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2017年5月

2017年5月29日 (月)

整骨院で逆に自律神経失調(不安と過緊張)が酷くなることをされた話 (1) / 元場面緘黙

5月24日

私は過緊張で不安を感じやすく、、何事も悲観的に考えやすい性格(少女時代は場面緘黙症)だ。(もともとの原因は、生まれつきHSPであることと、幼年期からの父からの虐待だと思っている。)

過緊張の苦しみと疲労で常にがちがちに凝り固まった首から肩、背中の筋肉をほぐすために通っている整骨院で、最近、逆に、体調を大幅に崩すほど酷く苦しめられる事件があった。

私にとっては、ものすごくストレスと怒りを感じる事件だったので、ここに書いておこうと思う。

事件から一週間経ったが、いまだに特に朝から昼にかけて動悸とのぼせで呼吸が苦しく、手が冷たくなり、背中と肩が酷く痛い。一度不安をかきたてられた脳や神経が勝手に暴走してしまったようで、平静に戻らずに苦しんでいる。

5月22日に、行きつけの整骨院で、その事件は起きた。

そこは、最寄りの駅でエキテンのトップに出てくる(つまり経営側が、なによりも宣伝効率を高めることに力を入れていて、実際に社長が経営戦略マニュアルを販売しているようなやり手の)整骨院だ。

順番に呼ばれて、中に入って、ベッドに横になる時に、だしぬけに、「これ、スッタフ一同からです。」と手書きの文字で書かれてある、糊で封緘した無地の封筒を渡されたのだ。

私はすごく驚いて「いったいなに?」と聞いた。

私に封筒を渡してきたスタッフは、最近入って来たばかりで私がまだあまり慣れていない大柄で低い声の男性(この整骨院のスタッフは全員男性だ)で、その人に「スタッフ皆からです。」とにこりもせずに真顔で言われたために、私はものすごく不安になってしまった。

受付でなく、ベッドに行った時にこそこそ渡され、しかもわざわざ糊で封緘してあってその場で中を読めないようにしてあるために、私はそうとうな重要な要件を書かれたのに違いないと思った。

ここまでするのはいったいなんなの?とひどく気持ち悪くて、すっかり不安になり、なにか私へのスタッフ全員からの抗議なのか(なにか私はスタッフに対してひどい態度をとったっけ?)、と思ってしまったのだ。それで一気に動悸が上がって吐き気するほど具合が悪くなってしまった。

その後は痛いほど動悸が激しくなり、頭はほてり、めまいと頭痛と吐き気がして全身のふしぶしが痛んできた。私を治療しているスタッフが「だいじょうぶですか?唇が紫色になってますよ。手が冷たい。」と言ってきた。

そんなネガティヴな手紙をスタッフ全員から渡されたなら、私が具合悪くなって当然でしょう?と内心思い、実際、なにか言葉を発する力ももう残されていなかった。

帰宅するまで、胸のざわざわが苦しくて、心拍数が上がって、おかしくなりそうだった。なにかすごく理不尽なことを書かれていたら、弁護士に相談しよう、とまで思い詰めながら帰路を急いだ。

帰宅して封筒をちぎるように開けたら、「2015年7月10日に××整骨院は開院しました!それからいくつかの偶然が重なって○○さんと私たちは出会うことができました!」という、いわゆる顧客を逃がさないための「手書きの」サンキューレターだった。

「2017年3月13日 この日がなんの日かおわかりですか?この日は初めて××整骨院に来られた日です。言いかえるとこの日は○○さんと私たちの出会いの記念日です。私達スタッフ一同は、この出会いがいつまでも続いていたらなあと思っています!また○○さんがお困りの際は何でもご相談くださいね!!」

さらに、その手書きの手紙には“笑顔”、“明るい”と、わざわざ小タイトルがつけてあり、下のように書いてあった。

“笑顔”

「私たちは○○さんが来られたら逆に元気をもらえます!いつも○○さんが来られるのを楽しみにしています!明るい表情でお話をしてくれるので、私達も本当に嬉しい気持ちでいっぱいになります!これからもそのままの○○さんでいて下さい!」

“明るい”

「○○さんは性格が物凄く明るいです。私たちは○○さんが来られるのを楽しみにしています。治療中も楽しそうにお話ししてくれますので私たちも本当に嬉しい気持ちでいっぱいになります^^これからもそのままの○○さんでいてくださいね!そして私たちにずっとパワーを下さいね!」

手書きの汚い文字で、こんな白々しくも的外れなことを書いて渡すために、私を自律神経失調の酷い状態にさせたのか、と思うと怒りでいっぱいになってしまった。

こんな押し付けの欺瞞的なものをどうしても渡したいのなら、せめてその場で読めるように封緘しないで渡すべきだし、封筒はかわいい柄のものにするなどの気遣いがあるべきなのに、あまりに非常識と思う。

(のちに、この、わざと糊で封緘すること、受付でなくベッドで渡すこと、「何?」と患者が効いてもそれには答えないこと、すべてが、上部からの「患者を驚かせ感激させて治療院の大ファンにさせるため」のマニュアル通りにスタッフがやったことだと知って、私の怒りは頂点に達した。)

すごく困ったことに、手紙がばからしい内容でしかなかったと理解したあとも、一度拍車がかかってしまった動悸が治まらなくて、具合の悪さがどうしても治らなかった。

しかたなく近所のクリニックに行って星状神経ブロック注射を打ってもらった。

次の日の朝も動悸が激しくなり、悪夢で眼が覚めた後に胸のざわざわが治まらなくて、手が冷たいのに汗がにじんできて、頭と顔はほてり、全身がびりびり痛いような苦しさが続くようになってしまった。

酷い動悸とともに、幼い頃に父に脅かされたりからかわれた時の不安のフラッシュバックや、父に借金を負わされた時の耐えられないほどの経験がよみがえってきてしまい、苦しすぎて泣いたりもした。

。。。

その整骨院は○ンキューグループという大きな会社が経営していて、社長はM越K一という「次世代治療院革命」という治療院経営のノウハウを売るサイトをやっている1981年生まれの人だ。彼はわずか4年で20店舗の治療院グループをつくりあげ、それからも拡大中だそうだ。

ネットでこの人の名前を検索すると、「M越グループの急成長の原動力になっている内部資料をそっくりそのまま手に入れませんか?」という過去記事があった。

それは経営ノウハウのDVDを3種セット5万円で販売している宣伝の記事なのだが、その中のひとつに、まさに私が不安神経症を発症しそうにさせられた、この封をした手書きのサンキューレターのマニュアルがあった。

そのうたい文句に「患者さんが涙を流して喜び、一瞬で熱い熱いファンに変えてしまう実証された感動の手紙の事例集をお届けします。」と書いてあり、

さらに、「手紙をもらった患者さんの中にはうれしくて泣いてしまう方もいらっしゃいます。患者さんとしては整骨院で自分のことを気にかけてくれた手紙などもらうとは夢にも思っていません。」

「こういった感動体験があなたとあなたと患者さんの距離を一気に縮めます。そうして、患者さんはあなたのファンになり、あなたの治療院に通い続けてくれるようになるのです。」

「この手紙が○越グループのファン患者さんの育成の核となっているともいえます。」

「患者さんはスタッフの強烈なファンになり」

「自動的にあなたの治療院の営業マン・宣伝マンが出来てしまう」

「スタッフへの指導に割いていた時間が大幅に短縮できてしまう」

「ひな型を基本にアレンジすればいいだけなので考えなくても手紙をつくれます。」

○越グループでは「マクドナルドのようにスッタフの教育課程がシステム化されています。」

などと、あまりにも患者をばかにした傲慢なやり口が書いてあった。

私は、過緊張で体調が悪いのを少しでも治してほしくて行く整骨院で、このように患者の個々の苦しみ、痛み、気質、性格を無視して、スタッフの思いやりをなくさせて無感覚にさせるマニュアルを売りにしていることに、はらわたが煮えくり返ったので、抗議の手紙を書くことにした。

それで「××整骨院スタッフ一同様」という手紙を書いて持って行った。

このような抗議をはっきりとすることは、私のような過緊張で不安が強い人間にとって、ものすごい負担であり、緊張、不安で、さらに心臓ばくばくで頭痛がするようなたいへんなことなのだが・・・

・・

そしてどうなったか、長くなるので、この続きは(2)で書きます。

 

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2017年5月18日 (木)

『デッサンの基本』 (ナツメ社) 第27刷 / 緘黙

5月15日

住宅街を歩くと、枯れかけたハゴロモジャスミンと、柑橘系(ザボンやミカン)の花の甘い香りと、薔薇の香りが風に混じっています。

『デッサンの基本』(ナツメ社)増刷、第27刷となりました。(本日、27刷目の本が、手元に届きました。)

購入してくださったかた、ありがとうございました。

どんなかたが『デッサンの基本』を手にとってくださったのだろう、といつも思いを巡らせています。

私が予想した人数をはるかに超えた人たちが、どこかで、この本をめくってくださっていることが、不思議でたまりません。

素描(デッサン)には、いろんなやりかたがあると思いますが、この『デッサンの基本』が、どこかで絵をかこうとするかたの、わずかなヒントやきっかけになれば、とても幸せです。

最近私が描いたもの。

4月3日の記事で写真を載せた、近所で思いがけずいただいた椿の花です。

http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/index.html#entry-112790659

巨大輪椿(ツバキ)の素描着彩(デッサン)。

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フリージアの素描着彩(デッサン)。昔、フリージアと言えば、黄色と白のイメージでした。最近のフリージアの花色は多様。八重咲きも多く見られるようになりました。
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牡丹の素描着彩(デッサン)。散りかけの姿が美しいと思う。
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ちゃび(猫)の鉛筆素描(デッサン)。

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いつも私にくっついて眠るちゃび。
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「花」という言葉が花を覆い隠している

デッサンは花という言葉を剥ぎ取って

花という得体の知れない存在に近づこうとする

紙の上にワープして

花は「花」という言葉から自由になる

花が生きるように沈黙のうちに線も生きる

それがデッサンではないか

(谷川俊太郎さんが書いてくださった『デッサンの基本』の帯文です。)

5月は「緘黙(かんもく)」の啓発月間だそうです。

前にも書きましたが、私は対人緊張が強すぎて、幼稚園から高校くらいまで、家族やごく親しい友人とは話せても、大勢の前ではほとんど話せませんでした。そういうふうに(特定の関係を除いて、)人前で話せない状態を「場面緘黙」というのだそうです。

私は子供時代、自分の自分の思ったことや考え、好き嫌いなどが、周囲からおかしく思われるのではないか、変に思われるのではないか、とあれこれ考えすぎて、悩んでばかりいて、学校で表に出すことが恥ずかしくて、なかなかできなかったのです。

幼稚園や学校で自分の意思を表明したくてもできなかったせいで、また、理不尽なことを拒否できなかったせいで、たいへん苦しい経験が山ほどありました。

緘黙気質の人は、他の人が気づかないことに敏感に気づいたりすることも多いのですが、一方で傷つくことも人一倍激しい傾向にあるのではないでしょうか。

心の痛みや苦しさを、外に表すことができない(表したくてたまらないのに、なぜか拘束されたように、どうしてもできない)ので、身体の中にどんどん鬱屈したものがたまってしまいます。

(私の場合、無言の反発力があり、なんとか不登校にもならず、大人になってからも精神科に通ったことはありません。)

私は今も対人緊張の傾向はありますが、初対面の人に、自分から話しかけることもできます。

私は幼稚園に行く前から、絵を描くことと本を読むことは好きだったのですが、私自身の体験から言えば、そのことがどこかで「場面緘黙」の苦しみと闘うことと結びついているように思えます。

そして、私がすっと愛おしく思ってきた動物たちと植物が私をたすけてくれました。

ものをよく見て描くということは、その時にはおしゃべりはいらない、そのものがそれ自身から訴えかけてくる魅力を、おしゃべりをやめて静かに聴きとるということです。

言葉では表しきれない魅惑に、もっと接近すること、愛するものに寄り添って描いた時間が、絵になることは、それだけで自分を支えることになっているように思います。

自分が気になるものを、何回も、繰り返し描くのです。自分も変わり、相手も変わっていく、自分の描く絵も変わっていく。

また、私は、よく散歩をしては、気になるもの、面白いものを見つけ、そこに何度も通って、時間とともに移ろう様子を見たりします。

そのもののどういうところに自分が惹かれているのか、自分の感覚に注意しながら見て、記憶するのです。

そういうことを繰り返しているうちに、いつのまにか、自分の好きなもの、嫌いなもの、自分の意志を表明できるようになってきました。

緘黙に苦しむかたたちは、そのような自分の感じたこと、考えたことを絵や文章などにかきとめておくことは、生きていく上で、おそらくとてもよいことだと思います。

絵を描いている時の私は、しゃべれないのではなく、誰ともしゃべりたくないから、絵に集中したいからしゃべらない。そういう沈黙の時間を持つことによって、自分が本当にしゃべりたいときにしゃべれないこともなくなってきたように思います。

そのものをよく見れば見るほど、終わりのない、休めない、苦しいデッサン(素描)にはいっていくことになるにせよ、とりあえずそれによって、私はある意味では強くなっていったのです。

緘黙気質の人に大切なことは、その鬱屈によって押し潰されないようにやっていくこと、自分を生存のほうに向かわせる、それぞれのやりかたを見つけることで、これについては、参考になるかはわかりませんが、自分の経験から思うことを、これからも少しずつブログに書いていけたら、と思っています。

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2017年5月15日 (月)

東京蚤の市 2017 

5月14日

東京蚤の市(東京オーヴァル京王閣)へ。

昼1時くらいに着いた。雨だったので、空いているかもしれないと思ったが、けっこうな人だった。

最近はあまり買わないけれど、私はアンティークというよりジャンク、古色のついたもの、古くてちっちゃくて不思議ながらくたが大好きだ。

入場してすぐ、蚤の市独特の匂い・・・古い木や紙や布や埃の懐かしい匂いがした。一瞬で、昔、夢中で行ったイギリスやドイツのアンティーク市の記憶に飛んでしまう。

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全体的にガラス瓶やガラスのお皿が多かった。コンポートガラス2000円均一。

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時刻が見えづらいけれど、一応針はついているおしゃれな時計。14000円。
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競輪場というところに初めて来たが、建物の古い部分はなかなか素敵だった。
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古いヘチマコロンの瓶。
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無造作にトランクに詰められたぬいぐるみたち。
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うちの人形に着せようかと思った白い綿レースのワンピースは10800円。人間用のレースのつけ衿は8640円。コンディションもよく、相場からしたら高くはないのだろうが、私にはちょっと手が出せない。
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右上の緑色のトイピアノ32400円。真ん中のお椀の中にグリークの写真。古い楽譜を売っていたお店。

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フロッピー(ぺたっと俯せに寝ころぶポーズ)のぬいぐるみが多く見かけられた。
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生の花(ラナンキュラスなど)が生けてある試験管。
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高価なアンティークドールのようなものは少なく、1000円くらいの品物が多く出品されていた。

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昔の薬などの広告。300円。
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階段を上がったところに休憩所があり、食べ物や飲み物を売っていたが、私はトイレに並ぶのが嫌で、結局、12時から6時過ぎまで飲まず食わずで歩き廻った。

かつてイギリスのブライトンの競馬場の5000店も出る巨大蚤の市に、ひとりで行った時のことを思い出していた。夢中になって朝6時から夕方5時まで一滴も飲まず食わず休まずで歩き廻っていたら、その夜、宿(B&B)で38.6度の高熱を出した。
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この写真によく似た、くたくたの茶色く変色したウサギのぬいぐるみを私は持っている。ロンドンのチョークファームで、17歳のかわいい女の子から「おばあちゃんが子どもの頃、かわいがっていた」という説明を聞いて買ったものだ。

アンティーク市に並んでいるものはどれも、私と同じように旅をしていて、かつての持ち主たちの記憶もたくさん詰まっている。私の知らない時間の記憶なのに、なぜか不思議と、なんとも懐かしく切ないような気持ちになる。
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雨が強くなり、中庭のような場所に出していた店の商品がずぶ濡れになった。
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古いガラス瓶や錆びて剥げた塗装の金属や、朽ちた木が雨に濡れて光って、すごく美しかった。その姿と匂いに強烈に旅情を呼びさまされて苦しくなるほどだった。

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ぬいぐるみの動物たちも、単なるモノとして見れずに感情移入しているので、動けないのに雨に濡れてかわいそう、と思ってしまう。黴がはえないかも心配。

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時計の中身。買ったらオブジェ作りに夢中になりそうなので今回は買わなかった。
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ドラゴンズブレスと呼ばれる偏光によって遊色が見えるヴィンテージガラスのアクセサリーパーツ。お店の名前を見たら、私が以前、ミリアム・ハスケルの1940年代のガラス(グラス)パールのパーツを通販で買ったle-meaceさんだった。

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昔の子どもたちの文房具。とってもかわいい。右上、ドイツ製、私の大好きなBONZO(犬のキャラクター)の固形絵の具セット。すごく心惹かれたが5000円近くしていたので今回は諦めた(少し未練あり)。

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このしっぽの立った黒猫には思い出がある。かつてロンドンのアンティーク市で買ったのだが、ぼろホテルの部屋に泥棒が入って盗まれてしまった。結局、そのあと買っていないのだが、時たま、どこかでまた似た子に出会うと、ああ、一度はうちに来ることになっていたあの子だ、と胸がきゅんとする。
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旧ソ連の猫バッジにも惹かれた。1600円でちょっとお高いので買わず。
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チェブラーシカのバッジたち。これらは2300円くらいだった。

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結局、私が買ったものは、まずこのヴィンテージ・グラスのジェリービーンズのようなシャンデリア・パーツ(フランス 1950年代)。5個400円のを2セット。なにに使うというのでもなく、小さくてとてもきれいだから。

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1800年代~1900年代のフランス紙ものアソート。古い新聞や楽譜などを購入。800円。
こちらは1923年のフランスの少女新聞。300円。

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それと、高知からいらしたという「花や草青む」という素敵な名前のお店で、直径4cmの小さなグラスを買った(日本酒をちびちび飲む用)。800円。

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3時過ぎに、夢中でグラスや御猪口を見て廻っていた時に、ギターの弾き語りでステージに立っていた男性歌手の高く柔らかな声が印象に残った。

帰りの電車の中で、蚤の市のガイドを見たら、Olde Worldeという人で、帰宅してからyoutubeで聞いてみた。そよそよした空気感があった。

「Daisies,Pears,The Sky」という曲。透明感があって、サイモン&ガーファンクルの「For Emily Whenever I May Found Her(エミリー・エミリー)」を初めて聴いたときのことを思い出した。

最近は、セクシー・ダヴィンチさんが「伊勢佐木町ブルース」で踊っていたのを見てから、青江三奈(特に初期)の歌声に痺れ、ずっと繰り返し聴いていて、続いて青山ミチの「恋のブルース」(野良猫ロック マシンアニマルのバージョンがすごく好き)を、毎日、聴きまくっていたのだが、久しぶりに軽やかなさわやか系の歌を聴いた。

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2017年5月10日 (水)

ちゃびの定期健診 太田快作  猫 腎不全 否肉食

5月5日

ワクチン注射のため、ちゃびを動物病院に連れて行く。ついでに腎臓の(血液採取)検査。

腎不全の値は少し改善していた!

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体重も前回より少し増えていた!3.6kg。(すごく嬉しい)

うちのちゃびは、今年の6月か7月に20歳になる♀猫です。

最近はずっと1日おきに輸液(1回約160ml)、毎日、プロナミド1/2錠×2回(昼と晩)、ファモチジン1錠の1/5(昼)、ピモベハート1錠(晩)。

食事は、FKWにミヤリサンとデキストリンとレンジアレン、亜麻仁油またはえごま油少々を混ぜたものを70g~80gくらい給餌している。

私の体験からの、ごく個人的な見解だが、(無農薬)亜麻仁油、または(無農薬)えごま油を少々あげることによって、脳にもおなかにも良い影響があったような気がしている。あげていなかった時より便秘が改善し、運動能力も戻り、現在も,よく流し台の上にジャンプしている。

猫の腎不全に悩むかたの参考になれば幸いだ。

腎不全なので少し貧血気味(PCV 26.1)だが、まだ注射などはしなくていいと言われた。

また、爪の中にできた紫色の血豆のように見えるものは、垢がたまったようなものなので、痛くなく、心配しないでよいとのこと。

最近のちゃび。

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朝のちゃびと私(自撮り)
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朝、私が眼を開けると、至近距離で私の顔を見つめているちゃび。口と口がくっつくくらい間近にいる。

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給餌のときのちゃび(FKWが口のまわりについている)。
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無農薬カブの葉を食べるちゃび。
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5月1日

夕方、ちゃびの輸液と薬一式を買いに動物病院へ。

おとといの深夜、ちゃびが咳こんだことを相談。2年前くらいに、咳こむ時期があったが、最近はずっと咳はなかった。

「久しぶりに急に咳こんで1分くらい続いたので、窒息死したらどうしようって、どきどきして・・・」と言ったら、

「う~ん、犬は心臓悪いと咳するけど、猫はあんまりしないんだけどね。」

「窒息死とか、そういう死に方ってあります?」

「あんまり、そういう例は聞かないけどね。」(噎せた原因は、はっきりはわからないが、げっぷが出て、食べたものが咽喉のほうに戻って、一時的に噎せたのかもしれない、ということになった。)

「・・・俺も、きのう、ハナが咳してさあ・・・どきどきした。(笑)」と快作先生。

「高齢でしたっけ?」

「16歳。」

(ハナちゃんは、私はお目にかかったことはないが、快作先生のおうちのわんこだ。

先生のことを書いた本によると、彼女は快作先生が学生時代につくっていた「犬部」の頼れる部長さんで、ハナちゃんは子どもを産んだこともないのに奇跡的にお乳を出して、当時、ネグレクトされた犬の赤ちゃんたちにお乳を吸わせて命をたすけたりした立派なわんこだ。)

「うちの母が今、ちょうど窒息死が危険て言われてるんですよ。しょっちゅう施設から電話があって。(だから動物も歳とったら噎せて窒息死があるのか?と私は疑問に思ったのだ。)」

「まあ、しかたないよね。人間の場合は寿命以上に生きてるからね。」

母について、この「(死んでも)しかたないよね」を、他の人に言われたら、無神経だな、とかちんとくるのだろう。しかし、快作先生に言われたら、逆に、ほっとするというのか、肩の荷が下りる気がした。

快作先生は、強い動物愛と、とてもまねできない超絶的な精神と身体によって、殺処分されたり実験に使われたりするたくさんの動物たちの命を救ってきた人で、私は彼を尊敬しているからだ。

母の死を怖がり過ぎても、それは私にはどうしようもできないことであり、ただ緊張して苦しんで、無駄に消耗するだけなのだ、と素直に思えて、少し救われる気がした。

「人間はしかたないけど、動物の命は救いたいよね。」と言われて、「そうですね。」と笑うことができた。

「そう言えば友人の住んでいる地域で、野良猫にえさをあげたら10万円の罰金という回覧板が回ってきたそうなんですけど、そういう地域ってありますか?」と質問したら、

「今はそういう地域はない。逆に餌やりの人を妨害したらいけない、という方向に変わってきているはず。その地域、どこ?」と快作先生は、その場でネットで検索しながら、「本当に行政側がそう言ったのなら教えて。すぐに電話するから。」と言ってくれた。本当に頼もしい・・・

(その友人とは漫画家の花輪和一のことだ。)

話の流れで、「その友人の出身は秩父で、蚕と兎を育てて売るのが主な産業だったんですって。それ聞いて、えっ、ウサギを食べるために繁殖?って、ゲッてなって。」と言うと、

「フランス料理にあるからね。」と快作先生は苦笑い。

そして「あなたの場合は、まったく、動物の肉が人間の肉と同じに見えてるからね。」と核心をついたことを言われた。それで、私は、やはり快作先生はすごい、と感心し、また安心することができた。

私が、動物を食べられない理由が、人間と同じ肉を持つ生き物に見えていること(その感覚)を、重要だと認めてくれたのは、過去に市村弘正先生だけだ。

以前、市村弘正先生と『attention1』という雑誌で対談した時、話の中盤で、「私は肉が一切食べられないんですよ・・・肉屋に吊り下げられている肉がホロコーストに見えて・・・」と言ったら、「なんでそんな重要なことを最初に言わないんですか!」とおっしゃった。

私の身体感覚を理解してくださったことが私にはとても嬉しかった。

市村弘正先生は、私のことを「ものすごく生き難い人。」と言ってくださった。そのあとに、すぐに続けて「僕もあなたほどではないけど生き難い」とおっしゃった。

快作先生も私のことを「この人は対人恐怖症だから。」と言ってくれたことがある。誰であれ、ほぼ初対面で、そういうことを直観的にわかってくれるなら、どんなにほっとするだろうか。

多くの人には、肉料理が動物を殺したものだということが意識できない。私にはむしろ、人間的な欲望や文化的慣習の覆い(保護膜)の剥がれたところにリアルが、逃れがたく見えてしまう。

「そう、私はものすごく緊張や不安が強くて、幼稚園から高校生くらいまで人前で話せなかったんですけど、最近、そういうのを『場面緘黙』と言うんだって知ったんですよ。」と快作先生に言ったら、先生は「かんもく?どういう字?」と言って、その場でネットで検索してくれた。

人前での酷い緊張や不安に怯えるようになったのは、私の場合は、父からの虐待のせいです、と言いつつ、

「昔、実家で飼っていた猫が、恐怖に怯えながら、二階の私の部屋までものすごい勢いで駆け込んで来て、ばたん、ばたんとのた打ち回っていたのが忘れられない。」と私は快作先生に言った。

父が猫のしっぽを洗濯ばさみではさんだせいだった。猫は、なにかに噛みつかれたと思い、びっくりして恐怖で必死に逃げていたのだ。怯えて全速力で走る猫を見て、父は面白がって笑っていた。

父が当時、子どもの私にやっていたのと同じこと、無力な相手を恐怖に怯えさせて楽しむことを、罪のない動物に対してもやっているのを目の当たりにして、怒りと憎悪で肩や胸がびりびり痺れるような感じがしたのを忘れられない。

「動物たちをたすける運動や、肉食しないことも、もっと発信していきたい、積極的に行動したいって思うんですけど、いろんなことを考えすぎて、対人緊張が強すぎて、ぱっぱと行動できない。どうして先生は怖がらずにできるんですか?」と聞いたら、

「俺も怖いけどね・・・(笑)」

「えっ、嘘。。。(笑)」

どんなに話が通じない(動物を虐待したり、殺すことに無感覚な)人が相手でも、相手も人間なのだから、何度も説得し、話し合えば、きっとわかってもらえる、よい方向に解決策が生まれる、これは変わらない快作先生の答えだ。その信念は強い。

傷つくことや、失敗があったとしても快作先生に言わせると「それならそれでしかたないよね。」ということだ。

確かに、この覚悟ができれば、いろいろなことにもっと積極的になれるのに、とは思う。しかし私は長くひきずり、苦しむ性格だ。

たとえば、どこか動物愛護の団体と関わって、啓発のためとはいえ、残酷な動物虐殺や虐待の画像がメールで送信されてきたりすると、私にはショックすぎて、身体的におかしくなるので、耐えられないのだ。

だから、動物愛護をしている人たちと、どこかでゆるく繋がっているという意識を持ちながら、(非常に微力な)できる範囲でしか、どうしても活動できない。

私は、いい大人になってもまだ、なににつけてもうまくバリアを張れないでいる。

情熱的で、時に破滅的なまでにのめりこんでしまう性質のくせに、超過敏で、人が当たり前に楽しくやっていることに、非常に違和を感じたり、激しく傷ついたりすることが多い。

生まれた時から私をたすけてくれた動物たちに、少しでも愛情を返したいとは思っている。

自分の弱さを踏まえて、動物たちの命のために何ができるか、どういうふうに関わったらいいか、いつも考えている。

「私は大人しく見られるせいか、ストーカー的な人にしつこく絡まれる確率が高くて怖い」と言ったら、

「そういう人を惹きつける要素があるんだろうね。そういう人は気持ち悪いことさえ我慢すればいいんだから。うまく仲良くしてお金を搾り取って動物のために使えば。(笑)」

「気持ち悪いことって一番我慢できないことじゃないですか。無理ですよ。(笑)」

私は聞き上手と思われ、心の病の傾向の人に依存されて困ることが過去によくあった、と言ったら、快作先生は、

「カウンセラーをやってお金とればいい。30分5000円くらいで。そのお金を動物たちのために使えばいい。(笑)」と言う。

私が人前で緊張したり不安を感じたりするのが、自分になにか特性があるためだとしたら、それを生かせるやりかたを見つけたい、と心から思う。

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2017年5月 7日 (日)

三浦半島 貝拾い 立ち枯れ / 錆 野ばら(イヌイバラ)

5月6日

友人Mちゃんとと三浦半島へ貝拾いに行く。

京急を降りたら、すごい風だった。バスは、渋滞でなかなか進まなかった。

乗ってしばらくしてからバスを間違えてしまったことに気づく。終点までノンストップのバスで、目的の場所より少し行き過ぎてしまった。

終点の丘で降りて坂道を下る時、海から日傘がへし折れそうなほどの強風。目も痛いし、風に抗って一歩、一歩進むのに、すごい抵抗感があって、へとへとになる。

シラス販売のお店のお兄さんに聞いて、お店の裏から海に降り、磯づたいに歩く。

登った時にどんな景色が開けるかわくわくする、こういう草ぼうぼうの細い道が好き。生命力の強そうな薊(アザミ)の葉のギザギザがきれい。

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昨年秋、海ですべって転び岩に思いきり尾骶骨を打ちつけて、しばらく回復しなかった経験を踏まえて、慎重にゆっくり進む。Mちゃんの姿がはるか先に見える。

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岩場を乗り越えて浜に着いたのだが、風が強すぎて顔が痛くて、落ち着いて貝を拾えない。
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今日は薄紫や桃色の小さな貝と、持っていない種類のタカラガイを目標に拾う。

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アメフラシの卵発見。毒があるので食べないように。
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波も強く、空気が白くけぶるほどのしぶきのシャワーで全身がべたべたになる。
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今日は落ち着いて拾えないので、早めに引き上げて食事に行くことにした。

バス停へと戻る道で、私の大好きな立ち枯れの植物と美しい錆びのある場所を見つけた。
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私が生き生きする(誰も見向きもしないような)、場所。

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少し脇道をはいると、信じられないくらい広大なな畑が広がっている。
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バス通りに出る手前のひっそりした小さな神社のタンポポの穂綿に囲まれた狛犬。

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バス通りに面していた、春紫苑(ハルジオン)の野原。

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一番赤みがあって、ことさらにきれいな春紫苑の群れを見つけて撮った。ハルジオンの甘くなくて苦いような香りをかぐと胸が締め付けられる。

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帰りの車窓から。

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今日のつつましい収穫。一番大きなオミナエシダカラ(右下)はMちゃんが海藻の中から見つけたもの。私はキイロダカラ2つ拾えただけで嬉しかった。

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この小さい貝殻たちはムギガイというらしい。

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5月5日

近所を散歩。お気に入りの錆びの階段。

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錆と苔と、罅割れたコンクリートの隙間から伸びている春紫苑と蒲公英(タンポポ)。

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イヌイバラ(犬薔薇)とハゴロモ(羽衣)ジャスミンが絡まって咲いているところを見つけた。

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5月の透明な光。

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病院の塀から細い路地にはみ出したさくらんぼの生っている木。誰も採っていなくて、ぼたぼた下の道に落ちている。食べた~い。

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2017年5月 3日 (水)

高円寺大道芸2017  セクシーDAVINCI

4月29日

第9回高円寺びっくり大道芸。

涼しく晴れた日。日差しが強いので、紫外線アレルギーで顔中に湿疹ができる私は要注意なのだが、昼からセクシーDAVINCIさんが、うちの近所の狭い会場に出演されるとパンフにあったので、ウッカリ見に行ってしまった。

「高円寺に巻き起こす春のセクシー旋風!No Sexy No Life! 全ての人よ、セクシーであれ!」「とっても美しいお兄さんによる、とってもおバカなパフォーマンス。」と大道芸の公式パンフレットにある。そのままです・・・

セクシーさんが「ヘブンアーティスト」のライセンスを取得して高円寺大道芸に初参加した2008年に、たまたま通りがかった商店街の隅で演じていた彼の美しさにに「うわッ、この人いったいなに?」と思わずウッカリ目を奪われてしまい、それから毎年癖になって見に行っている。

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存在自体が華やかで、フレンドリーで、厳しくもてきとーで、とっても楽しい芸風。
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とってもきれいな自慢のおしり。セクシー年貢(投げ銭)をいっぱい納めると触らせてもらえます。
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折りたためるセクシー年貢をウッカリ納めてしまったら、ブロマイドをもらえた。

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記念撮影。このブロマイドはGACKT風?のゴージャスなイラスト風味。ブロマイドは400種類くらいあり、全種類を集めている人は日本に約2名いるそうだ。「自分のペースで集めてネッ」とのこと。

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私よりずっと白くて美しいもち肌のセクシーDAVINCIさん。無駄毛のまったくないすべすべの手足は天然で、脱毛などは「アタシ、そんなめんどくさいことしないわよッ」だそうです。

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午後1時、3時、5時くらいに、場所をかえて1日3回公演があるのだが、1回目の公演を見た後は家で仕事をして、ウッカリまた夕方5時の部を見にJR高円寺駅前へ行ってしまった。昼の場所よりずっと人が大勢でワイワイ。
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セクシー!!という皆の掛け声も最高潮に。

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いろんな演目があるが、私はこの黒い帽子をつかった「伊勢佐木町ブルース」の踊りが、仕草が本当に妖艶できれいで、一番好き。真っ白なつるつるの細いおなかが素敵。
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夕方6時前に、急に凍えるような強風。JR駅前でやっていた中国雑技団の人の椅子を積み上げた上でのバランス芸がゆらゆらして危なそうだった。

稲妻が光り、雷雨になった。

4月30日

高円寺びっくり大道芸2日目。きょうもきのうと同じ場所にウッカリ、セクシーさんを見にいってしまった。

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またもやウッカリ折りたためる年貢を納めてしまったために、ブロマイドをいただいた。

今度は、「花と一緒に写ってるやつをお願いします。」とおねだりして、私好みの綺麗な薔薇の花の中のセクシーさんの写真をゲット。

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夕方5時半ごろ、JR高円寺駅前のフィナーレ。頭に火をかぶって熱くないのかしら。黒い金剛力士がシッカリ火を怖がってよけている(画面左側)のが面白かった。

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大きな羊さん。
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毎年、このフィナーレの人だかり(高円寺駅前の都市計画で、人が集まれるスペースとして、この場所をちゃんと考えて確保しておいたらしい)にいると、この高円寺という街は本当に素晴らしいな、と思う。

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桔梗ブラザーズ(ジャグリング)のかっこいいお兄さんの背後に忍び寄るセクシーさん。
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ぶちゅ~っとやるセクシーさん。嬉しそう。
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芸人さんたちが退場するのが名残惜しい。
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びっくり大道芸のお祭りが終わって、喧騒が遠ざかる中、久しぶりに夕暮れの北中通りを散歩した。パイプや配線の交錯が面白い建物。
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新宿や渋谷みたいな人混みはないけれど、閑散としすぎているわけでもなく、細くてぼろい裏通りにはいつも、お酒を飲んで笑い合っている人たちがいる。

一見、廃屋みたいな建物に若い人たちがいて、なにかをやっているところが高円寺らしい。
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2017年5月 1日 (月)

入江紗代さんと会う 場面緘黙(かんもく)

4月20日に、入江紗代さんと会って話した。それは不思議なご縁での出会いだ。

先日、「遠藤さんという私の尊敬する人生の大先輩の女性が、荻窪の施設でボランティアをしているので、声をかけてあげてください。」と、その施設で働いていたIさんに久しぶりにメールしたのだが、Iさんはもうその施設をやめて故郷に帰っていた。

Iさんとは、12年前に私が早稲田大学で講演した時に知り合った。彼は当時の学生さんだ。

そのIさんが結婚されたのが、同じ大学で知り合った入江さんだ。入江さんとIさんは今、「かんもくの声」という「緘黙」の理解と認知を広めるための活動をされている。

入江さんは、幼稚園から大学くらいまで、人前で言葉や声を発することのできない症状(「場面緘黙症」)でたいへん苦しみ、今年の3月に「世界仰天ニュース」というテレビ番組の取材を受け、出演された。

私はIさんのFBを見て、ごく最近、そういう状態を「場面緘黙」(かんもく)というのだと知ったのだ。

幼稚園から高校くらいまで、人前で緊張しすぎて、うまく言葉を発することができなかったことは、私もそっくり同じだ。極度の人見知りというよりも、さらに重篤な不安症や恐怖症の一種、という感じだろうか。

そしてとても驚いたことに、入江さんは、私が12年前に早稲田大学で講演した時のことを強く覚えていて、私と話してみたいと思ってくださっていたという。

私が早稲田大学で話している姿を見て、入江さんは、

「震えながら話していて、こんなにも激しく情熱的で、逆に傷つくのも激しい、振り幅の大きい人を初めて見た」「あの頃の私は、今の何倍も苦しんでいて、(講演を聴いて)救われた気がした」

といったようなことを言ってくれた。

それが私にはすごく嬉しかった。

私は悲観的で、なにかを表現しても、それが誰にも届かず、徒労に終わってしまう、というさびしさや焦燥が強い。

けれど、私が気づかないところで、私の拙い話の向こうに痛みとして在る私自身を見つけてくれた人、スムーズに流通しない言葉の滞りや破れ目からでも共感してくれる人がいたこと、その人と12年も経て直接出会えたことが、奇跡のように思え、ありがたかった。

その後のメールでも入江さんは、

「幼い頃から、生きてること自体が葛藤みたいなことを感じてきたのですが、早稲田での福山さんの姿に、勝手ながら初めてそのような人に出会った!と感じ入った気がします。 」

「福山さんの持つ緊張感さえも魅力的で、はり裂けそうな人だという印象で憧れておりました。」

という、なんとも素敵な言葉使いで、私にとっては最高のほめ言葉をくださった。

入江さんは、頭がよくて謙虚で、私からはすごく話しやすい誠実なかただ。それなのに入江さんは「自己を肯定できるという感覚が分からない」という。それは痛ましいことだ。

入江さんの場合は、虐待やいじめにあったわけではなく、どうして幼稚園から外では話せなくなってしまったかは、わからないという(原因は、家庭環境と関係ない人も多いらしいが、日本では研究や調査があまりにもなされていないために、よくわかっていないそうだ。)。

私も、人前ではっきり意思表示ができないために、幼稚園から小学校、中学校は地獄だった。さらに私は肉食ができない(肉がはいっているおかずが苦痛で食べられない)ために、給食時間も地獄。

私の場合、さらに悪いことに、都会の真ん中、新宿駅にほど近い公立の幼、小、中で、特に中学は、教師も御せないほど荒れていて、滅茶苦茶な暴力にさらされた。(しかし私の場合、不登校になったことは一度もない)。

大人になってから対人緊張はだいぶ治ってきたが、私は今も、人に話しかける時に、相手やまわりの反応を考え過ぎ、心配しすぎ、逡巡しすぎて、くたくたになる傾向がある。

そうなった原因は、私の場合に限って言えば、最初は父親からの虐待だと思っている。実際に父は、私を脅かしたり、からかったり、ばかにしたりして、私が怯えるのを面白がるようなことがあった。

小学校低学年で、一緒に外出した時、父は人混みでわざと、どんどん先に行って、私が迷子になって恐怖するのを面白がったりした。そういうどうしようもない不安や恐怖を、父は幼かった私に毎日、植えつけた。

殴られて、本当に頭の中に火花のようなものが見えたことも何度もある。一方的に床に叩きつけられ、その痛みと同時に、激しい怒りと憎しみが湧き上がってきて、胸や首のあたりがびりびりした感覚を覚えている。

小学校、中学校時代、とても集中して描いてほめられた絵を学校から持ち帰っても、父は「グロテスクな絵だな。」とばかにした。「お前程度のやつは、掃いて捨てるほどいるんだ。」などと言われたり、作文も笑われたような記憶がある。

私はすっかり萎縮していた。人前で自分を表現することが怖くて、手を上げて自分の意見を言ったりするのが極端にいやだった。そうしていつも、ただ無防備に他人の目にさらされ、頬を紅潮させながら、「素の自分」を痛みとして思い知らされるのだ。

「緘黙」傾向のある人たちは、人それぞれ、話せない場面や程度、その発症要因も違うが、想像するに、いろいろ気疲れしすぎる性格の傾向は似ているような気がする。

けれど私は、それと同時に、自分は周りの子が気づいていないものに気づいていたり、まったく違う感じ方をしていることがある、そのため、周りの子たちに発言や振る舞いを合わせることに強い反感を持っている、という意識が、幼い頃からしばしばあった。

周りへの違和や、自分だけに見えているもの、激しく感じることを表現したいという欲求も、抑圧されてはいたが、強くあったのだ。

幼稚園の頃から、早く大人になりたいと思わざるを得なかった。少なくとも理不尽な暴力や画一的な強制からは、大人になればもっと自由になれると思うほかなかった。

(大人になってみれば、子どもならではの残虐さやむき出しの暴力によって傷つけられることはなくなったが、自我の欲望を満たすための搾取や収奪はむしろ日常となる。)

大人になるにつれてわかってきたことは、恥ずかしがらずにぺらぺらとしゃべる人は、会話によって本当にその人の生存のあり方が問われているのだ、と本人が意識していないので、平気でしゃべることができる、ということだ。

自分の個別の体験、自分の身体を通してしゃべっているわけではなく、まわり(地域社会や職場での関係、交友関係など)のレヴェルに合わせた習慣や、反射でしゃべっている、ということだ。

皆、役割演技をしていて、それに慣れてしまっているから、そんなに緊張もせず、恥ずかしくも感じていないのだと思う。

飾らない真の苦しみから出ることば、人と理解し合いたいという希求から出てくる言葉は、ぺらぺらと軽くなるわけがなく、思いが強すぎるからこそ、裸でさらされているようで、うまく話せないのだと思う。

言葉が真実であることが必然になってしまっているからこそ、話せない。

入江さんは、「福山さんがとてもお話しやすい方で驚きました。不思議と、普段はあまり言わないことや言えないことも自然と話していました。お話しながら福山さんのことをとても率直に感じ、そのせいか私も率直な面を出せたのだと思います。」と(メールで)おっしゃっていた。

そういえば、昔の早稲田での講演のあと、当時の図書新聞の編集、佐藤美奈子さんに

「私はそこに、本当に、はだかの、裸形の人を見ました。」と、すごく驚いたように言われたことを思い出す。

私の心にはすごく嫌なことも強烈に刻まれるが、美しいものも強烈に刻まれる。その過剰さを制御できない。

美しく儚いもの――動物たちや植物が、ずっと、私が生きることをたすけていてくれたと思う。

デッサンは「光の声」だと言ったのは詩人のアポリネールだが、入江さんにお会いして今、私も、私の仕事を通して、なにか「緘黙」に閉ざされた人たちの力になれたら、そんなふうに願っている。

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