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2019年10月

2019年10月24日 (木)

コスモスの丘

10月23日

今年もまた、多くの傷を残した暴風雨だった。

コスモスはずいぶん開花が遅れた。待ちわびた久しぶりの陽光に光るコスモスの丘。

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きれいに咲きそろった状態よりも、私はいつもしだかれたうねりに惹かれる。

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まぶしいほどの陽射しが3時過ぎに陰った。

不穏な曇り空を割って小さくのぞく青。

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果てしなく続く風に揺すられるコスモスの向こうには空と雲だけ。

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「果て遠き丘」という言葉が浮かぶ。

秋吉久美子が演じたドラマのヒロインのイメージに寄せて荒井由実が「あの日に帰りたい」の歌詞を書き直したと、昔どこかで読んだとき、てっきり『果て遠き丘』というドラマの主題歌だと思い込んでしまっていた。

「光る風 草の波間をかけぬける私が見える」という歌詞が、私の中で、わがままで人を傷つけずにはおかないがどこか少女っぽい『果て遠き丘』の主人公に重なっていた。

「あの日に帰りたい」が『家庭の秘密』の主題歌だと知って(そのドラマは見たことがないが)、え?・・と驚いた。

風に揺れる一面のコスモスの原っぱは、貧しく人見知りな幼いころの私の、秘密の記憶から果てしなく広がっている。

 

黄色いコスモス、イエローガーデン、イエローキャンパス。

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花の写真を撮るために、シャボン玉を飛ばしている人が何人かいて気になった。洗剤を植物にかけると枯れてしまう。私自身も敏感肌なのでシャボン玉が皮膚に触れるとかぶれて痛くなってしまう。生きている植物に合成界面活性剤を飛ばして何が素敵だと思うのだろう。

花にシャボン玉を飛ばせば、ファンタジックでSNSでもてはやされる写真になると思う(あるいはそうした写真をほめる)陳腐なセンスが、我慢できないほど嫌だ。

 

 

 

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2019年10月21日 (月)

神代植物公園 秋薔薇

10月20日(日)

銀の雲が折り重なった空。久しぶりの光。

神代植物公園に秋薔薇を見に行った。

おりしも今日、調布のスタジアムでラグビーの試合が行われるらしく、そのついでに公園に来る人で混雑しているかと思ったが、そんなに混んでいなかった。

一番気になっていた原生種とオールドローズ園は、ほとんど花がなく、実がオレンジ色に熟してきていた。

濃いピンクの絞りの花が咲くロサ・ガリカ・ウェルシコロル。
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薄ピンクの一重の花が咲くロサ・カニーナ。
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メインの薔薇園はちょうど見ごろ。

夕霧。
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名前を確認するのを忘れた深紅の薔薇。
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7月に来た時は暑くて具合が悪くなり、長く歩けなかかったのだが、きょうは一番歩きやすい気温だった。

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萎れてうつむいた姿が妖艶なクローネンブルグ。
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カラスウリの朱も、叢の中でちょうどきわだつ頃。

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4時半前に植物公園の外に出て、まわりの生産緑地に沿った小道を散歩。3mくらいの大きな金木犀の木がどこも満開。

毎年、金木犀の香りが充ちる頃に、ちょうどコスモスも満開になる気がする。昔は9月20日くらいにピークが来ていた。今年は台風のせいなのか、どちらも遅れた。


高円寺に戻り、駅前のガード下「高円寺ストリート」。以前、ここは「エンジー」という名前で、RAREレコードや靴の修理のお店などが入っていた。仲屋むげん堂とRAREを続けて見るのが大好きだったのに。仲屋むげん堂は通りに面した側に移ったけれど、なんとも淋しくなってしまった。

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通り側に面していた東京宝石が無くなってから、あの「輝きをあげよう~君~は明日の女~」という高円寺放送からくり返し流れる歌も無くなっている。

そう言えば「ピンホー、ピンホー」とか「男ならバーボンを飲め。バーボンハウス。」という放送も最近、聞いてないような。。

10月19日(土)

鈴木創士さんから英訳の件で電話で話したいとのメールが来る。

なにかたいへんなことを言われるのかと緊張してすごくドキドキしたが、基本的に校正は翻訳者におまかせします、という旨だった。

10月18日(金)

眼科健診。緑内障などの検査だったが、眼に毛が入ったようで痛いので、検査より先に診察してもらう。

「最近、やたらに目にまつげが入るんですよ。」と言ったら、女医の先生が

「あら、これまつげじゃないわ。白い毛よ。なにか飼ってる?白くて見えにくくてなかなかとれないわね。」と。

歳をとったせいでまつげが抜けやすくなっているのかと思っていたが、チョビ、プフの長毛コンビのだった。

緑内障などの疾患は無事。

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2019年10月17日 (木)

下高井戸でグラフィックデザイナーさんと打ち合わせ

10月16日(水)

水声社の担当さんと、グラフィックデザイナーの宗利淳一さんと下高井戸で打ち合わせ。

下高井戸の駅にあまり降りたことがなかったのだが、駅の2階の窓から下高井戸駅前市場のアーケードを見て感激。なんと懐かしい昭和の市場が残っていたとは!

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待ち合わせの喫茶店はCofee Roaster 2-3。とにかく禁煙であるお店を希望して探していただいた。雰囲気のよい素敵な喫茶店だった。カフェオレとエビのサンドが食べたかったのに、胃腸の調子の悪い私は自粛してホットミルクのみ。

宗利さんは落ち着いたしゃべりかたの穏やかな方で、本づくりのアイディアをいろいろ示唆してくださったので、とてもありがたく思った。

禁煙のお店をお願いする際に、私が肺に転移を持つ癌患者であることをお伝えしたらとても心配してくださり、恐縮だった。

打ち合わせが終わってから駅周辺を探索。この看板、すごくいい。

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こんな大きな魚屋さんの個人商店は都心ではなかなか見ない。近所だったらぜひ買いたい。
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線路際の細い道。
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帰りは永福町までぷらぷら歩き、そこからバスで高円寺に戻った。

静かな玉川上水永泉寺緑地。
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永福稲荷神社の白鳥社の阿吽のキツネ。キツネらしくなくて奇妙でかわいい。

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首が太く、鼻があまり尖ってなく、下がり眼で、耳も丸い、困った犬のようなキツネ像。

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歩く道すがら、どこでも木犀が匂った。

今日は最高20℃。ひんやりした風が気持ちよく、気分もいいのだが、体温調節できない私は急に冷えてしまい、この秋初めての耳痛。この程度の気温でも手も紫色になり、薄い手袋が必要なほど。

10月14日(月)

酷暑の夏にほとんど家のなかで過ごしていたせいか、筋肉の衰え(特に脚)を痛感し、たんぱく質強化のため、最近は卵をたくさん食べていた。

ウズラ卵を茹でて出汁醤油と蜂蜜と酒で味付けたらおいしすぎて、一気に12個食べてしまい、急におなかを壊してしまった。

数年ぶりに食あたりの薬のお世話になっている。体力増強したいのに逆に体重減で涙。

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2019年10月 7日 (月)

西早稲田から目白台散歩

10月6日

酷暑だった夏の間、ほとんど出歩かずに座って作業していたせいで、脚の筋肉が衰えてしまったので、リハビリのため散歩。

友人を誘って、早稲田界隈の、まだ残る下宿屋を巡る。

まずは武井日本館(1929年築)。地下鉄西早稲田駅のすぐ近く。

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西早稲田駅には母が数回お世話になった施設があり、何度も来ていたのに、あの頃は古い下宿屋を見て歩こうという発想がまったく出てこないくらい気持ちに余裕がなかった。

実際には手落ちばかりの拙い介護であったとしても、心が焦りと苦しみに囚われて自由にならない時はいっぱいいっぱいで、目の前にある素敵なものに気づくこともできず、発想の転換もできず・・・

そのことを後で後悔してもどうにもならないということを受け入れるにもまた、自由闊達な精神が必要・・。

日本館のすぐ並びの富士見荘は、なんと潰されて工事中だった。あと1年早く見にくればよかったのだが。

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明治通りを歩く。古い網屋さんを発見。看板の名はそのまま「古井網店」。

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渡辺館(昭和34年開業の下宿。)

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この玄関を見た友人が「ここに来たことがある・・・!大学の同級生のA君が住んでいたところだ。ここのA君の部屋に遊びに来た。」と急に発言。

何十年も前の記憶が急によみがえったようで、A君は岩手県一関から東京に出てきて、渡辺館に下宿し、同じく一関から出てきたフォークグループNSPの天野滋の従兄弟の「天野君」とも親しくしていた、と話してくれた。

私たちは、古い落書きが残り、何重にもビラやポスターが貼られている薄汚れた壁や、わけのわからないものが校舎の陰に打ち捨てられてたまっているような大学の、濃密な時間の匂いと自由な空気を呼吸できた最後の世代なのかもしれない。昨今の大学は、ピカピカのオフィスビルのような建物で、なんとも面白みがない。

そのあと、友人のナビで神田川の橋を渡り、肥後細川庭園のほうへ。

5時。肥後細川庭園はもう観覧時間が終わっていた。夏の名残の真っ青な朝顔(ヘブンリーブル―?)の蜜を吸ってオオスカシバが遊んでいた。

夕暮れ迫る幽霊坂。

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奥のつきあたりに旧細川侯爵邸のある和敬塾。旧細川侯爵邸は、軽井沢などという設定でよくドラマの撮影に使われるところだ。

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とても東京とは思えない場所。

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蕉雨園。

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胸突坂。

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坂から横に入る水神神社の小さな祠の手前の地面に貼ってあった注意書き。神社及びその周辺で猫に余計なエサやりをしないこと。何も与えずにかわいがるのは、どうぞしてあげてください、とのこと。

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芭蕉庵の木戸。

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すっかり日が暮れていた。西早稲田へ戻る途中の裏通りで出会った廃屋らしいアパート。「エブルハウス」と書いてある。

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早稲田通りにあった廃屋。「ガラス店」というかすれた文字が見える。

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西早稲田からバスで新宿西口に帰る。

 

 

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室井光広さんの訃報 / 吉田文憲ラジオ「土方巽」特集

10月2日(水)

室井光広さんが亡くなったニュースを聞いて驚き、ショックを受ける。

室井さんとはもうずいぶんお目にかかっていないが、個展にも来てくださって、まだ室井さんが千葉県四街道市に住んでおられた頃、吉田文憲さんに連れられて2度ほど伺ったことがある。

初めて伺った時、正月だったので、私は珍しくわりと堅い服装でパンプスだったのだが、着くなり雪の残る丘に連れて行かれ、面食らった。室井さんの奥様と4人で縄文土器拾いをした。

パンプスが泥と雪に埋まり、スカートの脚がつりそうなほど冷えて苦しかったが、室井さんは本当に楽しそうに、宝物のように縄文土器を捜していた。

私が絵に描きそうな泥だらけの樹の根っこを見つけて「これ、持って帰ろう!」と言って、奥様に「そんな汚いのやめて。」と苦笑いされていたのを鮮やかに覚えている。

室井さんはたいへんシャイな感じのかたで、私に面と向かって話しかけてくることはなかなかなく、私はなにか文学に関わるような質問をしなくてはならないと焦りながら、もともとの緘黙気質から言葉が出て来ず・・。変なことを言ったら失礼だし・・とぐるぐる考えあぐね、躊躇するばかりで、結局、なにひとつうまく話せなかった。

私は、室井さん宅にいた真っ黒でツヤツヤした猫、クロちゃんを抱いていた。

いつかまた必ずお会いできて、いろいろなお話を伺えると思っていたのに、なぜまだお若い室井さんが・・?と思うと、どんどん胸が苦しくなってたまらなくなってきた。

室井さんは、吉田文憲さんと、佐藤亨さんと、東北三人衆でたいへん親しくされていた。残されたおふたりの言葉を聞こうと思った。

10月3日(木)

吉田文憲さんが話をしたラジオ「土方巽」特集の再放送が昼12:30くらいからあるというので、PCで聞いていた。

文京区の「金魚坂」という(創業350年の金魚屋さんがやっている)喫茶店(レストラン)で録音したそうで、周りの雑音が入っていた。

舞踏は、ひとりで踊っていても、幻の誰かをよび寄せる、また、よび寄せられるもの。

死者とともに踊るもの。

誕生は一度限りだが、たえず親しい死者とともにいる。

詩は幻の死者をよぶ。死者の声を言葉とする。あるいは死者が立っているところを言葉にするもの。

それは詩だけではなく、表現の行為の根幹に在るもの。

『病める舞姫』第14章より 翻案:十田撓子 朗読:原田真由美、森繁哉

吉田さんが話していた西馬音内の盆踊りについてネットで調べ、とても心惹かれた。

まさに亡者の、未成年女性の彦三頭巾と絞りの浴衣には瞠目するが、成年女性の端縫い(はぬい)と言われる(先祖代々の着物の絹の切れ端を縫い合わせた)着物の美しさにも非常に心を動かされた。

10月4日(金)

佐藤亨さんに久しぶりにメールした。

佐藤亨さんも室井さんの訃報が信じられず、「その日の夕方、動かなくなった室井さんを見てはじめて事の大きさを知りました」と。亡くなったことが受け止められないと。

吉田文憲さんに電話し、室井さんの病気のことを聞いた。

夏頃から具合が悪かったと聞いていたそうだが、やはり現実感がないようだった。

「あまりにも親しいと、いつも変わらずそばにいる感じが強くて、亡くなったと聞いても信じられない」と。

 

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2019年10月 1日 (火)

次の本の制作 / 高田馬場

https://chisako-fukuyama.jimdo.com/

9月24日(火)

私の次の本(画集)に載せるための評論(解説)の原稿を、編集さんが転送してくれた。鈴木創士さんに次いで、二番目に到着した鵜飼哲さんの原稿だ。

鈴木創士さんのときもそうだったが、鵜飼哲さんもまた、私が常にうまく言葉にできなくて苦しんでいること、私にとっての絵とは何かについて、厳密に言語化してくださっていて感激した。

正直に言えば、ここまで私という「個」の仕事に寄り添い、分け入って、精確に見て、書いてくださるとは思わなかった。

私の『反絵、触れる、けだもののフラボン』を、特にその中でも読みやすいとは言えないだろう若林奮論を、深く、微細なところまで読んだうえで書いてくださっていた。

概念によらないこと、その実践がどのようなものかを言葉にするためには、「言葉」とは何か、言葉でないものを「受容する」とはどういう身体の状態なのか、を言葉にしなければならない。

「前方にあるもの」との「三重の距離」・・それを概念に媒介されることなく、はかること。

素描の「リミット」。植物を描いていることの意味についても。

急に届いた私にとって最も嬉しい贈り物に戸惑い、恐ろしくて胸がざわざわした。

本当に、ありがたすぎて言葉にならず、御礼の言葉をすぐにはメールに書くことができなかった。

9月25日(水)

鵜飼哲さんに素晴らしい文章をいただいたことで、停滞していた思考回路から次の本の新たなアイディアが突如として生まれ出て来、編集さんを煩わせることとなった。

衝動が湧いてくると抑えられなくなり、今まで3、4年もかけて選択していた絵を入れ替えし、久しぶりに夜中まで夢中で仕事した。

深夜2時過ぎにお腹がすき、咽喉が乾いてたまらなくなり、冷凍の枝豆をおつまみに、1本だけとっておいた珍しいビールを飲んだ。

オールドトムというアルコール度8.5パーセントもある黒ビール。

「イギリスで最も古く、最も有名なビールの一つ」、「チョコレートやポートワイン、胡椒の風味を感じさせる、複雑で味わい深いビール」だそうだ。

10年くらい前は、明け方まで夢中で絵を描いていることもよくあった。3時や4時に気がつけばとてもお腹がすいて、食事をし(そんな時間ににカキフライなどを揚げてたべることも)、ビールをがんがん飲んで、外が明るくなってから眠りに着き、昼前に起きたりしていた。

ふとどこからともなく訪れるものを、自分で計画したりコントロールしたりできないので、顕現するものがあった時に、それを逃さないためために、すべてをそこに合わせる生活。頭が回転してくると、すごく楽しくなってきて、疲れも眠気もを感じない。

最近は体調を崩さないように思慮しなければやっていけず、夜に暴飲暴食はしたくないけれど、今日だけは。

9月26日(木)

高円寺でお世話になっていたマッサージ店が6月末に移転になってしまい、ずっと身体中が凝り固まっていたのだが、3か月ぶりにマッサージに行くことにした。電車を乗り継いで移転先へ。

以前お世話になったOさんはもう辞めてしまった。きょう初めてお会いするKさん。

「ここまで酷くなるまで我慢なんてちょっとすごすぎます。肩、背中の筋肉と皮膚ががちがちに固まってはり付いてしまっている。」と言われた。

首ががちがちで、頭皮が血行不良でぼこぼこしているそうだ。脚も冷えて固くむくみが酷い、と。

このところずっと頭の筋膜が凝って頭痛がするのを、鎮痛薬と神経ブロック注射でなんとか我慢してきた。とりあえず血行をよくする努力と、毎日10分でも運動をしようと思う。

高田馬場近くの、昔好きだった細い裏道を久しぶりに歩く。

とてもよい雰囲気の多摩旅館は健在。

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人ひとりがやっと通れてすれ違えないほど細い家と家の間の道。この道に面していた古い下宿屋のような素敵な建物が無くなって、原っぱになっていた。

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http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-bd58.html#search_word=戸山 高田馬場

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