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2023年3月18日 (土)

もうすぐ手術(甲状腺癌の肺転移)、合田佐和子展、椿園

3月14日(火)

手術前の執刀医との最終面談。

「手術後、痛くてもびっくりしないでくださいね。肋間神経を切るんで痛いのが当たり前なんで。」と念を押され、

こんなに何度も「手術後はすごく痛い」と言われると、余計痛く感じてしまうんじゃないかなあ、と思う。

そのあと麻酔科の先生から全身麻酔と硬膜外麻酔の説明。

説明されればされるほど、考えもしなかったリスクを知って不安になる。

生存するために必要な手術に伴う苦痛だから受容するだけ。手術できることをありがたく思わないといけない。

ちなみに最初の甲状腺癌摘出の手術では、耳の下から鎖骨の中央の上を通って反対側の耳の下まで首をU字に切って、上にはがして

甲状腺、副甲状腺、リンパ節転移多数を郭清したのだが、

首の前側の神経を多数切断したせいか、麻酔から目覚めても傷はまったく痛くなかった。

眼が覚めた瞬間に思わず「先生!」と主治医を呼ぶ声が出てしまい、自分の声が(左の声帯筋肉を切断したため)かすれて男性のように低かったのにびっくりしたのを覚えている。

麻酔で寝がえりを打てなかったせいで、むしろ首の後ろ側のほうが凝りで痛すぎて、すぐには動けなかった。

首の前側の切断された神経はなかなか戻らず、10年以上、皮膚が麻痺して感覚がなかった。

3月16日(木)

手術前、最後の神代植物公園。枝垂桜の樹は3部くらい咲いていた。

椿園。早咲きの花はもう落ちていた。爛熟した空間の中で白い花に惹かれた。
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帰りはバスで三鷹に出て、コラルで食事し、三鷹美術館で合田佐和子展を見た。

すごく共感したのは、若い頃に台所やリビングで絵を描いていたこと。引きがとれなくて絵が歪んだだなんて素晴らしい。

私はいまだに台所で立ったまま描いている。アトリエなどない。

猫が3匹も狭いところを走り回っているので、静かに落ち着くすっきりとした場所などない。

初期の廃品のオブジェが手芸の本になっていたのに驚いた。廃品や貝殻やガラスを拾うのが好きなのも私と同じ。

合田佐和子のすごいところは、内容(人間を描いているとか情念がどうとかの言葉)がなく、視覚効果だけで、どす黒いものやぬるぬるしているのに強靭な何ものかを描けているところだと思う。

今流行りのイラストっぽい絵とは全く違う、分厚い抵抗感。凝縮したエロスと華やかさ。

瀧口修造にいかにも好かれそうだ。

合田佐和子さんはよくいる絵がうまい人とは明らかに違う、芸術家という感じがする。

何が違うかというと、生活と創造の境目がないこと、そして文章。

それが芸術家の文章なのか、単にちょっと絵がうまいだけの人の文章なのかは歴然としていて、一瞬で見分けがつく。

合田佐和子さんとは種村季弘先生に誘われたスパンアートギャラリーの集まりでお目にかかったことがある。

種村先生の泉鏡花賞受賞パーティーには、それこそ綺羅星のような芸術家たちが集まっていたけど、その時は合田さんは来てらっしゃらなかったと思う。

掲示されていた解説によると、合田さんはチャネリングとかスピリチュアルなものに傾倒されたり、精神を病んで入院されたこともあったらしい。

・・・

ギャラリーのことで悩んでいる。

今年の秋にうちの近所で、何も邪魔なものがないニュートラルでフラットな、ただ絵を展示できる少し広い場所を借りたかっただけなのに、

こんなに余計なストレスを与えられるとは夢にも思わなかった。

つまりは余計なノイズが入ってくるということ。

オーナーが絵に興味がなかろう(本人は興味があると言うだろうけど)が、余計なコンセプトを掲げようが、誰を応援していようが、私には何の関係もない。

しかし私が展示する場所に余計な(幼稚で他者の誤解を招くような)ものが関係してくる(関連付けられてしまう)となれば、私の展示に実害をもたらすので、私からは拒絶するよりほかない。

言うべきことはメールではっきり伝えた。あとは手術後までもう考えたくない。

 

 

 

 

 

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