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2017年6月11日 (日)

母の入院と叔父、叔母の死

6月10日

6日水曜の朝に母が施設から大きな病院に入院した。このところ熱が出ることが多かったが、いよいよ唾の嚥下が悪く、施設では夜間看護できる体制がなく、危険だからだ。

それから母の死のことを考えて、不安と緊張で首と肩と背中が固まって、ずっと胃と心臓が痛い。

ずっと母を心配してくれて、支えてくれた東京にいる叔父(母の弟)にだけはお知らせしようと、昨日の夜、電話をした。

別人のようにすごく疲れてかすれた声で、おばが出た。

「おじさん、もうお休みになっちゃいました?」と聞いたら、「あのねえ、あなたに言わなきゃならないと思ってたんだけど、・・・お父さんね、去年の4月に亡くなったのよ。」と言われて、まったく意味が理解できなかった。

「ええっ!?・・・なんで!?」と、ただ反射的に声が出た。

去年の2月の終わりに膵臓がんが見つかり、4月1日に亡くなったという。「痛くはなかったんだけど、あっというまで・・・」とおばは泣いていた。

おばには私の家の電話番号がわからなかったらしい。「はがきで知らせるべきだったんだけど・・・」と、それもできないほど、おばは心労で疲れていたらしかった。

母と叔父はずっと仲がよくて、叔父は私の父に苦しめられていた母を、ずっと心配して、よくしてくれていた。病的に金遣いが荒い(ギャンブル依存)の父と、堅実な叔父は正反対の性格だった。

母と似て神経が細く、男には珍しいくらいの心配症で、いろんなことが気になる性格の叔父だった。とにかく生真面目で一生懸命な人だった。

私によく「くれぐれも姉の介護を頼んだよ。知佐子なら安心だ。」と言ってくれていた叔父だ。

父の直葬の時も、叔父は母を苦しめた父を許せないから、と火葬場にには来ず、父への香典ではなく母の介護金として私にお金を送ってくれた。

私は叔父が元気でいてくれること、叔父だけはなにがあっても母のことを思っていてくれて、昔の母のこともよく覚えていてくれることがありがたかった。それがずっと母を介護する私の心の支えになっていた。

叔父は、母と私にとって、長年にわたる父からの虐待、借金地獄との壮絶な闘いをわかっていてくれている、この世でただ一人の、信頼できる肉親だったのだ。

たったひとりの頼れる叔父が、もうこの世にいないことが信じがたかった。

ものすごい喪失感と不安で目の前が真っ暗になり、吐き気がした。

おばも「私がもっと早くに気づいてあげていたら。もっとよくしてあげていたら、と思うと苦しくて・・・。」と泣いていた。叔父とおばは、お互いに神経が細くて余計なことを考えてしまうタイプで、よくぶつかって不機嫌になったりしていたのだという。もっと一緒に楽しくすごせばよかった、とおばは悔いていた。

私は必死で動揺を抑え、一生懸命おばを慰めた。

小学生の頃の叔父宅の思い出、自宅付近に咲いていた花、叔父やおばがその頃好きで聴いていたレコードのことなどを話すと、おばは「知佐子ちゃんは本当に記憶力がいいわね。なぐさめてくれてありがとう。」と言っていた。

電話を切ったあと、ものすごいさびしさと苦しさで胸のざわざわが酷かった。胸骨のあたりと胃が激しく痛んだ。

あんなに元気で頭がしっかりしていて、心配性で口うるさかった叔父が母より先に、あっけなく死んでいたことがすごくショックだった。自分がとり乱しておかしくなりそうなのを、ぐっとこらえていた。

そして今日、昼におばから電話があった。

田舎の叔母(母の妹で、叔父の姉)が、今日、亡くなったという。しかも叔父と同じ膵臓がんだったという。

無常ということ。

おばも、叔母から叔父の田舎時代の思い出など、まだ聞けると思っていたのに、それが完全になくなったことがすごい喪失感でたまらないと言っていた。

おばも、今さらながら、叔父がなにを考えていたのか、なにに必死になっていたのか、もっと聞いておけばよかった、話しておけばよかったと悔やんでいるのだ。

誰かがどんなに苦しんで精いっぱい生きてきたのか、それを知っていてくれる人も、また死んでしまう。

もう亡くなってしまった人に対して、もっとああすればよかったのに、と後悔で自分を責めることの際限ない苦しみに陥ることが、私はすごく恐ろしかった。そこにはまり込まないように、どうにか必死で耐えた。

・・・

夕方4時、予定通り、以前に母のケアマネさんだったMさんと新宿で待ち合わせ。

久しぶりに会うMさんはたいへん忙しいお仕事のせいか、少しやせたように見えた。父が死ぬ前に新宿の病院でお会いして以来だ。

Mさんも年月の感覚がないと言っていたが、私も父の病院でMさんと会った時の6月の光と、植物は覚えていても、それが何年前のことだか思い出せない(たぶん3年前だが、もっと昔のような気もする)。

目的の飲み屋に行く道すがら、母が入院したこと、叔父、叔母の死について話した。

Mさんと話すことで、私はしばし落ち着いていることができた。とてもありがたかった。

そういう苦しみがあるということを、ただ知っていてくれる人がいる、信じられる人が知っていてくれる、と思うことは、耐えていくための大きな支えになるものだ。

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