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2023年12月

2023年12月27日 (水)

宇野昌磨 2023全日本フリー「Timelapse」~「鏡の中の鏡」

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国花としてではなく、真冬の凍った空気の中の明滅としての菊(途中)

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FP「Timelapse」~「鏡の中の鏡」

「Timelapse」は、映画やテレビドラマの音楽を多く手がけているスウェーデンの作曲家ウーノ・ヘルメション(ウノ・ヘルマーソン)による作品。

「鏡の中の鏡」は、世界的に有名なエストニア生まれの作曲家アルヴォ・ペルトの作品。

「Timelapse」は一定間隔をあけて撮影した静止画を重ね合わせて動画をつくること(「コマ送り」)。

「鏡の中の鏡」は、文字通り、鏡に鏡を重ね合わせ、鏡に鏡を映すこと、あるいはつまり何も映さないこと。

「鏡の中の鏡」はもちろん、「Timelapse」にしろ、「瞬間」という前後を切り取られた、限りなく無に近い時間の幅に掬いとられたイメージをつなげることで

存在するものはなぜ出現するのか、それ(存在するもの)は本当に存在しているのかと問いかけてくる。

音楽というのは概して形而上学(メタフィジックス)と親和性が高いものだが、

それにしても「Timelapse」と「鏡の中の鏡」はどちらも、そうした音楽の真髄を探求した、きわめて形而上学的な作品と言えそうだ。

あらためてこの時期のフリーに「Timelapse」と「鏡の中の鏡」の2曲を持ってきたことにしびれる。

この2曲を演じることで、スケーターの形而下(フィジックス)にある身体は、身体そのものの限界へ、身体の超出(メタ)の寸前の境界へと連れて行かれる。

「Timelapse」で無の瞬間に消え入ろうとするおのれの身体をかろうじてこの世につなぎ止められていた宇野昌磨の精神力は、

「鏡の中の鏡」に入って、さらに苛烈な戦いを挑む。

ふいに投げ出される静寂の中に、異次元の作品世界。

透明なだけではない重み。

白く明るい光の中の透徹した動的結晶。

淡々とすごいものを見せつける。

 

聞いただれもが首をひねった宇野選手の今年の目標「自己満足」。

それは、宇野昌磨が自分の演技の中で、「生」の密度が最も極まった瞬間を感じとりたい、という願望のあらわれだったことを、彼の滑りを見た私たちは理解した。

当たり前だが、彼だけが別次元だと今更ながらに思い知らされるのだ。

「美とは痙攣的なものだろう、さもなくば存在しないだろう。 」

ブルトンの小説『ナジャ』の最後のこの言葉を、私は思い出した。

 

男子フリーの白熱勝負は素晴らしかった。

皆が気迫のこもった沸騰するほどの演技の中の最終滑走で、宇野昌磨選手が彼らしい演技で優勝できたことは本当に嬉しい。

世界フィギュアでは一層の完成度で素晴らしいものを見せてくれると信じている。

点数や勝敗のことはあまり書きたくないけれど、正直、世界では優勝してほしい。

高難度ジャンプばかりが高得点というフィギュアに疑問を投じる宇野昌磨の意志がジャッジ評価として認められて欲しいと思う。

芸術性に点数をつけるのが困難なのは、技術と違って客観性(間主観性)の基準がないからだ。

誰が芸術性を評価出来得るのかという問題になる。

それでもやはり、もっと芸術性の評価の幅を広げて、点数の比重を大きくしてくれたらと思う。

現状では宇野昌磨の最も評価されるべき面が点数に反映されていない。

 

 

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2023年12月22日 (金)

鎌ヶ谷の病院

12月22日(金)

千葉の鎌ヶ谷の病院で、元の主治医A井先生の診察(体調の近況報告)。

10月のがんセンターの検査で脳の右上に新に見つかった1、2mmほどの転移が、11月21日の脳のMRIでは3mmになっていたことについて、

放射線科のS町先生に「すぐにサイバーナイフをやりますか」と言われて、その日のうちに顔の固定用お面を作成しようとしたら放射線技師さんに「機械の放射線放出の穴が7mmなので、腫瘍が小さすぎて当てられない」と止められた件、

A井先生は「いくらなんでも早すぎる。そんな小さいうちにサイバーナイフを考えるような例はないです」と言われた。

甲状腺ではない癌では脳転移によって周りに浮腫が出る場合があるが、甲状腺癌では増大もゆっくりだから、とりあえず具合が悪くなっていない限り様子を見るのが普通と。

4月に頭の左側2か所にサイバーナイフを受けた時には右側の転移は小さすぎて検査に引っかからなかったのだろうと。

肺の転移が完全に切除できなくて存在する限り、体中のどこかにいろいろ転移も出てくるが、痛みや苦しさがないかぎり、とりあえず様子を見るとのこと。

今ある小さな転移に関してはあまり気にしないこと。気にしすぎるとストレスがかかるからだめ。

適度に運動して体力をつけ、免疫を上げれば転移の増大もゆっくりになると。

私の性格として、運動でもなんでも夢中になると飲食を忘れてやりすぎるので、とにかく食事をちゃんとして疲れすぎないこと、と言われた。

・・

今年は1月に「肺転移の一部が増大している」とA井先生に言われ、何を言われているかわからないくらい事実が受け止められなかったのだけど。

それから国立がんセンター中央病院のA井先生の後輩のY本先生を紹介してくださり、
甲状腺癌からの肺の粟粒状転移で肺の一部を切除するのは前例がないと言われていたが
とんとんと手術となった。

3月の手術自体はものすごく痛いものだったが、成功。

(腫瘍が気管支の太い神経に近いとか心臓にくっついているとか言われていたが、手術後の経過は良好)

4月には左脳の2カ所に2日かけてサイバーナイフを受ける。

(サイバーナイフ後、吐き気、めまいや、脳の運動をつかさどるところに損傷を受けて手の不随意運動が起きると言われていたのにまったく副作用無し。)

私にとっては本当に怒涛の一年だったが、

奇跡的に延命できているのも、A井先生が右肺の中葉切除を提案してくださったおかげだ。

昔、最初の甲状腺がん摘出の手術の時に、当時国立がんセンターの頭頸科部長だったA井先生に執刀していただいたのも、まったくの偶然。

誰かに紹介してもらったわけでもなく、たまたまがんセンターに行った日にA井先生に当たった。

A井先生に首を触診されて「おそらく甲状腺癌ですね」と言われた時のこと、はっきりと覚えている。

甲状腺と副甲状腺を切除し、さらに左の声帯の神経に癌が絡まっていたので切らざるを得なかったが、それによってすごく低くてこもった声になると言われていたのに、(何か月かは声が出なくて苦しんだが)そんなに低い声にもならず。

この前、斎藤哲夫さんとカフェで病気の話をしていた時に

「何から何までものすごく運がいいね」と言われ、

本当にそうだな、と自分の今までを不思議に思った。

A井先生をはじめ、Y本先生、Y倉先生、看護師さんたち、今まで治療に携わって下さったすべての人にはどんなに感謝してもしきれない。

 

 

 

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2023年12月21日 (木)

Sさん宅の猫、下北沢 / 上村忠男さん

12月21日(木)

上村忠男さんからメールをいただく。

『みすず』2023年読書アンケートへの回答文(冊子は2024年2月に刊行)に、鵜飼さんの最近書『いくつもの砂漠、いくつもの夜――災厄の時代の喪と批評』(みすず書房、二〇二三年)に収録されている私の本について書かれた文章について言及してくださったとのこと。

12月20日(水)

Sさん(うちの3匹を最初に保護してくれたかた)宅のタビちゃんに会いに行く。

タビちゃんの絵を描く約束をしたので、写真だけではなく実際に会いたかった。

タビちゃんはSさんが保護団体から譲り受けた猫で、メインクーンだが後ろ左足先端が欠損の(ブリーダーが売ることができなくなって保護団体に行った)子。

タビちゃんはメインクーンにしては大きくない。うちのちゅびおよりも軽い。

もう一匹、一時預かりだがもう1年半もいるというシマちゃんと仲良くしていた。

二匹を見るとうちの子たちとは大違い。同じく保護猫だが大人しい。おやつをねだったりもしないそう。

うちの子たちがいかに毎日ドタバタ大騒ぎしているかを痛感。

帰りに下北沢まで歩いた。

駅の南側、茶沢通りに出る。昔は露崎商店やら何軒ものアンティーク屋が連なっていたあたりを歩くとものすごい淋しさに襲われる。

駅の東側、ロックンロールバー・トラブルピーチ。そしてカラオケチイと本多スタジオのあるビル、ここだけぽつっと残っている。Sdsc07040_20231221223501

下北沢全体があまりに酷い破壊のされ方で、昔の記憶をたどって歩くのが難しい。方向感覚がおかしくなる。

ピーコックの入っている下北沢駅前共同ビルでトイレを借りる。4階にはいろんな劇団が入っていた。

北口にあった駅前食品市場(闇市の名残)が無い。

駅ビルにあったアンティークLIMONE、古いトランクが並んでいたお店は南口に移転したらしい。

北沢2丁目の北沢ビル。このビルはまだ存在している。
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3階まで外の階段を上がってみた。隣の建物も古い。

 

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2023年12月13日 (水)

斉藤哲夫さんに連れられて遠藤賢司さん宅へ

12月13日(水)快晴16℃

一週間くらい前の夜9時頃、私には珍しくケイタイ番号から電話があり、

「俺だよ。哲夫!」と言われて一瞬誰だかわからなかったが斉藤哲夫さんだった。

私の個展の時に約束したとおり、遠藤賢司さん宅に連れて行ってくれるという。

今日、昼の12時半に某駅の改札で待ち合わせ。

まずはドトールでお茶を飲みながらお互いの病気の近況を聞きあう。

それから10分ほど歩いて遠藤邸へ。

昭和の古くて個性的な作りのお家。白い木の窓枠。

「古」とつくものが大好きでいろいろ収集していた(私と同じだ)エンケンさんの感性がすごくしっくりきて感動。

玄関の中には黄色い木の雪印牛乳の配達箱。それと小さな猫の人形がいっぱい。

家に上がらせていただくと洋猫の混じった三毛の女の子ちゃんが迎えてくれた。お客に興味を持つが引掻くので注意とのこと。

はいってすぐのお部屋に遠藤賢司さんのお骨の箱があり、

そのまわりにはやはり小さな人形やら深大寺の角大師のお守り袋やら秋田の犬のかたちの飴人形やら張り子人形やら細かいものたちが

釈迦涅槃図の釈迦のまわりの動物たちのようにはべっている。

でも悲しそうではなくいつも一緒に、生き生きとして。

後ろの壁にはエンケンさんの写真がびっしり。

70年くらいの長い髪を真ん中分けにしてかわいい猫を抱き上げたエンケンさんの写真や、歴代猫やライブの写真や着物を着た写真や・・・。

それらの温かさとにぎやかな熱さとかわいさで、(来る前は泣いてしまうと予想していたのに)

もう亡くなっていることが信じられなくて、涙が出なかった。

ぐるりの棚にはたくさんのレコード、CD、記録のファイル、スケッチブック、そしてまだまだ猫のぬいぐるみや人形。

スケッチブックにはずっと詩や日記を書いておられたそうで「貴重」と表紙に書かれてある60年代の学生時代のノートなど見せていただいた。

学生時代のいろんな女の子の名前が出てくるたくさんの恋の詩とか、音符ひとつひとつが猫の顔になっている楽譜とか・・・

ご家族はエンケンさんの残したギターの話をされて、私はギターの名前(品番)を聞いてもちんぷんかんぷんだが、哲夫さんはもちろんよくわかってらした。

大切に有効に使ってくれる人に譲りたいと。

エンケンさんより年下のしっかりした(エンケンさんを敬愛する)アーティストのかたたちは、ネットで調べて適切な値段で買い取ってくれたが、

エンケンさんと同世代の友人は借りると言って持って行ってそのままの人もいると。

2020年に新宿のビームスでポップアップショップ「エンケン商店」が開催され、派手な衣装やブーツなどもろもろのものが売れたという。

知っていたら絶対に行っていたのに残念。

2021年にはディスクユニオンでポップアップショップが、ここでもエンケンさんの収集した数々のものが売られていたのに知らなくて残念。

そして今年の秋には新宿のポップアップギャラリーでポスター展があったらしい。

ご家族に私の名刺をお渡ししたら、私の名前をご存じだった。

エンケンさんが私の展覧会に来てくださったことをお話されていて「いい絵をかくんだ」と言ってくださっていたと聞いて感激。

エンケンさんが昔にくださったおはがきを、私はずっと大切に持っている。

私が描いたアネモネの絵を「美しいなあ~。ずっと机の上に飾ってるよ。」と書いてくださった。

今日はなんとも感慨深い一日だった。

エンケンさんのかわいがっていた猫ちゃん。
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斉藤哲夫さんはしょっちゅう高円寺に来られるので、今度、私の絵をかくところを見たいと言われた。

 

 

 

 

 

 

 

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2023年12月 8日 (金)

Mさんと小料理屋へ

12月2日(土)

絵描きのMさんに高円寺の小料理屋へ連れて行っていただく。

この小さな店は料理がおいしくてひっきりなしにお客が来て、そのたびにおかみさんが「すみません、満杯で」とことわっていた。

Mさんは気さくなかたで、人気者で、お店でも「Mさんですよね」とたびたびお客さんから声をかけられる。

Mさんが熱燗を次々と頼んでくれて、私は手術前の断酒からお酒が弱くなったはずなのに、おいしくてついつい飲んでしまう。

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共通の知人、かつては二人とも懇意な付き合いがあり、今は付き合いが無いKのことがつい話にのぼる。

KはかつてMさんも私も、その才能に惹かれてつきあっていた人。

けれど今は一切つきあいがない。

Mさんは、彼が自己中心的だから、結局は誰でも離れていくと言った。

彼は誰にも真似できない絵を描いた。

熾烈でグロテスクで詩的。狂気と優美。

私はMの描く線、真っ白い背景にすーっと引かれた少ない線の選び方に強く惹かれた。

最初に電話で話した時のKは非常に人懐こくて魅力的だった。

初めて会った日、彼は自分のよき理解者に巡り合えた奇跡のように喜んでいた。

彼と一緒に見た絵や映画、彼が端的に、感覚的にそれらを評する言葉に私は興味があった。

何を見ても彼ははっきりしていた。ものの見方が確立していた。

つまらないものは一瞬でまったく見る価値無し。感覚に訴えるもの、広い世界を想像力で見せるものを好んでいた。

彼は芸術的なものとはどんなものか、私に考えさせてくれたひとりだ。

Kは作品の中に何度か私を描いてくれた。

けれど彼はあまりに絵に時間がかかりすぎて労力に見合ったお金を得ることができないから、また彼の絵が広く一般に受け入れられることはないから、いつも彼に同情した誰かに助けてもらうことになる。

その甘えかた、もたれかかりかたが言語化されなくて、うやむやになるところが嫌だった。

激しすぎるルサンチマン、恨みつらみをすべて絵の中に、彼一流の丹精こめたやりかたで凝結できることが彼の才能なのだけれど、

彼を受け入れない世の中を嫌悪している分、彼を支持してくれる数少ない人には限度なく甘えてしまう。

彼が嫌いなものへの憎悪の激しさ、自分に共感を求める激しさ、私がほかの作家に惹かれる時の強すぎる嫉妬。

しかし私もまた、内側は激しく、よいと思えないことに合わせるのは苦痛だし、ある種の欺瞞や卑劣さに対しては我慢できないところがある。

彼と一緒にいると作家としての自分が殺されてしまう。

立場は違うけれどきっとMさんも同じような思いをしたのだと思う。

2軒目に連れていっていただいた高円寺北のバー。
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2023年12月 1日 (金)

多摩川

11月29日(水)

多摩川へ冬の初めの色づいた植物たちを見に行く。

川べりの建物にあった黒い一反木綿の眼をしたぬりかべのようなイラスト。
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黄色に光る葛の葉。
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叢にカヤネズミの巣らしきもの。
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浅瀬に並んでいるサギたち。
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アメリカセンダングサの棘(種子)が今ピークで、少し叢を歩いただけでびっしり服やバッグや靴に突き刺さってしまう。

あまりに繁殖していたので、水際まで進めなかった。

野葡萄の紅葉。
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あっというまに日が落ちた。
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橋の上からの多摩川。
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沢渡朔さんと町口景さんと打ち合わせ

11月28日(火)

沢渡朔さんの事務所で、沢渡さんと町口景さんと本づくりの打ち合わせ。

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沢渡朔さんは、最近、昔いろんな人からもらったたくさんの写真集を一冊ずつ見返していると言われた。

「60年代、70年代の本は素晴らしい。本人の文章もいい。昔、もらった時はちゃんと読めなかったから今、ちゃんと読んでる。」と。

本棚にはお宝本がいっぱい。特に下の段の本は超大判の豪華な本だ。

茶色に変色した色紙も飾られていて、誰のサインですか?と尋ねると、高倉健さんだという。

手前は等身大の四谷シモンの人形。

クッションに頭をのせている女性の写真はナディア。

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