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2019年1月27日 (日)

北風の中の散歩、高円寺、西新宿

1月26日

友人が西新宿の角筈図書館に取り寄せ依頼していたヘラクレイトス関連の本をとりに行くというので、付き合って、一緒に私の生まれ故郷、西新宿界隈を散歩。

きょうの中央公園は暗い灰色と欅の裸木の細枝。モンドリアンやベルギー象徴派の描いたなんとも不可思議な樹のある風景を連想する。

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赤紫のアネモネ。

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セントラルパークタワー ラ・トゥール新宿の庭。
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品川亭。毎年春に、この五色の椿が咲くのを素敵だなあと思いながらこの坂を通ったものだ。この花が満開の頃、もう一度撮りに来たい。

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玄関の電灯の傘が素敵。私の生まれた家と同じくらいの古さの木の家。

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品川亭の隣の飲み屋が無くなって、駐車場になっていた。寒さにも負けず元気なハルノノゲシと。錆びた階段と古い井戸のポンプが剥き出しになっていた。
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私の大好きな最後の料亭の風情をとどめていた木造の「旅館一直(いちなお)」が、以前来た時は改築されてシェアハウスになっていたのが、さらに改築されて全く違う黒い建物になっていた。

もう木の欄干もない。山茶花の樹も、母がここのお手伝いさんにもらったと喜んでいた紫陽花もない。

はるか昔、この「いちなお」の前でドラマの撮影中の松田優作を見た。「今、「いっちょく」っていう旅館の前です」とトランシーバーで話していた、「いちなお」を「いっちょく」とよんでいた松田優作の声が、コミカルでかわいいようで、もの悲しいようで、その黒っぽい服を着た痩身の姿がずっと忘れられない。

「旅館一直」という名前が今も残されているだけで奇跡かもしれない。

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十二社(西新宿)の階段。

幼い(5~7歳くらいの)頃の私はこの階段にしゃがみこんで、セメントの段と段の隙間から伸びてくる小さなサギゴケやツメクサ(シロツメクサとは違う)、それにまとわりつく銀と朱のシジミ蝶を見ながら何時間も飽きることなく過ごした。

この階段の横は大きな空き地で、ジュズダマやアカザ、シロザ、オオヨモギ、メヒシバ、オヒシバ、ギシギシ、イヌタデ、シソ、ヤブカラシ、オニタビラコ、ヒルガオなどが、それはそれはぼうぼうで、黄色のオニヤンマ、水灰色のシオカラトンボ、瑠璃色のイトトンボがすーいすーいと舞っていた。

植物の名前を夢中で覚えたのもその頃(5~7歳)。

わたしにとってはとても愛おしく大切な階段。

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近くの放送専門学校の生徒だろうか、大きなカメラを携えた若い人が4、5人たむろしていた。「昔の料亭みたいですごく雰囲気があって・・」「いいですね~」と話していたのは品川亭のことだろうか。

周りは言葉にできないほど変わってしまったのに、この階段だけはほとんど変わらない。

この階段を登りつめたところに、かつて赤い椿の木があり、その頃から花が好きでたまらなかった小学1年の小さな私に、その家の奥さんがたくさんの椿を切ってくれたのを忘れることができない。今は椿の木も、その家もない。

階段の途中にあった私の大好きだった大きな桜の樹が切られたのはいつだったのだろう。

桜の樹のすぐ後ろにあった料亭が「ホテルニュー寿」になり、それが廃屋になり、今は・・・。

今、誰とこの階段を語れるのだろう。私の記憶は、どこにいくのだろう。
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私が幼い頃、ここ十二社(じゅうにそう)はどこもかしこも皆、料亭で、たえず三味線の音が聞こえていた。私が生まれた家は古い料亭の離れを住居として売り出されたもの。うちの前も後ろも斜めも皆、料亭だった。

「福助」という蕎麦屋の前の乳銀杏。この樹は私がもの心ついた頃にはもう巨樹で、「乳」があったおばあさん。「福助」のテラスは十二社の大きな池に張り出していた。

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この巨樹の向かいも黒塀の料亭で、塀の上から真っ赤な椿の花がせり出して、道にびっしり落ちていた。幼い私は、その花の芯から垂れて冷えた赤い舌のような花弁の上にぬるりと流れ出ている金色の濃い蜜をなめるのが好きだった。

今、思えば、料亭には椿がつきものだったのかもしれない。そのほかに黒塀に映えていた記憶に残っているのは梅と南天と観音竹と姫笹。時々万年青(おもと)。

うちから角筈図書館へ行く道の途中にある黄色いペンキが剥がれた四角いセメント。

この四角は何に使うものなのかわからないが、昔からあった。さらにこの四角がまだない頃、ここには白い髪を結ったおばあさんが営む、幼い私が大好きな駄菓子屋があった。好きだったのは爪楊枝で刺して食べる小さな碁盤の目のような四角くて薄いピンクの「桜餅」。
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角筈図書館に行った後、中学、高校の頃、よくジーパンを買った「万年作業服店」を物色。木綿の紫の手袋(110円)を購入。

寒くて、身体が冷えて特に手が凍え、少し具合が悪くなったのでNSビルで休んだ。

レストランからの眺め。遠くの半濁した緑のガラスのような山々と地平線ぎりぎりの光る雲がきれいに見えた。

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1月24日

陽が眩しい日。自転車で近所を散歩。風はびりびり痛いほど冷たくて震えあがった。

正月に見たほとんど廃屋になりかけた古いアパートの1階、「1月4日から営業します」という貼り紙が出ていた店が本当に営業しているか気になったので見に行ってみた。

「アトリエ魅迎留」(ミゲイル?)という看板が前から気になっていたところ。お店ではないが人に使われているようだ。

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「アトリエ魅迎留」の隣の「ビューティ美容室みき」という店は、貼り紙の予告通り、営業していた!
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その並びにもう一軒、「Hair Reffine Artemis」という美容院も営業中。
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さらにもう一軒、「明治牛乳」の看板があるところは事務所として営業していた。

崩落して苔と寄生植物が生えている美しい柱。

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裏の公園では日の当たるところの梅はほころんでいた。日陰の梅は、まだぎゅっと身を固くしていた。

なめらかなオブジェの遊具を撮ろうと立ち止まると、一斉に鳩が舞い降りて寄ってきた。ごめんね。なにもあげられる食べ物を持っていない。

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次に川沿いの、以前に流星を見たグラウンドの方まで、植物の様子を見に行った。

母と何度か通った墓地と墓地の間の細い道。セメントの塀を破って伸びている数百年生きていそうな欅は健在。

途中、昔からある建物(銭湯かと思っていたがよくわからない)に、ついに1月28日から解体のお知らせの紙が貼っているのを発見。この建物が無くなるのはとても残念だ。

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ドアも、木枠の欄間も、郵便受けもとても素敵。
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わんちゃんが中からこちらを見ていた。
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川沿いのグラウンドには子供たちがいなかった。白椿の蕾も固かった。

柔らかな若い草の生えた土手を崩してセメントで固めている護岸工事を見ると、ものすごく憂鬱になるので、あまり見ないように来た道を戻った。

小学校の近く、「椿屋敷」の庭の大輪椿はいくつか開いていたがまだまだ蕾。ミモザもまだ固い蕾。

満開だったのは蠟梅、黄色いカタバミ、パンジー、ヴィオラ、白水仙、クリスマスローズ、アネモネ、黄色い桜草など。

枯れ姿が美しいのは去年の黄カラスウリ、セイタカアワダチソウ。

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