ミシェル・レリス 谷昌親訳 『ゲームの規則 Ⅳ 囁音』
11月17日
早稲田大学の谷昌親先生が今年の春に送ってくださったミシェル・レリス著、谷昌親訳 『ゲームの規則 Ⅳ 囁音』(平凡社)を、ずっと少しずつ読んでいる。
以前に、谷昌親先生がくださった『ロジェ・ジルベール=ルコント――虚無へ誘う風』(水声社 シュルレアリスムの25時)も、稀有な美しさを感じる本でした。
「論理的または年代的な一貫性をなすというよりも、以下の文章は――それが完成するか、外部の事情で中断されたとき――、群島か星座、血のほとばしりのイメージ、灰白質の爆発、最期の吐瀉物となり、それによって、わたしが倒れこむときに(その中断を、こうした突然の破局というかたちでしかわたしは想像できない)虚構の境界線が空に描かれるだろう。
文章を並べ、移動し、配置し、トランプのゲームで勝ちをめざすのと同じこと。」 (P5)
「もし、くるりと輪を描き、そこから出発した虚無に立ち返らなければならないとしたら、人生全体を要約すると雫――尾を噛む蛇あるいは環状鉄道――になってしまうのではないか。ただ、円環の内側の白さを黒く塗りつぶす何か、空虚を充実に転換させ、底なしの湖を島にする何かを書き殴る、という問題が残る・・・・・・。とはいえ、この雫は、わたしたちが拠り所とできるものが何もないと示しているのに、いったい何を書き殴ればいいのか。 (P61)
『ゲームの規則』という大衆的なミステリー小説かのようなタイトルのこの本は、まったくそういう内容ではなくて、「ゲーム」というのは「ものを描く」「ものを書く」ということ。
大衆に受け入れられてお金を稼ぐために書く(描く)こととは関係なく、根源的に、人はなぜものを書くのか、いったい何を書くことができるのか、いったい書くに値する何があるのか、書く方法があるのか、という問いかけに挑んだアッサンブラージュ。
厚い本のどの部分を開いて短い文章に集中して読んでも、ミシェル・レリスが観念的に論理や知識を組み立てるのではなく非常に怜悧かつ感覚的、あいまいで豊かなイメージが自分を超えて湧き立ち奔放な旅をする、そのあまりに言語化不可能な次元の境界を言語化しようとしていることがわかる。
貧しい感受性しかない人が、重箱の隅をつつくように末梢的なことをさも重大な発見のように書くことで、いかにも繊細で鋭敏な感受性があるように装う、薄っぺらな詩人気どりにありがちなパターンとは違う。
こういう本を読んだ時だけ、自分が次の本を出すことが虚しくないような気がする。
ネットからのあらゆるニュース、流行りのアートや文学やイヴェントの情報を眼にすると、心が躍るどころか厭世観で息が止まりそうになる。
なにを書いても(描いても)真意が伝わらない閉塞感。
11月18日
とりあえず3匹と共に新宿から高円寺の自宅に帰って来た。
ひと月ぶりに熱い湯舟にゆっくり浸かったら、すごくだるくなり、長い時間眠ってしまった。
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