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2016年1月

2016年1月29日 (金)

カマキン水沢勉館長からメール

1月28日

朝早く、カマキンの水沢勉館長からメールをいただいていた。そのメールを一部引用すると、

「村山槐多の言葉は「絵馬堂」です。「絵窓」ではありません。ぼくの声が寒さで震えていたので、聞き取りにくかったかもしれませんね。

facebookにそのことを書きました。」

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1671514936461994&set=a.1449261905353966.1073741828.100008105107577&type=3&theater

水沢勉さんに「絵馬堂を仰ぎて」と伺って、『ユリイカ』の「村山槐多」特集で読んだ記憶が少し蘇えってきた。
水沢勉館長のfacebookの文章を読ませていただいた。村山槐多についての文章がなんとも言えず切ない気持ちにさせられる。
「「・・・神社の絵馬堂で、日本画に限らず版画や油絵や水画やブロンズの裸像を見る事..のできる日。柏手(かしわで)の物寂びた音と共に、未だ若い人の声が、マチスやピカソを語り合う声・・・。そして敬神の日の、この古都に来たらんことを事を切に待つ。

 「古都」を「京都」ではなく、「鎌倉」と読みかえれば、16歳の槐多さんが「切に待つ。」と大正
初めに願った夢は鎌倉の近代美術館に40年後にはみごとに実現していたのです。夭逝されなければ、開館の年(1951年)に、槐多さんはまだ55歳ということになる。」(水沢勉facebookより)
カマキン開館の年に槐多が生きていたら55歳ということに驚く。大正時代の人という印象が強いが、この場所にしっかりつながっている。槐多が生きていてくれたなら、この素晴らしいカマキンという場所を堪能して、またすごい絵を描いただろう。
水沢勉さんのfacebookでは、また、若林奮先生の写真を「「ウルカヌス」的・・・」と表現されていた。
若林奮先生は誰もが惹かれてしまうほど、姿も声も仕草も素敵だった。それなのに私に「僕はね、自分の顔が嫌いなんです。」とおっしゃって、とてもびっくりしたことがあった。
ウルカヌスとはローマ神話の火の神で、ギリシャ神話のヘーパイストスと同一視される。よく種村季弘先生がヘーパイストスのお話をしてくださったことを思い出す。
ヘーパイストスは両脚が曲がった奇形の子で海に落とされて、海の底で何年も過ごした、とお話しされていた。芸術家は半身はこの世、残り半身はあの世にある、と。
種村季弘先生と一緒に陽を浴びて歩いたのは、鎌倉でも葉山でもなく、湯河原の海だ。けれど強く輝く陽光は似ている。
「ヘーパイストス」という名前と同時に種村先生姿を思い出す。あの日、光っていた山桜と蜜柑の樹と、石切り場と、葡萄色の山鳩が見える。
また種村先生の奥様の笑顔を思い出す。亡くなっていたと聞いた時、ものすごいショックを受けた。なんともかわいい素敵なかただった。
時間というものがなんとも切なく、不思議に感じられる。
2月には、また府中市美術館に若林奮先生の展覧会を見に行く予定だ。若林奮先生や種村季弘先生のことを思い出しながら。
・・・
1999年の夏に水沢勉さんとカマキンのカフェでお茶を飲んだ時の写真。本棚から発見されたので載せておきます。たぶん「生誕100年関根正二展」の時です。水沢勉さん、カラフルなポロシャツ姿もかっこいい。
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その日、カマキンの関根正二展を見た後に、鎌倉駅の踏切の通りにあった古い素敵な木造の洋館の写真を撮った。ネットで調べると通称「鳩屋敷」と呼ばれた1930年築の病院だったようだ。
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今も、この踏切あたりを歩く時に懐かしく思い出す。繊細な木の細工が凝った建物だった。
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2016年1月27日 (水)

再び鎌倉 カマキンと海岸

1月26日

一昨日に続き、再び鎌倉へ。友人Fが「カマキン最後」を見に行きたいというので一緒に行った。

10時に新宿駅待ち合わせ。カマキンの入口を入ったら、驚愕。きょうこそは平日の午前中だからすいていると思ったのに、やはり長蛇の列。皆、この場所が大好きでに思い入れがあるのだろう。とはいえ券を買うまで一昨日ほどの時間はかからなかった。

2階の展示は、人が多くて落ち着いて見られなかった。おとといとても好きになった三宅克己の「雪原」を見てから、まずは一昨日入れなかったカフェに行くことにする。

その前にトイレに行こうとしたが混んでいるので、外の鶴岡八幡宮の公衆トイレへ。とても寒かったが、こちらはすいていた。トイレから出たら、元気なリスがいたので嬉しい気持ちになる。

カマキン最後のカフェ。きょうは光が溢れて背中が熱くなるほどだった。

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99年くらいだったか、FとGと三人で展覧会を見に来て、水沢勉さんと、このカフェでお茶を飲んだ。厨房の少し年配の女性が、「先生はいつものでしょ。」と言って、水沢さんが煮出したミルクティを飲んでいたのが印象に残っている。その時、水沢さんは、まだ館長じゃなくて、みんな若かった。

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ケースの上に、たぶん池でとった枯れ蓮の実が飾ってあった。

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カフェのテラスから池を見る。

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カフェで私は展示の中で好きな絵の話をした。カフェを出てからそれをFと確認しに行った。

松本俊介の「立てる像」の前で、「この足のあいだに小さな犬がいるでしょう?」と言うとFが「馬じゃないの?」と言うので、「違うよ、犬だよ。」と二人で身を乗り出していたら係員の人が来て「近づきすぎないように。」と言われてしまった。

和達知男の「眼鏡をかけた自画像」(この画家は25歳で亡くなっている)、柳瀬正夢の「静物(百合)」も素晴らしかった。

階下に降りて中庭を見る。ル・コルビジェと坂倉準三が立っていた場所が足跡で残されている。

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天井に映る刻々と変化する水面の光の反射と一緒に。
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浮島の真ん中に、私の大好きなアオサギがいた!

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大谷石の壁に空いた窓から中庭をのぞいて。
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カマキンをつくった坂倉準三は、私の生家近くの新宿西口広場をつくった人だ。

子供の頃の私は、タクシーが滑るように吸い込まれていく新宿西口ロータリーの、植え込みに傾いで立つ筒状のオブジェを見るたびに興奮していたものだ。子ども心を湧き立たせるような面白さがあった。

そして新宿西口広場は、自由と変革を求めて、いくつもの騒乱の渦が生まれた。そのたびに「ここは広場でない」と弾圧されたりしたが、新宿西口広場は、私にとって、いまだ(たぶんこれからも)自由な広場だ。

夢のような場所だった阿佐ヶ谷住宅をつくった前川國男も、ル・コルビジェに学んだ人だ。

阿佐ヶ谷住宅一帯も、恐ろしく魅力的な場所だった。まさに「光の下で組み合わされた諸々のヴォリュームの巧緻精確で壮麗な遊戯」だった。あの豊かな場所が無くなった寂しさは言葉にならない。

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私たちが美術館を出る時も、尽きることなくたくさんの人が並んでいた。
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美術館を出て、おととい見つけた素敵な場所をFに見せるために、同じ経路で駅に戻る。

星野写真館の横で。

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「Photographisches Kunst=Atelier 合資會社 星野悠鳳寫真館」と書いてあるプレート。

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おととい通った細い路地の金網の塀に囲まれた素敵な古い家は大仏次郎関係の家みたいだ。廃業している小さな理容店は、かつて有平棒があった部分が気になった。

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おととい見つけた動物病院。蔦に絡まれ過ぎて読めなくなっている看板。「車の出入り口につきこの付近に駐停車をご遠慮下さい。」?
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Fが御成小学校を知らないというので、一緒に見に行った。
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御成通りを歩いていたら、植物に浸食された家を発見。Sdsc07949

家全体が植物になってしまいそう。
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蔦の蔓が樹木のように太くなっていて、触ってもまったく撓らない。
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そのあと江ノ電に乗って浜に出た。拾い物をするために、鎌倉高校前から七里ヶ浜、由比ヶ浜と移動した。

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鎌倉高校前では、ごく細かい破片ばかりで、貝はほとんど拾えなかった。それでも1cmほどのアズマニシキ、カバトゲウミギク、ヒバリガイ、ナミマガシワなどを拾った。6mmくらいの桜貝も。

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由比ヶ浜では少し大きな貝の吹き溜まりがあったが、陽が落ちて急激に寒くなったので帰ることにした。

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鎌倉駅の近くで食事して帰る。久しぶりに会ったFといろいろ話した。子供の頃、夢中だった遊びの話。戦後の美術から現代の美術の話。絵をわかるとか、芸術を評価するというのはどういうことなのか。

いずれにせよ、私はそれぞれの作品をなんらかの歴史的なパースペクティブの中に位置づけて見ることよりも、私なりの感覚でそれらに触れている。人が歴史的課題としてヒューマニズムや人間中心主義を批判するところで、私は好き嫌いを言う。

最近とくにヒューマニズム、人間中心主義が強く出ている作品が好きではない。

美的な意味であれ、人道的な意味であれ、解釈によって付与される意味が、作品の価値を上げる、と思うことがばからしいと感じるということだ。

批評を書ける人が、絶えず「もの」を(あるいは「もの」が存在するかどうかの問題から言えば「事(関係としての出来事)」を)見つけ、(あるいは、より的確には、ぶつかり、つまづき、)常に疑問や問題意識を持っているとは限らない。

私にとってすごい才能を感じる人は、24時間何かを見つけ、思考している人だ。

Fは、私が苦痛を感じながら誰かと会うことをとてもよくないことだと言う。どうして断って帰らないの?と。私はもっと我慢しないで言いたいことを言うべきだと。相手が従順に従うと思っている時に、私はまったく逆の考えだとはっきり言ったほうがいい、大人しく見られるのを受け入れるべきではないと。

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2016年1月26日 (火)

水沢勉館長カマキン最後のトーク

1月24日(日)

午前中、副施設長から、母の様子を伝える電話。きのうの夜、また熱が39度台まで上がった、今朝は37度台だが、おかゆ2匙しか食べられなかったという。

電話を切ってしばらくしてから、もう一度こちらから電話して確認したら、意識ははっきりしていて、眼を開けて応答していて、ぐったりした感じではないという。

・・

母は大事なさそうだという確認をして、ひとり鎌倉へ向かう。きょうはカマキン(神奈川県立近代美術館)最後の水沢勉館長のトークの日なので行っておきたくて。

アクティの新宿発12時ちょうどの電車に乗る。戸塚で乗り換えのため、ホームで電車を待つが、じってしていられないほど寒い。階段を降りて、また上がったりして12分を過ごす。

1時過ぎに鎌倉駅に到着。若宮大路を速足で急ぐ。鶴岡八幡宮の参道わきから池越しに臨む神奈川県立近代美術館。

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再び参道に戻り、左折。カマキンの入口からあふれそうな長蛇の列にショック。「うわあ、予想外だったなあ。」とまわりの人たちの声。入場券を買うまで寒空の下、40分くらい待たされる。

後ろの4人グループは建築を学んでいる人たちらしく、建物を見ながらいろいろ感想を言っていた。私はしゃべる人もいないので、凍えながらチーズみたいな大谷石の不定形の穴を見ていた(生まれた家の近所に、昔料亭だった家の古びた大谷石の塀が残っている。大谷石はいつも、穴やツブツブを触って遊んでいた幼い頃の記憶を思い起こさせる。)

ぎりぎり2時前に入場券が買え、1階のトークの場所へ。中庭に大勢の人が輪になって立って水沢勉館長を待っていた。2階の回廊にも人がいっぱい。

2時になり、水沢館長は輪の真ん中ではなく、通路側からお話しするとのことで、みんなそろって大移動。柱に寄りかかっていた私は、目の前でお話を聞くことができた。

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カマキンの建物、この場所がどんなに素晴らしいものであったか語る水沢勉館長。

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水沢館長のお話の覚書(聞き書きのメモより。手がかじかんであまりメモできなかった)・・・・

この美術館は1951年、サンフランシスコ講和条約の前にできた。

空間が鮮やか。瑞々しい、開放的な、自由な空間。空気が澱まない。

建築家坂倉準三の義父は文化学院をつくった西村伊作で、自由な精神の系譜の体現者だった。

西村伊作はアマチュアの教育者であり、アマチュアの絵描き、建築家であったが、その自由で開放的な精神が受け継がれている。

この中庭の真ん中にあるイサムノグチの「コケシ」は、1951年にイサム・ノグチが李香蘭と結婚した時に、記念につくったもの。

李香蘭が自分の心臓に手をあてている。イサム・ノグチが李香蘭を抱き寄せている。さらに自分(水沢館長)は、この時、李香蘭は妊娠していたと思っている。

この頃、レッドパージが激しく、イサムノグチはアメリカと日本、李香蘭は旧満州と日本の関係でいろいろ苦しんだ。

1952年にカマキンでイサム・ノグチの個展があり、別館に資料があるが、この「コケシ」はリストに載っていない。

52年にイサム・ノグチは原爆記念モニュメントを拒絶されてショックを受けていた。

イサム・ノグチは自作について忘れるような人ではないが、この「コケシ」をカマキンの中庭に置きっぱなしにした。この美術館なら大事にしてくれると思ったのだろう。

1月31日に、この建物は神奈川県の主管を離れる。どういう使い方があるのか、次の世代に託したい。やはり創造的な場所であってほしい。

当初、鶴岡八幡宮のこの建物は、宗教活動の場所ではないので取り壊す、という予定だったが、いろいろな人の意見を聞いて、取り壊さないことになったのは良かった。

この場所、上に回廊があるのは、まさにル・コルビジェが言った「ピロティ」。

「絵馬堂」とも言える。「絵馬堂」ならば、宗教的施設とも通じるだろう。

宗教のために建物を壊すようなことがあれば、ヴァンダリズムのようになってしまう。

この美術館の業績は、村山槐多や関根正二の展覧会をやったということも大きい。村山槐多が、1913年5月、大阪の朝日新聞に投稿した「絵馬堂を仰ぎて」という文章がある。

当時17歳の若き天才詩人、村山槐多が書いた「絵馬堂を仰ぎて」は、まさにこの場所を予言している。この文章は『村山槐多全集』にははいっておらず、雑誌『ユリイカ』の「村山槐多」特集にはいっている。

(このブログを書いた時点で、私は「絵窓」と聞き書きしてしまっていましたが、28日朝に水沢勉館長からメールをいただき、「絵馬堂」の聞き間違いだとわかり、修正しました。)

お話が終わった時の水沢勉館長の表情。

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・・・・

(私は少女の頃から村山槐多や関根正二が大好きだ。カマキンでの村山槐多や関根正二の展覧会は本当に素晴らしかった。その時の胸の高鳴りを思い出すだけで涙が出てくる。

『ユリイカ』の「村山槐多」特集は当時買っているので、すぐに読み返そうとしたが、本の山の中から発見できず。)

トークは30分ほどで終わり、展示を見る。1951年から1965年の時代の熱を感じる作品たち。

現在は評価が確定している作家の作品が多かったが、あまり知られていない作家の作品に感動した。また美術の教科書に載っているような有名な作品よりも、同じ作者のそれほど知られていない作品にはっとするものがあった。

私がとても好きだったのは三宅克己の「雪原」(水彩絵の具、紙)だ。よく見られる水でたらしこんでふわっと描いた水彩画ではなく、墨彩のような筆勢でもなく、まるで薄塗りの油彩画のように見えた。

余計なタッチを入れないように手数を制限しながら、雪の煌めきまでも表現している。理知的で詩的だった。極力手数が少なくて、しかもソリッドな画面が素晴らしかった。

島崎鶏二の「風景」(油絵の具、カンバス)。パリの風景だろうか。この絵も詩的で惹かれた。色の選び方のセンスと何気ない線の繊細さ。

島崎鶏二は島崎藤村の二男で、37歳で戦死している。弟の翁介も画家。

私は「描かざる幻の画家 島崎翁介 遺作展」(大川美術館)の図録を持っている。以前、詩人の江森國友さんがくださったものだ。きょう島崎鶏二の絵を初めて見て惹かれ、彼が翁介の兄であり、島崎藤村の二男であったことを知って驚いた。

松本俊介は生誕100年の展覧会には行かなかったが、過去に何度か見ている。今回出ていた自画像は、衿のかたちがすごい、と思った。

有名な「立てる像」は、写真で見るとよくわからないが、本物は色に透明感があり、あらゆる部分の表情が絶妙なのがわかる。特に画面左のではなく足の間にいる小さな犬のかたちに感心した。

それとズボンの足首に結んである細い紐、服の白いステッチ(縫い糸)など、細部がそれぞれ雰囲気を持って語っている。

展示を全部見終わってから、先ほど水沢館長のお話にあった中庭のイサム・ノグチの「コケシ」を撮影。

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この美術館の美しさのポイントである池の中に立った柱。

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2階の回廊から中庭を臨む。

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・・・

3時半頃に美術館を出て、分館へ。カーヴした坂を登る。分館では工芸などの展示を見た。

その後、本館に戻ってもう一度写真を撮った。

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枯れ花の向こうに池と建物を臨む。

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建物の周辺には蔦が絡みついた素敵な樹があった。
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・・・

美術館を出て、雪ノ下のあたりを少し歩く。2014年3月21日に来たとき、素敵だった写真館の建物を見に行ってみた。

星野写真館は、以前来た時はちゃんと営業中だったのに看板がはずされていて、素敵なアーチ型の窓に飾られていた写真もなくなっていた。すごくショック。

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人気のない写真館の玄関。パンジーはなまなましく元気に咲いていた。
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星野写真館の側面。
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下は、かつて営業していた頃の星野写真館の様子。
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この近くのお蔵を改造した家は変わっていなかった。

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星野写真館のななめ向かいの骨董屋さんで小さなガラス瓶や昔の人形などを見た。

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若宮大路の一本裏の細い路地を通って駅へと帰る。このあたりは瀟洒な古い家がいっぱい。細い路地を抜けたところに、おしゃれな古い家。

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かつて理容室だったかわいい建物を発見。ペンキの剥落が美しい。「全国理容環境衛生同業組合連合会 組合員イワサワ」と書いてある看板。

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若宮大路に出て、古い素敵な建物の犬猫の病院を発見。アールのかかったタイルの階段と、蔓草の絡まる棚と、白い擦れた木枠の窓がある出っ張った部分がすごく魅力的。
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寒くて凍えた手を強くさすりながら帰る。母の体調も心配だったので、お茶、食事などの休憩もとらず、トイレも我慢して、4時36分発のアクティに乗って帰った。6時過ぎに帰宅。

帰ってから、母はきょうの昼は完食し、プリンも食べたとの連絡を受けてほっとひと安心。身体が冷えきっていたので熱いお蕎麦を食べた。

1月23日(土)

午前中、K島さんから母は37度程度で落ちついているとの電話を受けて少しほっとする。午後から雪になる予報。

午後2時頃、K島さんから母をH病院に連れて行くとの電話。

午後4時前、K島さんから母が病院から戻ったという電話。入院になるなら、すぐに病院に行く気持ちの準備をしていたので少し驚く。

やはりインフルエンザではなく、尿路感染ではないか、ということ。

1月22日(金)

少し前に大家さんから、仕事場の罅割れた窓ガラスを取り換えるという話が来ていた。ガラス屋さんが部屋に入るというので、ここ一週間、部屋の中の整理に追われ、くたくたになっていた。

午後に見知らぬケイタイから電話があり、ガラス屋さんかと思ったら、京橋の画廊のオーナーさんからだった。企画展のお話をいただく。とりあえず近いうちに打ち合わせ。

夕方、K島さんから、母がきのうから熱を出したという電話を受けた。きのう39・4度。インフルエンザは陰性。深夜0時の検温で40度だったと聞いてすごく心配になる。

しかし肺に雑音はなく、食事もとれているということ。どうして高熱なのに吐いたりせずに、わりとしっかりしているのかはわからない。抗生剤と熱ざましを飲ませて様子を見るとのこと。

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2016年1月22日 (金)

『デッサンの基本』(ナツメ社) 第23刷り / 昔の伊藤キムのクロッキー

1月18日

『デッサンの基本』(ナツメ社)の増刷のお知らせをいただきました。 第23刷りとなりました。

本当に嬉しく、ありがたいことです。

『デッサンの基本』を読んで(見て)くださった方が、鉛筆一本と紙一枚だけで始められる絵の面白さに興味を持ってくださったら、そして、ものを「よく見る」喜びを感じてくださったら、これ以上嬉しいことはありません。

最近の私は、昨年からずっと、今まで数十年描きためてきたデッサン(素描、素描着彩)の整理をやっています。

ものの変化に追いつこうともがいたり、記憶や体験の感触を含めて描いたものが、千枚くらいあります。

描いて忘れていたスケッチブックが発見されるたびに、その時に夢中で見ていたもの、心躍らせたもの、本当に好きだった(今も好きな)もの、その時だけしか体験できなかったものがよみがえってきて、なんとも言えない気持ちになります。

昔描いた人物クロッキーを発見。ダンサーの伊藤キムさんがヌードでムーヴィングをしてくれたところをクロッキーしたもの。(画像はすべてクリックすると大きくなります)

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伊藤キムさんはダンサーで振付師でもあり、美しいポーズ、体線の見せ方をよくわかっている人なので、その魅力に牽引されて夢中で描くことができた。

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伊藤キムさんの細くてしなやかな身体の動きのエロスを間近で見ることは恐ろしく素晴らしい。
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足の腱や筋がはっきり見えるほどに贅肉が削ぎ落とされた肢体。私は人体を描くのも、ダンスを見るのも、痩せてしなやかな人に強烈に惹かれる。
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休憩が終わるごとにムーヴィングの速度は高まっていき、最後はとても速いダンスとなった。
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私は植物を描くことが多いですが、身近にある植物の一枝を描くだけでも、そのものをよく見ると、とても描ききれないほど、たくさんの微妙な美しさや面白さを発見します。

同じ種類の植物にも個体差があり、変わったかたちのもの、花弁や花芯や葉や茎に趣のあるものをさがすことだけでも興味深い作業です。道端でも、生花店でも、そうした自分にとって稀れと感じるものに眼が惹かれます。

さらにそれぞれの生命は常に運動し、変化しているので、それを追うことは無限の劇を見るような感動があります。

その時に出会った植物を描くことは、その季節、その時の気温や光や、さらにその植物にまつわる親しい人との思い出も、その絵の中に残してくれます。

今の季節、街を歩くと、去年からの立ち枯れのセイタカアワダチソウが美しい。北風に磨かれた空に映えて、椿の花がとても鮮やか。紅梅白梅の香も素晴らしい。陽のあたる庭には水仙も咲いている。

枝に積もった雪をのせた赤い椿は一層鮮やかで風情がある。

以前描いた椿の素描着彩を載せます。

この椿は花芯の中に小さな花弁が混じっているところに面白さを感じて描いたもの。花弁も変則的な斑や絞りのものに惹かれます。

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この白地に赤の絞りの椿は、花の正面でなく、深緑の艶々した葉の隙間から見える花弁や、花の後ろ姿に美しさを感じて描いたもの。
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獅子咲き椿のねじれた花弁と絞り模様が面白くて描いた。

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こぶりな白い椿。

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薄桃色、八重咲きの乙女椿。花芯(しべ)が見えない。
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きょう、花屋さんにヒヤシンスの鉢植えが出ていた。

ヒヤシンスは赤(濃いピンク)と紫と白の鉢植えが多いのだが、私が毎年捜しているのは「ミオソテス」という薄紫のや、「デルフト・ブルー」という灰色がかった水色の、それと淡いアプリコット色の「オデッセウス」というヒヤシンス。

以前描いた薄紫のヒヤシンス。半透明なガラス質のような花を描くのが難しい。もっと光る花の質感が出るように、また描いてみたい。

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下は、花弁のふちが白く、内側に星のようにピンクの筋がはいったヒヤシンス。このときは固い感じで描いた。同じ花でも描きたいイメージによって描き方をかえて描きます。

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今年もいろんな素敵なものを見つけて、描いていきたいと思います。

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2016年1月12日 (火)

吉祥寺 古い窓 

1月10日

友人と吉祥寺へ。

絵本屋トムズボックスの閉店セールを見る。宇野亜喜良さんの本を一冊買った。

この場所、LIVESの一階は、昔はアンティーク屋さんが2軒入っていて、手前のほうの店はスージークーパーがたくさんあり、奥の店はBONZOを扱っていた。2階は国分寺にもお店があったtinのコレクションが飾ってある「ぶりきかん」という喫茶店だった。あの頃、LIVESに来るだけで、すごくわくわくしたものだ。

好きだったアンティークの店が無くなってから、近くなのにあんまり来なくなった吉祥寺。

華やかな商店街の中ほどに存在する古い家は健在だった。手前に朝顔と風船蔓の枯れ蔓。

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楳図かずお先生宅の窓の外にまことちゃんがいた。前に来たときはいなかった。
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耐震の関係で壊されてしまうという古い建物を見に、一月末に閉店のbase cafeに行ってみた。窓の古い木枠がとても素敵な白い建物。

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2階で苔や地衣類の写真展をやっていた。苔や地衣類は大好きだ。その下には膨大な数の小さな虫やダニが生息している。

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窓のまわりの亀裂や剥落に魅せられる。きょう一番夢中になれて楽しかったのはここだ。
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青磁色の光と、白いペンキと、赤茶色の錆と、木とペーストの罅割れと剥落。こういうものにだけは、私は心底夢中になれる。
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昔買った紺色のベルベットのワイドパンツと古い帽子。
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3階のオーガニック食堂は、すごく混んでいた。整理券をもらって30分ほど待つ。外に出て、よみた屋で古本を見ていた。

あんぐらな、良い感じの階段。
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やっと食堂のカウンターに着席できてから、ご飯が出てくるまでさらに20分以上かかったので、もう苦しいくらいおなかがすいてしまう。

ちっちゃな野菜のおかず3品と玄米ご飯と味噌汁。

いつもミルクランドでしっかりしたおかず5~6品と、さらに有機納豆と、大きな器に山盛り玄米ご飯を食べて、そのあとコーヒー牛乳を飲んでいる私には全然足りない。

肉料理のないお店は好きだが、ここは価格が高いので、なんとなく落ち着けない。建物の雰囲気は素敵だし、禁煙が嬉しいのだけど、夜のメニューを見たらハートランドビールの中瓶が760円とか・・・。

久しぶりにバスで帰った。松庵のあたりを眺め、桜の名所の善福寺川を渡り、好味屋やハナ動物病院の前を通って。

1月9日

ちゃびの流動パラフィンなどをもらいにハナ動物病院へ。

土曜なのですごく混んでいた。薬を用意してもらえるまで30分、外で散歩。

松ノ木から成田へ、狭い暗渠の道を辿る。暗渠が複雑に絡み合っていて、そこにはりついている家が、ケーキを薄い三角に切ったように不思議なかたちで寄り添っている場所を発見。今度カメラを持って行こうと思う。

五日市街道に好味屋を発見!本当にあの好味屋?と思ったが、私の記憶のお店の活字が同じ。

好味屋は、30年くらい前に吉祥寺と三鷹の駅近くにあった(と思う)ケーキとパンのお店。その当時から素朴で親しみやすいケーキだった。

1月8日

母の誕生日。

母の好きだった歌のCDを聞かせ、私も歌いながら食事介助。

傾眠気味だったが、夕食完食。それと「極み」プリン。

1月6日

健康診断を受けにMビルクリニックへ。

婦人科系のがん検診、すごく緊張して嫌だけれど、一昨年のマンモグラフィでひっかかってしまったので(ごく小さな石灰化と言われた)気をつけておくため。

駅から走って行ったら血圧が146にもなってしまい、あとでもう一度計らせてもらったら120だった。

162cm。43kg。元日に熱を出して1日寝ていたので体重が減っている。

午前の検査が終わってから、Mビルの地下で野菜料理を食べて熱い番茶を飲んだ。昨晩の9時から今日の昼までずっと水を飲めないのが苦しかった。

1月4日

西へ。春のように暖かい日。

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地方の小さな町に行くと、都心よりずっと雑草がないことに驚かされることがよくある。徹底して草が刈り取られていて、林もない。川沿いの僅かな道まで舗装されて、草がほとんどないと、ものすごいストレスを感じる。

最近、自分の終の棲家はどこなのだろうと、そればかり考えている。

私は雑草がないところは耐えられない。それと同時に、狭い路地にひしめきあった小さなお店がいっぱいある町でないと落ち着かない。

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