宇野昌磨 2023全日本フリー「Timelapse」~「鏡の中の鏡」
国花としてではなく、真冬の凍った空気の中の明滅としての菊(途中)
FP「Timelapse」~「鏡の中の鏡」
「Timelapse」は、映画やテレビドラマの音楽を多く手がけているスウェーデンの作曲家ウーノ・ヘルメション(ウノ・ヘルマーソン)による作品。
「鏡の中の鏡」は、世界的に有名なエストニア生まれの作曲家アルヴォ・ペルトの作品。
「Timelapse」は一定間隔をあけて撮影した静止画を重ね合わせて動画をつくること(「コマ送り」)。
「鏡の中の鏡」は、文字通り、鏡に鏡を重ね合わせ、鏡に鏡を映すこと、あるいはつまり何も映さないこと。
「鏡の中の鏡」はもちろん、「Timelapse」にしろ、「瞬間」という前後を切り取られた、限りなく無に近い時間の幅に掬いとられたイメージをつなげることで
存在するものはなぜ出現するのか、それ(存在するもの)は本当に存在しているのかと問いかけてくる。
音楽というのは概して形而上学(メタフィジックス)と親和性が高いものだが、
それにしても「Timelapse」と「鏡の中の鏡」はどちらも、そうした音楽の真髄を探求した、きわめて形而上学的な作品と言えそうだ。
あらためてこの時期のフリーに「Timelapse」と「鏡の中の鏡」の2曲を持ってきたことにしびれる。
この2曲を演じることで、スケーターの形而下(フィジックス)にある身体は、身体そのものの限界へ、身体の超出(メタ)の寸前の境界へと連れて行かれる。
「Timelapse」で無の瞬間に消え入ろうとするおのれの身体をかろうじてこの世につなぎ止められていた宇野昌磨の精神力は、
「鏡の中の鏡」に入って、さらに苛烈な戦いを挑む。
ふいに投げ出される静寂の中に、異次元の作品世界。
透明なだけではない重み。
白く明るい光の中の透徹した動的結晶。
淡々とすごいものを見せつける。
聞いただれもが首をひねった宇野選手の今年の目標「自己満足」。
それは、宇野昌磨が自分の演技の中で、「生」の密度が最も極まった瞬間を感じとりたい、という願望のあらわれだったことを、彼の滑りを見た私たちは理解した。
当たり前だが、彼だけが別次元だと今更ながらに思い知らされるのだ。
「美とは痙攣的なものだろう、さもなくば存在しないだろう。 」
ブルトンの小説『ナジャ』の最後のこの言葉を、私は思い出した。
男子フリーの白熱勝負は素晴らしかった。
皆が気迫のこもった沸騰するほどの演技の中の最終滑走で、宇野昌磨選手が彼らしい演技で優勝できたことは本当に嬉しい。
世界フィギュアでは一層の完成度で素晴らしいものを見せてくれると信じている。
点数や勝敗のことはあまり書きたくないけれど、正直、世界では優勝してほしい。
高難度ジャンプばかりが高得点というフィギュアに疑問を投じる宇野昌磨の意志がジャッジ評価として認められて欲しいと思う。
芸術性に点数をつけるのが困難なのは、技術と違って客観性(間主観性)の基準がないからだ。
誰が芸術性を評価出来得るのかという問題になる。
それでもやはり、もっと芸術性の評価の幅を広げて、点数の比重を大きくしてくれたらと思う。
現状では宇野昌磨の最も評価されるべき面が点数に反映されていない。
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