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2016年3月10日 (木)

若林奮 日の出の森裁判 「緑の森の一角獣座」 / 太田快作 犬猫の殺処分ゼロ

2月27日

府中市美術館横の一本木通りから、府中基地跡の建物を臨む。

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府中市美術館「若林奮 飛葉と振動」展を、市川幸平さんと見に行く。(私が府中市美術館「若林奮 飛葉と振動」展を見に行くのはこれで二度目だ。)

市川さんは、若林先生が闘った日の出の森の「緑の森の一角獣座」にトラスト地の地権者のひとりとして関わっていた人で、若林先生が「緑の森の一角獣座」(ごみ処分場建設に反対し、予定地内のトラスト地につくった「庭」の作品)をつくるときに、「庭」づくりの手伝いをした人だ。

(神奈川県立美術館の水沢勉館長も、「緑の森の一角獣座」の材料を背負って峠を越えて運んだこと、それはたいへんな体力と労力のいる作業だったと、葉山美術館での若林奮展の時にお話しされていた。)

日の出の森裁判とは、東京都西多摩郡日の出町のごみ処分場建設(水源地に漏出するおそれのある有害物質について、明確な処理案をもたないまま進められた)に住民が反対した裁判である。

1981年 東京都日ノ出町、谷戸沢地区の最終処分場の受け入れを決定。

1984年 処分場周辺の井戸などから化学物質検出を都へ報告。住民、町へ処分場へのゴミ搬入中止などを要求。町議会で、処分組合へ安全対策を求める意見書案と基本的同意撤回の請願を審議。いずれも不採択。

1995年12月、若林奮は、日の出の森を訪ね、ごみ処分場建設に反対し、予定地内のトラスト地に「庭」の作品をつくる構想を始める。

1996年4月、作庭が始まり、庭は詩人吉増剛造により「緑の森の一角獣座」と名付けられた。若林奮は森の中の素材にこだわり、樹木や石を使い、森の中で「休息」するための石の椅子と机を置いた。

2000年10月、「緑の森の一角獣座」は、世界的なアーティスト、クリスト、ボロフスキー、ステラなどが抗議したにも関わらず、東京都による強制収用で消滅してしまった。

2003年10月10日、若林奮逝去。

日の出の森裁判の原告、田島征三さんのHPより「日の出の森からの手紙」

http://www.geocities.jp/djrnq642/saibann.html

日の出処分場の問題に取り組む市民のグループ「たまあじさいの会」のHP

http://tamaajisai.net/

「緑の森の一角獣座」のあったところには、現在、エコセメント工場ができたそうだ。

この「エコ」というのも欺瞞的なネーミングで、ゴミ全てを焼却し、焼却灰をセメントの原料とするという意味で環境汚染と温暖化が益々深刻になるシステムらしい。

昨年、市川幸平さんからいただいたメールを引用しておきます。

・・・・・・

たまエコセメント工場というのは、日の出二つ塚ごみ(第2)処分場に後から処分場が満杯にならない方策として、焼却灰を埋める代わりに焼却灰をセメント化するということで、若林さんの緑の森の一角獣座があった辺りにエコセメント工場が後から建設されました

エコなんて騙しです

ごみをセメントにするからエコ

でも焼却灰は燃やすことでものすごい毒物が濃縮されています

だから安全性は確かめられていないセメントで、高くつくし、いまだにその製品がどこへ流れて行ってるのかは不明です

3・11以後、瓦礫の焼却などを今までの法律からずっと緩い基準値に変えて燃やしてよいことにして日本列島に瓦礫をばらまき、燃やし、日本中にまんべんなく放射能がばらまかれていきました

日の出ごみ処分場のエコセメント工場でも、燃やされた高濃度の焼却灰は、エコセメント工場で24時間さらに加熱され、たくさんの水も使い「エコセメント」になっていきました

若林さんの『煙と霧』の作品世界と重なるのですが、エコセメント工場の煙突からは24時間、ばい煙が大気に吹いていて、それは毎朝の逆転層で山を下り、多摩川の川霧の風に乗って多摩川を下ったり上ったりしています

エコセメント工場が稼働した頃から、なぜか青梅の子どもたちの喘息が増えました
http://l.facebook.com/l/3AQGa-FvVAQHLamo-Fou7NGC4sGcNk0ACdw5QHk9PLavKlg/kanou-miyashiro.blog.so-net.ne.jp/2011-11-03

それから3・11以降は、日の出ごみ処分場やエコセメント工場のまわりの尾根付近で福島の次に高濃度の放射線量が検出されました

日の出ごみ処分場反対運動は日の出町に住んでいた絵本作家の田島征三さんたちが始めました

絵本の学校の講師だった征三さんに「幸平、青梅でも立ち上がってくれよ!」と講演会の壇上から名指しされ
青梅でも『青梅の水とごみを考える会』が生まれました

若林さんが亡くなった後で、ぼくらの会から、ぼくの絵で『ぐるぐるらいふ‐ごみゼロの青梅へ』という小冊子を出版しました

それが若林さんの緑の森の一角獣座と対になって日の出の森から生まれた社会への問いかけと提案でした

反対運動はつぶされ、裁判はことごとく挫折しました

3・11以降、日本の国のしたことは、すべて日の出の森でしたことと同じです

ごみゼロという言葉は死語になりました

そんな果てしない闘いのその先で、さてぼくらにはこれから何が出来るのかな?と思っています

・・・・・・

若林奮展は、府中市美術館の展示を終えて、次は浦和美術館で見ることができる。

うらわ美術館「若林奮 飛葉と振動」展

http://uam.urawa.saitama.jp/tenranjikai_doc.htm

2月22日

にゃんにゃんにゃんの「猫の日」ということで、TVで猫の特集があったらしい。

私が尊敬し、かつ日頃たいへんお世話になっている太田快作院長がTVタックルに出ていた。多頭飼育崩壊の特集。

避妊手術をしないで飼っていたら、数年で50匹くらいになったという家が放送されていて驚いた。赤ん坊の猫は6か月で成猫になり、一回のお産で4~6匹も産むということを知らなかったとしても、一回生まれたらそこで気づいて、それ以上は産ませないようにすると思うのだが。

犬猫は自然にしておくと子供を産んで5、6年で死んでしまう。長く一緒にいたければ避妊手術が必要という太田快作院長のお話。太田先生は今まで数千匹の野良猫の避妊手術をしてきた。

http://animal.doctorsfile.jp/h/40601/df/1/

あとから病院で聞いたが、太田先生はもっと長くお話しされていたのに、編集で随分カットされてしまったそうだ。本当に短くされていて残念だった。

空前の猫ブームとか、経済効果とかネコノミクスとか言われているのを聞くと、本当に複雑な気持ちになる。

まずは殺処分ゼロを目指すための避妊が大事だと思う。

皆がペットショップで血統書つきのを買う前に、保護された動物を飼うことを考えてくれたらいいのに。

一生大切に責任を持って世話するのは本当にたいへんだ。自分の身になにかあっても途中でやめられないことだから。

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