1月9日~1月15日までの記録
1月9日(火)
2024年の最初、昨年の11月21日以来の国立がんセンター中央病院での検診。
血液検査4本(サイログロブリンの値の計測。これは結果が出るまで1週間ほどかかる)。
造影剤CTで眼のあたりから腰くらいまでの撮影。
造影剤CT撮影自体は10分ほどで終わったが、その直後、3回くしゃみが出、喉が痛くなり、アレルギー反応の疑いで20分くらいソファに残され、様子見となる。酸素濃度は正常。
咽喉の痛みは初めて造影剤CTをやった直後にもあった。稀に帰宅してからショック症状が出る人がいるので、そうなったら近所の内科に行ってと言われる。
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そのあと主治医のY本先生の診断。
いきなり、昨年11月21日採った血液のサイログロブリン値が、昨年2月の肺中葉摘出手術前の値近くまで上昇していると言われ、
さっと血の気が引き、真っ暗闇の底に突き落とされてしまった。
もうやれることは抗癌剤レンバチニブ。(レンバチニブが効かなくなったらもう終わりという恐怖に襲われる)
分子標的薬は摘出した腫瘍の解析(病理学科)では、私の遺伝子は陰性(合う薬がない)と手術後に言われている。
CTのスライス画像では、前回と変わらず細かい転移はいっぱいあるが特に増大変化している腫瘍は発見できない、と。
「短い時間ではわからないので、来週までにじっくりCT画像を見ておきます」と言われる。
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そのあと放射線科のS町先生の診察。
「CTでどこにも以前と比較して大きな変化がないのはよいこと」
「CTで映らなくてもPETで映ることもあるのでPETをやるというのもいいかも」と言われる。
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がんセンターの帰りに東京画廊の山本豊津さんのところへ寄った。
病状の報告。
海外市場で売れるアート、作品を(読み取らせる)コンテクストの話。
とにかく絵を描き続けるように、それが一番と言われた。
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9日から1週間、目の前に死を突き付けられて、ただただ苦しんだ。
これだけサイログロブリンが上昇しているということは絶対に身体のどこかに癌が増大、蔓延しているということで、その事実からは逃れられないと思った。
1週間後の16日にY本先生から余命宣告を受けるのか?
あと数年か、数か月か、という真っ暗な恐怖が眼の前にぬっとせり上がってきて視界を塞がれ、同時に心臓の前あたりがズキンと痛くなる。
肩も、頭も、首も、腕の付け根も、過緊張でぎゅっと拘縮して痛み、息が苦しくなり、気力が出ない。
肺に粟粒上転移の爆弾を抱えながら今まで長い年月を延命できたのは、その事実になんとか蓋をして、癌であることを忘れていられる時間があったからだ。
しかしもう死が眼の前に突き付けられているとリアルに恐怖を感じてしまえば、恐怖で縛り付けられて、身体全体がすくんでこわばってしまい、何もまともに手につかない感覚。
胸が詰まって食欲がない。
当然、免疫もどん底に落ちてしまいそう。
恐怖や不安に押しつぶされて免疫が落ち、がんの増大が早まるのが怖くて、どうしたら気をそらせられるのかを必死で考えた。
絵の制作はとにかく続けた。焦燥感のとりこにならない程度に力を抜きながら。
ネットで音楽や映画鑑賞。
映画は深刻になりすぎず、かつ、くだらなさにイラっとしない程度の面白いもの。
疲労しないで気が紛れるものを探すのはけっこう難しい。
1月11日(木)
年末最後の月曜卓球の時にお誘いを受け、いつものところとは違う卓球サークルへ。
月曜卓球で一緒の人は2人。あとの3人は新しく出会えた人。
1対1でスマッシュを打ち続けていたら、その時は死の恐怖を忘れられた。
1月12日(金)
ずっと胃腸が痛くて食欲が出ないが、簡単にできる免疫対策として抗酸化サプリをしっかり飲むことにした。
とりあえずビタミンB、C、アスタキサンチン、ルテイン、DHA、EPAなど。
おなかにはミヤリサン、ラブレなど。
さらにブロッコリースーパースプラウトをできるだけ毎日食べることにした。
1月15日(月)北風が強く寒い 8℃
足利市立美術館の篠原さんが写真撮影してくれる絵の選択と梱包と収蔵の相談のために来てくれた。
大きな絵の梱包はたいへんで、篠原さんが大きな段ボール箱を2つ3つカッターで切り、2重の箱を作ってくれた。
「今度、鍋をつついて熱燗を飲もう」と言ったけれど、明日の診察ですぐに抗癌剤投与ということになったら・・・
抗癌剤(効かなくなるまでずっと続けるらしい)を始めたら、気持ち悪くなってたぶんお酒は飲みたくもなくなるんじゃないかと思う。
「余計なストレスを感じること、つまらないと思うつきあい、すべてやめたほうがいい」と言われた。
篠原さんは「(美術関係、仕事関係で顔を合わせたとしても)自分には全く関係がないと思える人は、関係ない。自分と関係ある人は本当に少ない」と。
私はアート、美術関係で、くだらない、つまらない、美術の範疇に入っていない(なのに作家本人は大得意)と感じるものを見ると、嫌なものが身体に入ってくるような嫌悪とストレスを感じる。
さらに言えば、権力を持っていながら、こじつけの「言葉」で正当化して実際は真逆のベクトルのことをやっていると思うものに激しい嫌悪とストレスを感じる。
「それは作家だからでしょう」と言われたけれど、
(ほかの人の内面はわからないが)ほかの作家が自分ほどの嫌悪感を持って仕事をしているかというと、たぶん違うのだろうと最近思う。
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きょうはたいへん疲れ、帰宅しても食べ物が喉を通らず。
北風が冷たいし、このまま寝てしまおうかと思ったが、6時からの卓球に行った。
木曜にスマッシュを練習したおかげでけっこう打てた。
服がぐしょぐしょになるほど汗をかき、息が激しく上がって、気持ちはいいけれど「もしかしたら今、体の中は活性酸素でいっぱいなのだろうか?」という不安がふとよぎる。
今までは考えずに集中できたのに、息が上がるほどの激しい運動や、根をつめて絵の作業をすること、すべてやりすぎで免疫を下げることになったのだろうか?と不安になる。