« 本郷理華 「カルミナ・ブラーナ」 ・ 宇野昌磨 /  絵の撮影 | トップページ | 画集の打ち合わせ / 対人ストレス /  最近のちゃび »

2017年3月16日 (木)

右上腕の怪我、過緊張、緘黙 

3月15日

きょうは、最後の寒波なのか、すごく冷えて身体が痛かった。

昨年の6月28日に、思いがけないことで右腕上腕を筋断裂してしまい、ずっと拘縮の痛みに苦しんでいる。整形外科、整骨院の電気治療、リラクゼーションサロンと、いろいろやってみているが、なかなかよくならない。

利き腕なので、いろんな作業に差し支えている。

おとといから新しい整骨院に通い始め、今日は二回目。

ここは前に通っていたところとはまったくやりかたが違う。マッサージはなく、深い指圧と、骨格の歪みの矯正。

私が整骨院やリラクゼーションサロンでもっとも重要に思うのは、余計なおしゃべりがないこと。世間話をされて治療師の見解に同意を求められた場合、ほぼ100パーセント同意も共感もできないでストレスになるので、言わないでほしい。

その点、ここはまあ合格。

3月3日

上半身の緊張が少しでもとれれば、と頸の神経ブロック注射をしに、久しぶりにSクリニックに行く。このクリニックはいつもすごく混んでいるので、冬の間はインフルをもらってしまいそうで怖くて行く気にならなかった。

頸の神経ブロックだけですぐ終わると思っていたら「久しぶりなので診察しますね。」と言われる。

ここの院長先生は、痩せていて派手な顔立ちで、30代のように若く見え、はっきりサバサバとものを言う、明るくてアグレッシヴでてきぱきした感じの人だ。

以前、頸と肩の凝りで頭痛や吐き気がしてどうしようもなくて、神経ブロック注射に通っていた時、「どんな仕事してるの?」と聞かれ、「今は、本をつくってます。」「へええ、どんな本?」「え・・・と・・・芸術系の・・・エッセイです。」と言ったら

「へえ~。すごいねえ!面白い仕事してる患者さんがくるね~。がんばってね!僕は応援してます!」と明るく言われ、私は赤面して苦笑。
「応援してる」とか軽く口先だけで言わなくていいのに、としか思わなかった。

ところが今日、驚いたことがあった。

昨年夏に怪我した右腕が拘縮して上がらない、なにかよい治療法はありませんか、とおずおずと尋ね、2、3週間前にほかの整形外科でCTを撮ったばかりで、そこでリハビリしていて「こうして相談すること自体が二重診療になってしまいますか?」と私が聞いたら、その院長先生は言った。

「「わたし」はねえ、すごくいつも、24時間緊張してるのよ。それで24時間、自律神経が休まらないのよ。いつも、診察の時に異常に緊張しているのが僕にはわかる。」

彼は「あなた」というところを「わたし」と言っていた。

「「わたし」はねえ、ものすごく頭が働いて、ほかの誰も気がつかないことを察知して、いつも、ものすごくたくさんのことを考え過ぎて、疲れすぎて緊張しすぎてるのよ。」と言われ、あまりにも私のことを正確に言われてびっくりした。

「その通りです、わたしは幼稚園の時からずっとそうです。」と応えた。

「今も保険の二重診療のこととか、「わたし」が考えなくていいことをものすごく考えすぎて心配してるのよ。日本の保険制度はおかしい。柔整は半グレ。いろんなこと、考え過ぎないで、絶対なんとかなるって思わなくちゃ。柔整の施術内容回答書も、出したくなければほっとけばいいのよ。なにからなにまで心配しないで。そっちの整形外科の滑車のリハビリもやってていいよ。」」と言われた。

「右腕の拘縮している箇所にブロック注射したら少しはほぐれませんか?」と聞いたら、

「「わたし」の場合、他の人ならなんでもないことも察知して激しく反応して、もっとひどくなることがありそうな気がする。それは僕がここに開院して17年間の直観。」と言われた。

短くしか言葉を交わしたこともなく、一見、軽そうにも見えて、私の性質など、もし気づいても面倒くさいと思うくらいだろうと私が思い込んでいた院長先生が、私の過敏で過剰な性質をちゃんと見ていて、それに寄り添って治療を考えてくれたことに、すごく驚いた。

まったく期待していなかった院長先生に、俄然、信頼感がわく。

「左頸にブロック注射してみようか。」と言われる。右頸に打つほうが当然効くが、私は甲状腺癌摘出手術で左の声帯と反回神経を切断してしまっているので、右頸に麻酔を打つと左右の気道が閉塞して息ができなくなるので、右には打てないのだ。

仰向けに寝て左頸に神経ブロック注射をして、ふわっと効いてきて顔や頸が熱くなってぼーっとしている間に、一生懸命右腕を上に上げたり肩を回してみたら、少し痛みがとれて、いつもより動く気がした。

過去に何回か神経ブロック注射の止血をみてもらったことのある若くてかわいい看護師さんに「右腕が痛くなってたんですねえ。ぜんぜん気がつきませんでした。」と親切にしていただいた。(右腕のこと、今日までこちらでは言ってないんだから、気がつくわけはないのですが。。。)

・・

私は何をやるにしても相手の反応や、その場の雰囲気、そのあとにどんなことが起きるかを考えて、逡巡しすぎて、ものすごく疲れて緊張する。

そして自分の率直な意思表示を飲み込んで、我慢してしまうことがものすごく多い。

結局なにも行動を起こさず、表情にも出さず、抑え込んでてしまう。

そんな風に緊張しながら、私が心身のエネルギーを使い果たしたことは、目の前の相手はもちろん、まわりの誰にも気づかれない。

私は、自分と正反対に、相手の反応おかまいなしに、自己展開して一方的に気持ちよくしゃべり続ける人が苦手だ。

逡巡や緊張なしに、ぺらぺらしゃべる人の話はたいてい酷くつまらなくて、私には同意も共感もできないからだ。

私は、耳を遮断して聞いているふりをすることができなくて、嫌なことも直接、身体の奥まではいってきてしまうから、恐ろしく疲れるのだと思う。

嫌だと感じることも、好きだと感じることと同じくらいに、激しく強烈に、私の中にはいってきてしまう。

私には自分が大切なものがはっきりしている。だから、そこにのめりこんで集中したい時に、誰かにそれを邪魔されるのがものすごくストレスになる。

また、自分の言いたいことが、伝達不可能だとわかっているのに、それをまったく違う意味に平準化され、「わかるわかる」と言われることが苦痛でたまらない。

「あなたには見たことも感じたこともないことを、私は今、言おうとしている、ということを認めてほしい」と相手に言っても伝わらない。

「自分にはわからない」ということを認めない人、なんでも「自分もわかる、自分のほうが上だ」と言いたがる人がすごく苦痛だ。

わりと最近まで知らなかった言葉だけれど、私の子ども時代は「場面緘黙」というのにぴったりだ。

幼稚園から高校くらいまで、ものすごくいろんなことを考えて、感情ははちきれそうだが、人前で話すことが死ぬほど嫌だった。

なにも言えなかった幼い頃の私も、自分が大切なものははっきりしていた。

私は口に出したくても言葉にならなかったこと、うまく言語化できない微妙な次元の、内面では激しく感じているリアルな私の生のために表現をやろうとしているので、たぶんこの不全感と焦燥と対人ストレスは一生続くのだろう。

|

« 本郷理華 「カルミナ・ブラーナ」 ・ 宇野昌磨 /  絵の撮影 | トップページ | 画集の打ち合わせ / 対人ストレス /  最近のちゃび »

身体」カテゴリの記事