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2018年5月

2018年5月21日 (月)

ラテ、ソラ、リンリン、多摩川

5月20日

ラテとソラとリンリン(玲玲)に会いに。

私の最も好きな絡まりあった植物たちをさがしに、また多摩川へ。

蚊が多くなる前に、緑がまだ若くて柔らかいうちに、毎週行こうと決めていた。

きょうもソラ(2014年6月12日生)は屋内でいっぱい食べて。

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こんなになって。

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ふわふわもこもこ毛づくろいをしていた。

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ラテ(2013年6月11日生)は外の樹に登って葉っぱを食べたり、歩き回って中に入ったり、の繰り返しでそわそわ。
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午後から行ったので午前中はわからないが、ソラとラテは一緒にいなかった。
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4時過ぎには、きょうはリンリン(2001年6月19日生)が外でりんごをもらっていた。ゴウ(剛。2000年6月19日生)が(4月29日に)亡くなってさみしいけれど、リンリンは長生きしてほしい。

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4時半に動物園を出、多摩川の誰も行かない茂みを目指して奥へ。

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細い木の橋を渡り、人にまったく出あわない場所を進む。

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私にとって最高に面白い場所に入っていくことができた。
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全身黒づくめの服を着ているのは、屋内のレッサーパンダを撮る時に、自分の服がガラスに反射して映り込むのを避けるためだが、スズメバチには黒色の服は危険だ。
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苔や黴の胞子で汚れるし、ノイバラやススキで手足を切るので、軽装で藪に入るのは真似しないでください。
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陽があたる場所のスイカズラの花はもう落ちていたが、鬱蒼とした林の中のスイカズラは今が盛りと匂いたっていた。
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陽が完全に落ちる直前に川原に出た。
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2018年5月18日 (金)

小網代の森、 古い黒ずんだ石塀 

5月16日

気温29℃。真夏のように暑い日だが、三崎口に着くと強風で肌寒いくらいだった。

関東唯一の稀少な生態系が残っているという小網代の森。

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森の入り口を入ると急勾配に下る長い階段。いろんな鳥のさえずり。澄んだ空気。

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絡まり合う植物を抜けるきれいな光。

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奇妙で魅力的なかたちの樹をさがしてゆっくり歩いた。

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目立つ蔓のほとんどはヤマフジだった。
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枯れかけてわずかに残るハルジョオンの花を見つけてとまるキタテハ。
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期待が大きすぎたせいか、それほど強烈に目を奪われるものもなく、やや物足りない。

散策路から一歩も外に出てはいけないので、素敵な樹があっても近づくことができないからだ。

私は風景としてものを見るのが好きではない。ぎりぎりまで近づくのが好きだ。

森を抜けてふらふらと近辺を散歩。すごく気になる古く黒ずんだ石塀を発見。これに私は夢中になった。

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近所のお爺さんが話しかけてくれたところによると、ここは戦前、大きなお屋敷だったそうだ。

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この階段の上から桟橋がかけられており、伝馬船が着いたのだという。

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お爺さんは宮城で兵役を終えたという。特攻に行って、帰って来た、とおっしゃっていた。

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どこにもつながっていない階段や、かつてなにかだった建物、そこに寄り添う植物は最高に魅惑する。

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潮風にさらされて美しいマチエールになった白い木の壁の家。

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静かな路地ではちっちゃな女の子と退屈そうなお兄ちゃんが遊んでいた。お兄ちゃんは私が塀の写真を撮っているのに気づくと、珍しそうにずっと後をくっついてきていた。
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近くに咲いていたニゲラ(黒種草)。緑の果実がいっぱい。
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おしゃれな緑色のゴミ箱。
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古くからやっていそうな魚屋さん。
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波止場に降りる道の途中の、剥げた貼り紙の跡のある不思議な劇場のような塀。

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日射しに熟してきた桑の実。
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三崎口駅前にいつもいる大きくておっとりした猫。2年前の春にもいた。オスのさくらねこ(避妊した印に耳をカットしている地域猫)だ。

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夕方の三浦海岸の波打ち際はあまりの強風で、全身に砂がびしびし打ちつけるのが痛くて、5分ほどしか歩けなかった。犬の散歩の人たちも早々に引き上げていた。

きょうはほとんど貝殻は無く、ナミマガシワも拾えなかったが、欠けていないイタヤガイを2枚拾った。

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2018年5月13日 (日)

りんごが好きなソラ、倒木と枯れ蔓

5月12日

薄曇り。25℃。きょうもカメラをしょってラテたちに会いに出かけた。

きょうはラテ(男の子)は外に出たくないようで、早めに宿舎に入ってしまった。

3時頃になるとりんごをおねだりなのか、飼育員さんのほうに猛烈にアピールするソラ(女の子)。

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りんごをもらって上機嫌なソラ。
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ソラはとてもよく食べる。ラテよりも顔の毛が白っぽくて眉毛のような部分がはっきりしていず、ほんわかした顔。

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左耳が少し寝ているのが特徴。

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りんごを2切れいっぺんに持って食べようとしたソラ。1切れ床に落としたが、落としたりんごもちゃんと拾って食べました。

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多摩川へと歩く。

道すがら咲いていたヤクルマギク。ルドンの「グランブーケ」の花瓶の色。

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私がもっとも惹かれる情景、苔に覆われた倒木や絡まり合った蔓草を見つけた。

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スイカズラ(金銀花、忍冬、ハニーサクル)が満開。スイカズラはなぜかニセアカシアの樹が好きで、ニセアカシアにばかり絡んで高く枝をのぼっていた。
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森の中のそこここに私の大好きなスイカズラの香りが満ちていた。

幹から垂直に空に向かって何本も枝が伸びているのを見ると、ここに倒れてからかなり時を経ていることがわかる。

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この場所はまだまだハルジョオンが全盛だった。街中ではハルジョオン(春女苑)の細い花びらが乾いて茎も枯れかかって、ヒメジオン(姫紫苑)の花が満開になってきたのだが。
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もうひとつ満開だったのは白い野茨。棘がびっしりで手足を傷つける。

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最高に私の好きな蔓草の絡まった樹を見つけた。

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小さな沼が外国の風景のようだった。
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「牛枠の羽」というところ。

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「牛枠」とは牛を繋いだ枠ではなくて、古来からの川の水流の衝突部に設置して減勢、導流を行う設備。丸太材でつくり、牛のように見えるからそう呼ぶらしい。上の写真の上部、川べりに並んでいるこれ。

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この場所は地面が斜めに作られていた。

はるか遠くに来てしまったように感じさせる場所。ひとつの建物もない。人っ子一人いない。チガヤの白くツヤツヤした穂が光っていた。

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空と雲が映る水。
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2018年5月10日 (木)

ルドン、ハゴロモジャスミンの匂い、柑橘の花の匂い、タンポポの散種

5月10日

きのうは関東でも雪が降った。今朝は雷を伴う冷たい雨だったのが、午後にはきれいに晴れた。

しぼんだタンポポを摘んで硝子瓶に生けていたのが全部丸い穂綿に変わったのを持って出かけた。

ほかの雑草(ハルジョオンやキュウリグサ、ハルノノゲシ、オニタビラコ、ジシバリなどなど)が生えていてタンポポが生えていない土の上に持っていって、ふっふっと吹いた。

いろんな場所に散種した。来年の春、生えてくるのか、それらの場所がどうなっているのか。

風媒花なのに動物媒している。タンポポはヒトが飛ばすことをわかってその美しいかたちをとっているのだろうか?

4月の半ば、近所の飲食店と喫茶店の間の、人が入っていけない僅かな隙間から、風が変わる瞬間に飛ばされてくる白く光るシフォンのような粉っぽく甘い匂いを感じた。

ハゴロモジャスミンの匂いだ。けれど花は見えなかった。

隙間の向こうは建物と建物で挟まれた小さな裏庭のようなところらしいのだが、角にある飲食店の側面に廻っても人が通行できる幅はなくて、そこに到達できる道はなかった。

そのあたりを通るたびに、目には見えないその花の香りを確かめた。私は花の姿をこの目で見たくて何度も細くて真っ暗な隙間の向こうの明るい光を覗き込んだ。

「ここに立ってみて。ジャスミンの香り、わかる?」と、そこに友人を引っ張って行って立たせてみた。

数十秒待機するあいだに閃くシフォンが通り過ぎ、「ほんとだ。」と友人は言った。

暗い隙間の向こうの明るい場所に在った花は4月の12日頃に咲き始めて、4月の終わりに枯れた。

街ではジャスミンを追いかけてニセアカシアの白い花が香った。それに続いて柑橘(蜜柑、柚子、朱欒)の白い花の匂い(ネロリ)が、幾度も街路を帯状に抜けた。

柑橘の花の匂いはジャスミンの匂いよりも金色を帯びている。

ニセアカシアの花も柑橘の花もほろほろと地面に落ち、今はアイリス、スイカズラ、ヤグルマギク、モジズリ(ネジバナ)、ドクダミ、ホタルブクロや早咲きのバラが満開。

きょう、今年最初のツバメの巣を見た。毎年ツバメが巣をつくるしゃれた古着屋さんの軒先だ。「頭上注意!ツバメの巣があります」の貼り紙。下にはフンがたくさん落ちている。

春から夏へ。

5月9日

夕方からルドンを見に東京駅へ。5時ちょっと過ぎに着いたらけっこう行列していたのでどきっとしたが、展示会場内はそんなに混んではいなかったのでよかった。

昔、ヨーロッパを旅行雑誌と電車の時刻表だけを頼りに2か月間旅をした時、フランスのオルセーで見たルドンの花々。

特に「黄色い花咲く枝」、「黄色い背景の樹」、「人物(黄色い花)」・・・このあたりの黄色い連作が一番記憶に残っているので、もう一度間近で見て、どう感じるか確かめたかった。

やはり黄色をはじめとする色の使い方、一筆ごとに筆触が物質化されていく、その色ごとの質に激しい快感を覚えた。

抵抗感を持ち壁のように前に出てくるグレー、それよりさらに前に出てくる黄色、あるいは地として背後に引っ込む薄茶、透明な空間として後ろに遠ざかる青(ヤグルマギク色)の物質感、それぞれの筆触を見ていた。

アカデミックでないこと。柔らかく重厚。たどりつけない謎を含むこと。あらゆる色の質のモザイク。植物の動物化。

今回の展覧会のメインである「グラン・ブーケ」。私は今回初めて見た。確かによい作品だ。

仏画に譬えたり、御神木に譬えたりして崇めるのは勝手だけれど、しかし、これ、三菱地所の美術館が買い取ったの?フランスに置いておくべきなんじゃないの?という複雑な思い。

小さなことかもしれないが、「花々(赤い芥子)」という画題が気になった。フランス語の原題は「Fleurs(Vase de fleurs)」で芥子とは書いていない。私の眼では、この赤い花はどう見ても芥子ではない。シャクナゲやツツジの類だ。

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展示の最後のほうの部屋にあった「装飾プロジェクト」。

「装飾」という言葉は重要な芸術ではないような軽い響きがあるが、私はこの部屋の作品を夢中で見た。ほとんど熱心に見る人がいなかったので空いていてよかった。

「装飾」と言ってもルドンの描いたものは薄っぺらで単純なものではなく、花や葉のひとつひとつが謎めいて想像力をかきたて、胸がかき乱されるほど素敵なものだ。

それが刺繍になり、椅子になっても魔力は消えていない。

むしろ古い少し色褪せた椅子(1911-1913)の艶のない刺繍糸の盛り上がりとしてルドンの色やかたちを見たことで、私の想像力は大きくひろがった。

若林奮先生が「装飾という言葉を見直さなければならない」というようなことを言われていたことを思い出していた。

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2018年5月 7日 (月)

くるりんしっぽのラテ、多摩川

5月4日

昨晩雨が降ったあとの乾いた涼やかな空気。透明な風とひんやりした光にたまらなくなって1時間ほど電車に乗って出かけた。電車の窓から積乱となった雲が見えた。

小さな動物園。

食べるのに夢中なちっちゃなプレーリードッグ。

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人懐っこく、なんども近くに来て立ち上がるムツオビアルマジロのハナコ。

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真昼間の日差しに少しだるそうなミーアキャット。
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優しい眼をしたロバのアヤメちゃん。この子は頭をなでられるのが好きだそうで、たくさんなでた。
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そして一番長い時間、見つめ続けていたのはレッサーパンダのラテ。

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しっぽがくるりんと丸まっているのがラテのチャームポイントだ。

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ラテのふるまいや表情がちゃびに重なる。魂をわしづかみにされるあどけなさ。

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何度もすぐ近くまで来てくれた。ラテ、ありがとう。

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ラテの恋人のソラは、きょうは室内でお休み。

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樹皮が剥がれているとても魅力的な樹を発見。

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ホルスト・ヤンセンの「ニグロモンターヌス」の版画を思い起こさせる。ユーカリの類だとはわかったが、なんという樹なのかはっきりしなかった。

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帰宅してから調べたところ、ユーカリ(ユーカリプトス)の中のグロブルス ( Eucalyptus globlus ssp, globlus、ブルーガム)だとわかった。ユーカリは700を超える種類があるという。葉のかたちもいろいろだ。グロブルスは特に60m以上の大木に育つ種類だそうだ。

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劇的な雲を追いかけて多摩川べりまで歩いた。

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2018年5月 6日 (日)

サラ・ムーン

5月3日

みゆきちゃんと古着屋でキャシャレルのスカートを見ていた時に、サラ・ムーンの写真を思い出した。サラ・ムーンのおかげで、「キャシャレル」という言葉だけで甘美なイメージを連想するようになってしまっている。

検索したら、ちょうど4日までサラ・ムーンの『 「Dun jour à lautre 巡りゆく日々』という写真展をシャネルでやっていたことを知る。急遽、写真の話が通じる友人と出かけることにした。

内容は素晴らしかった。会場内の撮影自由なのはすごく嬉しかった。

私が最初にサラ・ムーンに衝撃を受けたのは、84年のプランタンでの日本初個展の時だ。その時の写真集をずっと大事に見ている。

薄暗くて、けだるくて、甘やかで、淋しげで、沢渡朔さんの写真と共通するところがあると思った。

サラ・ムーン日本初個展の時は、男性の観覧者はほとんどいなかった。女性ファッションのコマーシャル写真というように捉えられていた。今は男の人もいっぱい。あの頃より、ずいぶん有名になってしまった。

あまり有名でたくさんの人が押し寄せるようになると、私は一気に冷めてしまうのだが、それほど混んではいなくてよかった。

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すべての写真が、一貫して「不分明なもの」を撮ろうとしている。

「変容」。あいまいで妖しいもの。

なにを撮っているのか、どう撮ったのかわからない写真。これは私が絵でめざしていることと同じだ。だから強く惹かれる。

私はわかりやすいものに興味がない。

あからさまな暴力で挑発するものも嫌いだが、牧歌的で穏やかな風景も嫌いだ。

「カモメ 1998」。カモメというタイトルが違っていたら、叫んでいる白い仮面のように見える。

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この写真も、ぱっと見て、私は犬を撮ってるのだとわからなかった。大きな黒い口を開けている顔として見た。

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ベルリンやハンブルクの私にとって懐かしい情景もあった。それも、もちろん普通の捉え方の風景ではなかった。

上「ハンブルクにてⅢ2013」 下「ハンブルクにてⅣ2013」。

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ハンブルク風景の横に展示してあったこの写真は、ホルスト・ヤンセン(ハンブルクに住んでいた)の初期の版画にそっくりだと感じた(友人はフォートリエの「人質」を思い出したそうだが)。私は、これをヤンセンへのオマージュだと思った。サラ・ムーンもハンブルクでヤンセンの作品を見たのだろうか。
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「白鳥の歌」と題された動画。サラ・ムーンの映画「ミシシッピーワン」の時の音楽はヴィヴァルディ。ヴィッド・ロウの女性ボーカルだった。この音楽はヴァン・デン・バーデンマイヤー。
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川崎の工場地帯だそうだ。
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シャネルのビルのぴかぴか光る階段で。

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四谷の私の好きな橋にて。風が強かった。

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きょうは、古着で買ったけど、なかなか着られなかったMarc Le Bihanを羽織って行った。男の人の着古した作業着をバラバラに切って、身ごろを上下逆につぎはぎしたすごいデザインのシャツワンピース。私が着ると、自分で切り張りしたみずぼらしい服と思われるみたいだ。

杉大門通りの裏通りの小さな階段はまだあった。

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ここも私の好きな裏道。時折、猫が横切る。

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2018年5月 3日 (木)

パラボリカ展示終了

4月30日

パラボリカの「森島章人『アネモネ・雨滴』トリビュート展」最終日。

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妙子さんととても久しぶりにギャラリーでお会いする。妙子さんは私が初個展をした時に、新聞で告知を見ていらしてくださり、知り合ったかただ。

お会いするのは10年以上前の四谷3丁目でやった展覧会以来だ。その後、妙子さんは結婚、出産、子育てと忙しくなってなかなかお会いできなかった。

私は2時にギャラリーに着いたのだが、少し前にお帰りになったお客様が私の「小さな蛙と風の薔薇」という絵を購入してくださったときいて驚く。

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「小さな蛙」とはラナンキュラスという花の名前の語源。「風の薔薇」とはアネモネのドイツ語での別名。画題は「ラナンキュラスとアネモネ」という意味だ。

この絵は私の絵の中ではカラフルなほうだが、衰弱し、うなだれたり、折れたりしている花を美しいと感じ、それをこそとらえようとするる私の「意志」が出ているので、一般には受け入れられにくいと思っていた。

どんなかたが買ってくださったのだろう。

5月1日

パラボリカより絵とコサージュ作品の搬出。

行く先が決まった絵「小さな蛙と風の薔薇」と最後に記念撮影。
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友人が重いもの(大きな絵)を持つのを手伝ってくれたので、私は大した荷物を運んでいないのに、すごく筋肉が痛くなり、疲労感がどっと出た。

2か月間の展示、やっと終わった、という精神的なものかもしれない。こんなに長く展示したのは初めてだ。

ゴールデンウイーク中、できるだけ静かな気持ちで仕事を続けたい。

私は今、毎日少しずつ絵を描くことができている。そのことは、ものすごく私自身にとって大切でありがたいことだ。

身体のどこかを共有しているように近い存在だった母とちゃびを喪失してから、絵を描くことも、本を読むことも、ましてや人と会うことなど、酷く苦痛だった。それくらい滅茶苦茶に心身ともに潰されていた。

絵を描いたとしも、それがなんになる、とすぐに冷めてしまうような、少しも充実感がない、絵を描くことが楽しいと人に思われること自体が苦痛、と思うような時期が続いていた。

半年が過ぎ、やっと、ようやく、私らしい私に戻って来つつある。

静かに自分を休養させる時間を持つことは難しい。どうしても辛いことを思い出し、苦しんでしまう。

穏やかに落ち着く方法を見出すこと、リラックスすることも簡単なことではない。

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2018年5月 2日 (水)

タンポポの穂綿、ハルジョオン(春女苑)

4月29日

真夏を思わせるような日射しの強い日。

みゆきちゃんに頼まれていた絵を渡すために高円寺で会う。

イタリアンで食事。毎年恒例の大道芸の人込みの中を歩き、私の好きな古着屋を一緒に廻った。彼女は「これから服はすべて高円寺で買おう。」と言った。

赤い薔薇の柄のネルと綿と絹をつぎはぎしたシャツを相当気に入っていたが、「これは私向きじゃなくてふっこ向きだよ。」と言った。

みゆきちゃんはヴィンテージのキャシャレルの小花模様のスカートを見つけた。小花の描き方が黒一色のペン画のようなしゃれた柄だ。

16、17歳の頃、なわばりのように徘徊していた新宿のファッションビルの中の店で、70パーセントオフの掘り出し物を見つけては「これ、いいんじゃない?」「これはかわいいんだけど、ふっこ向きだよ。」と試着しては笑い転げていた頃と同じだ。

みゆきちゃんは西新宿7丁目、私は4丁目で育った。西新宿の変遷を知っている友達でもある。

今のみゆきちゃんの家から少し離れたところに、古いお屋敷跡のようなところがあるそうだ。「そこの森のようなところがすごく気になるの。一緒に行かない?」と言われて嬉しかった。

高校生の頃、彼女とふたりで、数々の冒険をした。古いフェンスによじ登ったり、北風の吹きすさぶ浜や田舎の線路の上をどこまでも歩いたりした。

彼女もすごい人見知りだ。私は彼女と一緒に、ありきたりのものでない、多くの人にとっては価値がないが自分にとっては特別に素敵なものを見つけるのが楽しくてたまらなかった。

彼女は私がなにを見ているか。いつもなにを探しているのか、わかっている。だから一緒に歩いていてもペースの合う数少ない友達だ。

みゆきちゃんは3時から用事があり、きょうは2時過ぎに帰宅した。

・・・

4時過ぎにGと阿佐ヶ谷方面に散歩。Gも私が好きなものをよくわかっていて、先回りして見つけるのが好きだ。

狭い猫道。

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陽の当るところのハゴロモジャスミンはほとんど花が終わってしまったが、まだ残っているものは特有の強い香りを放つので、だいぶ離れていてもすぐにわかる。

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線路沿いにある古いアパート。外についているらせん階段が絵になる。

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もう終わりかけの春女苑と。

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萎れてちぢれ、斑点ができて美しくなった薔薇。Sdsc00778

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Gが先に見つけて私に指さした猫の広告イラスト。
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4月28日

朝、ガラス瓶に生けて観察していたしぼんだタンポポの一輪がきれいに開き、丸い穂綿になった。

踊り場のところで陽にあてて撮影。

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野の花をヨーグルトやジャムの空き瓶に挿すのが好きだ。この花たちを見ながら絵を描いている。ほかにキュウリグサも。
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青空の下で光を受けると、穂綿は内側から光を発するように輝く。Sdsc00663

・・・

昼過ぎ、先週に引き続き、Iさんと学習院の古い建物を見た。

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皇族の昔の寮の建物は修復中。

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ここでもタンポポはほとんど全部穂綿になってしまっていたが、4、5輪だけ残っていた黄色い摘んで茎を水につけて持ち帰った。

廃棄するのではないと思うが、古いベンチが集積されているのがすごく気になる。白いペンキの禿げたのが欲しい。

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その後、世界堂に私の(木のパネルに貼った)絵に合う額縁を見に行った。

縁の種類は以前来た時よりもずいぶん増えていた。毛利先生の使っていたアンティーク風のものもあった。

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