好きで、椿の樹だけで70本もあるという古い庭を案内してくださった。
椿の中では、やはり侘助が一番好きだと言われた。いくつかの椿の樹は紅を帯びた艶やかな実をつけていた。足もとには可憐なヒメヒオウギが咲いていた。
美しい苔にまみれた梅の樹。「あなたは苔が好きなんだよね。」と笑って言われた。
この日、たいへんなものをお預かりしてしまった。阿部弘一先生の詩集の装丁のために描かれた毛利武彦先生の画だ。
下の画像は、使われなかった装丁案の画(黒い背景にヒメジョオンの花が白く描かれている)と、阿部弘一詩集『測量師」の中から、毛利武彦先生が抜き書きしたもの。
そこから 退いていった海
そこで氾濫しかえれなくなった河
砂になった水
そこにまだ到着していなかった
人間の声 (「幻影」より)
では これが解なのか
風よ 野を分けて行くものよ
だが 私たちにどうして
死と生と この涼しい風のひと吹き
の意味とを 識別することができる
だろう (「夏」より)
一昨年 ひめじおんの風播を試みて失敗してしまったのです
『測量師』の中に幾度か「ヒメジョオン」ということばがでてくる。
阿部先生の未刊行詩編の中にも「ヒメジョオン」という詩がある。その「ヒメジョオン」という詩から少し抜き書きしてみる。
盲目の私たちのあかるすぎる視野いちめんに
おまえはそよぐ
おまえの無数の白い花でさえひろがりの果てで風にまぎれ
私たちの何も見えぬ視野をいっそう透き通らせて行く
それはかつて誰のまなざしの世界であったのだろう
夏の野に突然おまえを浮かび上がらせはるかな風を誘い出し
その広がりのままおまえから夏のおまえの野から不意に視覚をそむけてしまったのは
一体誰なのだろう そしておまえの野と向きあっている私たちのとは別の
もっと大きいどんな盲目にいまそのひとは耐えているのだろう どんな
内部の暗闇の星につらぬかれて深く視野の叫びを秘めているのだろう
下の画像は『測量師』の別丁扉。
下の2枚は、同じ別丁扉に使われなかった画。
下の画像は、昭和31~32年頃、阿部弘一先生が28~29歳の時に、つくっていた文芸同人誌『軌跡』の表紙。
下が毛利武彦先生の原画。よく見ると線の方向や人物らしき影の位置が違うので、下の画から、さらにヴァリエを制作して『軌跡』の表紙としたようだ。
阿部弘一先生にたいへん貴重なものを預かったこと、私の心から尊敬する詩人がそれを私に託してくださったことはありがたいが、重い。
大切なものを保存、保管してくれるところがないこと、それを保管しても、誰が読み継いでいくのかということ。
私も、自分が何かを書いて、たいへんな思いをして本を作っても、誰が読んでくれるのだろうか、と常に考えている。絵を描いても、それを廃棄しなければならないかもしれないことを常に考える。
私の鬱の原因のほとんどが、この問題に起因する。
6月26日
アマゾンが本を2割引きで販売する話、大手出版取次業が倒産した話のニュース。
出版不況の閉塞感、絶望感に鬱々としてくる。
本当に読まれるべきもの、残すべきものが残せないで、一般に売れる本、つまり気晴らし的なものしか売れない世の中は恐ろしい。
6月25日
夕方、阿部弘一先生の家を訪ねたがお留守だった。
和田堀給水塔は、不思議な城のような、強烈に惹きつける古い建造物だ。一番古い部分は大正13年につくられたらしい。この敷地内にはいって自由に撮影できたらどんなにいいだろうと思ったが、残念なことに今は壊されているところで、柵の外からしか撮影できなかった。
初めて降りたこの駅は不思議な場所だった。駅前に、ほんの少しだが戦後闇市のような小さな長屋のような食べ物屋が連なり、そのほかはこれと言った商店街はない。
住宅街を歩く途中、ぽつんとある銭湯を見つけた。その壁にオロナミンCの錆びた看板が残っていた。
下は裏から見たところ。
小田急線の方へと歩いて行くと、先ほどの闇市とは対照的な、巨樹の影に瀟洒な建物が続く恐ろしいほど豪奢なお屋敷町となる。
木々は100年以上は生きていそうであり、「昔はあそこらへんは風のまた三郎が出て来そうなところでした。」と阿部弘一先生がおっしゃっていた。
大きな熟れた実をつけた李の樹があったので撮っていたら、著名な批評家Hさんのお宅だった。
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