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2016年3月

2016年3月19日 (土)

『デッサンの基本』(ナツメ社)増刷 第24刷り

3月19日

3月4日に『デッサンの基本』(ナツメ社)増刷のお知らせをいただきました。

第24刷りとなりました!!

デッサン(素描)のよいところは、鉛筆一本と紙があれば手軽に始められること、描くことでものを見る眼が開かれていくような未知の体験ができること。

見るだけでなく、自分で描いてみることで、何かを見ていた(感じていた)記憶を繋ぎ止め、濃密な時間を生きることができるように思います。

『デッサンの基本』を手に取っていただけたら、デッサン(素描)に興味を持ってくださる人が増えていったら、とても嬉しいです。

最近描いた素描着彩。チューリップ ミステリアスパロット(Tulip- Mysterious parrot)。

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一重のチューリップの花びらは6枚(実際は内側の3枚が花弁で、外側の3枚は萼)だが、この個体は7枚ある。

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かたちだけでも面白いのですが、ミステリアスパロットは白いギザギザのある紫の花びらに緑が混じっている複雑な色合いも面白くて、水彩と色鉛筆で色を塗りました。

下の絵は、ミストラルという斑(まだら)のアネモネと紫のぼかしのアネモネ。

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下の絵は、グッドシンクダブルと書いてあった初めて見る八重大輪のチューリップ。外側の大きな花びらが3枚しかない。片側に細くなった花びらが集中している奇形の個体。赤紫の細いひげのようなものは変形した雄蕊。

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3月16日

西新宿の高層ビルの一室のMクリニックへ。

都庁と高層ビル群の間の歩道の欅並木は、まだ若葉がひとつもほころんでいない、硬い尖った芽だった。中央公園の桜も、硬い赤茶色の莟だった。

西新宿の品川亭の椿が満開。ここは昔、料亭の離れだったそうだ。向いの大谷石の塀の家も、料亭だった。坂を登り切った向こうに見える淡い桃色は、やはり料亭だった「一直」(いちなお)の梅。

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今も昔のままの店構えで営業している品川亭。

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学生の頃、速水御舟の「名樹散椿」(京都地蔵院にあった五色八重の椿)を見て、すごい椿があるものだと感動したが、この椿も(散椿ではないが)赤と薄紅地に赤の絞りの八重の見事な大輪。

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下は、昔は料亭で今シェアハウスになっている「一直」(いちなお)。2階の窓の勾欄は昔のまま。

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一直の梅は萼が赤くて花弁は淡紅色。晩咲きで今頃満開のことからも、たぶん豊後系(梅と杏の雑種)。

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3月13日

新宿伊勢丹の宇野亜喜良さんの展覧会を見てから、東中野、中野を回る。

東中野の神田川近くの椿の樹。白い八重椿の樹に見えるが、そのなかに薄紅地に赤の吹掛(ふっかけ)絞りの花が混ざっている。白と吹掛絞りの椿の花を持っているところ。

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赤い八重の中に薄紅地に赤の八重が混じる品川亭の椿と対照的に、こちらはほとんどが白い八重椿。
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千玉(せんぎょく?)荘という古いアパート。「ちたま」とも読める。ちなみに私は「ちたま」という名で呼ばれていたことがある。

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3月8日

気温21度。この日だけ異常に暖かかった。

夕方、いつもの細い裏道(駅から2分ほどしか離れていない住宅街)を通ると、大きな蟇蛙(ヒキガエル)がうじゃうじゃいた。なぜ毎年、この時期にこのコンクリートの道に蟇蛙がいるのか不思議だ。

あっちに2匹、こっちに2匹。4匹で「抱接」している塊。3匹で「抱接」している塊。全部で12、3匹はいた。

しゃがみこんでじっと、4匹の蠢く塊を見ていた。

ぎゅうっと抱きしめている。そして組んず解れつしている。なぜそんなにぎゅっと抱き締め、しがみつくのか、「抱接」は交尾ではないと知ると余計切なくなる。

まったく跳ねない。のそのそっと前に進むだけだ。

大好きな大手拓次の詩集『藍色の蟇』を想う。こんなふうに、ゆっくりと動いているぬめぬめした黒っぽくくすんだ生き物を彼もじっくりと、親しい気持ちで見たのだろう。

近所のおばさんが「やだっ!ここにもいる。そこにもいる。」と叫んでいた。

「私も毎年、この道で見るんですけど、どこの土から出てくるんですか?」と聞いたら、アパートの脇の人も通れないような細い土の部分を指さして「ここらへんから出てくるのよ。」と言っていた。

しかしここらへんにはどこにも小さな池も水たまりもない。どこで卵を産んでいるのか不思議だ。

どうか車に轢かれませんように。また寒くなるから、もう一度出てきた穴に戻って長生きしてほしい。

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2016年3月10日 (木)

若林奮 日の出の森裁判 「緑の森の一角獣座」 / 太田快作 犬猫の殺処分ゼロ

2月27日

府中市美術館横の一本木通りから、府中基地跡の建物を臨む。

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府中市美術館「若林奮 飛葉と振動」展を、市川幸平さんと見に行く。(私が府中市美術館「若林奮 飛葉と振動」展を見に行くのはこれで二度目だ。)

市川さんは、若林先生が闘った日の出の森の「緑の森の一角獣座」にトラスト地の地権者のひとりとして関わっていた人で、若林先生が「緑の森の一角獣座」(ごみ処分場建設に反対し、予定地内のトラスト地につくった「庭」の作品)をつくるときに、「庭」づくりの手伝いをした人だ。

(神奈川県立美術館の水沢勉館長も、「緑の森の一角獣座」の材料を背負って峠を越えて運んだこと、それはたいへんな体力と労力のいる作業だったと、葉山美術館での若林奮展の時にお話しされていた。)

日の出の森裁判とは、東京都西多摩郡日の出町のごみ処分場建設(水源地に漏出するおそれのある有害物質について、明確な処理案をもたないまま進められた)に住民が反対した裁判である。

1981年 東京都日ノ出町、谷戸沢地区の最終処分場の受け入れを決定。

1984年 処分場周辺の井戸などから化学物質検出を都へ報告。住民、町へ処分場へのゴミ搬入中止などを要求。町議会で、処分組合へ安全対策を求める意見書案と基本的同意撤回の請願を審議。いずれも不採択。

1995年12月、若林奮は、日の出の森を訪ね、ごみ処分場建設に反対し、予定地内のトラスト地に「庭」の作品をつくる構想を始める。

1996年4月、作庭が始まり、庭は詩人吉増剛造により「緑の森の一角獣座」と名付けられた。若林奮は森の中の素材にこだわり、樹木や石を使い、森の中で「休息」するための石の椅子と机を置いた。

2000年10月、「緑の森の一角獣座」は、世界的なアーティスト、クリスト、ボロフスキー、ステラなどが抗議したにも関わらず、東京都による強制収用で消滅してしまった。

2003年10月10日、若林奮逝去。

日の出の森裁判の原告、田島征三さんのHPより「日の出の森からの手紙」

http://www.geocities.jp/djrnq642/saibann.html

日の出処分場の問題に取り組む市民のグループ「たまあじさいの会」のHP

http://tamaajisai.net/

「緑の森の一角獣座」のあったところには、現在、エコセメント工場ができたそうだ。

この「エコ」というのも欺瞞的なネーミングで、ゴミ全てを焼却し、焼却灰をセメントの原料とするという意味で環境汚染と温暖化が益々深刻になるシステムらしい。

昨年、市川幸平さんからいただいたメールを引用しておきます。

・・・・・・

たまエコセメント工場というのは、日の出二つ塚ごみ(第2)処分場に後から処分場が満杯にならない方策として、焼却灰を埋める代わりに焼却灰をセメント化するということで、若林さんの緑の森の一角獣座があった辺りにエコセメント工場が後から建設されました

エコなんて騙しです

ごみをセメントにするからエコ

でも焼却灰は燃やすことでものすごい毒物が濃縮されています

だから安全性は確かめられていないセメントで、高くつくし、いまだにその製品がどこへ流れて行ってるのかは不明です

3・11以後、瓦礫の焼却などを今までの法律からずっと緩い基準値に変えて燃やしてよいことにして日本列島に瓦礫をばらまき、燃やし、日本中にまんべんなく放射能がばらまかれていきました

日の出ごみ処分場のエコセメント工場でも、燃やされた高濃度の焼却灰は、エコセメント工場で24時間さらに加熱され、たくさんの水も使い「エコセメント」になっていきました

若林さんの『煙と霧』の作品世界と重なるのですが、エコセメント工場の煙突からは24時間、ばい煙が大気に吹いていて、それは毎朝の逆転層で山を下り、多摩川の川霧の風に乗って多摩川を下ったり上ったりしています

エコセメント工場が稼働した頃から、なぜか青梅の子どもたちの喘息が増えました
http://l.facebook.com/l/3AQGa-FvVAQHLamo-Fou7NGC4sGcNk0ACdw5QHk9PLavKlg/kanou-miyashiro.blog.so-net.ne.jp/2011-11-03

それから3・11以降は、日の出ごみ処分場やエコセメント工場のまわりの尾根付近で福島の次に高濃度の放射線量が検出されました

日の出ごみ処分場反対運動は日の出町に住んでいた絵本作家の田島征三さんたちが始めました

絵本の学校の講師だった征三さんに「幸平、青梅でも立ち上がってくれよ!」と講演会の壇上から名指しされ
青梅でも『青梅の水とごみを考える会』が生まれました

若林さんが亡くなった後で、ぼくらの会から、ぼくの絵で『ぐるぐるらいふ‐ごみゼロの青梅へ』という小冊子を出版しました

それが若林さんの緑の森の一角獣座と対になって日の出の森から生まれた社会への問いかけと提案でした

反対運動はつぶされ、裁判はことごとく挫折しました

3・11以降、日本の国のしたことは、すべて日の出の森でしたことと同じです

ごみゼロという言葉は死語になりました

そんな果てしない闘いのその先で、さてぼくらにはこれから何が出来るのかな?と思っています

・・・・・・

若林奮展は、府中市美術館の展示を終えて、次は浦和美術館で見ることができる。

うらわ美術館「若林奮 飛葉と振動」展

http://uam.urawa.saitama.jp/tenranjikai_doc.htm

2月22日

にゃんにゃんにゃんの「猫の日」ということで、TVで猫の特集があったらしい。

私が尊敬し、かつ日頃たいへんお世話になっている太田快作院長がTVタックルに出ていた。多頭飼育崩壊の特集。

避妊手術をしないで飼っていたら、数年で50匹くらいになったという家が放送されていて驚いた。赤ん坊の猫は6か月で成猫になり、一回のお産で4~6匹も産むということを知らなかったとしても、一回生まれたらそこで気づいて、それ以上は産ませないようにすると思うのだが。

犬猫は自然にしておくと子供を産んで5、6年で死んでしまう。長く一緒にいたければ避妊手術が必要という太田快作院長のお話。太田先生は今まで数千匹の野良猫の避妊手術をしてきた。

http://animal.doctorsfile.jp/h/40601/df/1/

あとから病院で聞いたが、太田先生はもっと長くお話しされていたのに、編集で随分カットされてしまったそうだ。本当に短くされていて残念だった。

空前の猫ブームとか、経済効果とかネコノミクスとか言われているのを聞くと、本当に複雑な気持ちになる。

まずは殺処分ゼロを目指すための避妊が大事だと思う。

皆がペットショップで血統書つきのを買う前に、保護された動物を飼うことを考えてくれたらいいのに。

一生大切に責任を持って世話するのは本当にたいへんだ。自分の身になにかあっても途中でやめられないことだから。

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