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2024年1月

2024年1月21日 (日)

分子標的薬の話

1月19日(金)

国立がんセンター中央病院、内科のH間先生に薬の話を聞く。

最初にご挨拶し、「僕は昔外科でA井先生に指導を受けてたんですよ」と言われて驚く。

抗癌剤よりも先に分子標的薬をやるということ。

分子標的薬は抗癌剤よりは副作用が軽い。

甲状腺癌に効く分子標的薬の種類

1.BRAF  V600E遺伝子変異(全体の80%)タラブフェニブ・トラメチニブ

2.RET  融合遺伝子(10~20%)セルベルカチニブ(2023年11月承認)

3.NTRR 融合遺伝子(2~3%)ラロノルクチニブ・エヌトレクチニブ(2022年承認)

4.ALK 融合遺伝子(2~3%)未承認(臨床試験)

1のBRAFは脳には効かないが、2~4の薬は脳にも効くし、1よりも長く使うことができるとのこと。

1は他の検査、MEBGENが必要

4は遺伝子パネル検査が必要

(面談要旨の紙に先生が書いてくれた字が判読できないので、間違っているかもしれない。)

私は手術後に分子標的薬は陰性と聞いて、もう抗癌剤(レンバニチブ)しか治療法はないと思っていたのだが、

手術後には摘出した腫瘍の簡易な遺伝子検査しかしていないので、オンコマイン(細かい検査)をすれば、

甲状腺癌であれば、おそらくどれかに当てはまると言われた。

サイログロブリンの数値が上がってもすぐに死ぬということではないようだ。

サイログロブリン(甲状腺癌のマーカー)が高いということは、CTなどに映らない細胞レヴェルで身体中に癌が蔓延していると思うととても怖いが、身体が具合悪くない限りはあまり気に病まないことが重要。

レンバチニブなどのブログ(数が少ない)は、あまり読まないほうがいい(精神的に不安になるから)と言われた。

スポーツはいいとのこと。

がんセンターを出たあと、コンビニでおにぎりとビールを買って築地本願寺の裏の緑道で飲食。

ベンチが冷たかったが、気の早いハルノノゲシが咲いていた。

 

 

 

 

 

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2024年1月19日 (金)

今後の治療について

1月16日(火)

国立がん研究センター中央病院でY本先生のお話(今後の治療について)を聞く。

サイログロブリンの数値

2012.6.15・・・460

2013.3.15・・・538

2023.2.7 ・・・1374

2023.3.24  手術

2023.5.2 ・・・1174 数値は腫瘍の塊部分(右肺中葉)を切除してもすぐには下がらないそうだ

2023.6.6・・・764

2023.7.18・・・554 と順調に下降して、10年前と同じくらいの数値になったと喜んでいたのに、

2023.11.21・・・1102 2024年1月9日にこの数値を聞いて大ショックを受けた。

そして今回、先週1月9日に採った血液の数値が1600を超えていたと聞いてうなだれてしまった。

しかしCTの画像を3人の先生でよく見てくださったが、細かい転移腫瘍にほとんど変化は見られなかったということで、

「とりあえず様子を見ましょう」と言われた。

「サイログロブリンが上昇していても大きな腫瘍が見られない人もいる。そういう場合は何もしないで様子を見る」ということだ。

私は手術後の摘出した腫瘍からの検査では、遺伝子治療(分子標的薬BRAF)は使えないという結果だったが、

「それは簡易な検査の結果でしかないので、細かい検査をすれば使える分子標的薬があるかもしれない、

すぐにやらなくていいけれど、とりあえず内科の先生に薬のお話を聞いてみますか?」と言われ、ぜひお願いします、と。

もう、今日には余命宣告を受けるのかもしれないと思い詰めていたのだが、そういうことではないらしい。

もちろん分子標的薬や抗癌剤が使えたとしても治るわけではないので、いくらかの延命にはなるということ。

PETについてのY本先生は「造影剤CTを撮って映らないものはPETでも映らないと思う。内科の先生が撮ると言うまで撮る必要はない」と。

金曜日(1月19日)に内科の先生の予約を入れた。

・・・

放射線科のS町先生の診察。

「よく眠れていますか?」と言われて、ここ一週間は最悪のことを考えてしまってよく眠れていない、とこたえると

「そこまで思いつめないでいい。いったんリラックスして。」と言われた。

今まで何度となく味わった絶望と、そのあとにまた少しの猶予の繰り返し。

とりあえずこの日は今までよりは眠ることができた。

 

 

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2024年1月16日 (火)

サイログロブリン(甲状腺癌腫瘍マーカー)の上昇

1月9日~1月15日までの記録

1月9日(火)

2024年の最初、昨年の11月21日以来の国立がんセンター中央病院での検診。

血液検査4本(サイログロブリンの値の計測。これは結果が出るまで1週間ほどかかる)。

造影剤CTで眼のあたりから腰くらいまでの撮影。

造影剤CT撮影自体は10分ほどで終わったが、その直後、3回くしゃみが出、喉が痛くなり、アレルギー反応の疑いで20分くらいソファに残され、様子見となる。酸素濃度は正常。

咽喉の痛みは初めて造影剤CTをやった直後にもあった。稀に帰宅してからショック症状が出る人がいるので、そうなったら近所の内科に行ってと言われる。

・・

そのあと主治医のY本先生の診断。

いきなり、昨年11月21日採った血液のサイログロブリン値が、昨年2月の肺中葉摘出手術前の値近くまで上昇していると言われ、

さっと血の気が引き、真っ暗闇の底に突き落とされてしまった。

もうやれることは抗癌剤レンバチニブ。(レンバチニブが効かなくなったらもう終わりという恐怖に襲われる)

分子標的薬は摘出した腫瘍の解析(病理学科)では、私の遺伝子は陰性(合う薬がない)と手術後に言われている。

CTのスライス画像では、前回と変わらず細かい転移はいっぱいあるが特に増大変化している腫瘍は発見できない、と。

「短い時間ではわからないので、来週までにじっくりCT画像を見ておきます」と言われる。

・・

そのあと放射線科のS町先生の診察。

「CTでどこにも以前と比較して大きな変化がないのはよいこと」

「CTで映らなくてもPETで映ることもあるのでPETをやるというのもいいかも」と言われる。

・・

がんセンターの帰りに東京画廊の山本豊津さんのところへ寄った。

病状の報告。

海外市場で売れるアート、作品を(読み取らせる)コンテクストの話。

とにかく絵を描き続けるように、それが一番と言われた。

・・・・

9日から1週間、目の前に死を突き付けられて、ただただ苦しんだ。

これだけサイログロブリンが上昇しているということは絶対に身体のどこかに癌が増大、蔓延しているということで、その事実からは逃れられないと思った。

1週間後の16日にY本先生から余命宣告を受けるのか?

あと数年か、数か月か、という真っ暗な恐怖が眼の前にぬっとせり上がってきて視界を塞がれ、同時に心臓の前あたりがズキンと痛くなる。

肩も、頭も、首も、腕の付け根も、過緊張でぎゅっと拘縮して痛み、息が苦しくなり、気力が出ない。

肺に粟粒上転移の爆弾を抱えながら今まで長い年月を延命できたのは、その事実になんとか蓋をして、癌であることを忘れていられる時間があったからだ。

しかしもう死が眼の前に突き付けられているとリアルに恐怖を感じてしまえば、恐怖で縛り付けられて、身体全体がすくんでこわばってしまい、何もまともに手につかない感覚。

胸が詰まって食欲がない。

当然、免疫もどん底に落ちてしまいそう。

恐怖や不安に押しつぶされて免疫が落ち、がんの増大が早まるのが怖くて、どうしたら気をそらせられるのかを必死で考えた。

絵の制作はとにかく続けた。焦燥感のとりこにならない程度に力を抜きながら。

ネットで音楽や映画鑑賞。

映画は深刻になりすぎず、かつ、くだらなさにイラっとしない程度の面白いもの。

疲労しないで気が紛れるものを探すのはけっこう難しい。

1月11日(木)

年末最後の月曜卓球の時にお誘いを受け、いつものところとは違う卓球サークルへ。

月曜卓球で一緒の人は2人。あとの3人は新しく出会えた人。

1対1でスマッシュを打ち続けていたら、その時は死の恐怖を忘れられた。

1月12日(金)

ずっと胃腸が痛くて食欲が出ないが、簡単にできる免疫対策として抗酸化サプリをしっかり飲むことにした。

とりあえずビタミンB、C、アスタキサンチン、ルテイン、DHA、EPAなど。

おなかにはミヤリサン、ラブレなど。

さらにブロッコリースーパースプラウトをできるだけ毎日食べることにした。

1月15日(月)北風が強く寒い 8℃

足利市立美術館の篠原さんが写真撮影してくれる絵の選択と梱包と収蔵の相談のために来てくれた。

大きな絵の梱包はたいへんで、篠原さんが大きな段ボール箱を2つ3つカッターで切り、2重の箱を作ってくれた。

「今度、鍋をつついて熱燗を飲もう」と言ったけれど、明日の診察ですぐに抗癌剤投与ということになったら・・・

抗癌剤(効かなくなるまでずっと続けるらしい)を始めたら、気持ち悪くなってたぶんお酒は飲みたくもなくなるんじゃないかと思う。

「余計なストレスを感じること、つまらないと思うつきあい、すべてやめたほうがいい」と言われた。

篠原さんは「(美術関係、仕事関係で顔を合わせたとしても)自分には全く関係がないと思える人は、関係ない。自分と関係ある人は本当に少ない」と。

私はアート、美術関係で、くだらない、つまらない、美術の範疇に入っていない(なのに作家本人は大得意)と感じるものを見ると、嫌なものが身体に入ってくるような嫌悪とストレスを感じる。

さらに言えば、権力を持っていながら、こじつけの「言葉」で正当化して実際は真逆のベクトルのことをやっていると思うものに激しい嫌悪とストレスを感じる。

「それは作家だからでしょう」と言われたけれど、

(ほかの人の内面はわからないが)ほかの作家が自分ほどの嫌悪感を持って仕事をしているかというと、たぶん違うのだろうと最近思う。

・・

きょうはたいへん疲れ、帰宅しても食べ物が喉を通らず。

北風が冷たいし、このまま寝てしまおうかと思ったが、6時からの卓球に行った。

木曜にスマッシュを練習したおかげでけっこう打てた。

服がぐしょぐしょになるほど汗をかき、息が激しく上がって、気持ちはいいけれど「もしかしたら今、体の中は活性酸素でいっぱいなのだろうか?」という不安がふとよぎる。

今までは考えずに集中できたのに、息が上がるほどの激しい運動や、根をつめて絵の作業をすること、すべてやりすぎで免疫を下げることになったのだろうか?と不安になる。

 

 

 

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2024年1月14日 (日)

寒中お見舞い申し上げます

1月14日(日)

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アネモネ(鉛筆、水彩)花弁はほぼ白い地にきれぎれの紫の線が脈に添って現れていた

寒中お見舞い申し上げます。

年末はエネルギーが切れてしまい、今年は1枚も年賀状を書くことができませんでした。

年賀状をくださったかた、ありがとうございます。申し訳ありません。

今年は私にとっては益々厳しい闘病の年になると思う。

 

 

 

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