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2017年4月16日 (日)

浅田真央引退  タラソワ  『仮面舞踏会』 『鐘』

4月13日

11日の夜に浅田真央の引退のニュースを聞いて、言葉が出て来なかった。もう少しのあいだは、彼女が闘う姿を見られると思っていたので、すごくショックだった。

彼女の演技のなにに、こんなにも惹きつけられたのか、それを表す言葉が新たに出てくるだろうか、とずっと考えていた。

12日のTVの『引退特別番組 浅田真央26歳の決断~今夜伝えたいこと~』を見た。

浅田真央自身がどれほど重いものを背負って死に物狂いでやってきたかを、近くにいて確かに知っている浅田舞が、直接、真央にむけて言葉を(選びながら、かみしめながら)かける、というシーンに泣けた。

彼女がやってきたことの価値も意味も少しもわからないタレントの頓珍漢なコメントや、大人げない記者の間抜けな質問は不快なだけだ。

タラソワについての思いを聞かせてくれる質問がほしかった。

・・・

私が浅田真央に痺れたのは、彼女が17~18歳で、タチアナ・タラソワに師事した時からだ。タラソワは、無邪気な浅田真央をがらりと変えた。

『仮面舞踏会』。この、なんとも妖しく豪奢な、速い3拍子の、繰り返したたみかけてくる旋律の曲を選んだタラソワのすごさ。

初めての舞踏会に浮き立つ少女、同時に運命の残酷さにまだ気づかない少女。

浅田真央が頬を染めて初々しく輝けば輝くほど、私には毒を盛られたことに気づかず舞踏会の夢で踊る少女、悶絶する最期を前に、死に神と手を取り合って高らかに舞う乙女にも見えてくる。

シャンデリアの煌めく大きな部屋、彼女のまわりにも光る絹やビロードの衣装と仮面をつけて、ざわざわとなにかささやきながら踊りに興じるたくさんの死者が見える。彼らの口元は微笑んでいるが、眼は隠されて見えない。

そのように、めくるめく多重のイメージを自分が演じていることを、この時の浅田真央は、気づいていないように見える。

タラソワはもちろんすべてわかっていて、浅田真央が(類い稀な身体能力を持つ天才で、かつ)無垢で可憐な少女だからこそ、このような暗く濃い色彩の、残酷で華麗な、夢幻劇が展開される曲を、彼女に振り付ける。

タラソワの振り付けは、文学的な意味ではなく、暗喩や象徴の極みとも言える身振りとして、見る者、ひとりひとりの内奥、記憶の深遠に直接訴える。

タラソワの深みの、情念を排除しない、いわば骨がらみの思想を顕在化するにあたって必然の、実際にそれを可能にする能力を持つ極めて稀な身体、その受難(パッション)のしるしを刻まれた人材、

夢見るような顔で難易度の高い振付を実現してくれる浅田真央の天才に、その千載一遇の邂逅に、タラソワはどんなに歓喜しただろうか。

浅田真央は自分が甘美な少女でありながら、死の舞踏を演じていること、自分が見るものをぞくっとさせる魅惑で、人々の眼を見開かせていることに気づかない。

だからこそ、『仮面舞踏会』の浅田真央は、この世のものではない、触れるこのできない美少女として輝く。

この時の綺麗な衣装は黒、紅薔薇色、黒紫、鮮やかなピンクと、4、5着あったように思う。衣装によっても舞踏会の情景や、そのドラマはその都度違って見えた。それほどに想像力を刺激するドラマチックなプログラムだった。

バンクーバーで紅薔薇色の衣装の浅田真央は最高に豪奢な『仮面舞踏会』を舞った。

そしてバンクーバーのクライマックスに、もっとも難しい『鐘』という曲を選んできたタラソワの思い、その感性。なんという良い曲を、タラソワは浅田真央という主役の、最高の舞台に選んだのだろう。

浅田真央でない凡庸な選手が『鐘』を演じたら、この曲の重厚さに押し潰されてしまい、ただの暗鬱でもったりした退屈なものになってしまう。

自分で自分の頬を叩いて怒りの形相をする真央のなんという斬新さ。

この凄まじい闘争、怒り、忍耐といったものを、ある濃い色彩や幅のある喚起力を伴う強烈に印象的な動作、変幻する鮮明な絵として具現化するタラソワの真骨頂。

この『鐘』の映像を見ながら、「この時が一番強い気持ちだった。毎日怒ってたもん、リンクで。」「負けたくないという気持ちが・・・鬼みたいだった」と浅田真央自身が言っていた。

それほどこの曲は浅田真央を最大限に生かし、鬼に、魔物に変容させた。

タラソワと浅田真央の『鐘』は、真にスリリングな生存の闘争のドラマであり、陰影の濃い叙事詩であり象徴詩だ。

タラソワの底知れぬ深みと卓越した感覚から生まれてくる詩が、浅田真央という素の天才の身体によって、現実に顕わされてくる瞬間、瞬間、その奇跡に、私は完全に魅入られてしまったのだと思う。

浅田真央の身体は、理論や言葉ではなく、身体の感受性として、直接的に、非常に高度で難解なタラソワの振り付けの核心を受容し、理解してしまう。

浅田真央の身体の感受性のなににも染まっていない素直さ、柔軟さ、同時に頑迷とも言えるほどのひたむきさ、激しく一途で、困難に耐え、あえてリスクに挑む勇気、最高の難易度のことをやり遂げようとする向上心、その不屈の精神が、この『鐘』を体現した。

バンクーバーでは、エキシビションもタラソワが浅田真央のために最高に華やかな「カプリース」を用意していた。

どんな点数が出ようと、この大会で、浅田真央は明らかに主役であり、すべてにおいて、二度とあり得ないほど突出していた。

・・

タラソワが浅田真央に選んだ素晴らしい曲のひとつ『シュニトケのタンゴ』もまたよかった。

もの哀しいようで情熱的、格調高いステップ。

シュニトケは、前衛的な表現のためにソ連当局から弾圧された作曲家だ。私は詳しいことは知らないが、タラソワの亡くなったご主人(ピアニスト)に捧げた曲もいくつかあるらしい。

タラソワが浅田真央にシュニトケを演じさせることに深い思いがあったことは、おそらく間違いない。

「ロマノフ王朝の最期」(原題は「苦悶」)。この映画もまた破滅、最期がテーマだ。

このタンゴが使われている「愚者との生活」のヴィクトル・イェロフェーフェフ台本の歌劇のCDは実に興味深かった。

倒錯と狂気、ソ連当局を痛烈に批判する風刺に溢れながら、極めて詩的だ。

・・

タラソワがほかの選手に振り付けたプログラムにはどんなものがあるのか、少し調べていて、偶然、タラソワのアニバーサリーのショーの動画を見た。

名だたる選手がたくさん出演していたが、浅田真央の『鐘』や『仮面舞踏会』『ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番』ほどにすごいものは、ほかにないと感じた。

タラソワと浅田真央の出逢いが生みだした奇跡は、女子フィギュアの最高傑作だと思う。

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