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2018年1月

2018年1月28日 (日)

次の本のための絵の画像調整 / 大雪とちゃび / 書道

1月27日

カメラマンさん宅にて、撮影していただいた絵の画像をチェックし、鉛筆の線の強さ、水彩の色味、紙のグレーの濃度などの調整。前のカメラマンさんの撮影した画像とのすり合わせ。

今度のカメラマンさんの機材はキャノン・イオス。画質調整用のソフトで見ると、印刷に適した自然に近い色に見える。特に朱色が、うちのウィンドウズの画面で見た時のぎらぎらして蛍光色っぽく見える朱色とは全く違う。

前のカメラマンさんの機材はフジフィルムのカメラだったらしい。

鉛筆の線のかすれを、キャノンは点でとらえ、フジは面でとらえる感じ。フジのカメラのほうが鉛筆の色がグレーっぽく写っている。

雪が解けずに残っていて、風もあり、とても寒い。都心は53年ぶりに2日連続でマイナス3℃を下回ったとか、48年ぶりにマイナス4℃を記録したとか・・・電車の中でも皆が寒波の話で持ち切り。

帰りにまた日本酒を飲んだ。「こなき純米」と「酔鯨純米吟醸」。禁酒したいが、寒いのでつい飲んでしまう。

なぜか店員さんは「こなき純米」ではなく「こなきじじい」と呼んで注文をとっている。飾ってあった一升瓶に「お化けもびっくりの辛口!」と書いてあった。

1月22日

東京は4年ぶりの大雪。

ボアネックロールで耳が冷えないようにし、洗える布製マスクをし、アンダーシャツの上に3か所使い捨てカイロを貼り、フリース、コート、エアテックパンツの下にスパッツをはいて書道に出かけた。

私の場合、耳がもっとも冷えやすく、耳が冷たく痛くなると同時に激しい頭痛と吐き気に苦しむので、ボアネックロールが非常に役に立った。

書道の記録。

壽似春山(壽の字のかたちが違うけれど)。先生のお手本。

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下が私の書いた字。
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「壽」の字は何度書いてもうまく書けず、ボロクソ。美しい「壽」のかたちを自分でうまくイメージできないので、上手に修正することができない。

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「はね」の部分は、最終的に提出した字では修正することができた。

先生からお年賀をいただいた。とってもかわいいわんちゃんの墨。こういうのはかわいそうで使う気になれないので飾っておくしかない。

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横殴りの雪の中をスニーカーでよたよた歩き、滑って転倒しそうになって脚の筋肉を傷めた。

帰宅してから、ちゃびがいた時のことを激しく思い起こして、涙が止まらなかった。

外がどんなに寒くて雪が降っていても、部屋の中にちゃびがいてくれて、オイルヒーターのところにまあるくなって寝ていてくれたから、冷たい外気も、ことさらに嬉しく感じられた。

4年前の雪の日、私はカメラを持って雪の中に繰り出して、写真を撮ることが楽しかった。

今は雪の写真を撮る気にもなれない。

ちゃびの存在はあまりにも大きすぎて、あの愛おしさ、あの愛情関係の充足感を知っている今は、なにもかもが、それより劣って虚しく感じる。

寒い日は特にちゃびが愛おしくて、苦しくてたまらない。

どうしても「今、どこにいるの?」とさがしてしまう。

宮西計三の「月の園」(けいせい出版『金色の花嫁』)のなかの、「あなたが死んだ私 すべてが恐いの!」というセリフが頭の中をめぐっている。

2015年、私の膝の上のちゃび。

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2014年のちゃび。

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2011年のちゃび。

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生まれて2か月目くらいのちゃびとコナ。

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2018年1月25日 (木)

鵜飼哲 最終ゼミ 『原理主義とは何か』以後 於一橋大学佐野書院

1月20日(土)

Fと国立で待ち合わせ、鵜飼哲さんの最終ゼミを聞きに、一橋大学佐野書院へ。

会場の佐野書院へと急ぐ道すがら、「(私は)昨年の母とちゃびの死からずっと心が疲弊して頭の回転が悪い状態なのに、3時間も集中して難しい話を聞くことができるのかすごく心配。久しぶりに脳を酷使して、エネルギーを消耗しすぎて、途中でこと切れてこっくりこっくり寝たりしたらどうしよう」とFに尋ねる。

Fは「僕もそこまで長い間、集中力が続くわけではない」と、「あなたの頭はあなたが思っているほどには回転が悪いとは思えない」と言う。

「10月に母が死んで、そのあと11月にちゃびが死んでから、緊張とショックが大きすぎてほんとにずっと頭が回らなくて。いろんなものを失くしたりしてる。認知症になるんじゃないかと思って不安で。」と言ったら、

「20年前に出会ってからずっと、あなたが緊張して思いつめていなかったことはない」と言われた。

・・・

『原理主義とは何か』(1996年、河出書房新社)から20年余りの世界の変容を語る、というテーマ(ちなみに私はその本を読んでない)。

会場は満杯で、前のほうの席しか空いていなかったので前から2番目に座る(集中せざるを得ない、うつらうつらはできない、プレッシャーを感じる状況)。

前半の1時間半を終えてからは、混んでいるのでもっと前に詰めてください、と言われて最前列のほぼ真ん中の席になった。

〈まとまりがないが、私個人のためのメモの抜粋〉(誰の発言だったか、メモが追いつかず、最後の方、特に不確かで、発言主を間違えて書いているところもあると思います。)

1995~1996年以降の世界・・・グローバリゼーション化によって抑圧された復讐が始まった年。

日本では歴史修正主義、日本会議の始まり、沖縄少女暴行などがあった。

西谷修さんの発言:

「西洋的なもの」も概念的でしかない。発案、作用、ディスコース、研究。

港千尋さんのやっていることは論理化、整理することだけではないリプレゼンテーション、そこに介入する、美術の市場に介入する、ここにこういう表現がある、というエクスポジションの場に晒していく、場のディレクターであり、マネージメントできない表出、提示。

描くこと、ラスコー、文字文化以前の世界との関係にかたちを与える、「明かしえぬ共同体」、なにを共有しているのか言うこともできない。

私は言語評論界の松本ヒロのようなもの。(お笑い芸人の名らしい)

鵜飼さんはデリダに波長があったのだと思うが、私が波長が合うのはデリダがバタイユを扱うあたりまで。そこからはレヴィナスでいい。

『構造と力』はチャート式に整理している、ポスト構造主義。思想のモードとしては実存主義対構造主義。

バタイユの「禁止と違反」に直結している。

哲学は普遍性を目指すが、ピエール・ルジャンドルは目指さない。言葉を使う生きものしか扱わない。

言語を使う生きものは、それがうまくいかない(言語という、あるオーダーが破綻してしまう)と狂気にしかならない。法のアルケー、コードの塊、ノーム、ノルマ。

理性とは、「Why」という問いに応えること。

我々の知恵は途上の知恵であり、内部観測でしかない。宇宙船から宇宙を見ているのであって、宇宙から宇宙船を見ているのではない。

アガンベンはラテン語2000年の歴史を肥やしにして生えてきた草。

我々が限定されていることの自覚、「終わりなき目的なき手段」であり、終わりは我々には不可能、今、ここで探索しているのであり、永遠に途上であること。

フランスにとっての他者はアラブ、イスラム世界。

ヨーロッパの知性、中心性。(フランス人一般は自分たちはヨーロッパの知性、中心だと当たり前に思っている。)

港さんの発言:

1992年にストラスブールで世界作家会議があった。

旧ユーゴの内戦やアルジェリアの内戦に知識人たちが反応した。

1995年は不気味なものが世の中に顕われてきた年。どの地名をとっても、地名を通して対話が可能となった。

世界遺産への批判。グローバルな土地の占有と結びついている。

ジオとは与えられた大地としての所与のものであって、そこに宗教、文明が生まれたのだが、今はジオそのものが人間と同等以上の力を持ち、ヒストリーやポリティクスに介入し始めている。

鵜飼哲さんの発言:

9.11事件の後、パレスチナ人に会って話を聞きたいと思った。2014年の事件の後、アルジェリア人に会って話を聞きたいと思った。

暗黒の10年に何があったのか、アルジェリアの内戦について、フランスの教養のある人でも記憶にない。アナロジーの作りようがない。隔絶。

アルジェの戦いの時に子供だった人は、フランスがまた侵攻してくるのではないかと思っている。

朝鮮、沖縄、中国を見なければ日本というものはわからない。

世界遺産に入りたいと思っている人は、サバルタンではない。

1994年、世界遺産奈良コンファレンス、オーセンティシティに関する奈良ドキュメント。

第二次世界大戦の時、奈良と京都だけは爆撃されなかった。

知床・・・アイヌの舞踊が無形文化財に指定されているだけ。

田浪亜央江さんの発言:

広島の学生はシリアなどの難民支援を志す人が多い。

呉世宗さんの発言:

沖縄では地名が人名になっている。旅とはある場所を持ち帰ってくること。

原理主義への対抗はトレランスではなくホスピタイティ。

会場からの質問:今は世界多発原理主義化と言えるのか?

鵜飼哲さんの応答:

トランプや安倍晋三は原理主義とは見えない。原理主義の人たちにはもっと真剣なものがある。ポリティークの中では性格が違う現象。ひとつ間違うと原理主義的傾向になってしまう。

西谷修さんの発言:

資本主義というのはマルクス主義の枠組みの中のことであり、今の経済は資本主義とは言わない。

現在は科学技術開発、技術産業、市場のシステムが破綻し、これが経済を支えられない、国民経済の枠がない状態。

観光が最後の段階。これには資本がいらない。交通と飲み食いが経済になる。

それぞれの国の社会の在り方が壊される、社会が持たなくなる、原理主義でなくネガショニズム。世界戦争まで推し進めた勢力が歴史修正しながら出てくる。

原理主義とは宗教的キャピタルを持っているところ。

鵜飼さんの発言:

第二次大戦について、アジア太平洋で、なんでこんなにつながっていないのか。

トランプはオバマが持っていた解決しようという気を持っていない。

最低限、ろこつに空いているピ-スをはめてからでないと議論にならない。

西谷修さんの発言:

ITテクノロジーの問題。我々の情報、経験の質をどれだけ変えているか。

ハイデガーが「形而上学はサイバネティックスにとってかわられる」と言ったとおりになった。

港千尋さんの発言:

ITテクノロジーの問題は、我々の生命が変わるということ。

かつて、スマホ以前の時、ベルルスコーニのことを問題にしていた。今はトランプがそっくり同じことをやっている。

我々が知的な活動にさける時間は1日に数時間。マーケティング的に、その時間をいかにお金に変えられるかがテクノサイエンス。

ツイッターの情報が数千万人に渡ることは、形而上学的な話どころではない。

あらゆる戦争が民営化していった。敵味方の区別がデジタル化。

政治的なクライテリアがずれてきた。実際に何が起こっているのか簡単な図式では整理できない。

鵜飼哲さんの発言:

鈴木道彦先生と入れ違いに研究室を引き継いだ。

今やフランスが世界で一番ファノンの読まれない国。

『地に呪われたる者』「橋をわがものにする思想」、ファノンが橋。ファノンをわがものにできるか。

トランス・ポジション。翻訳と同時に置き換える。ファノンが他の文脈で読める。自分のポジションの正当化にならないために元の文脈に送り返した時に豊かになるように。

自分を人質の立場におく(レヴィナス)。

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私のような予備知識のない人間には、用語や人名などが聞き取りにくくて、今一つつかみ辛いところの多い討論だった。

帰りに、Fと三鷹で食事。私は「こなき純米」という鳥取のお酒を飲んだ。水木しげるのこなき爺のラベルがとっても素敵なお酒(Fは一滴も飲まない)。

「我々の知恵は途上の知恵であり、内部観測でしかない。宇宙船から宇宙を見ているのであって、宇宙から宇宙船を見ているのではない。」という西谷修さんの発言が印象に残っている。

ジャコメッティは見えないところまで描かない、ということを若林奮先生が言っていたと思う。俯瞰でものごとを見ない、実際には見えてもいないことを、さも見えているように言うべきではないということ。(それが、見えないものを無きものとしないことなのだと思う。)

誰でも自分の立ち位置、身体能力でしかものごとを感じることができない。だから想像力と配慮がいる。

これはものを考える時の基本であると思う。

・・・

「言語という、あるオーダーが破綻してしまうと」という西谷さんの言葉から、自分自身のトラウマともいうべき体験が連想されて、お酒が進んでしまった。

言語というオーダーが完全に破綻すべきところが、盗みによってのみあからさまにとりつくろわれて、自我の優越に開き直る、つまり現実認知がおかしく、手前勝手な妄想でいつも有頂天になっている・・・そういう人間たちに私はずっと苦しめられてきた。

その言語(というオーダー)が隠す「根源」があるとすれば、異様なまでの情動の停滞、感覚の鈍さ、あるいは知能の低さだろう。

とりわけ私を6年苦しめたP(パクリストーカー)は、あらゆる言語やものごとの理解がおかしく、抽象的な言葉がすべて自分中心(Pにだけ都合のいいように)歪んでいる。行動は衝動的、空疎で、「狂気」と呼ぶような豊かさは微塵も引き連れていない。

私を標的にして「見てもらいたいから」「惹かれたから」と言い、勝手に(衝動制御障害的に)侵害行為を続けてけてくるPのことがあまりに苦痛で、Pが怖くてたまらなかった。

彼は他人のものを自分のものと思い込んで「自分はすごい」「自分をほめろ」と強要してくる精神の病だ。

Pには無視が通じないのだ。私が黙っていると自分に都合のいい妄想を自己展開して行動がエスカレートする。私がはっきり「本当のこと」を言うと、Pは上から激昂して来た。

彼はどんなに人(他者)を傷つけても、絶対に自己嫌悪したり、内省したりすることがない。彼は激しすぎる自己愛からの妄想で、現実認識が逆に歪んでいて、本来なら恥を感じる場面で大得意になるのだ。

最低限のルールやマナーも身につけていないPに、小学生レヴェルのことを一から説明してわかってもらうことはほとんど不可能に近かった。何度注意しても理解されず、私自身が消耗しすぎて、心身ともにおかしくなるほどに追い詰められた。

Pにやられたことは「収奪」という言葉を使っていいと思うか、とFに尋ねたら、「それは収奪そのものなんじゃない?」と。

それにしてもFは心の病や発達障害などについての認識が信じられないほどに薄すぎる。

いつも「言語という、あるオーダー」が前提的に共有されている場所でしか自分を試されないからだと思う。

文学の内には、言語というオーダーがあり、また言語破壊というオーダーがある。いずれにせよ予定調和的に救われ、言語のそとのものが侵害されるわけではないからだ。

Pのことの経緯はいずれ詳しくブログに書こうと思っている。

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2018年1月21日 (日)

変わり咲きのラナンキュラス / 大宮八幡神社

1月10日

1月8日に、久しぶりにオランダ屋さんに行ってアネモネを買ったら、「これ、日にちが経っちゃたんですけど、よかったら飾ってください。」とラナンキュラスを4本もおまけでくれた。

特に変わり咲きのラナンキュラスが素晴らしくて「わあ、それすっごく素敵!最近の種類ですか?」と大喜びしたら「喜んでもらえてよかったです。」と切り花用の水に入れる薬までいただいた。

このねじれた絞りの花弁のラナンキュラス。

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1月16日(火)

カメラマンさんに新しく撮影してもらった作品画像約100点の点検。

1月17日(水)

きょうは14~15℃くらいに暖かくなるという予報を信じて家を出てしまったらすごく寒い。

布花の資材を買いに中野へ向かった電車の窓から、現在の気温8.5℃という電光掲示板が見えた。

古本を4冊買い、いつもの天ぷら屋さんで食事。その後資材屋さんへ。

さらにもう一軒の資材屋さんを目指し、東中野へ。店員さんにいくつか質問した。

1月18日(木)

きのう暖かくなるのは予報間違いで、今日こそ暖かくなる、という予報を信じて家を出たら、すぐに陽が陰って寒い。今にも雨が降りそう。

善福寺川にはたくさんの鴨が来ていて、おしりをぷるぷるしながら水に潜っていた。高い樹の上にはツグミの巣があり、鳥たちが集まって騒いでいた。

もう何年もやっている護岸工事に気持ちが暗澹となる。川沿いの植物が繁茂していたひなびた細い道や小さな植え込みが滅茶苦茶に破壊されている。杉並区立郷土博物館の裏のテニスコートのあたりを全部潰して大きな貯水池をつくるらしい。

以前から気になっていたスダジイがまだあったので嬉しかった。この樹はサルノコシカケのような茸と湿った苔に覆われていて塀と門の間にどっしりと存在している。

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巨樹を見たくて大宮八幡神社へ。

私は俗に言われるパワースポットなどスピリチュアルなものを一切信じず、応仁天皇などへの信仰心はないのだが、鎮守の森の鬱蒼とした空気に触れたくて行ってみた。

神社が建ったのは1063年。ここは東京のへそにあたるそうだ。

大鳥居をくぐってすぐに森の木々の匂い。カエデ、シイ、クスノキ、カシワ・・・。数百年は生きている木々の下を歩くと落ち着く。

キエーッ、キエーッ、キチキチキチキチ・・・カァ、カァ、カァとヒヨドリ、ツグミ、カラスなどが枝のとても高いところで囀っていた。

男銀杏と女銀杏のてっぺんにはカラスがいっぱい。

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境内に咲いていたジュウガツザクラ。

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飼われているチャボ。

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お宮の横の森には去年の色とりどりの落ち葉。

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私は極度の末端冷え性なので、神社を出る頃は冷えすぎて手首から先が紫色になって痺れてきた。これはまずい、このままでは寒さで熱を出してしまいそう、と緊急避難で近くの不二家に飛び込んだ。

一杯の白ワインを飲んだら、すぐにちゃびのことを思い出して胸が苦しくなり涙がこぼれた。

そのあと永福町でサラダとお寿司と熱燗を少々。

1月19日(金)

新宿の銀行へ。そのあとMと会う。

『夕凪の街 桜の国』を読む。

阿佐ヶ谷で久しぶりにピザを食べる。

ここ10年以上、ずっと食べたいと思っていたが近所では売られていなかった八朔を高野青果で買う。

八朔の懐かしい苦みと香りがほっとする。みかんや甘夏よりずっと好きで、子供の頃はよく母と食べた。

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2018年1月13日 (土)

年末から新年

1月13日

昨年暮れから今までのこと。

次に出す本の作品撮影のため、12月28日に、カメラマンの糸井さんがスケッチブックをうちに取りに来てくれた。

近くのファミレスで本の概要や撮影についての希望を説明。

前のカメラマンさんの撮影データと合わせるための試作データが30日には送られて来、それから第2回補正、第3回補正と、色味や鉛筆の線の濃さの調整などのやりとりを正月中に、ずっとできていたのは、とてもありがたかった。

この仕事がなければ、なにひとつ充実しない淋しいお正月だった。

色味のニュアンスなど、感覚的なことを言葉で伝えるのはとても難しいのだが、糸井さんは軽妙で勉強熱心でコミュニケーションしやすいか人なので、彼のお人柄に感謝。

1月1日

福山家の菩提寺から年賀状が届いた!「謹んで新春のお慶びを申し上げます」に呆れて笑ってしまった。

昨年10月、母の火葬場まで若いお坊さんがお経を読みにいらしてくださったのに、そういう事実をちゃんと記録していないらしい。

(私が精神的に参っていたために)母の納骨を春頃まで待っていただきたいという電話をこちらからしないで、ずるずると年を越してしまった非礼を申し訳なく思っていたのだが、そんな気持ちも吹っ飛んでしまい、たいへん気が楽になった。

原宿で見たヤマガラ。

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素敵な枝ぶりの冬の樹。
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12月30日

話し合いのため、Y子のアパートへ。

2017年の年末も差し迫ってから、私にとって人生最大のストレスと言ってもいいほどの他人からの迷惑に対して闘わなければならない事件があった。

以前書いた、母の火葬の日に私の怒りが爆発してしまった件・・・知人H子が何十年も昔に私の父に保証人のハンコを押させていたH子の娘Y子の借金の件で、ついにY子に債権者側から裁判の準備段階として召喚される書類が届いたのだ。

(この顛末については詳細を後述する予定。)

世間一般のように仕事納めで解放される年末どころか、心身ともに酷使せずにはいられない年末となった。

疲労しすぎて帰宅前に駅前の居酒屋で休んだら、薬などのはいったポーチを席に忘れて来てしまった。翌日、店に電話したら感じよく対応してくれた。魚民さん、ありがとう。

・・。

2017年の年末は、大掃除も気力と体力の不充分によりできず、正月の準備、花飾りやおせちなどはなにひとつやらず。

マッサージと整骨にだけは通っていた。

新しい年の新鮮なまっさらになった喜びや、心身ともにひきしまる感じはなく・・・。

思えば母がパーキンソンの認知症になってから、おせちや雑煮など、もう10年以上食べたことがない。

私自身はおせちや雑煮に興味はないが、昔、毎年暮れに祖母が大釜で炊いていた煮物や、母の手作りのニシンの昆布巻きがたいそう嬉しかったことを思い出してしんみりした。

「一夜飾りはいけないのよ」と言って、28日までに千両や万両の赤い実に花を組み合わせた正月の生花を買っていた母。かいがいしく働きまわっていた母の姿を思い出す。

母がいなくなってから、私は正月のために花は買わない。

儀式などは関係なく、ただ、純粋に自分が描きたいという衝動が起きる花を見つけた時に買うだけ。

元日の朝、母のタンタンタン!と勢いよく階段を駆け上がって来る音を聞いた。ねぼけまなこの私を「知佐子!早く起きなさい!年賀状が来てるよ!」と起こしに来た母。

母が亡くなり、最愛のちゃびもいなくなった今、気ぜわしい色とりどりの年末や、真っ白に光り輝いて見えた元日の朝の光が、遠く鮮明な記憶の中だけのものになってしまった。

私にかつてそういうことがあったことが信じられないようにも、また同時に、失われてしまったことが信じられないようにも感じる。

まだどこかに強烈にあるのに、それをつかめない、全身で触れられない淋しさ、苦しさ。

初詣の時に、母とちゃびの健康と幸せを一心に願えないことが、どうしようもなく辛かった。

昨年、ちゃびが亡くなった11月の初めから、12月、私は人生で一番の危機に耐えた。動悸と悪夢、不眠が苦しかった。

眼の前は真っ暗、なにも楽しくなかったし、なにもやる気が起きなかった。

でも大切な相手を亡くした人は私だけではないはずだし、淋しい年末年始を過ごしている人も、この世にはたくさんいるだろう。

12月24日

図書館に行く細い道の途中にある寸断された樹。

頭にトタンのようなものがかぶせてあるのが気になる。

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曹洞宗鳳林寺にて。

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江戸時代からここにあるこれらの石仏にこめられた過去の出来事を思う。
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曹洞宗宿鳳山高円寺の白椿とメジロ。
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花の蜜を食べ、鴬色(渋い黄緑色)なのはメジロで、ウグイスではない。ウグイスは虫を食べ、地味な茶色で、花には来ない。
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