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2023年1月26日 (木)

個展 / 癌とストレスの言語化

1月25日(水)大寒波。最高4℃、最低-2℃

今年は10月7日くらいから高円寺のうちの近所のスペースで個展をやる予定ですので、お越しいただけたら幸いです。

手術(まだ詳しいことは未定)が成功すれば私自身が毎日在廊できると思います。

・・・

癌に関して、ストレスが一番悪いのは確かだと思う。

死ぬほど嫌なのに我慢したり、理不尽な扱いに対して抵抗や拒否ができなかった過去の自分が悪いと思い、

毎年、年始に同じ目標を立てているが、嫌なことにはできるかぎりその場で嫌だと言明すること、それができなければ後からでも本人に言う、それができなければブログに書く(書きづらくても言語化する)ことを実践していきたいと思う。

癌になったのは20歳ちょっと過ぎで父親に借金を負わされた人生最悪のストレスの時(父を憎んだが、母と祖母がかわいそうだったので過剰労働した。あの時の異常な緊張感と自分だけ遮断されたような閉塞感は忘れられない)だ。

しかし甲状腺癌は痛くも苦しくもないので気づかず、それから10年くらいして発覚したときにはもう頸部リンパ節と肺に転移していた

(甲状腺と副甲状腺全摘。左の声帯を切除。転移腫瘍が絡んでいた首の筋肉を大量切除。シンチは効かなかった。当時甲状腺癌の抗癌剤は無かったので、治療は毎日チラジンとアルファロールを飲むだけ)。

今でも忘れられないが、癌の手術の直後に、あえて弱っている時を狙われて対人でものすごいストレスにさらされた思い出がある。

そんな時でさえ私は嫌な相手にはっきり嫌と言えなかったことが心から悔やまれる。

手術後の、傷口からの浸出液で顔や首がパンパンで、鎖骨の下に穴を開けてドレーンを下げて、辛くてぐったり寝ている時に、友人ではない人が勝手に私の病室を訪ねて来たのだ。

彼女は美大時代のクラスメイトだがクラスの女子ほぼ全員に避けられていた人(理由は彼女が政治的で自分のエゴを押し出すのが強すぎること)で、

私とは卒業後のつきあいもないのに突然現れ、「なんで?!」とかすれた悲鳴が出た(声帯を切っているのと挿管で喉が傷ついているので声にならない)ほど嫌だった。

高価な資生堂のケーキを5個も差し入れられ、私は普段も甘いものは食べないし、さらに痛みや吐き気で具合が悪い時で非常に困った。(癌の手術後に食べ物の差し入れは私に関してはすごく迷惑だ)

看護師さんに食べていただけないか尋ねたら国家公務員なので物はもらえないと言われ、掃除のパートさんに頭を下げてもらっていただいた。

彼女は当時まだ皆があまり持っていなかった携帯電話を持ち、車を乗り回していることなどをしゃべりまくり、一番弱っている時の私に、自分がいかに羽振りがよいかの自慢話をしに来たとしか思えず、気持ち悪かった。

いまだにどうしても許せないことがある。私がはっきり拒絶しなかったせいで、彼女が翌日の朝またしつこく来て、

主治医(頭頸科外科部長)の回診の時間(1、2分顔を見て確認する)に、彼女がいきなり主治医に話しかけて足止めし、自分の健康相談をしだしたのだ。

「先生、私、ウォーターベッドに寝てるんですけど~、ウォーターベッドって肩こりなんかに悪いですか?」と笑いながら言う彼女に、心底驚き、ぞっとした。

主治医が驚いて私の顔を振り返り、私も愕然とした顔をした。親戚と思われるのも嫌だった。

4人部屋で皆、死ぬか生きるかの手術をしている深刻な患者たちの前で(実際に隣のベッドの女性は手術の翌日に、私の目の前で倒れて亡くなった)、はしゃいでいるような彼女の無神経さに吐き気がした。

国立がんセンターはピリピリした空気で、主治医は常にものすごく忙しそうなので、回診の時にも私は極力、余計な質問をしたらいけないと遠慮して点呼されたら「はい。」とひと言答えるだけにしていたのに、

癌でもない部外者が土足で割り込んできて場違いな質問をする異常さに呆れて言葉がでなかった。

私は彼女に激しい嫌悪感を抱いたが何も言えず、彼女からはとても弱くてつけこみやすく見えただろう。私は彼女が本当に怖かった(何をされるかわからない怖さ)のだ。しかし私は頭にきたことは一生覚えていて怒りを増幅、熟成させる性格だ。

今の私なら彼女に言えると思う。「何しに来たのか知らないけどここはがんセンターなの。生死の際で必死に戦っている患者さんしかいないから、関係ない人は入って来ないで。ほかの患者さんにも迷惑だし、私にはあなたの性格が気持ち悪くて耐えられないからもう本当に会いたくない。」と。

彼女に私が癌で手術することを伝えてしまったのはクラスメイトで私が信頼していたSだった。Sはクリスチャン(マリア信仰)でよく言えば純心で素朴だが、人の悪意や策略に非常に鈍い。

Sを嫌いにはなれないけれど、私の過敏さ、ものすごい速さで浮かんできて回転するたくさんの不安や傷つくことの1000分の1もSには想像できないんだな、と常に感じていて淋しかった美大時代を久しぶりに思い出して胸の傷が疼いた。

1月24日(火)

『デッサンの基本』38刷り祝いで、友人と昨年から約束していたかに道楽新宿駅前店へ。初めてかに釜飯のついたコースにしたら、なかなか蟹の肩の身をほぐすのがたいへんだった。「道楽」という名の日本酒を熱燗でちびちび飲む。かにシュウマイが美味。

そのあと世界堂に和紙と小さなパネルを買いに行く。

帰りに新高円寺の駅を出たら「ぎやー!寒い!」と道行く人たちが叫ぶほどの凍った突風。

1月23日(月)

3時から体育館で卓球(有料、初心者クラス)の一回目。

プロコーチが個人的に教えてくれる時間は短くて、あとは卓球台ごとに2人ずつ打ち合って練習するのだが、偶然私の相手になったK山さんが上手な人でありがたかった。K山さんのおかげでとても楽しく、ラリーは40回以上続いた。

K山さんは私よりおそらく年長の女性なのだが、この寒い中を荻窪の環八の方から自転車で通って来ていると聞いて感心した。

5時に終わり、自転車で帰宅し、ホットミルクと少量の玄米を食べ、そのままの恰好で6時からの別の卓球の会へ。

始まる前に、またI川さんがひとりでコーチ(的な立ち位置の年長の男性M先生)に「ダブルスだけだとうまくならないので打ち合いの相手をしてください。」と言い、10分くらいやってもらっていたので、私はほかの女性とやったが、やはり後で後悔した。

私も10分だけでもM先生に相手してもらいたいので、来週は「先週はI川さんとやられたので、今週は私とやってください」とはっきり言おうと思う。

こちらの会はお金を払って指導を受ける会ではないので、皆が適当にゆるく遊び、I川さんと私だけが熱心にやっている。正直、私はI川さんに負けたくない(I川さんは3期9か月も体育館の卓球クラスに通ったという)。

私は手術したら数か月は卓球ができなくなると思うので、できる時に精一杯、最大限にやりたいのだ。

計3時間半も卓球をやった(自転車の時間を入れると4時間半の運動)ので後から酷い筋肉痛だったが、たぶん慣れると思う。

 

 

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