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2016年10月

2016年10月29日 (土)

鈴木其一展 四季花鳥図屏風

10月27日

前期に行った時に見られなかった「四季花鳥図屏風」を見に、サントリー美術館の鈴木其一展へ。

鈴木其一「四季花鳥図屏風」 江戸琳派の旗手展図録より。

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第三展示室の「朝顔図屏風」の向かいに、それはあった。

「あっ、これだ!」と気づいた瞬間、胸が高鳴った。長年、ずっと見たかった絵で、やっと見ることができ、本物に初めて対峙する期待。

六曲一双に四季の花々を描いた屏風。

右隻(うせき)には春から夏にかけての花。辛夷(コブシ)、蕨(ワラビ)、蒲公英(タンポポ)、菫(スミレ)、蓮華(レンゲ)、躑躅(ツツジ)、紅花(ベニバナ)、立葵(タチアオイ)、燕子花(カキツバタ)、罌粟(けし)など。

左隻(させき)には秋から冬にかけての花。朝顔、鶏頭、葉鶏頭、菊、女郎花(オミナエシ)、石蕗(艶蕗、ツワブキ)、山茶花(サザンカ)、梅、紅葉した蔦など。

私がとても感動したのは、菊、燕子花、水の渦巻く表現などが琳派のやりかたを踏襲して図案化されて描かれているのに対し、その同じ画面に、その当時珍しかったであろう植物が、実際に写生してしか描くことができないやりかたで、生々しくリアルに描かれていたことだ。

特に胸が震えたのは、私の大好きな「まんまの樹」、大毛蓼(オオケタデ、オオベニタデ)が夏の花として堂々と描かれていたことだ。私はこの花が大好きだが、あまり絵のモチーフになる花ではない。

この花は、桜の花をもっと小さく桃色を濃く花弁も厚くしたような、最高に愛らしい花で、穂状花序のなよやかに垂れた房になる。

美術館での解説文には「犬蓼」と書いてあったが、断じてこれは犬蓼(イヌタデ、アカマンマ)ではなく大毛蓼である。犬蓼は20cm~50cmにしかならないが、大毛蓼は1~2mにもなり、人が見上げるほどの高さになる。

其一が、大毛蓼の花の中の黒い小さな種を、ぽつぽつと細い筆で描写しているのを見た時、涙が出そうになった。これは実物の絵を見なければわからなかったことだ。

そう、この花は、鮮やかな薄紅色の花の中に黒々とした丸い種が熟しているのがはっきり見えることが、すごい魅力なのだ。可憐さの中に充溢した生命力を見せてくれる花で、其一もこの花を見て何かを強く感じたのだなあ、と思うと泣けてきてしまった。

ほかに、特に其一が実物を見て、その面白さ、不思議さを特に心をこめて描いたと思われる花は、藪萱草(忘れ草、ヤブカンゾウ)と捩花(ネジバナ、モジズリ)、著莪(射干、胡蝶花、シャガ)だ。

捩花は、花の色は大毛蓼とよく似た鮮やかな桃色だが、ごく小さな蘭のかたちの花が螺旋状にねじれた花序で咲く、とても丈が低くて目立たない、琳派では描かれない植物だ。私はモジズリの花が胸が締め付けられるほど好きなので、其一が描いていたと知ってすごく嬉しい。

藪萱草と著莪は正面性を重視した丸いデザインされたかたちではなく、非常に乱れ、捩じれ、うねる不思議でリアルな花のかたちが描かれている。其一は本当に見て、その花の個性的な魅力を描いたということに鳥肌が立つ。

藪萱草と絡むように竹似草(タケニグサ)が描かれている。タケニグサは私が幼い頃に「マニュキアの樹」と呼んで茎を折ると出るオレンジ色の汁を爪に塗って遊んでいた草だ。

その藪萱草と竹似草のすぐ上に描かれている三羽集う鳥の、うちの二羽がひとつの虫をついばんでいるのに気付いて、さらに感動。

先達の流れをくんでデザイン化されている部分もあるが、其一はさらに瞬間ごとに過ぎてしまう生命の躍動の一瞬を描いていると感じて、胸が締め付けられた。

そのほか、「水辺家鴨図屏風」や「水辺蘆鴨図」でも、鳥の真後ろ向きの姿や、一羽の鳥の向こうにもう一羽のおしりだけが見えるところなどを、あえて選んで描いているところに、其一が生命の瞬間をとらえている姿勢を感じる。

「林檎図」でも、丸い林檎の姿をどこにも描かず、旺盛な緑の葉の下から林檎の実がちらっと見えているところが、非常に生命的なエロスを感じる。

・・・

この日、私が出かけているあいだにちゃびの具合が悪くなったらどうしよう、と出かけることを躊躇した。ちゃびが心配なので、もし現場が混んでいたら、並んで時間を使ってまでは見に行きたくないと、行くかやめるか悩んだ。しかし、思い切って行ってみたら、案外混んでいなかったので良かった。

帰宅してすぐになでたら、ちゃびはゴロゴロ爆発して調子がよさそうだったのでほっと一息ついた。

10月25日(火曜日)

22日(土曜日)に岩盤に思いきり叩きつけた尾骶骨あたりが痛くてたまらないので、近くのクリニックにレントゲンを撮りに行く。

おしりを見られるのが嫌だったが、まったく見られないで、服のままレントゲンを撮って判断された。

「尾骶骨に罅がはいっていても不思議ではないが、このレントゲンでははっきりわからない」とのこと。レントゲンの説明を聞くと、やってしまった失敗についての後悔でなおさら具合が悪くなる。詳しく状態を知るためにMRTを撮りたいかと尋ねられて、「必要ありません」と応える。

骨盤を固定するバンドを出されたが、バンドを締めると怪我の部位が圧迫されて激痛がするので、結局帰宅してからはずしてしまった。

メロキシカム(消炎鎮痛剤の錠剤)と、セレガスロン(胃薬の錠剤)を出されたが、私は消炎鎮痛剤に敏感に反応して胃痛と下痢になり、あまり腰の痛みに効果がなかったので一回だけ飲んで飲むのをやめてしまった。

次の日、ちゃびの容態のことで相談しに動物病院に行った時、今、私が腰を強打して痛くてたまらないと言うと「打ったのが背骨でなくてよかった。背骨だったら骨髄神経の危険があったけど、尾骶骨なら治るからね。」と言われて安堵した。

人間の医者より、動物の医者である快作先生に言われる方がずっと安心する。

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2016年10月28日 (金)

フィギュアアメリカ大会 浅田真央 宇野昌磨 アダム・リッポン

10月22日

遅ればせながら22日に見たアメリカ大会の話です。

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浅田真央「リチュアルダンス」。

私はこの不穏にしてだんだん高まっていく炎のような曲が好きだ。

素晴らしいプログラム。特に私はショートの黒のプログラムが好きだ。

(ローリーの振付けた「素敵なあなた」や「アイ・ガット・リズム」は、正直、浅田真央が演じるからこそ興味を持って見、応援したが、プログラムとしては苦手だ。)

まるで素肌から黒い羽が生えたようななまめかしくも野性的な衣装。とても美しさを際立たせる衣装だと思う。

まがまがしい魔物が跳梁するような浅田真央は素晴らしく魅力的だ。

シーズンの最後にはピークを合わせて、最高の出来を見せてくれるのでしょう。シーズン最初には、このくらいまだ出来上がっていないほうがむしろ安心な感じがした。

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宇野昌磨「ブエノスアイレス午前零時・ロコへのバラード」。

よくぞこんなにも大人びた哀愁のある曲を選び、それをここまで踊りこなして、と驚愕。彼はどんどん、めざましく表現力がよくなる。

真夜中のもの哀しい都会。そして世の中からはじき出された者への哀切に満ちながらも熱く燃え上がる愛情の賛歌。

なんとも難しい曲を宇野昌磨は繊細に情感こめて、しかもダイナミックに演じた。

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また、私が今回、すごく惹かれたのはアダム・リッポンのFP、「映画『The Crimson Wing: Mystery of the Flamingos』サウンドトラックより」だ。

彼は白鳥のように見えたが、映画のテーマからするとフラミンゴなのだろう(フィギュアを鑑賞するにはどちらでもよいことだ)。

身体、精神ともに激しい苦痛や困難を負いながらも、表現として優雅で、乳白色の紗や靄がかかったようなミステリアスでロマンティックな雰囲気として見せているように感じ、ぞくっとした。

彼のお母さんはバレエダンサーだったと聞いて、なるほどと思う。彼は鍛え抜かれた強靭な肉体を持ちながら、腕や手首、指先。首などの表現が信じがたいほど詩情に満ちている。

アダム・リッポンのこのプログラムには香気を感じた。

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2016年10月26日 (水)

鵜飼哲さんと三浦半島の海岸へ 身体と思想について

10月22日

前から鵜飼哲さんと会う約束をしていたのだが、私の希望で三浦海岸へ貝拾いに行く。

12時45分に新宿で会い、湘南新宿ラインを横浜で京急に乗り換えて三浦半島へ。

行きの電車では、鵜飼さんが「シュルレアリスムの最後のアウラがある人」というアニー・ル・ブラン(Annie Le Brun)と会ったお話を聞く。

それから私は質問した。具体的な人名をあげてフェミニズムの話や日本会議の話、右翼、左翼、混沌としてなんとも判断がつきづらいニューウエイヴのことなど。しかし、私が質問のしかたを間違えてしまったのだろう。それらのことなど、私はどうでもよかったのだ。

私が聞きたいのは、思想の分化や分類の話ではなくではなく、それらの思想がそこから生まれるところの、というよりむしろ、思想が形を成す以前の身体感覚の話。

その人が自分の標榜している思想を裏切らない生き方をしているのか、などど問うべきでもない。

そうではなく、私はいつも、その人の身体はいかに思想そのものであるかを問いたいのだ。

瞬間ごとに変わる目の前の状況に対して、すぐれた舞踏のように、どのように臨機応変な態度をとれるか。

三崎口に着き、もう3時近かったので、体力と時間の温存のため、タクシーで行った。

鵜飼さんは貝拾いは初めてなので、私も貝の名に詳しくはないが、ごく基本の、よくある貝の名前などを教える。

これがタカラガイ、これがヘビガイ、これがヒオウギ、これがチリボタン、これがツノガイなど・・・。

あるわ、あるわ、タカラガイがうじゃうじゃ。私は生まれて初めてのすごい量のタカラガイに頭がくらっくらした。

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私はもう夢中になってしまって、しゃがみこみながら蟹のように移動したり、その場にじっと座りこんだまま、拾い続けたりした。

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「キャー!青い綺麗なガラス瓶、見つけたー!見てください、これ!」と私はすごく興奮。

私は同じ場所で拾い続け、気がつけば鵜飼さんはどんどん遠くに。

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貝をさがす鵜飼さん。

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どこらへんが穴場とかのなんの予備知識もなく、ただ来てみたのだが、岩場を超えてさらにすごい拾い物スポットにたどりつき、私は超興奮。

ふいに「これ、よかったらどうぞ。私、もうひとつ拾ったので。」の声に驚いて、見上げる。集中していたので、それまで周りにほかに人がいることも、その人が私のところに歩いてきていたことも、まったく気づかなかった。

先に来ていたらしい女性が私に、小さなピンクの巻貝をくださろうとしていた。「あ!ありがとうございます。」と応える。

わあ、珍しい薄桃色のベニフデガイじゃないですか!大きさ2cmほど。

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小学校低学年の頃の気持ちで、しゃにむにタカラガイばかり拾っていた私に、レアなものをくださる優しいかたがいるなんて感激。

「たくさん拾っちゃいましたけど・・・」と言うと「ふふっ。夢中になってきりがなくなっちゃいますよね。」と微笑されて、その女性は去っていった。ビーチコーミングについて、もっと言葉を交わせばよかったのに~、とすぐに後悔した。

しばらくして、鵜飼さんは疲れたのか、岩の上に座って、ぼうっと海や岩の上の鳥を眺めていたりしていた。

「子供は帰りましょう。大人は、子供の安全を守りましょう。」という5時を告げるアナウンスが浜に響き、急激に薄暗くなるころ・・・

「ギャー!オミナエシ~!うわ!またでっかいの~!うわ!キイロダカラ~~!!」と思わず大きな声をあげてしまう私。

そして、ほとんどものの詳細が見えなくなるくらい闇に包まれた浜を、もと来た駐車場に帰ろうとする時、平板な岩の上を普通に歩いて渡っていたのに、岩に海藻類が薄くついてぬるぬるしていて、つるっと滑って転んでしまった。

一瞬、なにが起こったかわからなかったが、尾てい骨のあたりが酷く痛くて、立ち上がるのもたいへんだった。

鵜飼さんがスマホを持っていたのでタクシーを呼んでくださったが、私ひとりだったら携帯も持っていないので、歩けないのにタクシーを呼ぶこともできないのだな、と思う。そのくらいなんにもないところ。

タクシーがやっとこさ来て、駅前のお店に行ってもらい、食事。強く打ちつけたせいか腰だけでなく脚や腕も痛くて力がはいらず、申し訳ないが鵜飼さんにサワーのグレープフルーツを絞っていただいた(打撲にお酒はよくないのだが、飲んでしまった)。

地元のお魚をいただく。三浦海岸の名物、メトイカや鮪、カワハギがおいしかった。

食事中も、帰りの電車の中でも、ずっと話していた。現代詩について。動物をテーマにしたアートについて。

些末なことをことさらに面白がるような表現や、浮薄な観念に造形を与えて解釈を迫るようなもの、動物の命を救うのでなく人間の側への収奪そのものである表現、すべてが私にとっては、もともとある身体感覚を無感覚にしろ、と強制されるようで激しい抑圧となること。

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本日の収穫。タカラガイばかりたくさん拾いすぎて未整理。

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青いガラス瓶と陶片とビーチグラス(とツノガイ)。
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いろいろなタカラガイと、赤いチリボタン、ヒオウギ、イモガイなど。
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きょう、とっても嬉しかったもの。左からベニフデガイ、オミナエシダカラ、キイロダカラ。
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2016年10月23日 (日)

味戸ケイコ「夕暮れの少女」展 / 原宿裏通り

10月20日

味戸ケイコ「夕暮れの少女」展(10月29日まで)を見に、北青山のギャラリーハウスマヤへ。

この新作のひまわりと一緒の少女は、名作「ひぐれのひまわり」の絵を思い出す。

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味戸ケイコさんの絵を少女の頃に見てから、ずっとその味戸さんの少女の世界と、無言の交信を繰り返しながら、行き来しているような感じだ。

味戸ケイコさんの魅力は、何と言っても鉛筆で描かれた微妙な光と、さびしいけれど、静かで豊かなもので満ちた空間だ。

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下のススキの野原にぽつんといる女の子。地平線近くにほんの少しの柿色。夕暮れの不安で淋しい空に、すべて包まれてしまう感じがとても好きだ(撮影時、絵の右がわの空間に向かいの壁の額が映りこんでしまいました)。
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下の絵は、女の子が空に近い岩山のてっぺんに座っている。まわりは雲の海だけれど、飛んでいるのはカモメ。

最近見たばかりの「ピクニック・アット・ハンギングロック」を思い出した。

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幼稚園の頃から、私は野原でいつまでも草花を摘んだり、きれいな貝や石をさがして一日中拾ったり、夕焼けの雲が刻々と変化していくのをじっと見つめているのが大好きだった。

自由時間があれば、絵を描いているか、本を読んでいるかが好きで、お遊戯や、みんなで元気に校庭で遊びなさい、と言われるのが苦痛だった。

なにかを夢中で見ていたり、雨や風や波の音、鳥の声を聞いていたりするのが好きな子なら、味戸ケイコさんの世界はとてもはいりこめて、安心できる世界だと思う。

味戸ケイコさんと。
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味戸さんは、私が子どもの頃からずっと味戸さんの絵が好きだったことを、とても喜んでくださる。

私が『白樺のテーブル』の女の子の顔が一番好きです、と言ったら、「あの絵、怖いって言われるの。」と。「全然。あの絵は特に髪の毛の表現がすごく繊細で、きれいで、大好きです。」と言うと、「あれを怖いって言う人がいるのよね。怖いとは思わないのは、やっぱり福山さんは私と似てるのよね。」と言われた。

下の絵。この絵を「怖い」と言う人がいることが、私には驚きだが、そんな人もいるのだろうか。味戸さんの絵は、最近よくあるような、あからさまにホラー的なものを見せつける絵ではまったくない。

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『白樺のテーブル』(安房直子/作 味戸ケイコ/ 絵)は偕成社より復刊されています。素晴らしい本なので、皆さん、ぜひ買ってください。

楳図かずおさんの『おろち』の小学館漫画文庫の味戸さんのカヴァー画の話、まんがの話など。私が『おろち』が大好きで、ストーリーやセリフをほとんど覚えていることに驚いてらした。

味戸さんの住んでらっしゃるところは山の斜面で、近くに秋草が咲き乱れる野原はいっぱいあるそうだ。最近、山百合の球根を鹿が掘り返して食べてしまったそう。

味戸さんも私も青梅街道のすぐそばに住んでいる、青梅街道は山のほうから新宿のほうまでずっとつながっている、という話。

新聞に映画「悪童日記」についてのインタヴューが載ったが、記者の編集により、自分が大切に思っている部分ではなく、どうでもいい部分を掲載されてしまった、という話。

絵描きにとって、自分の絵を大切にしてくれる人がいることがなによりも嬉しい、という話。自分の絵に興味を持って見てくれる人、好きになって、買って、手元においてくれる人。

絵には、絵を生み出すための困難、悩みや迷いの時間、じっと待機しなければならない時間、静かに集中する時間、それ以前の身体の記憶、大切な人や動物や植物やものとの深い関わりや思いなど、それに関わるすべてのものが含まれる。

そのことが理解できない人、他人の作品がどういうものか想像できず、他人の作品をぞんざいに扱ったり、ファンと言いながら、相手の貴重な時間も、相手の神経も、尊重しないで滅茶苦茶にしてしまう人がいる、という話。私もさんざんいやな思いはしてきたが、味戸さんにもそういうことがあったのだなあ、と、非常に共感した。

久しぶりに味戸さんとたくさんお話できて嬉しかった。

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帰りに友人Oと外苑西通りから原宿まで散歩。

都会の真ん中にありながら昔ながらの都営住宅の雰囲気がとても素敵だった霞ヶ丘アパートはどうなったか見てみた。すっかり工事の柵に覆われ、かつて素晴らしかった植物たちはもう失われていた

柵の外側から、この廃墟を見るだけで、私はかつて西新宿にあった都営角筈アパートや、南阿佐ヶ谷にあった阿佐ヶ谷住宅の記憶で胸がいっぱいになってしまうのだ。

私が通った小学校のすぐ裏にあった角筈アパートには、同級生の友達が何人もいた。罌粟やダリアや向日葵、雛菊、オイランソウ、色とりどりの植物が咲き乱れていた。

阿佐ヶ谷住宅は、こういうアパートに加え、前川國男が設計した、たくさんの低いテラスハウスが曲がりくねった道に配置され、李、梨、枇杷、蜜柑、柘榴など実の生る樹や、桜、ミモザ、野薔薇、紫陽花、芙蓉、カンナ、葉鶏頭、白粉花、彼岸花、蕗、白詰草、モジズリ、春女苑など、植物の迷宮だった。
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ビクタースタジオの前を通って、裏道を一周。

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「リカリスイ」っていったいなんだろう?不思議な看板を発見。飲み屋さんのようだが、かなりマイペースな雰囲気。細い柳も素敵。

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神宮前の裏通りの商店街は、なんとなく高円寺に似ているような、古い木の家と変なお店がいくつかあった。
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キラー通り、原宿通り、少し道に迷いながらアートスクール表参道の建物をさがし、Mさんの彫金作品を見た。

キディランドの裏の曲がりくねった細い路地を散歩しながら、コンビニで買った鮭おにぎりとビール。

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派手で大づくりな表参道の裏道には、意外にも植物でいっぱいの狭い路地や、古いアパートが残っていた。
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2016年10月20日 (木)

ピクニック・アット・ハンギングロック 見ているものが見られているものであること

10月20日

「ピクニック・アット・ハンギングロック」(Picnic at Hanging Rock )。以前から見たいと思っていた映画をGAOで見ることができた。

甘美なものとグロテスクなものの対比。なにからなにまで違和に満ちている。

私がこの映画に魅了されたのは、暗喩のようでいて、同時に暗喩でないものの凄みのある魅惑だ。

映画はヴァレンタインデーに起きた少女たちの失踪事件の話で、小説が元らしいが、日付は違っても似たような事件は実際にあったのかもしれないし、あっても不思議はない。

冒頭、ごうごうという風の音と砂埃と岩山。

「見えるものも――私たちの姿も――ただの夢 夢の中の夢・・・」

ポーの詩を少女が囁く声。

同時に映っているのは、金色に輝いて誘うように揺れるイネ科の細い草。枯れた花々。大きな西洋鬼薊(セイヨウオニアザミ)。これだけで私は引き込まれる。

寄宿学校の窓辺にも野性的で強烈な西洋鬼薊(ちなみに、この花は、ヨーロッパからオーストラリアにはいってきた外来種だ。)

たくさんの薔薇が生けられた洗面器の水で顔を洗うミランダ。ここで、薔薇の花びらが浮かんでいる水ではなく、たくさんの茎が浸かっている水であることが重要だ。

少女たちはヴィクトリア時代の繊細なレースの白い服。少女たちはそれぞれにヴァレンタインカードの愛の言葉を読み上げる。セーラはミランダに愛の詩を捧げたのだろう。

寄宿学校の中のヴィクトリア調の優雅な世界から、砂埃を上げて馬車は、決してヨーロッパの森や山ではないオーストラリアの荒々しい自然へ。

岩山のふもとに着いた時に、ミランダが少し顔をしかめて見上げる頭上に騒がしく飛んでいる鳥は、極彩色の鸚哥だ。

ざらざらした奇怪な岩山との対比で、繊細なレースの白い服が、異常なほどなよやかに映る。

ミランダが先生と別れて岩山の方へ登る時に、最後に見せた微笑の前にも薊。

「見て!」とミランダが、魅入られたように奇怪な尖った岩をさし示して(ミランダは、そこになにを「見た」のか、なぜ彼女は同行する少女たちもそれを共有できると思ったのか、)どんどん岩山の上に登って行く途中にも鮮やかな薊。

岩山の上で眠るミランダの横に、まるで岩山が手におえない生き物に変身して、これから彼女をどうしようか、と楽しそうに窺うかのような大きな蜥蜴。

ごうごうと唸る尖った奇怪な岩は、人間の制度や文化と関係ない「なま」のもの、人間の営みや生死とは違う次元のものであり、少女はたやすくそこを超えてしまえるのだろう。

靴も靴下も脱ぎ捨てた3人の少女が呼んでも振り返らずに岩の隙間に入って行く時、もう取り返しがつかないことが起きる恐怖の予感で絶叫するイーディス。

マイクルは少女を目撃したことを警官に尋ねられ、なぜ「4人」でなく「3人の少女」と言い間違えるのか。

そこに行けなかったイーディスは、嘘をついていないのか。

生還したアーマは頭部を強打していて、からだには傷がない。つまり誰かに頭を殴られたのだ。アーマは自分が見たことを隠していないのか。

生徒たちがダンスのレッスンを受けている時に、先生に連れられて来たアーマの、じきヨーロッパに旅立つという時の、自分だけが岩山の暗い裂け目から生還したことを誇示するかのような、眼を射るように真っ赤な帽子と真っ赤なマント。

それに対して生徒全員の冷たい目。非難と絶叫。

「死んだのよ!汚い洞窟で死んだのよ あの岩山で みんな死んで腐ってる!」と、ことさらにイーディスが絶叫するのは、そこに消えてしまって甘美な夢となることを、自分は拒否されたからではないのか。

セーラもまた少女であるのに、貧しい孤児という理由だけで、岩山にも行くことを許されず、ミランダのように人間的ではない世界へ行ってしまうことを許されなかった。

実の兄と近くにいながらも再会できず、彼女を誰もたすけることができない理不尽さ。

セーラにだけの扱いの残虐さも対比、違和。

セーラは、世の中の無慈悲さのいいなりになることを拒否して(ミランダの大好きな野菊の花をくれた庭師の世話している)温室の上に飛翔、逃亡。

冒頭のポーの詩は、「私たちが見ているものも――私たちがどう見られているかも――ただの夢」と、少女が、囁いている。

少女たちがなにを「見ている」のか、少女でない誰にもわかることはできない。

少女は、少女でないものには共有できないものを見、俗世の欲やしきたりと無縁の、無償の世界に行ってしまえるけれど、同時に「見られている」存在でもある。

そして「夢見るもの」が、「夢見られているもの」でもある、ということにおいて、この世では、どんな残虐な目に遭う危険もある。

マイクルが、なぜ、自分が見た少女は「3人」と言ったのか。

彼がミランダに魅せられて彼女に酷いことをしたことを警官に隠して、ミランダを人数に入れないで答えた可能性もある。

しかし、それよりも、イーディスは彼に「見られる」存在でなかったから、彼はイーディスを人数に入れなかったのではないのか。

イーディスは、奇怪な岩山の魅惑(夢)を「見る」ことができなかった。そして青年たちからも魅惑(夢)として「見られる」ことがなかった。だからイーディスは岩山の恐怖から逃げて帰って来て、この世を生きている。

厳格で無慈悲で権力をふる女校長が不安に乱れて狂っていき、すべての鬱憤がセーラに向かい、破滅していくさまは、とても怖く、悲哀に満ちている。

この校長を素晴らしく演じたレイチェル・ロバーツ(Rachel Roberts)が、この当時、私生活でも離婚で傷つき、実際にアルコール依存症と鬱病で1980年に自殺していることを知ると、彼女はさらに、凄みがあって痛々しい。

ファンタジーと残虐な現実が同時に在る。本当にあった話なのか、フィクションなのか、事件に巻き込まれたのか、事故なのかはっきり描かないことによって、幾重にも想像力を掻き立て、この映画は素晴らしい緊迫感を獲得した。

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2016年10月19日 (水)

ちゃびのこと 危機からの快復

10月19日

今朝7時すぎ、ちゃびの「うぎゃあ!うぎゃあ!」というゴロゴロ爆裂音で起きる。

日曜から、朝からずっと何時間もゴロゴロ言ってご機嫌になった。具合が悪い時には、爪とぎバリバリも、足で顎をかいたりもしなかったが、今は活動的。

私のひざの上に乗っかってきてはゴロにゃあ!とおしゃべり。

一週間くらい前に、すごく具合が悪くなり、もうだめかと思ったが、介護により元気に快復したちゃびの記録。

ちゃびがもうだめかと思った時は、私は生きた心地がしなくて、もう一度、ちゃびのゴロにゃあ!が聞けるなら、代わりになにを失ってもいいと思った。

今、ずっとゴロにゃあ!と言ってくれているちゃびが、奇跡のようで、胸がいっぱいだ。

ちゃびは現在、19歳と4か月だ。老猫の介護をされている人に、少しでもなんらかの参考になることがあれば、と具体的に書いておこうと思う。

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10月10日の祝日のことだ。

ちゃびが、すごく具合が悪くなって、食べ物のお皿に鼻をくっつけて食べたそうにしているのに食べられない、トイレに何回も行くのにうんこが出ない。

そう言えば「うぎゃあ!うぎゃあ!」とはげしく喜んでいた10月4日以来、ゴロゴロ言っていない。

11:15にプロナミド1/2錠、ぺリアクチン1/6錠をあげて、いつもなら食べていたのに食べないので、さらに12:30にセルシン(10mg)の1/6錠あげたが食べない。トイレとお皿の往復、何度もトイレに行って座り込んだり、食べ物のお皿に鼻をつけているが食べられないのを繰り返す。

13:30にさらにセルシン1/10錠(1mg)をあげたら3時に、腰がふらふらになって両足を開いた変な座り方をしながらk/dのカリカリと缶詰、ほんの少し食べ始めた。

夜21:20にセレニア。22:20に輸液170ml。23:10にピモベハート1/2錠。プロナミド1/2錠。23:50にセルシン。12時に亜麻仁油をシリンジであげた。

すごくぐったりしていて、顔つきがおかしい。

12:15~何度もトイレに行っては中に座り込む。

心配で頭がおかしくなりそうで、私は10日の夜は朝までよく眠れず、何度も全身びっしょりの汗でうなされて目覚めては、疲れた頭のまま、また寝た。頭と肩だけでなく、胸のほうの筋肉まで硬直して、ざわざわとした動悸と胸の痛みが苦しかった。

10月11日(火)

ハナ動物病院に連れて行った。

ちゃびの脚に針が刺されて採血されているあいだ、ちゃびの頭に口をつけながら涙が止まらなかった。私がちゃんとしていなかったせいで、腎不全の末期になってしまったのかと、検査結果が怖くてしかたなかった。

血液検査の結果、腎不全はBUN22.2(前回5月末は45.4)、CRE1.7(前回3.6)で、むしろ前回の半分の数値になるほど良くなっていた。

肝臓も心臓もすぐ危ないという数値ではなく、結局、脳神経だと言われ、とりあえず今すぐ絶望的な状態ではないと安堵する。

しかし、ふらふらして感情の反応がなくなってしまったちゃびに涙、涙。

夜10:40輸液170ml。

11:15からFKWを15回くらいに分けて少しずつ給餌。

10月12日(水)

6mlのシリンジが給餌に使いづらかったので、10mlのシリンジをもらいにハナへ。

給餌は初めてなので、ひと口にどのくらいの量まで入れていいのかを質問。

今まで投薬の時に私が勢いよく水を飲ませたせい、またきのう焦って亜麻仁油をシリンジで飲ませたりしたせいで肺炎になった可能性はあるのか、など聞いた。

血液検査の結果、炎症反応はないので肺炎にはなっていない、と先生に言われながらも涙、涙・・・。

嗚咽しているわけではなく、普通に会話はできるのだが、流れてくる涙と鼻水を止められなくて、しょっちゅうティッシュで眼を拭き、鼻をかみながら話していた。

急に悪くなったことが悲しくて。確かに今まで、何年も前に急に食べなくなって2日くらいで自然に治ったり、2年前に食べなくなった時も腎不全が原因ではないと言われた。

2:30から30分かけて、少しずつFKWをシリンジで給餌。計20gほど食べる。

3:45、ちゃびがカリカリのお皿の匂いをかいだ。かつおぶしとレンジアレンをほんのかすかにかけた部分を食べた。

夕方、また給餌。夜10時近く、少し元気になり、ふとんにはいってくる。

10月13日(木)

昼にFKW16mgほど給餌。深夜12時に家で初めての摘便。1.5cmほど。

深夜1:30までかけてFKWの残り全部を給餌。

10月14日(金)

朝7時、ちゃび、トイレに行くが出ない。私も飛び起きてネットでいろいろ調べる。

セルシンやぺリアクチンなど抗コリン薬や抗ヒスタミン薬は、消化管運動抑制作用がある、と書いてある。

プロナミド(セロトニン5-HT4受容体拮抗薬)は抗コリン薬投与の場合は投与間隔をあける、と。

抗コリン薬をやめてプロナミドとピモベハートだけにすること、今までの薬の飲ませかたが悪かったのではないかを相談しにハナへ。

快作先生は、ちゃびにやっていたセルシンやぺリアクチンはごく少量だからだいじょうぶ、また、プロナミドとぺリアクチンの投薬間隔をあけなかったことも、効かなくなることもあるということだからだいじょうぶ、と言う。

しかし、私としては、自分のやってきたことがよくなかったのではないかと、胸が痛くてたまらない。

プリンペランについて質問したら、プロナミドはプリンペランをさらに改良した薬というわけではなく、効果が違う薬で、猫にはプロナミドのほうが効くと言われている、とのこと。

とりあえず私の考えとして、投薬はプロナミド(消化管運動促進薬)とピモベハート(強心薬)のみにする。

3時、FKW20g給餌。この日、朝9:30に1.5cm、夜8時に3.5cmの太いうんこが出た。おしっこの出もまあまあ。

夜10:30から12:30くらいまで、数回に分けてFKWの残りを給餌。

10月15日(土)

昼1:50 プロナミド1/2、ピモベハート1/2。

2:30~3時 少しずつ何回かFKW給餌。

夕方4時すぎ、私がドーナツ座布団で寝ているちゃびに、「ちゃび~、ちゅっ、ちゅっ」と口をつけると「うにゅ~ん、うにゅ~ん、うにゅ~ん」と反応あり。

夜9時 プロナミド1/2、ピモベハート1/2。爪とぎの上で伸びをする。

9:20 輸液170ml。

10:30 うんこ5cm。

11:35 ついにドーナツ座布団でゴロゴロ爆発!

11:50~ 鮪のお刺身2切れ、叩いてミンチにしたもの、レンジアレン。FKW1パックの残り全部(シリンジで7本)給餌。

10月16日(日)

朝9時 うんこ12cm分くらいの軟便。

シャワーしておしり拭く。

9:47 私がうとうとしていたらうぎゃあ!うぎゃあ!とゴロゴロ爆発の声で起こされる。だっこして一緒に寝る。私に抱かれたまま、ずっとゴロゴロ。

1時 うんこ2.5cm。

4時 プロナミド1/2。

4:30  うんこ10cm。

8:50 プロナミド1/2、ピモベハート1。 

9:40~10:40 FKW1パックの残り全部、少しずつ(シリンジで7~8回)給餌。

10月17日(月)

朝8:20 ぐるにゃあ!ぐるにゃあ!の大きな声で起こされる。私の布団にはいって来て、またのあいだでゴロゴロ言いながら寝る。

10時 お勝手に寝転がっている。触ったらすぐにゴロゴロ。

11:40 ハナ動物病院にFKWをもらいに行くが品切れ。快作先生に、すごく元気になったと報告。「躁鬱だね。」と言われ、「本当に躁鬱?胃腸のせいじゃないの?」と言うと「わかんない。」と。やはり一緒に暮らしている者が観察して判断しないと、と思う。

12:48 PCをやっている私のひざに乗っかってきてゴロゴロ。

1:30 FKWシリンジ1本分。暴れる。

2:05 うんこ1cm。

夜9時 ドーナツで眠っていたところを触るとゴロゴロ爆発。

9:30 プロナミド1/2。ピモベハート1。

9:58 輸液170ml。

10:27 うんこ3cm。

10:40~11:40 ヒルズk/d缶 100gほど給餌。

10月18日(火)

朝9時 ごろにゃあ!ごろにゃあ!と爆発。私の布団にはいって来て、またのあいだでゴロゴロ言いながら寝る。

10時 うんこ5cm。

11:45 うんこ2.2cm。

12:58 うんこ2.5cm。ずっとゴロゴロ。

1:07 プロナミド1/2。

その後、ドーナツ座布団でゴロゴロ。私がトイレに行くと、ついて来てゴロゴロ。

2:45 ヒルズk/d缶8gほど給餌。元気になってきたので給餌を拒否して暴れる。

夜8時 うんこ2.5cm。

9時 プロナミド1/2、ピモベハート1。

9:30~11:50 ヒルズk/d缶をシリンジで何回も給餌。マグロ中トロ2切れ、サーモン1切れを細かくしてレンジアレンと混ぜたものを口に入れてやる。

11時 うんこ2.3cm。

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2016年10月 4日 (火)

鈴木其一展(サントリー美術館) 

10月3日

サントリー美術館の「鈴木其一 江戸琳派の旗手展」へ。

「蓮に蛙図」・・・これはぱっと見て衝撃があった。観念的な蓮ではなく、柔らかく乱れ、しおれかけたなまめかしい蓮。蓮の花弁の輪郭の墨の筆の表現に豊さがある。

「木蓮小禽図」・・・今回の展示中で最も妖しい美しさを感じた花の絵。中心の大きな二輪、特に左の花は観念では描けない。花弁をよく写生して、一番妖艶な、めくれかた、うねりかたを選んで、意識して描いている。図録ではわからないが黒紫の色の濃さ、艶やかさも素晴らしかった。

「群禽図」・・・今回の展示で一番好きな絵。左右幅それぞれに十三羽ずつの鳥。左幅のミミズクに向かって集まってきている。

「藤花図」・・・前期の展示では青味がかった花のほうの一幅だけ展示されていた。もう一幅の赤味がかった花の図と一緒に並べて展示してほしかった。固いつぼみが多いところに非常に清冽な美しさがある。蔓の先端のかたちも決まっている。

第一展示室に酒井抱一の「藤図扇面」があった。短時間でちゃっちゃと描かれていたが、小さい扇面の中、左右に青味がかった藤と赤味がかった藤の二種類の花を描いていたことに注意がいった。薄紫の微妙な色相を意識して味わうことができるように、青味の薄紫と赤味の薄紫を横に並べて描いているのだと思う。

「朝顔図屏風」・・・強烈なアズライト。今回の展覧会の目玉作品のようだが、私はあまり関心を惹かれなかった。

江戸時代に人々が熱狂した変化朝顔の奇妙さ、妖しさのほうにすごく惹かれるので、真ん丸の青一色(おそらく朝顔の原種に近い)が一面に描かれた絵は、単調に感じるのだ。葉のかたちもあまりに図形化されていて単純で面白くない。私は構図より個体の変化に目を奪われる人間だからだ。

私の見たかった「四季花鳥図屏風」や「秋草図屏風」は、今回(前期)の展示にはなかった。

今回、面白くて笑ってしまったのは、鈴木其一の書状だった。パトロンに宛てて、好きな漬物を送ってくださってありがたい、今回はほかからあまり送られて来なかったから、とか、、家の修理ができないでずっと寒くて体調が悪い、とか、コレクション向けの作品の真贋を見ながら紹介できるから値段を聞いてから興味があったら言ってください、とか。

現代と変わらない画家の生活の悩みの、とてもリアルな手紙だったので、思わずその場でアハハハハと笑ってしまった。

この日も夕方までなにも食べていなかったので、サントリー美術館の中にある加賀麩のお店、不室屋というところであんかけ丼を食べた。

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鳥など肉類がはいっていると私は食べられないので、よく聞いてから注文した。見た目がすごくきれい。お吸い物はほとんど味がないほど淡白。麩と湯葉のあんかけ丼はまあまあおいしかった。

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2016年10月 2日 (日)

宇野亞喜良展「綺想曲」 銀座 四谷

9月30日

友人と宇野亞喜良展「綺想曲」(銀座三越9月28日ー10月4日)のレセプションへ。

またも描き下ろし。宇野先生のエネルギーに感嘆。

このご案内はがきは正方形。タイトルは「ピカソとフジタとミロとわたしの猫、そしてコクトーの猫」。

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少女の右側には、下からピカソの描いた鳥をくわえた猫、その上に藤田嗣治の猫、その上にミロの猫。少女の薄黄色のワンピースにはコクトーの猫。少女の左側の下には、私の大好きな鳥の写生画を描いたエドワード・リア(1812-1888)のちょっとまったりした梟と猫の絵のコピー。

エドワード・リアが私の背筋がぞくぞくするほどの見事な鳥の写生画を描いたのは、14歳の頃だという。

宇野亞喜良先生のこの絵は、猫を魅力的に描いた才能たちへのオマージュでもあるだろう。

先人(画家、美術家)の絵のコラージュは続く。スペインのダリとピカソの本歌どり。王女マルゲリータ。ヘンリー・ダーガーの怪獣。エジプト風。昔の新書館風。

どれもメランコリックに、ごてごてしすぎずに、仕掛ける。30年前、40年前、50年前、それよりもっと前の、遥か昔の、ふっとした風、それぞれ秘密の個別の体験とノスタルジイ。

「ボディーペインティング」という絵。ネコ科の猛獣が三頭、体にペイントされている。猫を抱いた女の子は嬉しそうに絵筆を持っている。この絵が一番好きだった。もう売れていた。

魚の口から猫が飛び出している(食物連鎖が逆に描かれている)のの横に、白鳥が頭からはえたウロコの肌の女の絵、「ひとりぼっちのあなたに」。これも素敵だった。

夕刻5時から、よく冷えたフリュートグラスでワインなどの飲み物が出た。すきっ腹にスパークリングワインを飲んだら胃がきりきりした。つまみには私の(甘くて)苦手な苺色のマカロンだけが供されていたので手が出なかった。

レセプションはたいへんな盛況だった。奥様の三枝子様にもご挨拶できた。先日、たまたま奥様がお留守の時に、宇野先生のお仕事場にお邪魔したことのお詫びを申し上げた。

有名なファッションデザイナーや寺山修司の演劇関係のかたもいらしていた。蘭妖子さんは、私が子どもの頃に見た寺山修司の映画のお姿とあまり変わらなかった。

残念ながらレセプションのスナップも、写真撮影は一切禁止だった。

そのあと、友人と夜の銀座に遊びに出た。

銀座の夜を遊ぶと言っても、飲んだり食べたりは一切せず、裏通りを探検して、なにか不思議な面白いものを見つける遊び。お金はかからず、どこに行っても外国に行った時となんらかわらない。

私は、ものを見る楽しさを知っている友人と、おなかをすかせたまま町をほっつき歩くのが大好きだ。

後ろに泰明小学校の建物が見える公園。岡本太郎のオブジェの前で。

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まるでゴシック。耽美な雰囲気のある夜の泰明小学校の建物の前で。

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裏通りでビルの暴かれた内臓のような黒く煤けた壁面を見つけた。

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ドイツやイングランドで、数百年を経た煤けた建物の壁面を夢中で撮っていたことを思い出す。ロンドンのバーモンジーの蚤の市の近くで素晴らしく古い建物を撮っていたら、「ロンドンで最も古いアパートなんだよ。」と現地の人に話しかけられた。
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走り抜けて行った三毛猫。この直前に狭い裏路地で、私の足もとを駆け抜けて行った鼠を見た。からだは茶色っぽくて、とても素早かったので確認できなかったが赤いプチトマトのようなものをくわえていたように見えた。
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そのあと四谷に出て、いきつけの庶民的な店で食事。

四谷に来たとき、私は必ず立ち止まって、この駅前の橋の上から、また地下鉄のホームから、暗い谷をのぞく。ここだけひんやりした空気がたまっていて、鬱蒼とした植物の中に無数の虫の音が響いているから。

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橋のたもとの街灯も、店の光がにじむのも外国のよう。都会の駅前なのに静かな空間。

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スズメウリの蔓が幾重にも垂れ下がっているのを見つけて嬉しくなっているところ。

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きょうの服装はBlitis A un Cher Amiの黒いフランスレースのロングチュニックとアシンメトリースカートの重ね着(靴もコサージュも含め全部古着)。秋になり、レースとベルベットの古着で思いっきり奇妙な重ね着をするのが楽しみだ。

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