« 2023年4月 | トップページ | 2023年6月 »

2023年5月

2023年5月28日 (日)

宇野亞喜良「蕉風展」、『オールド・ポッサムの抜け目なき猫たちの詩集』

5月21日(日)

Galerie LIBRAIRIE 6(シス書店)宇野亞喜良「蕉風展」へ。

『オールド・ポッサムの抜け目なき猫たちの詩集』(T.S.エリオット・詩、宇野亞喜良・画、佐藤亨・訳)を出版した球形工房さんと一緒に。

宇野亞喜良さんは私が小学生の頃から最高に憧れの絵描きさん。

私が生まれた新宿の、その頃のアングラで反体制でかっこいいイメージと宇野亞喜良さんの毒があって挑発的なイラストのイメージが重なる。

そして少女の頃に夢中で読んだ寺山修司とのコラボの新書館の詩集、どうしても、私は死ぬまであの頃の宇野亞喜良さんが見せてくれた気だるくて妖しい夢から抜け出せない。

宇野亞喜良さんと奥様の美恵子さんが到着し、訳者の佐藤亨さんと一緒に『オールド・ポッサムの抜け目なき猫たちの詩集』にサインしていただく。

Sdsc03472

サインしてくだっさている間、左手で、本を90度傾けて宇野亞喜良さんが描く線に、その時間にすべてを見逃さないように眼を集中していた。
Sdsc03818

ぞくぞくとお客さんが増えて、三枝子さんが「サイン会になってしまう」とおそれる。

宇野亞喜良さんと三枝子さんの沢渡朔さんが撮ったヒッピーぽい写真、最高に素敵で、大きなポスターにしたいくらい、と私が言うと、三枝子さんは「黒歴史よ~。でもあの頃があったから今が落ち着いていられるんだと思うわ~。」と。

三枝子さんは芸能界が合わなくて早くやめたかったそうだ。そして昔の原宿や表参道がどんなに素敵だったかのお話。

宇野亞喜良さんの絵はますます生気を帯び、華やかで、少女は愛らしく。

宇野亞喜良さんは正直で才能に溢れ、恐ろしく話が面白い。

劇団四季のミュージカル「ライオンキング」で、元の舞台では黒人が頭に草をつけて出てくる場面を、日本人が黒く塗らないでやったから面白くない、とか、「これ、文字読める?」とある本を開いて見せてくれて、ブックデザインがまずいことをはっきり指摘したり。

そういう芸術家そのものの宇野亞喜良さんのお話を聞いていると、私の心(頭)は嬉しくてたまらなく高揚する。

画家や文筆家でも、その道の「専門家」であって「芸術家」ではない人が多い。

この詩集はミュージカルCATSの原作になったものだが、宇野亞喜良さんはミュージカルとは違う、元の詩に寄せて、さらに元の詩からも少し違う宇野亞喜良独特のイメージを膨らませて自由に絵を描いておられる。
Sdsc03820

佐藤亨さんは日本エリオット協会の会長で、原作を生かした意欲的な新訳。

 

 

 

|

2023年5月24日 (水)

谷川俊太郎 絵本百貨展 立川

5月16日(火)晴れ

沢渡朔さんからチケットをいただいた「谷川俊太郎 絵本 百貨展」へ、友人と。

立川はおそろしく変わってしまっていた。GREEN SPRINGSという巨大な建物に驚いた。広い敷地内にある店はどれもおしゃれで高級。

その中のこれまた大きな美術館?で、絵本展というものに抱いていた予想よりずっと大きくてお金がかかっている感じ。

いくつかの絵本が、アニメーションなどで紹介されている。

そのなかで一番感動したのが、やはり谷川俊太郎さんの言葉と沢渡朔さんの写真でできている「なおみ」だ。

この展示は薄暗いところにひっそりと、そんなに大きくない写真と女性の朗読で構成されていて、とてもよかった。

実はこの絵本は、以前に谷川俊太郎先生のお宅に遊びに伺った時に、先生からいただいている。

「なおみ」は6歳の少女とおなじくらいの大きさの日本人形。

少女はなおみといつもふたりきり。海に行ったり、応えてくれないなおみを「きらい」だったり、そしてある日、なおみは病気になり、「なおみは しんだ」。

古い達磨時計。おかっぱの黒髪。物陰。洋館の窓の外。庭の緑。湿った匂い。少女となおみだけ。他に誰もいない世界。

沢渡朔さんの写真は幻想的なようで暗くなまっぽい。

子供の絵本にしてはとても異質な、覗いてはいけない秘密のような、なまめかしい体温。怖さ。妖しさ。

これは時の経過をテーマにした物語。そして恐ろしいほどの名作。

ほかにも戦争をテーマにした谷川さんの言葉とアイディアが生きている絵本、いのちと死、時間をテーマにした谷川俊太郎さんの言葉を、漫然とではなくリアルに感じてしまうとぞっとするような恐怖を感じるものが多かった。

しかし巨大で真新しいツルピカの建物に、私はどうしても居心地の悪さを感じてしまって寛げない。

私は昔の十二社(西新宿)のようにごちゃごちゃした小さな古い家や店がびっしり並んだ細い路地が好きだ。

錆びた看板や崩れた塀に植物が絡まるような風景や草ぼうぼうの空き地が好きだ。

そういうところの隅っこに面白いもの、不思議なものを発見しながら歩くとき、自分が自由である実感がある。

何もかも新しくきれいに作りあげられた空間では息が詰まる。

立川基地のあった頃に来られていればよかったのだけど・・。

それでも少しだけ残っていた古い扉、古い壁、古い看板、そういうものたちに出会えて楽しかった。

錆びた扉の下に青い矢車菊が満開。
Sdsc03394

古くて面白い建物が残っていた線路際。

Sdsc03418
髪の毛はどんどん抜けてだいぶ少なくなった。
Sdsc03443-2

Sdsc03454

|

2023年5月23日 (火)

眼から入ってくるもの、脳の疲労と意識、銀座奥野ビル

手術してからずっと脳の疲労がすごくてブログを書くのが遅れている。

ストレスを感じると眼の奥から後頭部が重く痛み、その場で昏睡しそうになる。

とにかく余計なおしゃべりが辛い。

脳が疲れると翌日は朝5時に目が覚め、そこから二度寝、三度寝をして10時間以上眠らないと頭が働かない。

5月11日に沢渡朔さんとお会いした。一昨日は宇野亞喜良さんとお会いした。

こども時代から本当にあこがれ続けた人たち。

その人たちの話を聞いている時は、すべてが芸術的示唆に満ちていて、さりげなくて正直なひとことひとことに最高に心がときめいた。

そういう時だけは幸せで傷の痛みも脳の疲労も取り除かれる気がする。

5月13日(土)

銀座奥野ビルの堀田展造写真展「無感覚物体」へ。

私にとっては知らない人だが、なぜ行く気になったかというと、4月にナツメ社気付でこの写真展の案内が送られて来たからだ。

「無感覚物体(phantom)=架空のダンス」という長い文章が印刷されてある。

文章の意味は何となく理解できたつもりだ。

「冷徹な非幻視の眼=写真」「架空と暗喩を暴く」「語を否定する語」「つねに取り残される暗喩の根深さ」・・・

案内状に書いてあったメルアドに、今は癌の手術後の痛みがあり、脳へのサイバーナイフを受けたばかりでエネルギーがないので、行けるかどうかわかりませんが・・・なぜ私にお送りくださったのでしょうか?と書いて送ったが返事は来なかった。

銀座に行くと酷く疲れそうで迷ったが、

名前で検索すると1945年生まれでずっと写真館をやっていた人であること、私の好きな奥野ビルでやっていることが行ってみる気になった理由だ。

奥野ビルの2回の端のギャラリー一兎庵。真っ暗な写真はビルと部屋の雰囲気にはあっていた。

挨拶して、なぜ私に案内を送ったのか(しかも水声社でなくナツメ社気付)尋ねてみると、

「なんでだろう。アルトーの関係かな?」と。

アルトーは出版記念のイベントに行っただけ。あと映画の中で朗読したけれど堀田さんが知るわけない。

「なんでだろう。ミステリーだね。」と言われ「はあ?」としか言いようがない。

「たぶんなにかで検索してブログを見て、変わってる人だなあ、すごくはっきりものを言う人だなあって思ったんだ。適当に出すわけない。」

そうですか。変わってるのは堀田さんのほうだ。強い文章と詩を書き、写真集をつくり、このエネルギーはなんなのだろう。

展示されている真っ黒な写真たち(ほとんど全部同じ)を見ていると、てきめんに脳が疲労してきた。

「無感覚物体」なのだから無感覚な写真を見せられて正解なのだろうが、私の身体(脳)はついついなんらかの感覚的な刺激、ときめき、快感、新鮮な驚き、感情などを求めてしまって、それが抑圧されると辛すぎて卒倒しそうになる。

哲学を勉強している人なら容易にわかり、軽くおしゃべりしあえるようなことを眼から入ってくる表現でやられると、私はものすごく疲弊する。テキストだけで十分なのに、と思ってしまうのだ。

たいていの人が私のように目で見る表現からストレスを受けることはない(ように私の長年の経験からは見える)。

絵にそれほど興味があるわけではないから、絵や眼から入っている表現に嫌悪や不快を催してしまう感覚がないからだ。

これは一般の人たちだけでなく、いわゆるお勉強のできる人たちも同じだ。言語や論理に精通している人たちはなおさら平気で無感覚な人が多い気がする。

まずい、すごく眠いと思いながら机の上にある過去の写真集を見せてもらった。

やはりどれも黒っぽい。喫茶店にいる奥様の写真も、暗いうえに左上と左下から三角色の闇が迫っている。

「この影は偶然?」と質問すると

「あとからフォトショップでやったんだ。デジカメの写真なんてフォトショップで作りこまないと意味ない。フォトショップが発売された頃からずっとパソコンでやってる。」と。

自分の頭が朦朧とするのがわかった。

夕暮れの海を撮った写真があった。「これは素敵ですね。雲の光がすごくきれいで、しかもカモメのすべてにぴったりピントが合ってる。」

「だいたいこの辺ていうところにピントを合わせて鳥が来るのを待った。」

この写真は私の好きな淋しげな海の景色で、私はその写真からポエジーを感じたから正直に素敵と言えた。

「少し上の方の階も見てきます」と部屋を出ようとすると、「福山さん、これ見て。定点観測。」と言われてデジカメの中にある奥野ビルの前で撮ったたくさんの写真を見せられたが、申し訳ないけれど「ああ・・」としか応えられなかった。

奥野ビルは昔は二つの並んだビルだったらしいです、と言うと「福山さんはその頃から生きてたりして。」と冗談を言われたが、疲れすぎて愛想笑いができない。

本当に精神のエネルギー切れ。

階段で上へ。6階までどんなになっているのか各部屋をちらりちらりと覗いてきた。

奥野ビルの素晴らしい古色の雰囲気とまったく合わない、とんでもなく酷い絵を飾ってある部屋もあった。仲間内の盛り上がりに入室できる空気もない。

一兎庵に戻ると谷昌親さんがいらしていて驚いた。

以前に詩人の浜田優さんと堀田さんがコラボ展をやった時からのお知り合いとのこと。

堀田さんが「写真やってる人たちが言うのは白黒の諧調とピントが合ってないと写真じゃないと。」というようなこを言って、

谷さんは「えっ?それじゃ森山大道がやったこうやってパシャパシャって撮ったのは写真じゃないってこと?」と。

私はもう質問する気力もなく、立っているのが不思議なくらい。

谷さんは、なにか写真論について書いた冊子を堀田さんに渡していらした。

「谷先生!写真とはなんですか?」と堀田さんが質問して、谷さんは「えっ・・これはロラン・バルトについて書いたものですけど、今の時代にそれがあてはまるかどうか・・」ともっともな対応。

堀田さんは帰り際に「福山さん、これ、もらってもらえるかな。」と私家版の詩集をくださった。

堀田さんは某哲学者が来てくれた、ととても喜んでいた。その人は写真の話はせずに、ずっと堀田さんが大学を卒業してから何をしていたかを聞いていたとという。

私も堀田さんの若い頃の話を聞けばよかった。個人の経験の話の方が写真論よりはるかに興味がある。

ちゃんと感想を言えなくて失礼だったかな、と気にしていたが、私の個展の時に来る人も絵の感想をひとこともくれず、どうでもいい雑談や、自分の話ばかりををしてくる人が多い。

そのことを私自身がすごく辛く思っているからこそ、他人の個展ではなにか感想を言わないと失礼だと思ってしまい、それがちゃんとできない自分がだめに思えて余計に精神が疲弊してしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

|

2023年5月17日 (水)

沢渡朔さんに写真を撮っていただく

5月11日(木)

沢渡朔さんに写真を撮っていただく日。

朝、ずっと見ないようにしていた右肺の中葉摘出の手術創を鏡に映して見た。

見たくなかったのは、毎日痛すぎて、傷を見ると余計に痛みを感じると思ったからだ。 

しかし鏡で見る実際の傷跡は感じていたよりはるかに小さく、思ったよりグロテスクでもない。

つまり実際の傷跡よりもずっと広範囲にビリビリと切り傷のような痛みを感じているのだ。

時折、傷の近くに釘で引っ掻かれるような痛みが走る。

がんセンターの頭頸科の主治医Y本先生が

「傷は小さい方が痛いんです。大きく切ると大きな神経も切断してしまうから痛みを感じない。でも身体には神経を殺さない方がいいに決まってる。だから一番身体に良い手術法を開発したんですね。そのかわり痛いけど・・。」

というようなことを言われていたが、この傷跡を見ても私がどれほど痛みに苦しんでいるか誰も想像できないだろう。

つまり小さく切ったところから手を突っ込んで肋骨を大きく押し広げた時に肋間神経を傷つけた痛みらしい。

・・

四谷三丁目で降りて緩い坂を下り、富久町の方へ歩くと、中華料理店から沢渡朔さんが出ていらっしゃるところに遭遇。

緊張しながら事務所まで一緒に歩く。成女学院の古い建物がすごく素敵ですね、と言うと「壊されないといいなあ。」と。

事務所に着く。とても久しぶり。

壁一面の本棚に、笠井爾示さんが笠井久子さんを撮った写真集『Stuttgart』の横に、私の画集も面展示してくださっていたので感激。

「本、宣伝してるよ。」と優しいお言葉。

大きなアンティークの木のテーブルでハーブティーをご馳走になり、20分くらいおしゃべりする。緊張。

「気持ちが決まったら、始めようか。」と言われて机を動かす。

古いマンションの少し粉っぽい質感の壁の前。

なんの照明もない。薄暗い自然光。少し開けた窓。

まずは近所の古着屋で1000円で購入した黒い木綿のワンピースを脱ぎ、背をそらしてタンクトップをを脱ぐ。

傷のある右脇の皮膚をぴんと伸ばすように。

次は裸になって黒いワンピースを羽織る。

その次はワンピースも脱いで裸になる。

その瞬間は信じられないほど自然で恥ずかしくない。

沢渡朔さんは私の少女時代からの最高の憧れの芸術家で、私にはすべてが、とても信頼できる方だから。

静かな対話の中で、そよそよ風のように誘導してくださり、

撮られる側をどんどん安心させていく沢渡さん。

停止と停止の間の動いている短い時間のニュアンスを撮る。

ポーズではない無防備で素の動き。

その場での偶然を巻き込み、さらに次の瞬間の偶然を動かし、展開する。

気が付くと外は雨だった。

その後、データをPCに送り、大きな画面で写真を選ぶ。

沢渡さんが「これいいんじゃない?」と言われるものに頷くが「自分でこれいいと思うもの言って。もう一度よく見て印つけて。」

と、沢渡さんははっきり自分の意見を言われるが、決して私の選択も否定しない。

何をするにしても「お互いが反応して共同作業で作品を作れたらいい」と言ってくださる。

・・

18年前に撮影したポジ(デジカメの波がやって来た頃、その時は沢渡さんはまだデジカメは嫌だとおっしゃっていた)を見せていただき、前に選んだ時に選んでいないものの中から数点を拾った。

この時も沢渡さんは私の好きな場所でいい、私の「絵の横に飾ってしっくりくるような場所で撮ろう」と言ってくださり、

私はたやすく行けない山の廃墟を選んだのだが、アシスタントさん二人と一緒にそこまで車で行ってくださった。

頃は3月の初め、気温は零度近く、凍えそうな暗い雨だった。

雨の中でアシスタントさんがレフ版をあててくださったような記憶がある。

廃墟の後は日暮れた多摩川で、大きな鳥籠のように枯れた樹の下に座ったり、芽吹いたばかりの点描の草たちの上に寝たり、

最後は小さなカメラでお互いに動きながら、沢渡さんはファインダーを覗かないで撮ったのにぴたりと構図が決まっていたのに感動したものだ。

私にとって本当に最高の夢のような思い出。

これから私はそれをなんとか形にしていかないといけない。

とりあえず今年10月の個展には何点かプリントを展示する予定だ。

 

・・

『Showa 35, JAPAN Hajime Sawatari 昭和三十五年、日本 』(マッチアンドカンパニー/MATCH AND COMPANY)という写真集を見せていただく。
Sdsc03335-2
「写真は全て昭和35年(1年間)に当時20歳の沢渡朔が日本で撮った写真である」

競馬場に群がる人々の見開きの写真には全体に透き通った鉱物の結晶のような夥しいひび割れの格子が見える。

その美しい格子は古いフィルムの黴だという。

沢渡朔さんがまだ学生だった頃の写真作品。

60年安保の時、警察の車に上って撮ったという闘争の写真、

基地の中のブランコに乗る黒人の少女、そのブランコの縄が切れて芝生の上に投げ出される瞬間、

ハロウィンの仮想のアンソールの絵のような行列、

東北の街角、ジャズミュージシャンのライブ、生家の向かいの火事、

激動の1年の、すごい熱量とクールなカメラの眼。

沢渡さんの写真は初めの頃から偶然を巻き込んで奇跡を起こす才能に溢れていて惚れ惚れする。

その頃から沢渡さんの親しかった綺羅星のような人たち、

宇野亞喜良さん、高橋睦郎さん、白石かずこさん、四谷シモンさん、寺山修司さん・・・そういう人たちのお話や

子供の頃、山形に疎開して戦争が終わって家に帰って来ようとしたら、家を貸していた文学者のI島さん(お父上の文学者仲間)がなかなか出て行こうとしなかったので山形に長くいることになったとか・・

沢渡さんはジムで汗を流すのが好き、野球(特にDeNA)を見るのが好きとか・・

今は最悪の時代、どんどん悪くなる、それでも自分が楽しいと思うことをやるしかない、とか・・・

 

帰りに立川で開催中の「谷川俊太郎 絵本百貨展」の招待券をくださった。

 

・・

 

帰り道、古い家並みを見つけてつい近寄ってみる。
Sdsc03361

114年も経っているという成女学院の建物。
Sdsc03345_20230516225101

この建物はとても素敵。
Sdsc03352

 

 

 

 

|

2023年5月14日 (日)

鵜飼哲『いくつもの砂漠、いくつもの夜 災厄の時代の喪と批評』

鵜飼哲さんの新刊『いくつもの砂漠、いくつもの夜 災厄の時代の喪と批評』(みすず書房)を4月末にご恵送いただいております。

この本には私の絵とエッセイ集への鵜飼さんの批評「もうひとつのリミット」、「現れざる言葉、あるいはオマージュへのオマージュ」が収載されるとともに、私の絵「枯れたチューリップ」(水彩)を入れてくださっています。鵜飼さんに深謝。

Sdsc03377

色校正を丹念にしてくださったみすず書房の編集者、尾方さんにも心より感謝です。

「枯れたチューリップ」は私の画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』にも入っています。

Sdsc03374

「しかしこの不毛性はなおも力の場であり、さまざまな砂漠と千と一の夜のイマージュを、隠匿し、磁化し、濾過し、配分するに十分なほど強力なのです。」  (鵜飼哲「いくつもの砂漠、いくつもの夜」より)

|

2023年5月12日 (金)

サイバーナイフによる脱毛

5月8日(月)

沢渡朔さんに電話。

肺の手術をしてから傷跡を撮っていただく約束をしていた。

サイバーナイフを受ける前に「もうすぐサイバーナイフを受けるので髪の毛が抜ける予定です。ヘアピースをつけた方がいいですかね。」と言った時、

「僕は女性の髪が抜けてるのも美しいと思うけどね。」とさらりと言われ、さすが沢渡さん、と感動した。

他の人に言われたらイラっと来るかもしれない言葉だが、沢渡さんの作品への共感と、過去の対話の積み重ねで沢渡さんの言葉に対する絶対的な信頼感があるので素直に嬉しかった。

きょう、「サイバーナイフ治療は終了したのですが、なぜか頭痛や吐き気、めまいもなくて・・・髪もまだあまり抜けてないような気がします。」と言ったら「今週の木曜あたりがいいんじゃない?」と言われ、11日に事務所に伺うことになった。

ところが、あれ・・ふとんや机の上にやたらに髪の毛が落ちているな、と思い、夜になって通常の抜け毛のレベルではないサイバーナイフ治療による抜け毛が始まったのだと確信する。

サイバーナイフ初日からだと19日目、サイバーナイフ5回終了日からだと13日目だが、

きっとサイバーナイフ初日から2週間めくらいから少しずつ抜けていたのだろう。

S町先生からは左上の腫瘍の部分が特に円形に禿げると言われていたが、現在は頭全体からぱらぱら抜け落ちているみたい。

これから左上の部分だけがさらに急激に抜けていくのだろうか?

髪が長いので梳かさないとくしゃくしゃになるのだが、特に後頭部の髪がまとまって抜ける感じで、後頭部の髪を梳かすのが怖い。

・・

首ががちがちに凝って少し頭痛がしたので4時から久しぶりにほぐしマッサージに行き、その後は卓球へ。

卓球で思い切り打つことに集中して動いている時だけ、手術創周辺の痛みを感じない。

手術後、大きく息を吸い込もうとしても胸が広がらなくて息がうまく吸えなかったのも、今は手術前と変わらない感覚で息が吸える。

5月9日(火)

手術創の周辺がまだ痛い。右胸の皮膚全体は軽いやけどのような痛み。

時々、ズキッと、あるいはビリッと強い痛みが走る。その時は痛いところの皮膚をぎゅっとつまむかさすり続けると少しよくなる。

鎮痛剤はタイレノール200mg2錠を一日3回、タリージェ5mgを一日2回。

頭は相変わらずぼうっとしていて、ミルクティーを飲もうとしてお湯を沸かし、ポットにティーバッグを入れ、牛乳を冷蔵庫から出したら、なぜかポットに沸騰したお湯ではなく冷たい牛乳を注いでしまい、はっと我に返ったりしている。

痛みのために脳が疲労しているのだと思うが、タリージェのせいで眠くなっているのもあるかもしれない。とにかく眠くて頭が回らない。

昨日より確実に多く髪が抜けてきている。

5月10日(水)

髪が抜けると言われた時は痛くないから大したことではないと思っていたが、いざまとまって抜けるのを見ると、予想よりはショックが大きい。

どこまで抜けてしまうのか不安になってくる。

アミノ酸シャンプーで髪を洗うが、いつものように頭皮マッサージはしないでお湯で流しただけ。

 

|

2023年5月10日 (水)

薬用植物園から国分寺

5月4日(木)

薬用植物園へ。連休だがそんなに混んでいなかった。

空気がカラカラ、土が白く乾いていて土埃が酷かった。

キソケイ(黄素馨)とツマグロヒョウモン。
Sdsc03156-2

日傘をさしていても強い陽光で頭が痛くなった。

日陰で休もうとするとメマトイ(目にまとわりついて涙をなめようとする小さなハエ)が目の中に入って来て痛い。まだ蚊が出てきていないことだけが救い。

帰りに久しぶりに国分寺に寄って散歩。夕方、陽が柔らかくなるにつれて私は元気になり、この季節は5時から6時の間の光が大好き。

南口の殿ヶ谷度庭園の脇の坂を下る。懐かしい中山ラビさんのお店「ほんやら洞」は営業していた。女性客が多かった。

マンションの地階の「アンティーク・アヴェニュー」の看板が今もあった(昔とは全部、店は変わってしまったが)。

昔、ここにあった西洋アンティークビスクドールの置いてある店やミリアム・ハスケル(ヴィンテージのコスチュームジュエリー)の店によく通っていた。

左の小さな坂を線路際に向かって上がると、なんと30年前と変わらず「珍屋(めずらしや、中古レコード屋さん)」が存在していたので感動。珍屋は一時、高円寺にもあったが、国分寺のここが本店。

Ssdsc03212

この坂を下ると右に曲がる道沿いに5,6軒のアンティークショップやしゃれた喫茶店があり、「よふかし通り」と呼ばれていた。

今、坂を下ったところにあるKOHOという植木屋さんのお店。

Ssdsc03228

KOHOの横にこの近くにあるENGRISH GARDEN ROSE CAFEの地図が貼ってあったので行ってみたが、休みで、庭園には入場できなかった。

Ssdsc03244

まだ髪は抜けない。

5月5日(金)

昨日、国分寺のお鷹の道はどうなっただろうかと気になったので、また国分寺へ。

西国分寺で降りて線路際の小山を上り、姿見の池散策道を歩いたが、なぜか行き止まりになっていて姿見の池に降りることができなかった。

駅の方へ戻り、陽光にじりじりする大通りを歩いて薬師堂へ。薬師堂の入り口でおじいさんに話しかけられ、言葉を交わす。

「昔はなんにもないところに(史跡の)石があるだけだったのに、レンガで囲んだり、酷いことになってる。センスが悪いんだよねえ。」

「そうですか。私は30年くらい前によく来ていたんですが、このあたりはコスモス畑があって、大きな農家がたくさんあって素敵でしたよねえ。」

「30年前ならすごく変わっちゃったなあ。」

武蔵国分寺の万葉植物園は変わっていなかった。山門も。

そこからお鷹の道に入る。

お鷹の道自体は変わっていないのだが、両脇の民家が全部変わっていた。

本多家の長屋門は市の重要有形文化財になってるようだが、このほかに2,3軒あった本多さん宅は巨大な庭の中に古い巨大な木造の家があったような・・萱葺屋根だったような気もするが・・その100年くらいは経ていそうな住宅が無くなっている気がする・・。

それを見て小学校低学年の時に祖母の田舎に連れて行ってもらった時のような感動があり、東京にまだこんな場所があったのかと驚愕したものだ。

真姿の池のすぐ手前の農家、湧き水のところの農家は変わっていなかった。

手前の農家では柑橘の花が満開で、むせかえるような甘い匂い。庭で無人販売で売られていた小さな泥だらけの苺を買った。

Sdsc03283

湧き水のところの農家は昔と同じく細い大根や里芋を売っていた。

カワニナを育てている用水路が終わり、不動橋に出るまでの道も両脇の家並が恐ろしいほど変わっていた。

昔は広い庭と生垣のある農家が連なっていて、それはそれは素敵だったのになんとも淋しい。

国分寺駅に戻り、北口を散策。バスターミナルができて景観は全く変わった。

北口の商店街に築80年くらい?の木の家が残っていて、昔のブリキの商店街地図が貼ってあった。

これは私が大学に通っていた頃の商店街のような気がする。

Sdsc03324-1

 

 

 

 

|

2023年5月 6日 (土)

がんセンターの検診(呼吸器外科、頭頸科、放射線科)

5月2日(火)

朝からがんセンターへ。

まずレントゲンと血液検査。

呼吸器外科のY倉先生の検診。とにかく手術創付近と右前胸全体の皮膚が常にヒリヒリジンジン痛いと伝える。

神経を切った痛みは半年くらい続くそうだ。

レントゲンの状態はよいとのこと(そういえば手術後に出ると言われていた咳も痰も出ていない)。

肺も膨らんでいる、次の時に肺活量を測ってみましょうと。

重いものを持つ筋トレはよくないが、卓球くらいの運動はちょうどよいとのこと。

次に頭頸科のY本先生との面談。

抗癌剤(分子標的薬)レンバチニブの説明。吐き気、倦怠感、食欲不振と高血圧の副作用がある。

A井先生は、レンバチニブによって脳の血管が切れてしまった患者さんたちが、がんセンターから鎌ヶ谷の病院のホスピスに送られてきていると言っていて、そうとう恐ろしい薬という印象だったが、Y本先生は高血圧は降圧剤でコントロールできると言う。

この薬を始めたら効かなくなるまでずっと飲まなければならない。

この薬は、今、肺などにある転移を消すのではなく、これ以上大きくしない効果があるだけと聞いて、それであれば肺の転移が大きくなるまでは飲みたくないとこたえた。

さらに放射線科のS町先生との面談。

サイバーナイフの副作用である頭痛、吐き気、めまい、ふらつきなどは出なかったが、ただただ眠いと伝える(これはサイバーナイフの前、手術してからずっと)。

頭の皮膚の痛みやかゆみも特に感じない。これから少しずつ脱毛してくるとのこと。

本当に脳が疲労していて言葉を発することも億劫、PCを開くことさえ苦痛。なにひとつてきぱきとできない。

4月27日(木)

春女苑の群生。
Sdsc02897

 

|

« 2023年4月 | トップページ | 2023年6月 »