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2021年8月27日 (金)

ジャン=リュック・ナンシー(Jean-Luc Nancy )の訃報

8月25日(水)35℃

ジャン=リュック・ナンシー(Jean-Luc Nancy)が23日に亡くなていたと知って、ものすごいショック。

私は符号など信じない人間だが、23日にちょうど、『イメージの奥底で』(何度めか)を何かの渇きからの欲求のように、読み返したくなって読んでいた。

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巻頭の「イメージー判明なるもの」の中の「聖なるもの」(これは「宗教的なもの」でもなければ「信仰」とも関係ない)「判明なるもの」が具体的にどういう絵をさしているのか、私なりにはっきり見えた。

「分離されたもの」「距離をおかれたもの」「切り取られたもの」

「弁別的な特徴線が、もはや触れることの次元ではないものを分離する」

「すれすれの状態」「退隠」

これらの言葉が、これまでにないほど、わかりすぎるほどわかって涙が出た。

「いかなる事物も、適合が自己に適合するために切り開くその隔たりにおいて、事物という資格を失い、ひとつの内奥となる。そのとき事物はもはや操作可能ではなく、物体でも、道具でも、神でもないものとなる。それは、みずから世界集約の強度であることによって、世界の外にある。またそれ自身において意味作用を欠いた意味の結集であることによって、言語の外にある。イメージとは世界と意味――意味の流れとしての意味(言説における意味、流通する意味……)――の流れを宙づりにする。そうすることでより一層、みずからが感知させるもの(イメージそれ自体)そのものにおいて、意味(したがって「感覚不可能なもの」)を主張する。イメージのうちには――しかしそこには「内部」はない――意味作用をともなわず、しかし取るに足らないものではなく、その力「形態」と同じくらい確実な意味がある。」

決して韜晦した難解な文章ではなくて、むしろすべてを丁寧に説明してくれていると感じた。

その日に、まさか亡くなっていたなんて。悲しすぎてどうしようもない。

ぜひとも画集をお送りして絵を見ていただきたいと、望んでいたのに、もうかなわない。

薄い黄色からアプリコットピンクのぼかしのヒガンバナが咲いていた、リコリス・アルビピンクという種類かもしれない。

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・・・

夜、にわかに信じがたいような文章のご依頼をいただいた。

おそらく、私が専門的な学説の用語を知らない人間だからこそ、選んでいただいたのだと思う。

この文章のために最大限の努力をしたい。

とてもいろんなことを考えてしまい、4時に目覚めた。レキソタン1㎎を飲んで、明るくなるまで起きていてまた寝た。

朝9時に目が覚めたが、就寝前にフェキソフェナジン(抗アレルギー剤)を飲んだせいかレキソタンが効きすぎていて気持ち悪さが残っていた。

8月26日(木)36℃

自分の画集のために書いた文章の英訳を拝受。一語ずつ吟味する。英語表現は無知でわからないことばかり。

夕方、画集の紙についての連絡が来る。

 

 

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