« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »

2019年1月

2019年1月30日 (水)

激しい怒りの長い長いメールをもらった

1月30日

(私はPCしか持っていないのですが、スマホではサイドバーが見えないそうなので、今年から)署名として自分の絵のホームページを載せることにします。

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/pencil-drawing-watercolor-painting-1-tulip-anemone/

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/

・・・・

前回のブログに書いた事実について、若い学生画家は私に激怒し、

「返信しないつもりでしたがやっぱりこれを最後にします」という一方的に上から目線の、私に対する激しい怒りを、えんえんとぶつけてくる長い長いメールをよこした。

彼の自己正当化だけを書きまくって、これで終わり!「何を話し合うのか、会う目的がわからない」と言う。

美人画をやっていた彼が、急に私にそっくりな絵を描いているのに気づいて吐き気がするほどショックを受けた私の苦しみには、彼は一切興味がないそうだ。

私の苦しみには興味ないが、私の苦しみから生まれている絵の表面には、ついつい似すぎた絵を描いていまうほど利用しやすい道具として興味があるのか。

「福山さんの考えかたが好きでそれこそ『深層部に至るほど』の衝撃を受けました」と、彼はまた書いて来ているが、

私は、つきあいのある画家に対して相手が不快に思うレヴェルまで似ている絵は発表も販売もしない。

そんな失礼で、恥知らずなことはできない。それが私の「考えかた」であり、私の神経だ。

私は好きな作家に関しては、その人の名前と、作品のどんなところが好きかを、なるべく自分の言葉でブログ(公)に書くようにしている。

言葉に書くのが難しくても、その人の名を出して書くことが、その作品と作家が生き延びるチャンスであると思うからだ。

「他者」とは語り得ないものだが、それでもなお、相手の作家の名を出して、語り尽くせないものに対して言葉を尽くそうと努力することが、「他者」からの「贈り物」に対する「礼」ではないかと私は思う。

彼は私の絵も「考え方」も好きだといいながら、私の気持ち、作品の命を尊重する気はまったくないと言う。そういう感覚が私にはまったく理解できない。

SNSに対して無知でよくわからなかったから私の名前をふせたと彼は言うが、今までいくらでも私にメールで話しかけて相談してくれるチャンスはあったが、彼はやらなかった。

彼はどこまでも「無意識に」利己的で、狡くて、自己正当化しか考えていない。

彼は私とは全く逆の考えかた、感じ方をする人間だ。彼は私だったらとても恥ずかしくて言えない言葉を平気で吐き、私が激しく痛みを感じるところでなんにも感じない。

「枯れ花を描き始めた時点に関しては福山さんの影響ではない」、

「僕は福山さんの絵が好きでしたが、僕の絵とは関係のないことです」、

「悩んでいるといったのは福山さんを心配してではなく今の自分の絵が福山さんの絵に似た雰囲気を醸し出していることについてです。そもそもそういう意味で書いたつもりです」

「福山さんの考えかたが好きでそれこそ『深層部に至るほど』の衝撃を受けましたがそれに己を重ねるつもりはなくその画家としての姿勢を学ぶ気はありません」

「真似と言われる筋合いもありません。これが収奪だとも思えません。」

「ナルシズムへの転換も何もそんなものはありません」

「あれは絵が良かったというよりは「藝大」という学校名とその値段の手軽さで売れたのです」

「無意識に似たとはいえ苦労してつくったものに違和感や恥を感じる意味がわかりません」

「そもそも人物を描くことに自分の何か重要な要素を感じることもありませんし、合わなかったからまた植物に戻っただけのことです」

「福山さんは途中からの要素でありそもそもの『枯れ花を描く』を作ったのは自分です」

「枯れ花は」「僕が一浪の時」、「もう2年以上前のこと」「受験対策用に家でこそこそやっていました。」「ですから枯れ花を描くのをやめる気はありません。」

「時間を掛けて自力で道を切り開いてきました。その程度の努力はできる人間であるつもりです。」

はあ?道理もつじつまも、私にはよく理解できないのですが。

二十歳そこそこで、こんな姑息なやりかたをしながら「人の心に何か少しでも揺さぶりをかけることができたらと思って絵をかいています」と言われても・・・。

確かに私が嫌悪感で激しく動揺するほど、あなたは人の心に揺さぶりをかけることに成功していますよ、としか言えない。

この件について、第3者に判断を委ねるつもりだ。

・・・

この400字詰め原稿用紙何十枚もある長い長い「絶対に自分は悪くない」という激昂メールも、まるで、以前はりつかれたN・Sというパクリストーカーのデジャブだ。

もちろん、今回と前回はあらゆる点が異なるが、しかし「福山さんに言われる筋合いはない」というようなセリフまでそっくり同じだ。

まったく共感能力がない異常性を感じる。

|

2019年1月29日 (火)

「影響」と「真似」の違い、わたしのものを自分のもののように思い込む人

1月28日

(スマホではサイドバーが見えないそうなので、今年から)署名として自分の絵のホームページを載せることにします。

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/pencil-drawing-watercolor-painting-1-tulip-anemone/

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/

・・・

新年から酷く苦しんでいる。

最近になって急に、私の名をふせて私の枯れ花の絵に「近すぎている絵」を描いている二十歳くらいの若い画家のことだ。

私は、自分のブログに「ナルシズムのための他者からの収奪ほど、私が嫌悪するものはない」と繰り返し書いてきたつもりだ.。

なのにどうして、私のブログや絵をずっと見ていて、私に共感して「いいね」やリツイートをしてくれている人から、私がもっとも傷つく「収奪」をされなければならないのだろう。

彼は昨年4月の私の絵の展示にも、私が在廊していない時に来て、長いこと見ていたという。

どうして、(数少ない)私の味方かと信じて気を許していた人に、平気で私のもっとも大切なものを侵害されるのだろう。

私に「深く影響を受けた」なら、私の書いている言葉の意が理解できるなら、私から「収奪」だけは絶対やらないはずなのだが。

・・・

2、3年前の彼が浪人中から、お互いフォローしていた。自分と同じ日本画科を目指して頑張っている人と思い、また彼が私と同じに父親のことで苦しんでいるツイートを知って、心情的にとても応援していた。

彼は私の記事を何度も「いいね」やリツイートしている。私もたくさん「いいね」している。

しかし彼がやっていたのは「鍵付き」のツイッターだ。

彼が東京芸大日本画科に入学したと知った時には「おめでとうございます」とDMを送った。その時にメールで話した。

つい最近、とても久しぶりにツイッターにログインし、彼の「鍵つき」ツイッターの中身をふと見たら、

私の枯れ花の絵によく似た(友人、知人に見てもらっても「ちょっと似すぎている」と言われた)彼の絵(私はぎょっとした)と、

「以前は美人画を描くと言ってたのに、今植物ばかり描いている。

あるときふと見かけた存在(画家)に心の深層部に至るほど深く影響を受けて」(1月15日)

という彼の言葉を見つけた。

彼とは昨年5月にメールで会話したきりだ。その時、彼は美人画(人物画)をがんばっていたはずだ。

最後は私から出したメールに、彼が返信をくれなかったのでメールはとだえていた。

今の彼が私に「似すぎている」枯れ花の絵を描いていることに驚きすぎて、さんざん悩んだ末、私は彼に質問のメールを出した。

そのメールの返事で彼は、その「心の深層部に至るほど深く影響を受け」た「画家」とは私のことだと認めた。

彼は、彼の描いた枯れた花の絵を「完全に自分が1から創り出したものとは思えない」とまで言ってきた。

絵の「表面」だけをそっくりに類似させることは「影響」ではなく、もっとも安易な「真似」だ。

たとえば私が「師、毛利武彦の影響を受けた」と言う場合、それは師の生き方の姿勢を、不可能に決まっているが、少しでも真似ていきたいという意思のことであり、毛利先生自身が喜んでくださるような実践だけだ。

私本人がもっとも嫌がることをやりながら「深く影響を受け」などと、私の名前をふせて書かれていることは、気持ち悪い以外のなにものでもない。

いくらモダニズムの批評では「作品」と「作家」は別のものとして考えられる、と言っても、私にとって、私の表現は私の血と肉そのものだ。

「誓って盗作しようとしたわけでは無い」と言うが、描いている途中で、私の作風にあまりに似ていると本人が「自覚している」と言いながら発表、販売しているのはどういうことなのだろう。

私の絵を以前から知っていて、関心を持って見ていて、私の絵の展示も見に来ている以上、結果として著しく類似していることに「偶然の類似」は通らない。「意識」も「無意識」も同義だ。

「パクリをする気ではない証拠」に、彼は周囲の人に私のことを話している、と平気で言うのだが、公(鍵のかかっていないSNSなど)に、私自身が見られるかたちで、私の名前と彼の言葉を書いていないかぎり、私にとっては何の証拠にもならないことだ。

そして彼の作品を見る人、買う人に、いちいち私の名前を出していたわけがあるはずもなく、買った人にとって、彼の絵が私のような無名画家に類似していようがいまいが、興味のないことなのだ。

そこにあるのは「私の絵によく類似した表面」という事実だけだが、その絵は、まるで私の私秘的な苦しみの体験を「悶絶するそぶり」だけで真似られているような、私にとってはぎょっとするものだった。

ずっと「美人画」をやりたくて素朴な人物画を描いていた二十歳そこそこの男子学生の絵には、とても見えない。 その絵は 急に別人のように見える。

私が描いたものだと言っても、私の絵を知っている人に、おそらく通るだろう。

なんともやりきれない。

彼は自分の個性が確立できないことを「悩んでいる」だけで、作家としての私を自分がどれほど傷つけているかわかって、そのことを「悩んでいる」のではない。

私のメールへの返信も「連絡しにくい」からしなかったと言う。それなのに私の絵とそっくりな絵を描いて発表することは「しやすかった」から夢中でやったのか。

「福山さんの絵に似すぎていることをはっきり自覚しており」「いわゆる「パクリ」で絵を描いていくつもりは無い」と彼は言っているが、その絵が売れて、とても喜んでいる。

その事実に私は強い「違和感」を覚える。

本来の自分が描いてきた人物画ではなく、私の「絵に似すぎ」の絵が売れたことに、微塵の「違和感」も恥も感じずに有頂天になるのなら、私の苦しみから生まれ出ているものにそっくりのものが、もう既に自分独自のものと区別がつかなくなっているということではないのか。

「人物を描く中で徐々に違和感を感じ」、「他の方向性を求め、植物を描き始めた」と言うが、彼の言う「違和感」は、本当の批判精神や内省から出ていることばではなく、自分が高く評価されない時に感じる不全感ではないのだろうか。

人の絵に「似すぎていると自覚している絵」でも、他人に高く評価されてしまえば、これこそが自分の生きる道、だと有頂天になってしまうのかもしれない。

彼のやっていることすべてが、ほとんど無意識に、気持ちよくなる方向にずるずる流れていて、自分に都合よく歪んでいる。

認識したくないことを認識しない、楽しいことだけしたい、相手の苦しみは想像しない。

どうして本人から何も言ってきてくれないのだろう、とさんざん悩んでこちらからメールしたのだが、彼は、私がそっくりな絵を描かれることを、酷く嫌がっているということをわかりたくないようだ。

そんなことがわからない彼が、私から「深い影響を受けた」と言い、「弱さ」を主題にしようとしていることは、転倒以外の何ものでもないのではないか。

その「弱さ」は決して「傷つきやすさ」「過敏さ」ではなくて、「鈍さ」「狡さ」ではないのか。

自分の「弱さ」と「不安」に向き合わないで、私のエピゴーネンをやることが作家としての自立を模索する道なのでしょうか?

私が長年、困難に耐えながらやってきたものの真似で、偽りの自己実現をすれば、不安も緊張もなく、自分がすごい個性を持っているような気になり、気分が高揚することでしょう。

こんなことをやるために、苦労して親や教師の反対を押し切ってまで東京芸大に入ったのですか?

芸大に入学したばかりで、二十歳そこそこで、なんでも自由に試せる時期に、もうこんな姑息なことをするのか。

芸大には真似すべき人がたくさんいるでしょうに。私を標的にするなんてやめてほしい。

・・・

私が安易に収奪、侵害の標的にされるのは、私が無名だからだろう。

彼は「“知る人ぞ知る”イメージ。自分の求める緻密さがそこにあっったから。」と私の名前をふせて書いている。ぞっとする。

私がほとんど誰からも知られない「知る人ぞ知る」作家だから、安心して私の絵を自分の特別な秘密のように感じ、私に同一化したように似すぎた絵を描いてしまう。

そして自分が周囲の人とは異なる強烈な世界を持っているように思い込んで、気持ちよくなるのだと思う。

私の苦しみや困難から生まれているものが、相手のナルシズムに転化されるのが気持ち悪くてたまらない。

セクハラの構造と、ものすごくよく似ている。「惹かれる」「興味がある」と言って蹂躙するのは痴漢や強姦と同じだ。

私の絵を「好き」で、作家として認めてくれるならば、余計に相手に触れないように、気をつけて距離を保つべきなのに。

私はMeTooの酷く辛いセクハラ経験が山ほどある。けれど作品に関する蹂躙は、私にとってセクシャルハラスメントよりもずっとずっと辛い。

・・・

自分の実情に「違和感を感じ」、それから「福山さんに深い影響を受け」、この二つ言葉が出てきたらもう、デジャブで、背筋が怖気だつ。

「無意識に」「悪気はない」と言いながら「私の名前をふせて」自分のもののように発表され、勝手に同一化されて侵害された体験、そのトラウマがよみがえり、不安と嫌悪感で心臓がばくばく言い出す。

かつて私はN・Sという年下男性のパクリストーカーに数年はりつかれてなにもかもうっとりとパクられ、まとわりつかれるような嫌悪感で、心身ともに滅茶苦茶になりそうなくらいに悩まされたことがある。

また同じ悪夢のような被害が繰り返されている。

私の絵やブログに惹かれながら、私の名前を、決して自分の記事に書かないことが同じ。

元の作家(私)に対して、真似した「彼」のほうが偉そうに激怒してきているのも同じだ。

以前の時は文章そのほかのパクリ(N・Sには基本的な画力がなかったから、私の絵をそっくり真似ても似ていないものになっていた)、

しかし今回は、私の命の「絵」が真似されているのだ。

私の苦痛とやりきれなさは前回の比ではない。

|

2019年1月27日 (日)

北風の中の散歩、高円寺、西新宿

1月26日

友人が西新宿の角筈図書館に取り寄せ依頼していたヘラクレイトス関連の本をとりに行くというので、付き合って、一緒に私の生まれ故郷、西新宿界隈を散歩。

きょうの中央公園は暗い灰色と欅の裸木の細枝。モンドリアンやベルギー象徴派の描いたなんとも不可思議な樹のある風景を連想する。

Sdsc05693

赤紫のアネモネ。

Sdsc05704

セントラルパークタワー ラ・トゥール新宿の庭。
Sdsc05709

品川亭。毎年春に、この五色の椿が咲くのを素敵だなあと思いながらこの坂を通ったものだ。この花が満開の頃、もう一度撮りに来たい。

Sdsc05717

玄関の電灯の傘が素敵。私の生まれた家と同じくらいの古さの木の家。

Sdsc05752

品川亭の隣の飲み屋が無くなって、駐車場になっていた。寒さにも負けず元気なハルノノゲシと。錆びた階段と古い井戸のポンプが剥き出しになっていた。
Sdsc05737

私の大好きな最後の料亭の風情をとどめていた木造の「旅館一直(いちなお)」が、以前来た時は改築されてシェアハウスになっていたのが、さらに改築されて全く違う黒い建物になっていた。

もう木の欄干もない。山茶花の樹も、母がここのお手伝いさんにもらったと喜んでいた紫陽花もない。

はるか昔、この「いちなお」の前でドラマの撮影中の松田優作を見た。「今、「いっちょく」っていう旅館の前です」とトランシーバーで話していた、「いちなお」を「いっちょく」とよんでいた松田優作の声が、コミカルでかわいいようで、もの悲しいようで、その黒っぽい服を着た痩身の姿がずっと忘れられない。

「旅館一直」という名前が今も残されているだけで奇跡かもしれない。

Sdsc05774

十二社(西新宿)の階段。

幼い(5~7歳くらいの)頃の私はこの階段にしゃがみこんで、セメントの段と段の隙間から伸びてくる小さなサギゴケやツメクサ(シロツメクサとは違う)、それにまとわりつく銀と朱のシジミ蝶を見ながら何時間も飽きることなく過ごした。

この階段の横は大きな空き地で、ジュズダマやアカザ、シロザ、オオヨモギ、メヒシバ、オヒシバ、ギシギシ、イヌタデ、シソ、ヤブカラシ、オニタビラコ、ヒルガオなどが、それはそれはぼうぼうで、黄色のオニヤンマ、水灰色のシオカラトンボ、瑠璃色のイトトンボがすーいすーいと舞っていた。

植物の名前を夢中で覚えたのもその頃(5~7歳)。

わたしにとってはとても愛おしく大切な階段。

Sdsc05779

近くの放送専門学校の生徒だろうか、大きなカメラを携えた若い人が4、5人たむろしていた。「昔の料亭みたいですごく雰囲気があって・・」「いいですね~」と話していたのは品川亭のことだろうか。

周りは言葉にできないほど変わってしまったのに、この階段だけはほとんど変わらない。

この階段を登りつめたところに、かつて赤い椿の木があり、その頃から花が好きでたまらなかった小学1年の小さな私に、その家の奥さんがたくさんの椿を切ってくれたのを忘れることができない。今は椿の木も、その家もない。

階段の途中にあった私の大好きだった大きな桜の樹が切られたのはいつだったのだろう。

桜の樹のすぐ後ろにあった料亭が「ホテルニュー寿」になり、それが廃屋になり、今は・・・。

今、誰とこの階段を語れるのだろう。私の記憶は、どこにいくのだろう。
Sdsc05782

私が幼い頃、ここ十二社(じゅうにそう)はどこもかしこも皆、料亭で、たえず三味線の音が聞こえていた。私が生まれた家は古い料亭の離れを住居として売り出されたもの。うちの前も後ろも斜めも皆、料亭だった。

「福助」という蕎麦屋の前の乳銀杏。この樹は私がもの心ついた頃にはもう巨樹で、「乳」があったおばあさん。「福助」のテラスは十二社の大きな池に張り出していた。

Sdsc05802

この巨樹の向かいも黒塀の料亭で、塀の上から真っ赤な椿の花がせり出して、道にびっしり落ちていた。幼い私は、その花の芯から垂れて冷えた赤い舌のような花弁の上にぬるりと流れ出ている金色の濃い蜜をなめるのが好きだった。

今、思えば、料亭には椿がつきものだったのかもしれない。そのほかに黒塀に映えていた記憶に残っているのは梅と南天と観音竹と姫笹。時々万年青(おもと)。

うちから角筈図書館へ行く道の途中にある黄色いペンキが剥がれた四角いセメント。

この四角は何に使うものなのかわからないが、昔からあった。さらにこの四角がまだない頃、ここには白い髪を結ったおばあさんが営む、幼い私が大好きな駄菓子屋があった。好きだったのは爪楊枝で刺して食べる小さな碁盤の目のような四角くて薄いピンクの「桜餅」。
Sdsc05803

角筈図書館に行った後、中学、高校の頃、よくジーパンを買った「万年作業服店」を物色。木綿の紫の手袋(110円)を購入。

寒くて、身体が冷えて特に手が凍え、少し具合が悪くなったのでNSビルで休んだ。

レストランからの眺め。遠くの半濁した緑のガラスのような山々と地平線ぎりぎりの光る雲がきれいに見えた。

Sdsc05827

1月24日

陽が眩しい日。自転車で近所を散歩。風はびりびり痛いほど冷たくて震えあがった。

正月に見たほとんど廃屋になりかけた古いアパートの1階、「1月4日から営業します」という貼り紙が出ていた店が本当に営業しているか気になったので見に行ってみた。

「アトリエ魅迎留」(ミゲイル?)という看板が前から気になっていたところ。お店ではないが人に使われているようだ。

Sdsc05576

「アトリエ魅迎留」の隣の「ビューティ美容室みき」という店は、貼り紙の予告通り、営業していた!
Sdsc05577_2

その並びにもう一軒、「Hair Reffine Artemis」という美容院も営業中。
Sdsc05584

さらにもう一軒、「明治牛乳」の看板があるところは事務所として営業していた。

崩落して苔と寄生植物が生えている美しい柱。

Sdsc05580

裏の公園では日の当たるところの梅はほころんでいた。日陰の梅は、まだぎゅっと身を固くしていた。

なめらかなオブジェの遊具を撮ろうと立ち止まると、一斉に鳩が舞い降りて寄ってきた。ごめんね。なにもあげられる食べ物を持っていない。

Sdsc05586

次に川沿いの、以前に流星を見たグラウンドの方まで、植物の様子を見に行った。

母と何度か通った墓地と墓地の間の細い道。セメントの塀を破って伸びている数百年生きていそうな欅は健在。

途中、昔からある建物(銭湯かと思っていたがよくわからない)に、ついに1月28日から解体のお知らせの紙が貼っているのを発見。この建物が無くなるのはとても残念だ。

Sdsc05589

ドアも、木枠の欄間も、郵便受けもとても素敵。
Sdsc05600
わんちゃんが中からこちらを見ていた。
Sdsc05595

川沿いのグラウンドには子供たちがいなかった。白椿の蕾も固かった。

柔らかな若い草の生えた土手を崩してセメントで固めている護岸工事を見ると、ものすごく憂鬱になるので、あまり見ないように来た道を戻った。

小学校の近く、「椿屋敷」の庭の大輪椿はいくつか開いていたがまだまだ蕾。ミモザもまだ固い蕾。

満開だったのは蠟梅、黄色いカタバミ、パンジー、ヴィオラ、白水仙、クリスマスローズ、アネモネ、黄色い桜草など。

枯れ姿が美しいのは去年の黄カラスウリ、セイタカアワダチソウ。

|

2019年1月26日 (土)

鵜飼哲さんと打ち合わせ、現代の美術について

1月15日

次の本の打ち合わせで鵜飼哲さんと会う。

9月にイタリアに行って来た話をした。

オルヴィエトで、古代の井戸を訪れたときの話。入場料を払って、暗く深い井戸の底へと続く螺旋階段を降りていくのだが、階段の壁には、その町の画家とおぼしき現代作家の油絵が飾られていた。古い井戸の古色の肌合いを見るために中に入ったのに、すごく嫌だった、と言ったら、

鵜飼さんは「ヨーロッパのパブリックアートは日本よりもっとやりかたがまずいかもしれない。林の中に李禹煥(リ・ウーファン)があるとかならいいけど。」と言った。

こういう時に咄嗟に言葉が出なくて、私は帰宅してから悶々としてしまう。

私は林の中で李禹煥なんか見たくない。私は、林であれば、たぶんどんな林でも、細部まで一日中飽きずに楽しむことができる。しかし、だからこそ、せっかくの林の中で李禹煥の作品と鉢合わせしてしまったら、それが邪魔で、そうとうイライラするだろう。

どんな主体にとっての存在の無意味や意味なのか。

小難しい理論がなければ自然や、そこにある様々なものの細部に触れられないと思っている人にとってだけ、「もの派」は意味があるのだろうか。私には逆に、ただ自分の感覚の伸びやかな運動の邪魔になるだけだ。

古代の井戸だろうが、林だろうが、街中だろうが、私は見たくもないアートに出くわすのが嫌いだ。それらを見たいと思う人といっしょに、その「表現の自由」に似つかわしい、どこか狭い空間に閉じ込めておいてほしいと思う。

イタリアでは丘の上の廃墟を見た。あまりにも魅惑的な空間だった。私は廃墟でない人工物、アートが嫌いなのだ。

話の流れで、鵜飼さんの口にのぼった地方の女性画家の名を、帰宅してから検索した。某美大の学長にまでのぼりつめたというその画家の絵を見て、また嫌悪感で気持ち悪くなった。

美術史の中に組み込まれているものの中にも、好きな作家と、そうでない作家がいるが、なにも考えないでただ乏しい感性と惰性でやっていて、なぜか現在、権力を得ている人もさらに気持ち悪い。

私は嫌悪感を感じる作品を見ると、強い抑圧を受ける。その作品の向こうから襲いかかってくる鈍いもの、それを作った作家の病的な自己顕示欲に、窒息させられるような感覚に陥るのだ。

1月19日

2年ほど受けていなかった健康診断を受ける。

血液検査の結果は4週後。機器で測る骨年齢はC (平均)。血管年齢と肌年齢はA(平均マイナス13歳)だった。

思ったより良い結果だったのは、イタリアのチナミさんからいただいた早摘みオリーブオイルのおかげかな、と感謝。

終わってから中野に出て、ひとり天ぷらを食べた。検査のために絶食していて、とてもおなかがすいて寒かったので少々熱燗を飲んだ。

その後、肌触りがよくて余計な柄や飾りのない手袋をさがして街を歩いた。

グレーの無地のお気に入りの手袋を片方失くしたようなので、チクチクしないで温かい手袋が欲しかったが、見つからなかった。

ブロードウェイの地下は昔からほとんど変わらない闇市風というのか、アメ横みたいだ。もう松の内が過ぎてだいぶ経つのに、「初売り」という呼び込みで魚屋が賑わっていた。

8色ソフトクリームの店は1966年のブロードウェイ開業当時からやっているらしい。

・・

帰宅してから疲れて眠ってしまい、夜、起きたら鈴木創士さんから原稿が送られて来ていた。

『あんちりおん3』の時にも、締め切りにぴたりと合わせて原稿を送ってくださったのは鈴木創士さんだけだ。胸が痛くなる。

鈴木創士さんも「現代美術にはうんざり」と言う。彼にそう言われることで励まされる。

|

2019年1月17日 (木)

新年の散歩、盗まれた自転車が見つかった

1月2日

新年でもいつもと同じように、人が興味を持たない私だけが面白いと感じる場所を探してふらふら歩いていた。

妙法寺の方に散歩。初詣の列をつくる人たちの横を通り過ぎ、その近くの前から気になっている古い寂れたアパートの周りを探索。

Sdsc05032

アパートはほぼ廃屋のようになっていたが、住んでいる(あるいは1階を店舗として借りている)人がまだいるようだ。無花果(イチジク)、紫陽花、電線に絡みついたヤブカラシ、ほころび始めの梅、ハルノノゲシなどを眺めた。

裏の公園には面白い形の子どもがもぐる遊具があった。

10歳くらいの外国人の男の子がひとりでブランコに乗っていた。

セシオン杉並の近くにガラクタだらけのあやしいカレー屋ができていた。
Sdsc05036_2

1月3日

いつも歩いている高円寺界隈。レトロ文房具とアンティーク小物の店。

Sdsc05100

1月5日

お気に入りのパン屋の新年初めての営業日。クルミパンをかじりながら裏通りを歩く。
Sdsc05201

「高円寺」という寺の境内で絞りの椿を見る。メジロが来ているかと思ったが、いなかった。

中野方面へ歩く途中、廃屋の前の桜。
Sdsc05205

夏に通っていたダンススタジオ(チケット制なので、暖かくなったらまた通おうと思う)の方へ続く細い道。

いかにも昭和っぽい美容院、以前は定食屋だったらしい廃屋、ベニヤのドアの普通の民家にしか見えない「谷中診療所」(閉院しているようだ)、あやしい「NEBRASKA」というバーの横を通ってダンススタジオの駐輪場を覗いてみたら、皆、元気に踊っているようだった。

1月9日

昨年の10月28日、プフが私のもとに来た日、鍵をかけていたにも関わらず自宅の駐輪場から私の自転車が消えていた。その日のうちに盗難届を出した。

近所を捜したがどうしても見つからなかった自転車が、1月4日に駅の周辺で撤去されたので集積所に引き取りに来い、というハガキが今日になって来た。

交番に尋ねると、盗難届の受理番号があれば撤去費用5000円は無料になると言われたので、警察の刑事課記録係に電話して届け出番号を聞く。

集積所に電話したら「盗まれた自転車が返ってきたのは初めてですか?」と聞かれた。

盗難届を出していても、1年に2度目からは5000円を徴収すると言われて驚いた。

私は以前、母の介護でいっぱいいっぱいの時にも、自宅駐輪場から鍵をかけてあった自転車を盗まれている。面倒だが鍵を二重にかけることにした。

|

« 2018年12月 | トップページ | 2019年2月 »