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2019年12月12日 (木)

鵜飼哲さんと会う 次の本の制作

12月7日(土)

制作進行中の私の次の本についての打ち合わせで、鵜飼哲さんとお会いする。

今朝はこの冬一番の寒さ。関東でも初雪。先週の金曜に発熱してからずっと頭痛と吐き気に悩まされていたので、冷気でぶり返さないように気を張りつめて外出。

3時に三鷹。駅からすぐの日本茶の店。窓から玉川上水の広葉樹に絡まる真っ赤な蔦が見えた。

鵜飼さんが頼んだ「濃い抹茶」と栗蒸し羊羹。
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編集Tさんの頼んだ「薄い抹茶」とクリーム大福。
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私の頼んだ抹茶ゼリー(和菓子など甘いものが苦手な私にもこれは優しい甘さでおいしかった)。
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「概念によらないで直接感応する」という若林奮先生がよく書いていらしたことについて、鵜飼さんに質問してみた。

旧石器時代に人類が初めて絵をかいた時のことは、私も若林先生の本で読んで想像し、またネットでいくつかの壁画の写真を見たりするだけなのだが、それらにもとづく思考もまた既成の「概念」を当てはめているに過ぎないのだろうか?

そのことについて鵜飼さんは「実際に現地の洞窟まで見に行っても、あまり何も感じられない人もいる。それよりも若林さんの本を読んだだけで、ここまで考え(感じ)られるということがすごいんです。」と、私の著書を手にとり、言ってくださった。

また、「すべての距離は3重である」ということについて。これは非常に難しい。

・・

2時間半くらい仕事の話をしたところで完全禁煙でお酒が飲める食事処に移動。「きょうはたくさん勉強しましたね。」とまずは熱燗で乾杯。

そのあと、私が強い嫌悪感を覚えるのは巨大な政治権力よりもむしろ、権力に抱きかかえられながら、それにおもねり、あるいは逆に抗うふりをしてみせる「アーティスト」たちと彼らが作る「アート」であることを、私としてはとても控えめにではあるが宣言させていただいた。

私の気質としては、私のいる日本の現況において表現の自由を勝ちとり守る闘いよりも、表現された「アート」と呼ばれているもののなかに私が興味を持てるものがあるのか、ということばかりが気になる。

政治的なメッセージが込められていようといなかろうと、「アート」はいつだってすでに政治的だ。

「アート」こそが、外(「アート」をめぐるおしゃべりの外)にいるものたちの無言の声、証言すべき経験を持っているものの声が発せられることを妨害している。その周りに群れ、つまらない御託をわめきたてる人たちが不快でたまらない。

心に残る作品は一瞬でわかる。そして作品の無言とともに、その無言が語る言葉があればそれにも当然興味がわく。

私が信頼する美術評論家は誰かと聞かれた。もうずいぶん前に亡くなられたかただが、詩人でもあった織田達朗さんのことが浮かび、織田さんと交わした言葉を少しだがお話しした。

丸木美術館にある「原爆の図」についてのずいぶん辛辣な批判も、私は織田さんからお電話でうかがっている。

聞けば鵜飼さんは丸木美術館の理事になったそうで、作品自体の評価はともかく、人が集まる場所として保存するのはよいのではないかと言われた。

また、私はもういい加減人生も終盤になったので、これからは「生」を侵害してきた相手、そうしていることさえ気づかずにいる相手に、(タイミングとしては随分と遅れてしまったとしても)面と向かって、こちらが非常に苦しめられている事実を伝えるように変わっていきたい、と話した。

そこで鵜飼さんと共通の知り合いのある人の名前を出すと、「あの人には何を言っても(理解できないから)無駄でしょう。」と。

私もその人に理解を求めても無駄なことは重々知っているが、なんであれ死活問題としてのしかかってくるのであれば、たとえ周りの誰もが何も感じていない状況であっても、私だけはそれに同調させないでほしい、と次からははっきり言うつもりだ。過去において勇気が出ずにその発言ができなかった自分を私はひどく後悔し、腹立たしく思っている。

鵜飼さんは、私の『反絵、触れる、けだもののフラボン』の中川幸夫先生について書いた文章から、「喉笛をかみ切る」というところをほめてくださった。喉笛をかみ切るためには普段は無言の植物であることのほうが望ましい。

『デッサンの基本』の増刷のお祝いに「酔鯨」の冷酒で乾杯してくださったあと、さらに「久保田」を飲んだ。

西洋のデッサンにはない呼吸の問題、ポンジュの言葉、ヘーゲル「花の宗教」、ジュネの昔の恋人の息子ジャッキー、現代詩、天皇制とキリスト教、女性崇拝、ロマ族・・・

話すことは尽きなくて、10時に閉まるまで店にいた。

駅のコンコースでも話は続いた。

鵜飼さんには次の本の制作に関して、また、私の宿痾ともいうべき性質(直感的に激しい違和や疑問を覚えることについて、追求しなければ気がすまないこと)について、言葉にできないほどお世話になっている。

あらためて心から感謝です。

 

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