入江紗代さんと会う 場面緘黙(かんもく)
4月20日に、入江紗代さんと会って話した。それは不思議なご縁での出会いだ。
先日、「遠藤さんという私の尊敬する人生の大先輩の女性が、荻窪の施設でボランティアをしているので、声をかけてあげてください。」と、その施設で働いていたIさんに久しぶりにメールしたのだが、Iさんはもうその施設をやめて故郷に帰っていた。
Iさんとは、12年前に私が早稲田大学で講演した時に知り合った。彼は当時の学生さんだ。
そのIさんが結婚されたのが、同じ大学で知り合った入江さんだ。入江さんとIさんは今、「かんもくの声」という「緘黙」の理解と認知を広めるための活動をされている。
入江さんは、幼稚園から大学くらいまで、人前で言葉や声を発することのできない症状(「場面緘黙症」)でたいへん苦しみ、今年の3月に「世界仰天ニュース」というテレビ番組の取材を受け、出演された。
私はIさんのFBを見て、ごく最近、そういう状態を「場面緘黙」(かんもく)というのだと知ったのだ。
幼稚園から高校くらいまで、人前で緊張しすぎて、うまく言葉を発することができなかったことは、私もそっくり同じだ。極度の人見知りというよりも、さらに重篤な不安症や恐怖症の一種、という感じだろうか。
そしてとても驚いたことに、入江さんは、私が12年前に早稲田大学で講演した時のことを強く覚えていて、私と話してみたいと思ってくださっていたという。
私が早稲田大学で話している姿を見て、入江さんは、
「震えながら話していて、こんなにも激しく情熱的で、逆に傷つくのも激しい、振り幅の大きい人を初めて見た」「あの頃の私は、今の何倍も苦しんでいて、(講演を聴いて)救われた気がした」
といったようなことを言ってくれた。
それが私にはすごく嬉しかった。
私は悲観的で、なにかを表現しても、それが誰にも届かず、徒労に終わってしまう、というさびしさや焦燥が強い。
けれど、私が気づかないところで、私の拙い話の向こうに痛みとして在る私自身を見つけてくれた人、スムーズに流通しない言葉の滞りや破れ目からでも共感してくれる人がいたこと、その人と12年も経て直接出会えたことが、奇跡のように思え、ありがたかった。
その後のメールでも入江さんは、
「幼い頃から、生きてること自体が葛藤みたいなことを感じてきたのですが、早稲田での福山さんの姿に、勝手ながら初めてそのような人に出会った!と感じ入った気がします。 」
「福山さんの持つ緊張感さえも魅力的で、はり裂けそうな人だという印象で憧れておりました。」
という、なんとも素敵な言葉使いで、私にとっては最高のほめ言葉をくださった。
入江さんは、頭がよくて謙虚で、私からはすごく話しやすい誠実なかただ。それなのに入江さんは「自己を肯定できるという感覚が分からない」という。それは痛ましいことだ。
入江さんの場合は、虐待やいじめにあったわけではなく、どうして幼稚園から外では話せなくなってしまったかは、わからないという(原因は、家庭環境と関係ない人も多いらしいが、日本では研究や調査があまりにもなされていないために、よくわかっていないそうだ。)。
私も、人前ではっきり意思表示ができないために、幼稚園から小学校、中学校は地獄だった。さらに私は肉食ができない(肉がはいっているおかずが苦痛で食べられない)ために、給食時間も地獄。
私の場合、さらに悪いことに、都会の真ん中、新宿駅にほど近い公立の幼、小、中で、特に中学は、教師も御せないほど荒れていて、滅茶苦茶な暴力にさらされた。(しかし私の場合、不登校になったことは一度もない)。
大人になってから対人緊張はだいぶ治ってきたが、私は今も、人に話しかける時に、相手やまわりの反応を考え過ぎ、心配しすぎ、逡巡しすぎて、くたくたになる傾向がある。
そうなった原因は、私の場合に限って言えば、最初は父親からの虐待だと思っている。実際に父は、私を脅かしたり、からかったり、ばかにしたりして、私が怯えるのを面白がるようなことがあった。
小学校低学年で、一緒に外出した時、父は人混みでわざと、どんどん先に行って、私が迷子になって恐怖するのを面白がったりした。そういうどうしようもない不安や恐怖を、父は幼かった私に毎日、植えつけた。
殴られて、本当に頭の中に火花のようなものが見えたことも何度もある。一方的に床に叩きつけられ、その痛みと同時に、激しい怒りと憎しみが湧き上がってきて、胸や首のあたりがびりびりした感覚を覚えている。
小学校、中学校時代、とても集中して描いてほめられた絵を学校から持ち帰っても、父は「グロテスクな絵だな。」とばかにした。「お前程度のやつは、掃いて捨てるほどいるんだ。」などと言われたり、作文も笑われたような記憶がある。
私はすっかり萎縮していた。人前で自分を表現することが怖くて、手を上げて自分の意見を言ったりするのが極端にいやだった。そうしていつも、ただ無防備に他人の目にさらされ、頬を紅潮させながら、「素の自分」を痛みとして思い知らされるのだ。
「緘黙」傾向のある人たちは、人それぞれ、話せない場面や程度、その発症要因も違うが、想像するに、いろいろ気疲れしすぎる性格の傾向は似ているような気がする。
けれど私は、それと同時に、自分は周りの子が気づいていないものに気づいていたり、まったく違う感じ方をしていることがある、そのため、周りの子たちに発言や振る舞いを合わせることに強い反感を持っている、という意識が、幼い頃からしばしばあった。
周りへの違和や、自分だけに見えているもの、激しく感じることを表現したいという欲求も、抑圧されてはいたが、強くあったのだ。
幼稚園の頃から、早く大人になりたいと思わざるを得なかった。少なくとも理不尽な暴力や画一的な強制からは、大人になればもっと自由になれると思うほかなかった。
(大人になってみれば、子どもならではの残虐さやむき出しの暴力によって傷つけられることはなくなったが、自我の欲望を満たすための搾取や収奪はむしろ日常となる。)
大人になるにつれてわかってきたことは、恥ずかしがらずにぺらぺらとしゃべる人は、会話によって本当にその人の生存のあり方が問われているのだ、と本人が意識していないので、平気でしゃべることができる、ということだ。
自分の個別の体験、自分の身体を通してしゃべっているわけではなく、まわり(地域社会や職場での関係、交友関係など)のレヴェルに合わせた習慣や、反射でしゃべっている、ということだ。
飾らない真の苦しみから出ることば、人と理解し合いたいという希求から出てくる言葉は、ぺらぺらと軽くなるわけがなく、思いが強すぎるからこそ、裸でさらされているようで、うまく話せないのだと思う。
言葉が真実であることが必然になってしまっているからこそ、話せない。
入江さんは、「福山さんがとてもお話しやすい方で驚きました。不思議と、普段はあまり言わないことや言えないことも自然と話していました。お話しながら福山さんのことをとても率直に感じ、そのせいか私も率直な面を出せたのだと思います。」と(メールで)おっしゃっていた。
そういえば、昔の早稲田での講演のあと、当時の図書新聞の編集、佐藤美奈子さんに
「私はそこに、本当に、はだかの、裸形の人を見ました。」と、すごく驚いたように言われたことを思い出す。
私の心にはすごく嫌なことも強烈に刻まれるが、美しいものも強烈に刻まれる。その過剰さを制御できない。
美しく儚いもの――動物たちや植物が、ずっと、私が生きることをたすけていてくれたと思う。
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