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2019年12月

2019年12月28日 (土)

『デッサンの基本』(ナツメ社)33刷り

https://chisako-fukuyama.jimdofree.com/7-other-flowers-plants/

『デッサンの基本』がまた増刷になりました。

これで33刷りとなりました。

購入くださった方々、読んでくださった方、ありがとうございました。

来年はデッサン会をやりたいです。

皆様、楽しくデッサンしましょう!

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猫デッサン(プフ、チョビ、ちゅび)

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肥後菊、伊勢菊
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江戸菊、嵯峨菊
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江戸菊(春の霞、うたかた)
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2019年12月26日 (木)

宇野昌磨、高橋大輔

https://chisako-fukuyama.jimdofree.com/

全日本フィギュアの印象と個人的感想のメモ。

宇野昌磨『Great Spirit』

地を揺るがすように太古から響く、強烈なくり返しのリズム。濁りと振動。痺れるような高揚感。

よくこんな曲を見つけてきたと思える、スポイルされていない独特のプリミティブな力強さ、熱さ、ある種の純粋さを感じさせる宇野昌磨選手にぴったりな曲。

わかりやすい意味によって編まれたストーリーではなく、その場の臨場感、すさまじく動的な躍動がなければ成立しないプログラム。

「大いなる魂」に全身を浸し、狂ったように踊らされる者となる。原初的な感応力と、燃えるような熱を発する身体が、この瞬間にその能力を試される。

詩人の吉増剛造さんが、ずいぶん前に送ってくださった『アメリカン・インディアン口承詩』(金関寿夫 2000年 平凡社ライブラリー)(今は「ネイティブ・アメリカン」という呼称のほうが定着)を読み返していた。

ネイティヴ・アメリカンの言語の種類は千以上にのぼるという。種族も500を超えるそうで、文化は多種多様を極める。南西部の部族と南東部の部族が出会っても言葉は通じない、という言語学者もいるそうだ。

しかし、「彼等の神話や世界観にあらわれた本質的な同質性は、どうしても否定できない。」

文字をもたない彼らの言葉。発声。リズム。呪術的な響き。立ちのぼるいのち。

ゲイリー・スナイダーの言葉、「コヨーテの声は地霊の声だと信じてるんだよ。」

地霊の声に突き動かされるように、宇野昌磨は激しく魅力的に舞った。

・・・

宇野昌磨『Dancing On My Own』

最初に聞いた時は、ちょっときれいに流れすぎてとっかかりがないというのか、印象が弱い曲だと感じて心配だった。私がフィギュアで見たいのは、濁りや激しさ、不穏さのある強い曲だ。

しかし全日本の滑りを見た時の印象は、最初に聞いた時とはまるで違っていた。

今期、苦しみぬいた後にようやく訪れた眩しく暖かい恢復の光とともに、「悩みが多すぎて、うんと苦しんでボロボロになったけれど、それでも僕は踊り(滑り)続けるよ」と語りかけている曲に聞こえた。

「僕はずっと滑り続けるよ。何があっても・・」と、くり返し聞こえて、思わず涙。

・・・・・

高橋大輔『The Phoenix』

シングルのラストステージに、よくぞここまで体力を使う難しいプログラムを。

しんみりしっとりする曲ではなく、激しく攻める曲を選んでくれた、その心意気にほれぼれする。

だがいつでも彼は、ラストでありファーストであるようなステージで、この曲のタイトル通り火の中からの復活に賭けてきたのに違いない。

怪我による不調もあったろうに、心身のすべてを捧げて、極限の演技を見せてくれたと思う。ただただありがたい。

演技後のインタヴューにも高橋選手の真摯でシャイで温かい人柄が、すべて出ていた。

『Pale Green Ghosts』

妖艶であり、また不気味でさえあるだろう、音楽はまるで彼だけのために今流れるようだ。

氷上を一人で踊る高橋と二重写しとなって多くの亡霊たち(Ghosts)が戻ってくる。

今まで、ありとあらゆる感情の体験とともに、めくるめくイメージや色彩を見せてくれた高橋大輔選手。

猛烈な嵐に翻弄される小船のように狂おしく舞ったかと思えば、張りつめた冬の空に枝を広げる樹木のように静かに震え、次に顔をあげたときには燃えさかる火のように誘惑的で・・・。

日本人で、これだけ豊かな個性を持ったスケーターは二度と出ないだろう。

最後は、振付師が新しく振り付けたポーズではなく、やはり彼は手を天に精一杯伸ばしていた。

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伸び盛りの若手の瑞々しい演技もあり、今年の全日本はとてもどきどきして心に残る大会だった。

 

 

 

 

 

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2019年12月19日 (木)

猫たちのこと、風邪、がんの定期健診、薬疹

3匹が生まれて2回目の冬。あいかわらずチョッピー(チョビ)とプフはべったり。
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大好きなチョッピーを抱きしめるプフ。
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いつもくっついてお互いをなめあう大の仲良しなのだが、ここ数カ月、なめあった後のチョッピーの噛み方が激しい(興奮?)のでプフが悲鳴をあげることが多い。

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気づいたらすぐにチョッピーを引きはがしているが、どうしたらいいものか。(3匹とも早めに避妊手術している)

ちゅびとチョッピー。男の子どうしも仲良し。どたばた追いかけっこをする時は必ずチョッピーが追いかけて、最後はちゅびが段ボール箱の中に逃げる。
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ちゅびとプフ。
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ちゅびはプフともちゅびとも仲が悪いわけでもないのに、あいかわらずお風呂の戸を開けて「うにゅる~」と叫び続けるのをやめない。何かの欲求不満。おなかがすいたなら、なぜ私に向かって鳴かないで、わざわざ遠い風呂場に行って鳴くのか?

黙らせるために深夜におやつを何度もあげざるを得ず、体重は6.7kgになった。

・・・

病気関係のメモ。

12月19日(木)

顔中の湿疹が治らないので皮膚科へ。特に右の眼と頬が腫れてしまっていると言われる。

数年前にも総合感冒薬を飲んだあとに顔中に湿疹が出たことがあるので、たぶん薬疹。

皮膚科の診療代1080円。

プレドニン軟膏(目のまわり用)、キンダベート軟膏、ベボタスチンベシル塩酸錠(14錠)、プロペト(100g)で840円。

もっと早く皮膚科に行くべきだったと思う。

12月14日(土)

工事の人が入るため、朝から必死で部屋の中を片付け。

結局、来たのはNTTの人だった。マンションの電気室の中の機械が不具合だったそうで、新しい機械に取り換え。私にはお金がかからなかった。

12月13日(金)

ネットと固定電話が不通になった件で、(携帯を持っていないので)朝10時に公衆電話からテクニカルサポートに電話。

なかなか繋がらないのでNTTにかけてみたら「OCNひかりは別会社なので関係ありません」と。

昼から癌の定期健診のため鎌ヶ谷の病院へ。

顔に湿疹ができていて痒い。

12月12日(木)

夜、突然インターネットと電話が不通になる。

12月10日(火)

ようやく頭痛と吐き気が無くなってくる。軽い運動の再開。

12月8日(日)

岡田温司さんのトーク。アガンベン『書斎の肖像』について。

12月7日(土)

鵜飼哲さんと打ち合わせ。仕事が進み、気分が盛り上がったせいか、お酒も飲めて久しぶりにたくさん食べた。

12月5日(木)

迷ったが総合感冒薬を購入。5日と6日の夜に飲むが、尿が出にくくなる成分が入っていると気づき、飲むのを止める。舌が苦く、食事をするのが苦痛。

12月3日(火)

頭痛と吐き気で頭が回らないが、英訳原稿が上がってくる。

11月28日(木)

最高気温9度の寒い日。ゲルマ温浴を予約していたが使用させてもらえず、もやもやしながら冷えた身体で運動を始めたら発熱。

頭痛と胃痛。嘔吐。吐き気がして食べられない。

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2019年12月14日 (土)

岡田温司さんトークイベント「知識人と書斎――アガンベン自伝に見る書斎のかたち」

12月8日(日)

岡田温司さんのトークイベント「知識人と書斎――アガンベン自伝に見る書斎のかたち」を聞きに日本橋、コレド室町の中の誠品生活へ。

月曜社の小林さんより、月曜社の最初の本が『アウシュヴィッツの残りのもの』(上村忠男、広石正和訳)で、これが一番売れたとのこと。私もこの本で初めてアガンベンの思想に出会い、強く感銘を受けた。

岡田温司さんは予想していたより柔和なかたで、お話も軽妙で楽しかった。

『書斎の自画像』はハイデガーとの出逢いから始まり、それからは時系列ではなく、自分の書斎にあるものをアガンベンが見ることによって思いつくままに綴られている。

――お話の断片的メモ――

生きる形式と存在の様態が区別されないのはフーコーの影響。 

エピゴーネン・・・有限な存在であるということ。過去のテキストを独自の形式、新しい読み方で受け継ぐ考古学。発展可能性。

ハイデガーの存在論を乗り越える。存在と存在者を区別しない。

哲学と詩作。ポエジーの問題。コミュニケーション(伝達)に限定されない言葉。

岡田さんが最初に訳されたのは『スタンツェ』。

『イタリア的カテゴリー』「西洋の言語はますます哲学と詩のあいだで引き裂かれてしまい、一方は悦びなき認識へと、他方は認識なき悦びへと向かってきたのだが、いまや急を要するのは、哲学にそれ本来の悦びを、詩にそれ固有の認識を奪還することである。」

ダンテ論執筆への岡田さんの期待。

パゾリーニとの関係。

アガンベンは悲観的、黙示録的(「歴史の終わり」を語る)とジョルジュ・ディディ=ユベルマンにも言われているが、悲喜劇である。

コメディ・デラルテ、プルチネッラ・・・アイロニー、ペーソス、諧謔

トト(喜劇王)、人形劇仕立て

身振り・・・目的や意思にしばられない。ギャグ。

「大きな鳥と小さな鳥」・・・サン・フランチェスコの小鳥への説教。喜劇仕立て。

発想のアルケー。

ドゥルーズ追悼文においても「セルフ・エンジョイメント」の思想について言っている。

無為・・・無活性とは違う。常識的に考えていることを無為にする。行為する時の潜勢力。通常のやりかたをエポケーして別のやりかたでやる。

言語の別の使い方。

ジャン=リュック・ナンシー『無為の共同体』・・・共同体の別の可能性。

『書斎の自画像』の巻末・・「草」についての記述。ドゥルーズの動物の生成変化の向こうをはる。アガンベンの弟子エマヌエーレ・コッチャの著作『植物の生の哲学』。

植物は、世界があるとはどういうことか、生命が世界と結びうるもっとも基本的な関係を体現している。

ハイデガーの『放下 (Gelassenheit)』における星々 カント的・・・見上げるもの。それとは対称的な、草・・・足元の・・・。

京都からおいでになった岡田温司さんと。

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コレド室町というところに初めて来た。私には食べられそうな店が無かったので、キラキラしたイルミネーションだけを見て帰宅。
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2019年12月12日 (木)

鵜飼哲さんと会う 次の本の制作

12月7日(土)

制作進行中の私の次の本についての打ち合わせで、鵜飼哲さんとお会いする。

今朝はこの冬一番の寒さ。関東でも初雪。先週の金曜に発熱してからずっと頭痛と吐き気に悩まされていたので、冷気でぶり返さないように気を張りつめて外出。

3時に三鷹。駅からすぐの日本茶の店。窓から玉川上水の広葉樹に絡まる真っ赤な蔦が見えた。

鵜飼さんが頼んだ「濃い抹茶」と栗蒸し羊羹。
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編集Tさんの頼んだ「薄い抹茶」とクリーム大福。
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私の頼んだ抹茶ゼリー(和菓子など甘いものが苦手な私にもこれは優しい甘さでおいしかった)。
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「概念によらないで直接感応する」という若林奮先生がよく書いていらしたことについて、鵜飼さんに質問してみた。

旧石器時代に人類が初めて絵をかいた時のことは、私も若林先生の本で読んで想像し、またネットでいくつかの壁画の写真を見たりするだけなのだが、それらにもとづく思考もまた既成の「概念」を当てはめているに過ぎないのだろうか?

そのことについて鵜飼さんは「実際に現地の洞窟まで見に行っても、あまり何も感じられない人もいる。それよりも若林さんの本を読んだだけで、ここまで考え(感じ)られるということがすごいんです。」と、私の著書を手にとり、言ってくださった。

また、「すべての距離は3重である」ということについて。これは非常に難しい。

・・

2時間半くらい仕事の話をしたところで完全禁煙でお酒が飲める食事処に移動。「きょうはたくさん勉強しましたね。」とまずは熱燗で乾杯。

そのあと、私が強い嫌悪感を覚えるのは巨大な政治権力よりもむしろ、権力に抱きかかえられながら、それにおもねり、あるいは逆に抗うふりをしてみせる「アーティスト」たちと彼らが作る「アート」であることを、私としてはとても控えめにではあるが宣言させていただいた。

私の気質としては、私のいる日本の現況において表現の自由を勝ちとり守る闘いよりも、表現された「アート」と呼ばれているもののなかに私が興味を持てるものがあるのか、ということばかりが気になる。

政治的なメッセージが込められていようといなかろうと、「アート」はいつだってすでに政治的だ。

「アート」こそが、外(「アート」をめぐるおしゃべりの外)にいるものたちの無言の声、証言すべき経験を持っているものの声が発せられることを妨害している。その周りに群れ、つまらない御託をわめきたてる人たちが不快でたまらない。

心に残る作品は一瞬でわかる。そして作品の無言とともに、その無言が語る言葉があればそれにも当然興味がわく。

私が信頼する美術評論家は誰かと聞かれた。もうずいぶん前に亡くなられたかただが、詩人でもあった織田達朗さんのことが浮かび、織田さんと交わした言葉を少しだがお話しした。

丸木美術館にある「原爆の図」についてのずいぶん辛辣な批判も、私は織田さんからお電話でうかがっている。

聞けば鵜飼さんは丸木美術館の理事になったそうで、作品自体の評価はともかく、人が集まる場所として保存するのはよいのではないかと言われた。

また、私はもういい加減人生も終盤になったので、これからは「生」を侵害してきた相手、そうしていることさえ気づかずにいる相手に、(タイミングとしては随分と遅れてしまったとしても)面と向かって、こちらが非常に苦しめられている事実を伝えるように変わっていきたい、と話した。

そこで鵜飼さんと共通の知り合いのある人の名前を出すと、「あの人には何を言っても(理解できないから)無駄でしょう。」と。

私もその人に理解を求めても無駄なことは重々知っているが、なんであれ死活問題としてのしかかってくるのであれば、たとえ周りの誰もが何も感じていない状況であっても、私だけはそれに同調させないでほしい、と次からははっきり言うつもりだ。過去において勇気が出ずにその発言ができなかった自分を私はひどく後悔し、腹立たしく思っている。

鵜飼さんは、私の『反絵、触れる、けだもののフラボン』の中川幸夫先生について書いた文章から、「喉笛をかみ切る」というところをほめてくださった。喉笛をかみ切るためには普段は無言の植物であることのほうが望ましい。

『デッサンの基本』の増刷のお祝いに「酔鯨」の冷酒で乾杯してくださったあと、さらに「久保田」を飲んだ。

西洋のデッサンにはない呼吸の問題、ポンジュの言葉、ヘーゲル「花の宗教」、ジュネの昔の恋人の息子ジャッキー、現代詩、天皇制とキリスト教、女性崇拝、ロマ族・・・

話すことは尽きなくて、10時に閉まるまで店にいた。

駅のコンコースでも話は続いた。

鵜飼さんには次の本の制作に関して、また、私の宿痾ともいうべき性質(直感的に激しい違和や疑問を覚えることについて、追求しなければ気がすまないこと)について、言葉にできないほどお世話になっている。

あらためて心から感謝です。

 

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