個展開催中 新高円寺駅すぐのGALLERY工にて
10月26日(木)
きょうもいろんなお客様がいらしてくださった。
最初のほうにいつもメールでおしゃべりしてくれるAちゃん。気取りのない友達が来てくれてほっと一息。
イタリアの現代思想の紹介で著名な、私が感動したアガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』を訳された上村忠男先生、シモーヌ・ヴェイユの思想から現代への鋭い問いかけをされている今村純子さんと。
今村純子さんはずっとお会いしたかったかたで、今村さんも私のブログを読んでくださっていたと知ってびっくり。
しかも私を知っていただいた最初が、映画だったと知って本当にびっくり。
谷川俊太郎さん事務所の川口恵子さん。
肺の手術の時に猫2匹を預かってくれたSさん。Sさんはうちの3匹の命の恩人(拾い主)。
6時50分くらいになり、ひとりでビールを飲んでいたらお客様が来られた。誰かわからなかったが、芳名帳へのサインを見たら美大でのI先輩だった。
ご案内をお送りしたS先輩からメールで私の個展のことを知らされたという。
お顔ははっきり覚えていたが年も離れていてあまり深く話したこともない先輩が、ご案内ハガキに書かれていた私の病気のことを心配してわざわざ個展を見に来てくださったので感激した。
何十年も時を経て、いきなり心を割ってお話できていることが信じられなかった。
10月25日(水)
個展初日。
最初に私よりずっと年上だが美大の懐かしい同級生が来てくれた。恩師のお葬式以来、10数年ぶりに再会。
彼の絵は私とはまったく違うタイプの絵(性格もまったく違う)なのに、私が自分で一番気に入っていて非売にしている絵をぴたりと当てた。
「こういう画面から血の滲むような感じ。体質だと思う。そこが毛利先生に似ている。」と言われた。
荻窪の古書店のNさん。とても長い時間、熱心に見てくださり、絵の感想をくださった。
そしてかな書道の先生。「ひとつのことを徹底してやり続けるのはすごいことね。」と言われた。
『戦争と児童文学』(みすず書房)の著者、繁内理恵さんと友人のぱせりさん。繁内さんとも初対面だがいろいろお話を伺って感激。
もう何十年もお会いしていない美大のU先輩も。容貌はすっかり貫禄になられていたが、絵に対する気持ちは変わらず。
卓球のおともだち。(私は、肺の手術後半年は卓球は無理、と主治医に言われていたのだが、1か月後には痛む傷口を左手で押さえながら卓球に復活していた。すごくへたなのだが、卓球をやっていると癌のことを忘れられるので。)
画家の伊藤ゲンさんに花かごをいただいた。
夕方に鵜飼哲さんとみすず書房の尾方邦雄さん、筑摩書房の大山悦子さんが来られた。
みすず書房の尾方さんは、鵜飼さんがみすずから出された論文集『いくつもの夜、いくつもの砂漠』に、私の仕事について鵜飼さんが論じた文章が、私の絵とともに収録されることになったときのご縁で。
(収録されているのは、私のエッセイ集『反絵、触れる、けだもののフラボン』についての文章と画集『花裂ける、廃絵逆めぐり』のための文章の2本です。)
筑摩書房の大山さんは、もうすぐ、ちくま学芸文庫として刊行される鵜飼さん訳のジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』の巻末に付される、私が書かせていただいたエッセイの担当編集さん。
ちなみに、今回の個展のタイトル「応鳴、息の犇めき」は、そのエッセイのタイトルから借り受けてきています。
鵜飼さんはこのあと芸大での「イスラエル・ハマス戦争をめぐる討議vol. 01」に向かわれた。
ポルトリブレで知り合った絵描きの太田国穂さんも。「わびさびは金属が錆びるのと同じ語源だと思う。人間も錆びる。さびは出そうと思って出せるものではない。錆びを持っているというのはすごいことだ。」
10月24日(火)
GALLERY工で個展の設営。
たいへん難しかったが、午後3時過ぎに足利市立美術館の篠原さんがいらして、プロのワザで設営を手伝ってくださった。
数多い小品の位置決め、写真の展示の方法や位置決め、照明の調整など、今まで数百の展示をやってきた篠原さんの手慣れた要領でどんどん進んだ。
まさか公立美術館の学芸員さんに個展の設営をやっていただくとは思わなかった。心より感謝。
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