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2015年8月26日 (水)

若林奮展「飛葉と振動」 葉山

8月22日

若林奮展「飛葉と振動」を見に神奈川県立近代美術館葉山へ。水沢勉館長のトークがあるのでこの日を選んだ。

とても敬愛していて、なにかと目をかけてくださっていた若林奮先生が亡くなった時、私はどうしていいかわからないほど悲しみ、動揺した。私にとって、現代に生きて「芸術」をやっていくことの精神的支柱がなくなってしまった。もう真っ暗闇で何の希望もないと思った。

私にとってそれほどの存在だった若林先生の大きな展覧会を見に行くのは久しぶりで、怖いような、緊張するような感じもあった。

水沢勉館長のトークは本当に的を射ていて、知的にも感覚的にも痺れるように素晴らしかった。

水沢勉さんには『あんちりおん3』にも、もったいない文章をいただいているが、本当に正直で信頼できる批評家だと改めて尊敬の念を強くした。

いくつかの作品の前でお話を聞きながら4つの大きな部屋を回る、全部で一時間ほどのトークだった。濃いお話ばかりだったので、私はA4ほどの紙に、小さい字で夢中でメモした。

その中からほんの一部を書きとめておく。

・・・・

水沢勉館長のお話(聞き書きメモより)――

若林奮の「振動」という概念は、世界は揺らいでいる、振動しているという意味で、60年代後半からのものだ。「もの」が震え続けているというのは、どういうことか。

「振動」という言葉は、もともとモニュメンタルなものだった「彫刻」とはなじまない。

しかし若林奮は、彫刻概念も「微妙ではかなく変化しているもの」としてとらえた。

若林奮の残したたくさんの仕事を見渡すと、試行錯誤しながら過去の経験が純化され、全体が「作品」となっているように見える。

極東の小さな国日本で、一番の基本に立ち戻りながら、若林奮が続けた、どれだけ彫刻の本質に迫れるかという困難な仕事は、戦後文化に批判的な問いを投げかけ続け、世界の文化に大きな貢献をした。

それは我々が存在しているある「長さ」、「世界の中に私たちがいる」ということに対しての問いを投げかけ続けている。

「自分の方へ向かう犬」(1997)

動物、植物、地形。彫刻をつくる主体とは。

鉄も液体になって気化する。鉄の雨の降ることもある。物質が安定していると思っているのは間違い。物質は微妙でアンバランス。

精確に知ること、世界がある程度わかること・・・「所有」

若林奮にとって「犬」は世界との距離感を我々に教えてくれるものだった。

古い傷ついた角柱の中に犬を彫ったものを埋め込んだ。水が角柱であるという設定(木は犬が泳いでいる泥のような水)。

犬が自分のほうに向かって泳いでくる。犬の時間と自分の時間の交錯。安定がほどけてゆく。

消失点のある遠近の安定とは異なる異質なものに気づく。

犬は身近にいて一番ものを教えてくれる存在。

若林奮において「やりたいことの核」は最初につかまれている。象徴的作品。

彫刻の長さはフィクション。

ポリフォニー。同時にいろんな音が流れている。

庭は放棄されて破壊されて終わるしかない。個体の生命体を超えて行く。

犬は分身だが自分ではない。

「犬から出る水蒸気」(1968)

どこから見るのが一番いいのかわからない。

むくむくとしたかたち。犬から出る水蒸気、エネルギーをどういう風に造形化できるか。

犬のしっぽ。4本の指の跡は、ものに触れる、触れた瞬間イマジネーションができるしるし。

おしり、しっぽのほうに指の跡をつけたのは、そちらのほうから始まるというしるし。

溶接の隈のようなもの。どうやって鉄の板でこんな作品をつくれるのか、見る人を驚かせた圧倒的な技術と迫力。

「中に犬・飛び方」(1967)とともに宇部と須磨での受賞作品。

「多すぎるのか、少なすぎるのか」

野外彫刻と自分の彫刻をどうつじつま合わせるのかの問題。

「3.25mのクロバエの羽」(1969)

万博公園にある。1970年万博、戦後復興に浮かれていた野外彫刻ブームへの疑問。パブリックな表現として受け入れられないものをつくった。

「69-56」

クロバエのデッサン。クロバエの飛ぶスピードによって空間が熱され、空気が圧を受けて変化する様子。水の塊が落ちてきてハエとぶつかるとどうなるか。

「69-79-A」

巨大なクロバエの頭。FRP強化プラスティック。人工的。丸みを帯びたつるっとした手仕事へのこだわり。

「地表面の耐久性について」(1975)

初期のオブジェから次の段階へ。野外彫刻のひとつのありかたとして。

「大気中の緑に属するもの」ヴェネツィア・ビエンナーレ。

世界との関わりを表現する試み。小金井から見える丹沢の風景。「日本の風景でなければいけない。」若林奮の「原風景」、体験。

風景、自然そのものが作品になる。開かれた作品。

「庭」

リヒトゥング・・・光がそそいでいる状態。ハイデガー、「存在の明るみに出会う」、「ロゴスのすみか」、森の中、「杣道」にそこだけ光がそそいでいる場所。

「100線」No20、33,47

ポケットに入れて持ち運べる彫刻。砂で作った波。

「緑の森の一角獣座」

敗北するのはわかっていた。どういうかたちで種をまくか。

霧島アートの森「4個の鉄に囲まれた優雅な樹々」

ドローイング・・・習作的なものとビジュアル的な完成予定図のようなものの二種類がある。

花盛りの森、完成図。

・・・・

トークが終わり、少し水沢さんとお話をし、もう一度じっくりと全作品を見てまわったあと、別室で「霧島アートの森」に関する若林先生のインタヴュー映像を見た。

久しぶりにお会いしたような強烈な感覚に打たれ、しばらくそこを動けなかった。若林先生は若々しく、背が高くて少し猫背で、姿が美しく、声が抜群によく、決して朗々とではなく、ぼそぼそと、精確に誠実に話す姿は昔のままだった。

4回繰り返して見て、若林先生が話していることをほぼ全てメモした。

その中の核心は、次の言葉にあると思う。

「人間の美術はすばらしいものだと思うのですが、人間がわからない部分とか人間の手に負えないものがあるということを我々は気づかなければならないと思っている」

「本来、こういうものは作者の名がなくなってもいいのかもしれない」

「作品として尊敬というより、生きている植物に対する尊敬というものを持ってほしい」

・・・・

若林奮の作品は、初めて見る人には非常にわかりづらい。なにかの似姿をつくっているのではなく、単に抽象的なオブジェをつくっているのでもないからだ。

若林奮は、むしろ彫刻には成り得ないものを彫刻にしようとした。

たとえば犬の似姿(外形)をつくるのではなく、犬の出している水蒸気や、犬の飛び方のほうを彫刻の題名にした。

若林奮の考察は、残された膨大なドローイングからも、たどることはできるだろう。それは思いつきや、ましてや思いこみでも、勝手な妄想でもありえず、誠実であればあるほど終わりがなく、恐ろしいほど緻密になっていく「手の思惟」が描くものだ。

しかしそのドローイングも、何が描いてあるのかを完全に理解することなど誰にもできない。

むしろ若林奮のメッセージは、かなり乱暴に言えば「安易にわかったと思うな」「やりたいことをやるのではなく、やってはいけないことを考えろ」ということだと思う。

若林奮の作品には、人が実際は何もわかってはいないのに、わかったような気になって、言葉で自己防衛しながら安易に欲望を満たしていく傲慢さへの痛烈な批判がある。

「判ると思える部分は膨大な量の判らない部分を含めて考えなければならない」(「対論・彫刻空間」より」)

若林奮が、他の芸術家がやっていることに対して「あれはよくないですよ!」とはっきり名指しで、激しい怒りをこめるように、私に言ったことが(少なくとも二人について)ある。その時、その正直さと、私にはなぜ怒っているのか説明をしなくても通じると思ってくれていることに、とても感動した。

私が実際に若林奮に会って話した時間というのは、もしかしたら若林奮からすれば、ほんのわずかな瞬間でしかなかったかもしれないが、そうした時間のうちにあっても、若林先生は、若輩の私に対して、まるで一人前の作家であるかのように扱い、敬語を使って話してくださったことに驚き、感激した。

不遜に聞こえるかもしれないが、人間だけのための、人間だけに向けての「アート」の世界が苦手で、動物、植物のほうに気持ちが向いているところで以心伝心のようなところはあったと思う。

佐谷画廊の打ち上げで食事に行って隣に座った時、箸袋に、そのとき若林先生が飼っていた二匹の猫の名前と、それぞれ何で遊ぶのが好きかを書いてくれた。

若林飛葉(比葉)―エアキャップ好
   振―――――猫ジャラシ好

私はそれを大切にとっておいた。「飛葉」(ぴよう)と「振」(ぷり)という名は、まさに今回の展覧会の題名でもある。

Sdsc06724_0000

その時、「前の猫は、霧と煙という名前でした。以前、僕の展覧会の題名で「霧と煙」っていうのがあったんですよ。それについて、いろんな批評家がね、「霧と煙」っていったいなんだろうってね、いろいろ書いたんです。うちの猫の名前なのにね。」と若林先生はくすっと笑って言った。

それから若林先生は「猫を大切にしてくださってありがとうございます」という手紙とともに猫の写真を送ってくださった。

若林先生は、なにをやっても「美術」や「絵」になる、という認め方はしなかったと思う。非常に厳密に、「ぼくが思う絵の範疇に入っている」という言い方をした。

「僕は、自分が撮られた写真ね、自分の顔が嫌いなんです。なぜなら、僕は、いつも非常にいかつい、しかめっ面をしているから。でもあなたと一緒に撮られた写真はね、僕は優しい顔をしている。だからあなたと一緒に映っている写真の自分の顔は好きなんです。」と言ってくださった若林奮先生。

S0002_3

「僕、服のモデルをね、やったんですよ。その写真を福山さんにぜひ、お見せしなきゃ。」と少し恥ずかしそうにおどけるように言っていた若林先生の顔と声が何度も蘇ってきて涙が出てきた。

・・・

若林奮「地表面の耐久性について」という野外彫刻とともに。画面左側の短い辺のほうが正面。そちらから見るのが正しいが、植込みがあるので正面側からは撮れなかった。

Sdsc06653_2

美術館の裏手に、海へと続く細い素晴らしい路地があった。しみのある壁のうしろから、もう焦げはじめた夏の木々がせり出していて、細長い空間に光がそそいでいた。

この撮影をした次の日に、まさにこの路地から自動車道路に出た場所で死亡ひき逃げ事故があったニュースに驚いた。美術館前の車道は曲がっていて視界が開けていないので、一色海岸あたりに行く人は飛び出してくる車に細心の注意をしてほしい。

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海へ向かう途中に再び美術館の敷地に裏から入れる入口があり、砂の上に遺棄されている転覆した船のようなオブジェが素敵だったので、そこで休んだ。

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あまりにも濃い内容の展示と素晴らしいトークに、五感は激しく刺激され、快感と感動があると同時に、午前中から家を出て、5時の閉館までずっと見ていたせいか、とても疲労した。

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脹脛が幾度も攣りそうになった。廃船のオブジェのうしろにヒメムカシヨモギが咲いていた。
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美術館の生け垣のあいだから、か細いタカサゴユリが首を伸ばして、真っ白な花を咲かせていた。この百合は生け垣の下にいては光が届かないので、健気にも高く背を伸ばして咲いたのだ。

塀と木々に挟まれた狭い路地から眩しすぎる海が見えたが、強烈な光が怖い。私は日陰のひょろひょろっとした植物が好きだ。
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日光が苦手なので茶店の影に隠れるようにして、一瞬だけ浜に出た。貝殻を拾いたかったのだが、なかったのですぐ戻った。きょうは遊泳禁止だそうだが人は多かった。

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バスで逗子駅まで戻った。路地に堂々とした看板三毛猫を発見。

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市場が終わって休憩しているお父さん。古いお米屋さんとお食事処の猫。「あっ、ねこだよ!」と赤い服の女の子が叫びながら通って行った。
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鎌倉で途中下車し、駅ビルの気どらない店で夕方6時に、この日最初の食事。

そのあと暗くなった御成町あたりを少しだけ歩いた。私の好きな古い図書館の建物の屋根の上にちっちゃな朧月が乗っかっていた。

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