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2017年9月

2017年9月27日 (水)

近況 母のこととちゃびのこと

9月27日

最近、ずっとブログを書くエネルギーがありませんでした。

というのは、母が6月7日にもう経口摂取できないと告げられてから、今日、今すぐに母が死んでしまう、という恐怖と哀しみ(もっと私が大切にしてあげていたら、という自責の念)で、私は身体ががちがちになってしまい、どうにもうまく書く言葉が見つからなかったせいです。

苦しすぎて、なにを書いても嘘になってしまう、

こんな中途半端な言葉では読んでくれた人に私のリアルな現状が伝わらない、それならば書かないほうがいい、という思いがありました。

6月、7月、8月と、私は母が今の私の年齢で、私がまだ若い頃の夢を見て毎日うなされていました。

母はまだすごく元気で、よく笑っていて、私に対しては遠慮なくぽんぽんものを言って、二人とも元気がありあまっていて、よく口喧嘩をしていた。夢から覚めると母が今、死にそうなのだと気づいて胸がずんとして、どきどきと痛んだ。

さらに、私にとって私の分身とも思えるちゃび(雌猫20歳)が今日、今すぐに死んでしまう、という恐怖と自責と焦燥で、毎日、母とちゃびの夢を見てはうなされ、おかしくなっていました。

普段低いはずの血圧が上180、下100くらいまで上がってしまった。なにをしていても心臓をどんと叩かれるような苦しさがあった。(お酒を飲んだ時だけ上96~126、下49~60くらいまで下降)

今現在、恐怖と自責と焦燥がなくなったわけではないのですが、

母は6月7日に口からものを食べることができなくなり、もうあと3,4日で亡くなる、と思って私が倒れそうになってから、なんと・・・・本当にわずかな、たまに一滴、またずいぶんしてから一滴、というごく少量の水分の点滴だけで、3か月と20日、信じられない長い時間を生き、まだ存命です。

本当になにも栄養をとらないで、母がこれだけ生きていてくれることが信じられないのですが、

最初に入れていただいたY病院から転院先をさがす時に、(私が無知のために)もう長くても一週間くらいしか生きられないと思いこんでいて、母にしてあげられる最後のことだから高い費用(月22~23万円以上)がかかる療養型病院に入れようか、CVをやっても一週間くらいしか生き延びないなら、心の準備のためにCVをお願いしようか、など心が迷った。

今は母に余計な手術の負担をかけずに、なにも特別なことはせずに、普通の病院に転院できてよかったと思っています。

実際的に母が死ぬ一番の危険は、痰が肺につまることと感染症で、療養型病院は一般の病院よりも痰の吸引などの看護の回数は低い。

私の直感では、絶対に療養型よりも一般の病院がよいと思った。しかし転院先として提示された病院の中で、一般の病院はひとつ(非常に近場の小さくて古い病院)しかなかった。

見学に行く前は、私はたぶんその病院にするしかない、と決めていたが、いざ見学したら病室から廊下の臭い(たぶん簡易便器の)、と、いよいよ亡くなった時にも、個室に移すことができない(4人部屋のまま)と言われ、母が死んでも同室の人たちに遠慮して泣くこともできない環境は嫌だと思った。

(同室の人たちも、すぐ横に死体があって、その家族が泣いているなんて嫌でしょう・・・)臭いと、お別れが心置きなくできないことの2点が、どうしても許容できなくて、ほかにどこか紹介していただけませんか、とごねた結果、提示していただいたのが、今母のいる御茶ノ水のT病院だ。

9月21日に、母がお世話になっていた特養K苑のK島さんからお電話があり、母がまだ存命と言ったら、(当然だが、すごく)驚いていらした。えっ、と一瞬間があってから、母が今いるT病院がとてもよくしてくださっていること、T病院に転院することができて本当に良かったと私が言うことに対して「それは・・・おだやかにお過ごしで、よかったですね!たしかに、普通ならもうたいへんぎりぎりの状態だと思いますよね。しかし、すごくがんばっておられるのですね。」とたいへん喜んででくださっていた。

私としては、母に依存しきってていた弱い私の、心の準備のために、母がまだ逝かないでくれているとしか思えない。

ちゃびも、簡単には記録にまとめられないほどの死線を乗り越え、毎日ジェットコースターの体調変化、人間なら100歳近い高齢なのに、私が思い悩んだ末の手術も乗り越え、私が1分ごとの体調を見ながら、つきっきりの治療によって、今も生きています。

私は愛する者のために、心身共におかしくなってしまうほど、尽くさずにはいられない、

たとえばちゃびの介護に関して、人語をしゃべらない相手に、今、この死にそうな状況をどう判断(解釈)して、それについてどう対応することを選択するのか、暗闇の中を手探りで歩くようで、不安で心臓がばくばくして、しかも有限な時間のメリットに急かされて、心身共に滅茶苦茶になってしまう、

しかし、私はそこにすべてを集中せざる負えない、こういう性格なのだと自覚しました。

今はちゃびと母のために生きたい。ほとんど必要最低限の用事のほかは外出したくない。余計な人づきあいをしたくない。

(同時に、私は今まで、まったく大切だと思えないむしろ嫌悪感を抱く相手から、私なら自分を拒否しないと勝手に思いこまれて、いいように利用されたり、酷いストーカー行為をされたりがすごく多かった、もう絶対にそういう目には逢いたくない、と自覚する今日この頃です。)

今は、母が死ぬ現実をつきつけられた最初の頃よりは少し落ち着いています。

自分があたふたしてもしかたがない、私には(パジャマの洗濯のほか)なにもできることがないと思うからです。

そしてネットで肉親との死別についていろんな記事を読んで、どんな別れ方でも、愛情がある限り、自責の念や心残りは当たり前のことなんだな、とわかり、少し落ち着きました。

ちゃびに関しては、毎日一緒にいる私がつきっきりで見ていて対処しないと死んでしまうので、相変わらず愛情と責任で濃く、重たい日々。

けれど刻一刻と変化する体調の急上昇と急降下の中で、ちゃびがゴロゴロ言って嬉しそうに甘えてくる瞬間、私も法悦のかなたに急上昇して涙が出ます。

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