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2015年10月29日 (木)

味戸ケイコ個展―あわいのひかり―

10月26日

味戸ケイコさんの個展ーあわいのひかりーを見に銀座のスパンアートギャラリーへ。

(2015年10月26日~11月7日 最終日は17:00まで 日曜休廊)

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久しぶりにお目にかかれて、たいへん嬉しかった。

味戸ケイコさんと、「桜のアリス」と「薔薇のアリス」の絵とともに。

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「桜のアリス」は着物姿のアリスが兎や栗鼠やティーカップやトランプカードを桜と一緒に抱きかかえている。

「薔薇のアリス」は猫や鳥や王冠をかぶった芋虫やキノコを薔薇と一緒に抱きかかえていて蜥蜴が逃げ出している。

会場風景。

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ほかにも暗闇の中、蝶が溢れて光る草原に佇む少女、

浜辺の水際で跳ねる少女――まわりは薄暗く浜に映った少女の影の部分が光になっている、

人気のないサーカスの旗やテントの前で風に吹かれている少女、

夜の庭の透き通る野薔薇の中にいる少女、

暗くなって見えなくなる寸前の夕焼けの雲の下の少女など、

無口で淋しげな少女と、ゆっくりと動き息づいている「あわいの光」を描いた作品が並ぶ。

味戸ケイコさんの描く少女は、皆が集まる賑やかなところには入っていかず、ひとりでぽつんと淋しい場所にいる。

そこは静かで孤独なのだが、そっと虫や植物が寄り添い、温度や湿度を変える風や、心地よい闇や、移ろいやすい光で満ちていて、決して空虚な場所ではない。

そこに蠢いているものは微細でおとなしいものだが、生命の強度を持って語りかけてくる。

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たいへん迷ったが、少女がじっとこちらを見つめている絵を購入した。

子どもだった頃からずっと心の中にいる少女が、私の部屋にいて、私が絵を描くのを見ていてくれるように。

・・・

私の着ていた黒のベルベットの服を見て、味戸さんに「自分で作ったの?」と訊かれた。すべて高円寺の古着屋でごく安く買ったもの(マーガレット・ハウレル、アン・テイラー、シビラなど)だが、「最近はこういうのないから。ベルベットでしょ。なつかしいわ。」と言われた。

毎年、秋が深くなると黒いベルベットがたまらなく着たくなる。これも幼い頃から私が憑りつかれている憧れだ。今よくあるポリエステルの「ベロア」と呼ばれているものとは違う、伸縮しない生地で、深い漆黒の艶のある昔風のベルベット。

味戸ケイコさんが鉛筆だけを気が遠くなるほど重ねて描く、深い、懐かしい闇もベルベットに似ている。

味戸ケイコさんの故郷の函館の海について以前書かれた文章が素晴らしかったという話から、「私は西新宿で生まれたので、街はすっかり変わってしまいました。」と言ったら、味戸さんも一時期、新宿に――私の強烈な憧れであった1960年代初期の新宿に住んでおられたと聞いて興奮した。

1966年まで曙橋近くに住み、そこから多摩美に通っていたという。

寺山修司の映画に出てくるような、本物の「ろくろっ首」の見世物を、当時の花園神社の縁日でやっていたと聞いてびっくり。

赤テント、黒テント、天井桟敷の芝居小屋、ごちゃごちゃした出店や、まだ草ぼうぼうのところも多くあった新宿。味戸さんはその頃流行っていたジャズ喫茶にも通っていたそうだ。

・・

私が子どもの時の味戸ケイコさんの絵との出合いは衝撃だった。

非常に内向的な子であった私の心の奥に、そのまま重なる世界。

他の人にはなかなか理解されることのない、言葉では説明できないもどかしいもの。

だが自分がいつも夢中で見ているものを、ちゃんと見ていて、絵にしてくれている人がいるということ。

夕焼けの雲がどんどん翳っていき、最後の暗い鼠色の帯になって見えなくなるまで、たえず変化し、ぎらぎらしたり、澱んだり、ぼおっと柔らかく放射する、濃いグレーからまばゆい銀色までの雲のかたちを、漫然と眺めるのではなく、細部までも一瞬一瞬の絵として見つめている人がいること。

『あのこが見える』はわたしにとって忘れがたい絵本である。

やなせたかし責任編集の『詩とメルヘン』で、安房直子さんの文章に味戸ケイコさんが描いていた絵も強烈に心に残っている。

今頃の季節には、味戸ケイコさんの描いた独特なコスモスと澄んだ冷たい空気の感触がよみがえる。

コスモスの葉のような文字のはがき。この(コスモスたちが書いた)手書き文字の絵が、2005年に刊行された単行本『夢の果て』には載らなかったのがすごく残念だ。(『詩とメルヘン』1974年12月号「秋の風鈴」より)

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下の絵は、風鈴のほかは何もない貧乏な絵描きの部屋で、よく見ると床の上の暗がりの中に硬質なパレットと一本の筆が置いてあるのがすごいのです。そのパレットについた絵の具は、闇の中でぎらぎらと光っているのです。

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下の、コスモスが一斉に咲いた朝の絵も『夢の果て』の単行本には掲載されていなくて悲しかった。
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こちらも私の大好きな絵。小学館文庫の楳図かずお『おろち4 秀才』のカヴァー(1977年)。

「秀才」と併録されている「眼」の内容からのイメージだろうが、暗い工場を背景に突っ伏した少女の背にぼおっと咲くコスモス。(ちなみに私は楳図かずおの『おろち』シリーズが大好きなのだが、その中でも「秀才」「眼」は特に好きな作品だ。)

黒々とした工場を映す水の反射と、光を発するコスモスと、ていねいに描かれた髪の毛の対比がぞくっとするほどかっこいい。

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