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2015年10月20日 (火)

大野慶人「花と鳥 舞踏という生き方」 / 野毛

10月18日

「大野一雄フェスティバル2015『生活とダンス』」のなかの、大野慶人ダンス公演「花と鳥 舞踏という生き方」を見に、横浜のBankART Studio NYK へ。

すぐ裏に海を見渡すこの会場は、大野一雄先生が亡くなった時に、追悼の展示があった場所、大野慶人さんが黒いスーツを着た大野一雄先生の姿の指人形の踊りを演じるのを私が最後に見た場所だ。

3階のフロアに大野一雄先生にまつわる展示があり、その中に、今年6月19日に急逝された室伏鴻さんの写真と映像があった。

下の右側が室伏鴻さんの舞踏の写真。左は中西夏之の絵。(画像はすべてクリックすると大きくなります)

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下は舞踏の映像。室伏鴻ソロ作品「quick silver」の完全上映。

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大野一雄舞踏研究所で行われた大野先生のレクチャーを、映像とイヤホンからの音声で体験できるコーナーもあった。

下の画像、正面にあるのは、大野一雄先生がいつも座っておられたお気に入りの椅子。

これは妻有の河川敷で中川幸夫先生と「天空散華」を公演された時にも大野一雄先生が座っていた、

その踊りのあとも光と小雨に濡れ、赤や黄のチューリップの花びらにまみれて、暫し河原に置いてあった、白い塗りが剥落して緑色の下塗りが絵画のように出ている、素晴らしく美しい椅子だ。

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大野一雄舞踏研究所の模型と、その向こうに研究所の写真、それと研究所で実際に使われていた窓。
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開演を待っていたら、受付に笠井叡、久子夫妻があらわれる。

笠井久子さんとは、笠井叡、麿赤兒公演『ハヤサスラヒメ 速佐須良姫』にご招待いただいて以来、久しぶりにお会いできたので、すごく嬉しかった。しばしお話しする。

・・・

2時少し過ぎに開演。一番前のほぼ真ん中の座布団の席をとった。

演目は、まず「鳥」、そして土方巽が大野慶人さんのために振付けた三部作、土方巽三章(「死海」より)。クラウス・シュルツェの宇宙の暗黒に広がっていくような機械音にのせて、とても懐かしい踊りを見た。

・・・

衣装替えの幕間に、大野慶人さんが出演された映画「へそと原爆」(1960年、細江英公監督・脚本・撮影)が上映された。

この映画は、たった14分であるが、私には恐ろしく長く、筆舌に尽くしがたいストレスだった。

鶏を傷つけて、その鶏が海に逃げ込んで苦しみ悶え、死にゆくさまをえんえんと撮っている。

「舞踏」の起点に「燔祭」があったとしても、その映像に、なにかの「生贄」とか「供物」といった意味合いは読みとれないし、読みとる気にもならない。

あるいは、敗戦後まだ15年しか経っておらず、人や動物たちが大量に死んだ記憶も生々しいその時代に、たとえ一羽の鶏の命の重さなど感じられようもないとしてもだ、食うためでさえなく、映像作品として仕上げられる表現のために、それを殺すのは、私には受け入れられない。

それはメタファ―でもなんでもない、たんなる残虐行為だ。私はこの映画に限らず芸術家と呼ばれる(あるいは呼ばれたがる)者によくありがちな、そうした驕りを許せないと思っている。

映画の冒頭、土方巽の腕など身体の一部が映し出されるが、運動する人の足もとに、ふわっと白い鳥の羽根が飛んで来た時点で、ものすごく嫌な予感がしたので、そこからはできるだけ画面を見ないように下を向いていた。

細江英公の、土方巽や大野一雄を撮った多くの写真は、本当に素晴らしく魅了されるが、この映画には拒絶反応しか持てなかった。

・・・

私にとって吐き気と脂汗が出る地獄のストレスの14分の映画が終わり、

やがて耳をつんざくバッハの「トッカータとフーガ」のパイプオルガンの大音量とともに、山盛りの大振りな造花をのせた帽子、黒いドレスに白い綿レースのマント、ハイヒールのディヴィーヌ登場。

思いっきり艶やかに、たっぷりと。

すぐ近くの床から、私はライトに照らされるディヴィーヌの顔を見上げていた。

斜め上を切なく見上げ、失われたものを見つめるように小首を傾げるディヴィーヌ、慶人さんの眼と鼻の線は一雄先生そっくりだった。

時がねじれて空気が震えながら回転しているようだった。

ディヴィーヌが舞台の上のレースマントに顔を埋めるように倒れて、暗転のあと、今度は金色のアールデコ風のレースのドレスで登場。

そして「浜辺のうた」に合わせて、夢見る少女のように、時折スキップして踊る大野慶人。

「あした浜辺をさまよえば 昔のことぞしのばるる・・・」

長い長いピアノの間奏、もう涙がこぼれて止まらなかった。

盛大な拍手のあと、アンコールで華やかなタンゴ。

この曲は1998年の「世紀末からの跳躍 天道地動 土方巽とともに」(世田谷パブリックシアター)のとき、笠井叡さんと元藤燁子さんが踊ったタンゴの曲だ!

もしかしたら違う曲なのかもしれない(私はその曲名を知らない)が、私には、あのときの背筋を反らせ眉をそびやかしてリードする稀代の伊達男のような笠井叡と、嬉し恥ずかしそうに頬を上気させる長いドレスの元藤燁子のタンゴの踊りが鮮やかに見えたのだから。

もしかしたらあれは幻だったのかもしれない。舞踏とは、なんと胸に残る幻なのだろう。

大野一雄先生の踊りを夢中に見ていた頃のこと、あの時の緊張と興奮と胸が苦しくなるような痛み・・・、種村季弘先生もまだお元気で、あのシンポジウムの日、私は種村先生に赤いカンガルーポーの花束を渡した。いろいろと目をかけてくださったこと・・・、時が確実に過ぎていることがつきつけられて、どうしようもなく哀しかった。

それと同時に、大野慶人さんの中に大野一雄先生が生きているのを見て、なんとも言えない感動があった。

二度目のアンコールでは、慶人さんが演じる黒いスーツ姿の大野一雄先生の指人形が、「愛さずにはいられない」を踊った。

この曲は私の初個展のときに(私には予想だにできなかったことだが)、大野一雄先生が来場されて持参のカセットテープをかけて踊ってくださった曲で、私にとってはとても堪らない涙、涙の思い出の曲である。

大野一雄先生、そして種村季弘先生・・・、中川幸夫先生や若林奮先生も亡くなり、私の絵の直接の恩師、毛利武彦先生も亡くなった。私も母の介護などで身辺が慌ただしくなり、昔のようにいろんな舞台や展覧会に行くことも、本当に少なくなった。

私にとって心から尊敬し、愛する人たちが亡くなるたびに、私の身体は激しい損傷を受け、そこからうまく回復できなかった。

それとともに時代が急速に変わり、私の傷ついた身体が浅く軽く平準化された「言葉」に覆われていくことに、どう折り合いをつけたらいいのかわからなかったのだ。

偉大な師たちが私に残してくれたものをもって、私がこれからどう生きていけばよいのか、それを突きつけられるようで、たまらなく苦しかった。

舞台にいるときだけが「舞踏」なのではない。大野慶人さんは「舞踏という生き方」を生きている。

私も「絵描き」とは「生き方」なのだと思うし、そうありたい。

・・・

舞台が終わってから、見覚えのある大野先生のスタッフのかたと少しお話しした。そのスタッフのかたはきっと覚えていないだろうが、2003年の銀座エルメスギャラリーでの中川幸夫先生の展覧会に、大野一雄先生が車椅子で来られたときにお話しして以来なので、実に12年ぶりだ。

そのかたは長年、大野一雄先生の介護をされたかただが、今も大野先生宅の近くに住んで、ご本人も舞踏を続けていると聞いてじーんとした。

一階のカフェに大野慶人さんが降りて来たところで、一緒に記念撮影をしていただいた。

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ちなみに、下が1998年「土方巽とともに 天道地道」の公演後に一緒に撮っていただいた写真。大野慶人さんと。
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大野一雄先生と。
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いつも優しい笑顔で握手してくださった大野一雄先生。
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下は「土方巽とともに」最終日、出演者アンコールの華やかな踊りのあと、クロージングパーティーの時の笠井叡さんと。

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・・・

大野慶人さんの舞台を見た後、かつて大野一雄先生が細江英公さんに撮影された(この写真は本当に素晴らしかった)場所、根岸競馬場跡の建物を見たくて根岸に行った。

根岸の駅からはすごく美しい工場が見えた。

工場の反対側の小学校の横の山道を、落ちて行く夕陽の速度と競争して走って登ったら心臓が破れそうだった。

米軍施設横に森林公園があり、その入り口から競馬場の廃屋の3つの塔が見えた。もう暗くなりかけていたので、その方角だけを確認して、きょうは撮影を諦めてバスで日ノ出町へ向かった。

種村季弘先生の『徘徊老人の夏』のカヴァーに使われた写真の場所、「都橋商店街」に行きたかったのだ。

下が種村季弘『徘徊老人の夏』(1997年、筑摩書房)のカヴァー。1964年の東京オリンピックのときに建てられたという、なめらかなカーヴもモダンな、怪しげなちっちゃな飲み屋がびっしり詰まった建物は、種村先生の好きそうな場所そのものだ。

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下が本日撮った都橋商店街。18年経って、お店の名前はほとんど変わってしまっていた。

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と思いきや、なんと種村先生のカヴァーで目立っている「バラエティショップ 北欧」の文字が、今は「かりゆし」になった店の赤いビニールの庇にうっすら残っていた!

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「MIYAKO BASHI 都橋商店街」というアーチ看板は無くなっていたけれど、ビルには文字がついていた。
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その後、野毛をうろつく。立ち飲みの店がたくさんあるが、若い人で賑わっていた。

「もみぢ」というとっても素敵な御菓子司(おんかしつかさ)を発見。Sdsc07269
その隣の二階の「サンドイッチ アイスクリーム 珈琲」という文字のある木枠の窓も素敵。

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「旧バラ荘」「元バラ荘」と書いてある不思議なかたちの建物。
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「野毛大仮装 世界発!野毛発!ハシゴ酒ハロウィン」と書いたポスターが貼ってある。

朝から何も食べていなかったが空腹を感じず、夢中でたくさんのものを見た一日だった。

帰りに種村先生がよくやってらしたように、駅の売店で缶ビールを買ってホームで飲もうと思っていたのに、みなとみらい線の駅の売店が閉まっていたので残念だった。

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