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2016年2月

2016年2月29日 (月)

フィギュア四大陸2016

2月28日

もうずいぶん前に終わってしまったフィギュア四大陸についての個人的感想。

ケヴィン・レイノルズ選手、復活おめでとう。不思議な雰囲気を持つキュートな選手。

男子の上位選手はミスもほとんどなく、素晴らしい出来だった。パトリック、ボーヤン、ハンヤン、それぞれ個性が強烈な選手が白熱した演技を見せ、とても面白い試合だった。無良崇人選手も、最近、一段と表現力が増し、見ている者の胸を昂揚させる素晴らしい演技だった。

宇野昌磨は、今回ジャンプのミスが出てしまって残念だった。

しかし身体表現という意味で、私が特別ななにものかを感じるのは、パトリックより宇野昌磨だ。

パトリックは確かに今回、彼の今までにないくらい良い出来だと感じた。彼らしい成熟した滑り、ジャンプの成功に加え、以前の振り付けをいかにも「やっています」という感じから、力が抜けて自然な流れで演じているように見えた。休養期間を経て、誇示するように有り余る筋肉が少しやせたのがうまく作用したのかもしれない。

しかし、いまだ私が気になるのは、パトリックの顎、首から体幹までの固定した感じと、体幹から真横に腕を広げた平板なイメージだ。

パトリックの滑りは芸術的なのかもしれないが、上半身の身体表現にはあまり「芸術性」を感じない。(私個人はパトリックは決して嫌いではない、素敵だと思う選手です。)

宇野昌磨のエキシビション「ヴァイオリンソナタ第9番」。試合が終わって表現に集中して思いっきり演じることができたのだろう。実に素晴らしかった。

宇野昌磨は肩、腕、肘、手首、指先はもちろん、顎、首、胸、腰も、ひときわしなやかに、微細に、また大胆に表現する。

彼の身体は、ほんの少し角度や重心をずらしたり、微かにタイミングをずらしたりして濃く激しい感情の色彩を鮮やかに発するやりかたを心得ている。

ただ音楽の強弱に合わせる動きではなく、感情の機微と深みに動きを合わせて「印象的に見せる」ことを知っている身体表現だ。

宇野選手は「やっている」のではない、音楽とせめぎ合いながら変化しているのだ。

「宇野選手の場合には、その点では、まだまだ甘い。「SP《レジェンド》はアップテンポの曲、FS《トゥーランドット》は重い感じの曲」という大ざっぱな捉え方では、音楽と演技の動きを合わせたことにはならない。」「私は、宇野選手の表現に一番欠けているのは、そうした1つのプログラム内での緩急や、感情の抑揚だと思うのです。」と書いてある記事を、あるスポーツ専門のサイトでたまたま読んで、すごい違和感を感じた。

宇野昌磨選手ほどに、若くして「1つのプログラム内での緩急や、感情の抑揚」がうまい選手はなかなかいない、と私は思っていたので、唖然とした。

この記事は、あくまで「1つのプログラム内での」いわば強(動)の部分と弱(静)の部分の差を、もっと大きくすべきだという意見なのかもしれない。

この記事は「「見て、見て、見て、というだけではなくて、〈引く演技〉も大切」だと。」と書いてあるだけで、「表現」の質については書いていない。

この記事の筆者は「結局、自筆譜から校訂譜を起こすのも、音楽の音楽のニュアンスをフィギュアスケートやバレエのように身体で表現するのも、音楽の解釈という意味では同じだということに気付いてしまうのですよね。」と書いている。

だが、解釈が刷新されるとき、そこで新たに解釈したり、または解釈を断念したりしているのは、はたして「だれか」といったことを、あるいは、「解釈」の主体のあとに「だれ」がくるのかをまったく考えていない。

解釈をめぐる闘争は、それ自体が音楽になる。 ニーチェを持ち出すまでもなく、それは悲劇的に響く。

たとえば、「鐘」での浅田真央が、一瞬、体勢を崩し、倒れそうになるときの、そのミスでさえ、音楽に変えてしまうように。

「思い切り、遠くに投げたつもりのブーメランは、ぐるっと回って自分の許に戻ってきて、自分の世界が完結してしまったようです。」と書いている筆者は、どこまでも、ものの見え方が開かれることなく自己完結するのだろう。

私が表現のきわだった才能として注目しているのは、男子では、高橋大輔選手の次に宇野昌磨選手だ。

フィギュアの採点がどう評価するかはわからない。しかし宇野選手の表現力は今も突出しているし、これから、もっともっと凄みを増すだろう。

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2016年2月19日 (金)

府中美術館「若林奮 飛葉と振動」展 / Dissémination(ディセミナシオン)とPusteblume

2月9日

鵜飼哲さんと府中市美術館の「若林奮 飛葉と振動」展を見に行く。

2時に入り口で待ち合わせたが、1:30くらいに着いて、庭の「地下のデイジー」を見ていた。ひとりで、しゃがみこんで説明のプレートを読んでいたら、子供たちの団体が来た。

「地下のデイジー」などの若林奮作品を見、学芸員さんの説明を聞いて、小中学生がなにを感じるのか、聞いてみたい気がした。

地下のデイジー(DAISY UNDERGROUND)若林奮。厚さ2.5cmの鉄板が123枚重なってできており、高さは3メートルを超えるそうだ。ただし、地表に出ているのは3枚分だけ、残りは全て地下に埋められている。

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地下にあるものを想像し、そのまわりのものを想像し、作者の思いを想像しなければ、何かを感じることは難しい作品。私は若林先生がどんな人だったか知っているから、非常に感じるものがあるが、作者を知らないで初めてこの作品を見た人はどう感じるのだろう。

ひととおり2階の若林奮展の展示を見てから、2時に鵜飼さんとロビーで会って、もういちど一緒に見た。

若林先生が「サンドリヨン・ブルー(シンデレラの青)」と呼んだ灰青色と、そのブルーと最も響きあうイエロー(花粉色の、硫黄色の、太陽の黄色)の、あまりにも強烈な繊細さが心に残る「振動尺(手許)」のドローイングたち。

これらのドローイングたちを見ると、いつもブルーデイジーという花を想い起こす。それと少女らしく柔らかい薄紅の雛菊。デイジーはDay's eye(太陽の目)。

4時頃、見終わってから、バスで武蔵小金井に行った。きょうは鵜飼さんは車ではなかったので、私の好きな庶民的な店、すし三崎丸でお酒を飲んだ。

私の誕生日が近いと言ったら、お祝いをしてくれた。

そのあと武蔵小金井の細い裏通りを歩き、小さなイタリアンバルに入ってワインを2杯ほど飲んだ。

デリダの動物についての話で、前から疑問に思っていたことを質問してみた。

「動物が絶対的他者だとすると、私とちゃびの関係のように、お互いがお互いの中に出たり入ったりできないんじゃないか、動物を絶対的にわからないものとしてしまうと、助けることができないんじゃないか」という疑問。

それに対して、鵜飼さんの説明は、

「ヨーロッパの「他者」という言葉にはふたつあって、「絶対的他者」(神)と、もうひとつの「他者」(隣人、他人、動物、植物というようなもの)という分け方だった。

それをデリダは、皆が「絶対的他者」で、神もその中のひとつにすぎない、というふうに言って、それまでの二分法を崩した。」

というものだった。

「サルトル、レヴィナスは、他者とは出あうもの、と言い、フッサールは。他者とは、無限に近づくことができるけれど出あえないものと言った。」(このあたり、だいぶお酒がまわっていたので私の記憶はあいまいです。)

私のもう一つの質問は、

「「散種」って男性的な言葉じゃないですか。なぜデリダはそんな言葉を使ったのですか?」という疑問。

鵜飼さんの説明は、

「デリダはその頃、植物や動物に関心があった。Dissémination(ディセミナシオン)には意味を散らすという意味がある。」

というものだった。

だったらDissémination(ディセミナシオン)は、私の愛するPusteblume(プーステブルーメ)のことだ。若林奮の花粉色の硫黄でもあるのかもしれない。

11時近くに帰宅。

2月11日

所用でS木R太と2時に会い、車で多摩丘陵のほうへ。着くのに2時間もかかった。

戻ってきたらもう8時半で、空腹で疲れていたので、華屋与兵衛によってもらって、そこで話した。ふたりとも「漁師のまかないサラダ」だけを頼んだ(お酒も飲まないので変な注文)。

また11時近くに帰宅。

2月16日

一級建築士のT川さんと会う。

2月18日

新宿三井ビルクリニックへ。腹部エコーと血液検査。

診断してくれた女医のA先生がかっこよかった。

風貌が一ノ関圭の「女傑往来」の高橋瑞子みたいだ。

2月19日

暖かい日。西新宿の家から新宿中央公園を通り、ワシントンホテルの脇の細道を抜けて、代々木を歩いてみた。

中央公園で、2004年頃に母と見た紅と白の絞りの桃の花を捜したが、見当たらなかった。早咲きの小さな桜が咲いていた。

中央公園は全面禁煙になり、ランチスペースもできていた。だが整備されすぎていて、自然な草木の繁茂がないのが淋しい。

甲州街道のビルとビルの隙間に存在する樹齢200年の「箒銀杏」(ほうきいちょう)の樹を発見して胸を打たれた。妖怪のような巨木だ。渋谷区内には、かつて巨木、銘木がたくさんあったが、戦争で失われ、開発で失われ、最後に残った名のついた巨木が、この「箒銀杏」らしい。

文化服装学院の裏の古い団地も、もう取り壊されそうになっていて、板が打ち付けてあった。

私の通った小学校の裏に古い団地がくっついていて、四季の花々が混然と咲き乱れていたのを見ていたせいか、古い団地にとても郷愁を感じてしまう。

・・・

9時頃、I工務店のジュリーから電話。

彼は非常に誠実で、あらゆるリスクを考慮してくれ、安請け合いをしない。彼は本当に信頼できる人だと思う。

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2016年2月 5日 (金)

百草 倉沢 / 画廊打ち合わせ

2月2日

友人と百草の山、都心に最も近い里山、日野市最後の里山と言われている倉沢を歩く。

「倉沢里山をあいする会」の人たちが守っている自然を見てみたくて。

http://www.alice-fm.info/fr_kurasawa.htm

百草園駅から百草の山を登る道。百草園に直結する坂は、とても脚と心臓にきつい急勾配だと聞き、グーグルマップにも載っていない細い山道を登る。途中、駅の方を見下ろしたところ。

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この道はさらに山の中にはいる。

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電灯ひとつない、陽が落ちたら真っ暗で危険そうな道。

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途中、左折すると「六地蔵」の方に行けるが、きょうはそちらにはいかずに「倉沢」をめざすことにする。

百草園の正面に出た時、百草園駅から25分くらいかかっていた。日向の梅はもう咲いていた。

スダジイの大木の森がある百草八幡の横を通り、このあたりから今度は下り坂になる。太腿ががくがくしそうな急な坂。寒いこともあり、脚がそうとう痛くなった。

坂を下り、しばらく平地を歩くと、ついに「倉沢」というバス停のところに着く。昔からあった「倉沢」という地名は、今は住居表示としては存在しないそうだ。

400年続いた農家、石坂ファームハウス。

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さすがの風格を感じさせる家屋とまわりの古い樹に感動。私が5歳の頃、母の母がいた田舎にタイムスリップしたよう。

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ハロウィンの顔がついていたのだが、重くて向きを変えることができない大きなかぼちゃ。
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石坂ファームハウスの庭の500歳になる大欅。

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そして、少し道に迷ったが、ついにきょうの目的のアリスの丘ファームに到着。

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左の建物は由木農場の養鶏場。コッココッコ、ピヨピヨと賑やか。昔の田舎の風景のようだ。
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本当に都心近くにこんな場所があったとは信じられない素敵なところ。
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手前はローズマリー。みんな白菜や大根、ブッロコリーなどナバナ系の野菜が多かった。
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想像以上に広々としている。暖かくなったら、もっといろんな野菜や花で溢れて楽しそうだ。
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ファームの中の道を一巡してから丘を下る。日陰の土の上には、まだ、このあいだの雪が残っていた。

駅まで戻るバスが1時間に1本くらいしかなく、痛い脚を我慢しながら「和田」というところのスーパーまで歩き、スーパーの休憩室で休む。

そのあと、多摩川の河原の方へ行った。

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生まれて4か月というかわいい犬と出逢ったりしながら、河原の端っこのほうへと歩く。
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ここも来たかった場所。昔、ここは牧場で、牛乳をつくっていたところらしい。
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不思議な噴水と溢れない池。牛の水飲み場だったのだろうか。
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ここも、よく昔のままで残っているなあ、と思う稀少な場所。
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2月4日

京橋の画廊との打ち合わせ。

今、私は本をつくることに集中したいので、とにかく本ができるまでは個展の時期を決めることができない、と話す。

とても不思議なのは、画廊主Yさんは、私をネットで見たことがなく、今の私の情報を一切持たず、なんと16年前の私の銀座での個展を見に来ていて、私のことを覚えていてくれたのだと言う。

Yさんも絵や版画や彫刻をやる人だが、去年から画廊をやることになったので、私に電話してくれたそうだ。よく私の名刺も、なくさないで持っていてくれたものだ。

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