宇野昌磨 2023NHK杯
宇野昌磨、NHK杯の個人的感想。
宇野昌磨は今季の目標として「自己満足」と言った。
自己満足というのは他人の評価を気にしないという意味を含むので、たぶん言葉の的確な用い方としては違うのだろう。
ジャンプの難度ばかりが評価されるのではない、自分の内側で出会われる未知の身体がまずは自分を感動させること、
それと同時に、それが他者の心を強く揺さぶる表現となって顕れること、
これから先のフィギュアスケートのありかたとして、卓越した表現が評価されるようであってほしい、という願いのこもった言葉だと思う。
SPもFPもあえて静謐な曲を選び、音楽が駆り立てる情動の助けを借りず、
ひんやりした透明な空気の中にすべての動きを際立たせ、強烈に焼き付けるという挑戦。
フィギュアスケートの真髄としての、スポーツでありながらの詩、
宇野昌磨選手はそのレヴェルにまで到達したのだとしか思えない。
それほど彼の表現はひとり隔絶していた。
SP映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』より
湖の面に白い靄が立ち籠めるような冷気。
異語(グロソラリア)のように、アイラビュ、アイラビュという意味のわからない誰かの囁きは反響し、温かい息は白く凍りながら光る。
誰もいない静けさの中で激しく大きく躍動するステップ。
この世ならぬ光を受けて、靄と息が無数の煌く粒を散らす。
明らかに中国杯の時よりも大きく速く明確な動き。
見る者を黙らせる彼だけの表現の世界。
FP『Timelapse』 ~ アルヴォ・ペルト(作曲)『鏡の中の鏡』
構成を変えて来たことからも、芸術性を高めるだけでなく、本気で勝ちに来たことに胸が高鳴った。
始まる前のまっすぐな眼。不安でも緊張でもなく、ただこの瞬間に集中した表情。
音楽が始まり、静けさのなかで彼の気持ちがさざめき、沸き立つのがわかる。
きれいな4Lo。
抑制されながらもなめらかで華麗な動き。
4F。
3A.
3A-2A。
冷静なリカバリー・・
後半のアルヴォ・ペルトの楽曲はさらに静謐で張りつめた空気の3拍子。
沈黙や静寂そのものであり、激しさでもある。
鏡の中の鏡には自我が消えたフィギュアスケートの真髄だけが映し出されるように。
彼だけの身体表現の極致。
終わった時の「やった!」という笑顔。シュテファンコーチの高い歓声。
満足したシュテファンコーチに抱きしめられ安堵の表情。
キスクラに座った時の3人で手のひらを合わせて喜び合う仕草。
すべてが祝福に満ち、200点越えでの3連覇かと思った。
が、そうではなくて、なんともやるせない結果となった。
誰よりも高難度のことをやっていて、ジャンプも美しく(大きな乱れも転倒もなく)、他の選手とは明らかに次元の違う技と表現の両立、
それが点数としては評価されない。
浅田真央選手の『鐘』の時を思い出して辛い気持ちになった。
以前なら大きな加点がついていたジャンプが、急に加点ゼロになる理不尽さ。
本人が
「言えることは今日のジャンプ以上を練習でもできる気がしない。」と言っているのだから、なんらミスはしていないのだろう。
「やってきたことを体現出来た良い試合だったと思いますし、僕の過去を見てもこのような良い演技っていうのは数数えられるくらいしかないって演技をできたと僕は思う」
私も最高の演技だと思った。だから悲しい。
宇野昌磨選手は自己保身や自己愛のために何かを言う人ではない。
判定している側からの、フィギュアスケート競技のありかたとして目指す方向性と、判定結果の明確な説明がほしいところだ。
彼が「ジャンプだけではなくもっと表現を」「まず自分が満足して、見る人も感動する演技」と言ったことが実現されたはずなのに、
今回の結果としてはまったく逆に、ジャンプ(の飛び方、降り方)ばかりが厳密に(?)ジャッジされたことが本当に残念でならない。
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