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2024年6月

2024年6月27日 (木)

国立がん研究センター中央病院 血中カルシウム濃度正常に戻る / 髪を切る・西新宿

6月24日(月)

レットヴィモ断薬一週間目。

急に暑くなりややバテ気味だが、薬の副作用が切れて本来の動きができ、夜間卓球では先週に引き続き勝数が一番になる。

蒸し暑い夜の空気の中、梔子(くちなし)が匂っている。

紫陽花は陽に褪せ、切り取られてしまったところがほとんど。

まだ残っていた名曲喫茶ネルケンの前の紫陽花。
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6月25日(火)

国立がん研究センター中央病院。まず尿と血液の検査。

2番目に歯のレントゲンを撮られ、歯科検診。

この検診はゾメタやランマーク(骨転移による破骨細胞を抑え骨の血中カルシウムを下げる薬)をやるための歯の骨の状態や歯周病の確認である。

歯科の先生にゾメタやランマークなどについてH先生から聞いているか尋ねられ、説明は聞いていないがネットで副作用について調べていて、自分ではまだやりたくないと伝える。

すると予想通り、「ゾメタやランマークはそんなに怖い薬ではありません、顎の骨壊死が出るのは何年も続けた場合だけ。それより血中カルシウム濃度が高い方が死の危険性がある」とかなり熱心に説明される。

しかし私はまだ高カルシウムによる嘔吐などの症状もなく、高カルシウム傾向になったのは食事でカルシウムを摂り過ぎたせいだと思うし、それはもう今日は改善できているはずなのに薬物治療(私の感覚では怖い)を勧められることに違和感がある。

3番目に内科のH先生の診察で、本日の血液検査の結果、私の予測通り血中カルシウム値も、肝臓の値も、腎臓の値も、明らかに下がっていてすべて良好とのこと。

「ふたつの選択肢があって、ひとつは今飲んでいるアルファロール(ビタミンD)を1日2錠から1.5錠に減薬する。もうひとつはアルファロールは2錠のままで血中カルシウムを下げる薬(ゾメタやランマーク)を注射する」と言われ、正直、呆れてしまった。

アルファロールを少々減薬してみるだけですむのに、わざわざ副作用が危険な化学物質を注射する必要を全く感じない。

毅然と断りたいところを我慢してが柔らかく断ると、「そう言うと思ってました」と言われた。

先週、Y本先生の診察室に呼ばれた時、Y本先生がが会議で席を外していて、初めて会う若いO先生がおられた時、「アルファロールを減薬しないでいいのでしょうか」と質問したら、

「内科のH先生が減薬しないと言うなら、H先生は論理的に考えて言っているはずだから」と言われ、この人に何を聞いても無駄だと思った(H先生がどう考えていようと、いつも論理的に順序だてて説明されないからわざわざ質問している)。

それで後日、がんセンターに電話して「Y本先生にアルファロールを減薬しなくていのか質問したい」と伝えたら看護師さんにつないでくれ、看護師さんによると、Y本先生はもう帰宅されたそうで、「残っていた若い先生数名に聞いたら『減薬してはいけない』と言われた」とのこと。

それなのに今日は、最初に私が直観した通り、「アルファロールは減薬したほうがいい」と今更言われた。

4番目に頭頚部外科のY本先生の診察で、「私の血中カルシウム濃度が上昇した原因に骨転移は関係あるのでしょうか」(私は骨転移は関係なく、食事でカルシウムを摂り過ぎたせいだと思っている)と質問すると、

「今、レットヴィモが効いている状態で、骨転移のせいでカルシウムが溶け出しているとは思えません」と。

次に「アルファロールは破骨細胞や骨芽細胞の作用と関係あるのですか?」と質問すると、「関係ありません。ただのビタミンDなのでカルシウムが体内(胃腸)に留まるのを助ける程度」と。

がんのせいでカルシウムが溶け出しているのでなく、まだ骨転移の痛みもない段階で、私の感覚ではまだゾメタやランマークなど余計な化学物質を体内に入れたくない。

6月26日(水)29℃

髪を切りに行く。

12時から14時までカット690円という知る人ぞ知るお店へ。

12時ちょっと過ぎに着いたら2人施術中で4人待ちで、私は椅子もなく立ちっぱなしで待った。

しかも私の前の4人全員が髪染めをしたため、2時間近く待つ。

カット自体は10分くらいだが、ここの女性美容師さんの所作は丁寧だった。

8cmくらいカット。

サイバーナイフで抜けた後に生えて来たクルンクルンの髪(今20cm程度)について、そこを目立たせないためには一度全体をショートにしたほうがいいのか聞いてみた。

美容師さんは「短くすると余計にそこだけのカールが目立つかも」とのこたえ。

・・

17時に西新宿の実家でIさんと待ち合わせ。

西新宿の駅から地下道を通り、ヒルトンホテルの中を通って地上に出る。

ここから中央公園の緑を左に見つつ、欅並木のなだらかな坂を下る。私の大好きな故郷の風景。

Iさんが体調を崩し建設業を廃業することになったので、お借りいただいていた部屋の引き渡し。

Iさんは脳梗塞や心臓病などがあり、ゆっくりしか歩けなくなっていたので、ゆっくりゆっくりと西新宿5丁目駅のエレベーターまでお見送りした。

Iさんには何度か和食のファミレスにご一緒したり、毎年おいしい鰻をいただいたり、とても親切なかたでありがたい思い出しかない。

Iさんとご縁が切れるのはとても寂しい。

屋根や床を修理したらどれくらいかかるかの見積もりをお願いした。

 

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2024年6月21日 (金)

脳のMRI、全身のCT、血中Caの上昇

6月18日(火)

築地で地下鉄を降り、小学校の横を通ると瑠璃色の丸葉朝顔が満開だった。

血液と尿の検査、レットヴィモを飲み始めてから初めてのCTとMRI。

脳転移と胸や腰の骨転移は縮小していた。

血液検査の結果、血中カルシウム濃度が高くなっていて(基準値8.8~10.1のところ11.6)、食事をあらため、1週間後にまた血液検査をすることになった。

原因は魚肉ソーセージ(ラードがはいっていないもの)ばかり食べていたことだと思う。

運動の前後に簡単に蛋白質が摂れて食べやすいのでつい1日に4本も食べていたが、1本につき「1日の2分の1のカルシウム」が補強されていることに留意しなかったのが大失敗だ。

H先生からは「カルシウムの値が12を超えたらぎょっとするような数値」だと言われ、レットヴィモも1週間休薬することになった。

来週、もしカルシウム値が下がっていなかったら「骨転移による血中Ca上昇を抑える薬をやることを考える」と言われ、ぞっとしてしまった。

おそらくビスホスホネート製剤のことだと思うが、咄嗟にはっきり薬品名を聞かなかったことを後悔している。

その薬については癌の人のブログなどで読んでいたが、怖い副作用がある。

私はまだ骨転移の痛みを感じたことがないから、自力でCa濃度を下げられるなら極力やりたくないと思っている。

そのあとずいぶん待たされてから頭頸外科のY本先生の診察に呼ばれたが、なんとY本先生は会議に行かれたとのことで、代わりに若い先生がいた。

Y本先生に尋ねたかったことを質問してみたが、予想通りちゃんとした答えは返ってこなかった。これだったらH先生の診察が終わった時点で帰宅させてほしかった。

6月17日(月)

夜間卓球でトラブルがあった。

本日は総勢10人。卓球台2台でダブルス、余った2人はそれぞれの審判で、乱数表で組み合わせは毎回変える。

私の試合中に、もう一つの台のほうで言い争いがあり、

どうもK田さんが、試合相手のT原さんに、「すごく強いスマッシュを打つなら、ほかのところに行ってほしい。ここでは皆が楽しくやるのが目的なんだから」と言ったらしい。

T原さんは最初、「でも少しずつでもうまくならないと楽しくないだろう」と応えていたが、K田さんに何度も言われて、「俺帰るよ。もう二度と来ない!」と言って帰ってしまった。

T原さんが帰った後に、K田さんはM原先生のところに来て、また同じことを繰り返し言っていた。「ここは皆が楽しくやるのが目的なんだから」と。

M原先生は「でも試合だからね・・」とぼそり。

私は「皆が楽しく」の意味について、T原さんのほうに賛成だ。

T原さんのようにうまい人に強いスマッシュを打ちこまれても私は楽しいし、T原さんは練習の時にスマッシュの打ち方や回転サーブのコツも教えてくれるから、とてもありがたいと思っていた。

K田さんは自分が楽しくないことを皆も楽しくないと決めつけて、自分が皆の代表のように意見したのはおかしいと思う。

突然のことで何も言うことができず、周りの女性たちは全員黙っていたが、せめてほかの人はどう思うか聞いてほしかった。

私は(何にでもそうだが)少しでも向上しなければ全然楽しくないし、教えてくれる人がいるのなら、がんがん鍛えてもらうほうが好きだ。

 

 

 

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2024年6月19日 (水)

ささやななえ「海のかけら」「八月の森」「ダートムーアの少年」

6月17日(月)

ささやななえこ(ささやななえ)さんが亡くなったというニュースを見て悲しい。

子供の頃、本当に好きだった漫画家さんのひとり。

特に好きな作品は、遥か年月が経った今も変わらずしょっちゅう読み返している「海のかけら」「八月の森」「ダートムーアの少年」。

「若葉の頃」「海のかけら」「八月の森」は「ささやななえ抒情シリーズ」と銘打たれていたと思う。どれも子供だった私が泣きまくった悲劇。

特に「海のかけら」と「八月の森」は少年の一途さと透明感と、もう少しで幸せになれるところに訪れるカタストロフィがなんとももどかしく美しい作品。

その線は柔らかく温かみがあり、適度に湿って重くたっぷりとして、

淋し気でとびきりきれいな眼と、正面から見た鼻の描き方に特徴があった。

古い外国映画の中に入り込んでしまったような強烈な感動があった。

透明な風や光が見え、人物が生き生きと動き回ると同時に音楽が聞こえてくるような感覚。

ささやななえさん自身が、BGMが重要で音楽の世界に浸りながら描いていると(本のページの端っこの手書きエッセイで)書いておられる。

また、それぞれの作品にささやななえさんが作られた詩の言葉が繰り返されるところが切なくて、子供心にしびれたのだった。

「海のかけら」には

「やさしかったクリステイン 海にいったクリスティン そっと私の手のひらに 白い小さな貝のせて これは海のかけらだと ああ ささやいた クリスティン・・・・」

「あなたの金髪ちぢれっ毛 クリスティンとおんなじちぢれっ毛 あたしの愛したクリスティン 海にいったクリスティン 

むくどりこまどりうたつぐみ しっているならおしえておくれ いらくささんざしばらいばら どこにいるのかさがそうものを・・・」

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 「八月の森」には「森は腕をひろげ ぼくをよぶんだ ――おいでーーおいで」

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「ダートムーアの少年」には

「いつかかえろよ ダートムーアに さびしいわたしをうめるため 白い墓標はたてないで」

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この話は映画「オリバー!」によく似ているだが、ささやななえさんは「オリバー!」を見ていなくて、偶然の一致でびっくりしたとのちに書いていらしたと思う。

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肉親のいないひとりぼっちで負けん気の強い少年(実はどろぼうの子分)のジンジャー・エールがすごく魅力的に描かれていた。

ささやななえさんには1999年か2000年くらいに小学館漫画賞のパーティーでお目にかかれたことがある。

月刊少女コミックやプチフラワーの創刊に携わった山本順也さんが「エスコートしてあげる」と言って連れて行ってくださったのだ。夢のようだった。

ささやななえさんのほかにも萩尾望都さん、美内すずえさん、山岸凉子さん、城章子さんたち、それにタケカワユキヒデさんもいらして一緒に写真を撮ってくださったのも夢のよう。

あの写真、どこかにあるはずだがすぐには出て来ない。

とにかくその時に「海のかけら」「八月の森」「ダートムーアの少年」などと出会った最初の強烈な衝撃とじっと大好きな熱い思いを、作家さん本人に直にお伝えすることができたのは嬉しかった思い出。

山本順也さんは少女漫画誌に倉田江美や樹村みのりといった、それまでの少女漫画では考えられなかった個性的な作家の自由な発想の作品をどんどん描かせた。

山本さんのお人柄は全く偉ぶったところが無くて、革新的、正直、温かくてさっぱりしていた。

山本さんが私の個展のオープニングに来てくださった時の写真。

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左側は詩人の吉田文憲さん。

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山本さんとお知り合いになれたのは、私が一度だけ原稿を見ていただいた、それだけのきっかけなのだが、まったくけなしたりせず、上からものを言うこともなく、真剣に受け止めてくださって、本当にすごいかただと感動した。

それまでほかの出版社の漫画の編集さんに何人か(私の原稿を見せたわけではなく)会ったことがあるが、若い人ほどものすごく偉そうで、自分のほうが無知なのに狭い主観での決めつけが激しく、枠にはまらないものについて「合わせないのは非常識だ」と罵倒してきたり、自分の方が絶対的に偉いという態度がそれはそれは酷かった。

結局、私はすぐに漫画をかくのを諦めてしまったけれど、山本さんには「絵にけれんみが無い。本当に漫画のほうに来なくてよかった」と言われた。

 

 

 

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2024年6月17日 (月)

鎌ヶ谷の病院

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最近、椅子に隠れておもちゃキャッチで遊ぶことがブームなプフ。黒い椅子は爪とぎにされてボロボロ。

6月7日(金)

鎌ヶ谷の病院へ。

昔に私の甲状腺癌を摘出してくださったA井先生に、レットヴィモを飲みながらもなんとか元気でやっている顔を見ていただく。

レットヴィモに耐性がついてしまった後の治療法について、どう考えたらいいのかお聞きすると、やはり「その時に新しい薬ができていれば」いいが、甲状腺がんに関しては乳がんや大腸がんのようにたくさんの抗がん剤が開発されているわけではないとのこと。

レンビマに関してはA井先生はあまり勧めていないし、私もやりたくない。

あとはもっと多くの種類の遺伝子パネル検査をやれば、もしかしたら、ほかにも当てはまる薬がある可能性がある、と。

しかしその薬が効くかはわからないと。

(確かレットヴィモと似たタイプの薬があるが、レットヴィモが効かないならそれも効かないと私はどこかで読んだ覚えがある)

私の場合、癌を消す必要はなくて、散らばっている癌が大人しくしているようにコントロールできればいいわけで、抗癌剤(分子標的薬)で副作用がきつすぎる場合は我慢しないほうがいいが、ちょくちょく休薬すると耐性はつきやすくなる。

今、120mgを朝晩で、2、3週間がんばって副作用がきつくなった場合、休薬しながらもこの量で続けるのと、

さらに減薬してなるべく休薬しないで続けるのと、どちらが耐性がつきにくいのか?

いろんなことがわからないし、個人差があるだろうから、自らの体調を認識する努力をしながら人体実験中。

6月8日(土)

F薬局(週刊誌に取材されるほど素晴らしいお蔵の建物の高円寺で一番古い薬局)にいつもの処方箋をお願いしに行く。

誰にでも明るく話しやすいS子さんは人気者だが、毎日S子さんに「自分語り」をしにくる男性がいて、それがすごくストレスで、本当に悩んでいるようだ。

その男が来そうな時間に私が行くと、私に「来てくれてよかった。あの人に話しかけられるのが嫌だからもっと話してって」と言われる。

この日も男がやって来た。S子さんは「今、人と話してるから」と男性に言うと、男性は「いいよ、またあとで来るよ」と返す。

S子さんは、その男性のヘンに自己愛的な長い自慢話と毎日2回も来られるのが気持ち悪くて、「もう精神が病みそう」と言う。

その男は「もうそういう話はやめて。聞きたくない」と言ってもまた話しにくるし、「何度言っても私が嫌がっていることがわからないのよ」と。

こういう経験は私も嫌というほどあるのでよくわかる。

途中で「具合が悪くなった」と言って、席を外すしかないのだろうか。

6月10日(月)

レットヴィモを再開して9日目の昨日くらいから、明らかに副作用が強く出始め、昨日は浮腫みがはっきりしてズキーン、ズキーンとくる頭痛があった。

朝、顔の浮腫みが酷いのと同時に手と足にも浮腫みを感じ、さらに首の凝り、頭痛が強く出て辛かった。

きりのいいところで11日から休薬することを決める。

朝は9時に服薬してから頭重とだるさでまた眠ってしまった。

午後はなんとか制作。疲労感で頭が回転せず北海道に行く前より制作能力が落ちている。

6月11日(火)

今日から休薬。朝、薬を飲まないでいいと精神的には開放感がある。

午後、なんとか少し制作。全然進まない。

16時にWさんにマッサージしてもらう。

やはりここ3、4日すごく苦しんでいた首の左側がすごく固いと言われた。頭に血が流れない感じで緊張性の頭痛がずっとあり、カロナールも効かない。

ストレッチで痛めた脚の外側もかちかち。顔は一目でわかるほど酷く浮腫んでいる。

頭の固さは先週、北海道から帰宅した頃よりはマシらしい。

「先週6日の木曜卓球で、最高気温がまだ27℃だったのに冷房が20℃設定にされ、上着を持って来ていなかったので寒くてすごく辛かった」という話をしたら、Wさんも、前に勤めていた高円寺のマッサージ院で冷房を20℃に下げている治療師がいて頭に来たという。

確かに、私もそのマッサージ院に通っていたとき、真上から直撃する冷房がつらくて、夏に電気毛布のスイッチを入れてもらっていた。

Wさんが「複数のお客さんがすごく寒がっているのに、施術師の好みで冷房を20℃にするなんておかしい」と抗議したら、一度適正に戻して、あとからこっそりまた20℃に戻していたという。

「私たち治療師はお客さんの血行を良くすることが仕事なのに、お客さんが震えているのに自分たちの都合で冷房を下げるなんて頭おかしい!」と憤っていた。

また、Wさんのお客さんの中で、すごく身体が冷えていてがちがちに固まっているのに自分では冷えを感じていない人がいるという。

その人は6月初めから毎日家で22℃設定で過ごしているそうで、身体が冷房に慣れてしまっている(実際はとても健康に悪い)らしい。

Wさんは「私だったら運動に行って冷房20℃なら、『私には耐えられないので帰ります』と言って帰っちゃう。だってからだが冷えないことのほうがずっと大事だもん」と。

確かに辛いのに我慢するなら行かないほうがいい。癌にもっとも悪いのは冷えることとストレスを感じること。

これから木曜卓球は万全の防寒対策をして行ってみようと思う。

6月13日(木)25℃

11日から休薬したのに浮腫みと頭痛が治まらない。

卓球には長袖の上にスウェットのパーカーを着て行った。

予報に反して曇りで気温が上がらなかったので冷房もきつく入れられないですんだ。

からだの動きは普通の6割くらい。

 

 

 

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2024年6月12日 (水)

絵の画像の色補正 / 顔の浮腫みの対処法

6月2日(日)雨

今日もまだ疲労感ですごく眠い。

本づくりのための作業。

絵の撮影画像の色を実際の絵のそれに近づける補正を、撮影してくれた篠原さんと一緒に行う。

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銀箔を使った絵は、光の加減で箔が光りすぎて絵具の色が沈んだり、逆に箔が暗い色に写りすぎたりで難しい。

写真の撮り方によって細部の色が全然違うので、よく確認して一番良いものを選ぶ。
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2枚1組の作品の左右のピクセルを計算して合わせたり、たいへんだった。
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6月3日(月)雷雨

夕方から雨の中を歩いて卓球へ。

M先生にスマッシュの打ち方を教わり、思いっきり体重をかけて打つ練習をして汗だくになった。

服も髪もびしょびしょになるほど激しく動いて汗をかくと血行がよくなり、冷えて疲れて固まっていた身体が調子よくなる感覚があった。

卓球後は少し顔の浮腫みも改善してすっきり。

6月4日(火)

イーライリリー社のお客様ダイヤルにかけて、レットヴィモの副作用としてなぜ浮腫むのか、浮腫むメカニズムを質問したら、

そのメカニズムは解明されていないと言われた。

「一般的な浮腫みへの対処でいいんですよね」と言ったら「そうですね」と言われたけれど、マッサージの良否については尋ねてもわからないと思ったので聞けなかった。

・・

Wさんにマッサージを受け、固まっていた背中、肩、首をほぐしてもらう。

「顔は少し浮腫んでいるけどそんなにひどい状態ではない」と言われた。

顔を押すと浮腫みが酷くなるのか質問すると、首や身体全体の流れが悪い状態で顔だけ押すと、かえって浮腫みが出てしまう可能性はあるそうだ。

最後に頭と顔のマッサージをしてもらったら、「固い!前よりもすごく固くなってる!」と。やはり旅の緊張で凝り固まってしまったみたい。

脚の筋肉に関しては「落ちていない。もりもりしている」とのこと。重い荷物を持って歩いたのが効いたのか。

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2024年6月 9日 (日)

味戸ケイコさんの個展 / 国立がん研究センター中央病院

5月31日(金)曇り

味戸ケイコさんの個展へ。まったく衰えない制作意欲と、静かで淋しい光の感性がすごい。

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味戸ケイコさんと。蒸し暑いと言ってギャラリーの人が扇風機をかけていたが、私だけ寒がっていた。

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「北海道に行くって言ってたから心配しちゃった。でも元気そう」と言われ、「寒くて寝込んだりしましたが元気です」と。

北海道ではライラックとスズランがたくさん咲いていたというお話をすると、味戸さんの生まれた函館では「修道院の土手にスズランがいっぱい咲いてて、家族で摘みに行ったわ」と。とても美しい光景が浮かぶ。

「味戸ケイコさんは昔、町田のアパートに住んでらっしゃったんですよね」とお聞きすると「なんで知ってるの?」と。

確か私の持っている古い雑誌に書いてあったと思う(昔は詳細な住所が記載されてあった)。

暗がりで俯いているプロフィール写真(この写真がとても雰囲気があって、味戸さんの内向的で繊細な魅力を湛えていて、少女の頃の私は激しく憧れた)と共に。

町田の鶴川はその頃、大規模な開発で100年も200年も生きていた樹々を伐採し始めて、それで青梅に移ったのだという。

その前は浜田山にも住んでおられたと(うちの近所だけど今とはずいぶん違って自然があったらしい)。

昔、市ヶ谷の印刷会社兼デザインスタジオで働いていらしたとき、寺山修司の原稿を取りに行った(1969年「グラフィケーション」)という。

私が一昨日まで行っていた花輪和一さんも、寺山修司の『田園に死す』の映画の美術を全部担当した人なんですよ、という話など。

味戸さんの作品は北海道立函館美術館に大分収蔵されたがまだ残っているものもあるとお聞きする。

最初期のイラストは捨ててしまったという(ショック!)。

今年の10月1日~12月8日、北海道立函館美術館で味戸ケイコさんの展覧会があるそうだ。

・・

以前から気になっている原宿駅近くの廃墟。
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5月30日(木)

国立がん研究センター中央病院で血液と尿の検査。

北海道から帰って来たばかりで、そうとう疲労感があり眠い。

検査の結果、肝臓の値はさらに下がっているので、このまま朝と夜に120mgずつレットヴィモを続けることになった。

前回、飲み始めて20日目くらいから血圧上昇と同時に浮腫み、頭痛など出てきたと担当医のH先生に伝えると、

「今度からは具合が悪くなったらすぐ休薬で、我慢して続けなくていい、20日飲んで調子が戻るまで休薬するとか、5日飲んで2日休薬とか」と言われた。

20日飲んで休薬した後に、北海道で身体が冷えたら顔の浮腫みが出たこと、マッサージしても浮腫みが引かなかったことを話すと、

「浮腫みはレットヴィモの副作用だからマッサージは効果がない、押すと潰れて水分が出るから逆効果。浮腫みの原因を考えないと」と言われた。

本当だろうか?

ちょっと意味がわからないのだが、浮腫み一般の対処法(血液とリンパの流れをよくする)がレットヴィモの浮腫みに効果がないなんてことがあるのだろうか?

とりあえず風呂で身体を温めることは効果があった。

個人的にはレットヴィモを飲み始めてから、身体が冷えて具合が悪くなりやすい気がする。

 

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2024年6月 5日 (水)

北海道の花輪和一宅へ行った記録(3)

5月28日(火)14℃ 曇り

明日帰るので家の周りの風景も名残惜しく、朝の光の中をひとりで散歩。

近所の素晴らしい白藤の樹。庭仕事をしていたご主人に「この樹、すごく素敵ですね」と声をかけると、樹齢30年にもなり、前に住んでいた家からこちらへ移植したのだという。
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風になぶられてふわふわ揺れていた空色の亜麻の花。花弁は可憐、茎はすごく細くてしなやか。
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花輪さんが最近描きかけの絵は、地中の樹の根に10匹のセミの幼虫、地上に続く穴から水が落下していて、その滝を龍が上っていく、それを見ている着物姿の女の人。

セミの幼虫だけは何度描いても飽きないらしい。

12号くらいのパネルに水張りがきれいにできている。「すごいじゃない。水張り、完璧!」と言うと、「ご指導の賜物です」と。

 

午後には曇ってしまったが、2時過ぎにまたひとりで緩やかな坂道のバス通りを行けるところまで下ってみた。

使い捨てカイロを貼って出かけたが寒い。

バスの中から見つけて絶対近くで見ようと思っていた廃中学校の藤。しばらくこの藤のそばにいた。

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北海道のタンポポは大きくて野性的。太い茎がうねっているものも多い。
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初日にバスの中から見て素敵だった濃いライラックの樹があるお庭。ここまで歩くのに40分ほど。

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暖かければなんてことはないが、私は冷え性なのですっかり手足が冷えてしまった。

1時間半くらい歩きまわり、帰宅して花輪さんの腕に触れて「ぎゃ!氷みたい~」と言わせる。

熱いお風呂に入らせていただいた。プロパンでお湯が細くしか出ないので、お風呂のお湯を貯めるのに時間がかかる。

追い焚きできず、お湯がもったいなくて申し訳ないのであまり入らなかったのだが、今日は冷えたので。

花輪さんにひとつ嬉しい報告をした。2年前に二人で行ったイケマでいっぱいの野原は潰されて建物が立ってしまったけれど、その歩道側の縁には山ほどのイケマの蔓が芽吹いていたこと。

その少し先の郵便局の隣の小さな空き地にもイケマの大群。100本は蔓があったよ、と伝えると、「本当に~!もうだめだと思ってた」と喜んでもらえた。

北海道産のお蕎麦がおいしくて、夕食にはゴマと海苔と鰹節をたっぷりかけていただいた。

5月29日(水)

ついに帰宅の日。

朝7時に起きる。

一枚板のローテーブルで初めて癌のことを面と向かって聞かれた。今までもいきさつを話してはいるが、私が元気そうに見えるらしく以前のような寛解状態ではないことを理解していないようだ。

現実感が無いのだろうと思う。

近くに置いてあった『水精』の「まどわし神」をめくって「この夕日の逆光のススキ、子供たちの不気味な顔、カラカラカラという風のうねりの束、ものすごいよね。この1コマだけでもすでに天才。このススキを放り投げている後ろ姿の子供たちの絵もすごい。「その頃 足から出た血の上を 秋のコオロギが弱々しく横ぎって いったのだった」で終わる最後のコマも異常にすごい」と言うと、

花輪さんは「わからない」と言う。「ただ出て来た」だけで、それがすごいのかも、どういう気持ちで描いたかもわからないと。

いつもそうだが、ほめられることに実感がないようだ。

生きるか死ぬかの状況でやむにやまれぬ自己救済のために描かれた過去の作品たちは異様な煌きを放っているが、もっとも凄みのある美しさと哀しみに満ちた『護法童子』のような作品こそ、花輪さん自身は「見たくない」と言う。

その時の自分の苦しい精神状態が蘇ってくるからと。彼にとって母親や義父との精神的葛藤はいまだ生々しくて昔話になっていない。

花輪さんは中学を卒業してすぐ家を出て印刷会社で働いていた。そこは官報を印刷していたがとても忙しく、毎日夜10時過ぎまで残業だったそうだ。

「とにかく絵が描きたくてたまらなくって。でももうくたくたで描けなくて、そこでは5年頑張ったけどやめた」そうで、20歳すぎに勤め先は巣鴨紙器に変わり、25歳からは絵だけで食べて来た。

11:42発のバスで駅まで一緒に行ってくれた。別れる時に、去年言われたのと同じことを言われてしまう。

「福山さんはさ、俺とはレヴェルが違うんだから疲れるでしょ。レヴェルが同じ人とつきあったほうがいいよ。俺たちはただ絵だけが共通で、そのほかのことはすべてが合わないんだから」と。

「その絵の話ができるってすごいことでしょ。私には花輪さんのほかに絵や才能にすごく興味を持てる人がいないんだから」

「美大の友達とかいるでしょう」

「ぜんぜん。たまに話す人はいるけど、特に・・。花輪さんほど強烈で面白い人はいない。私は昔から天才とか異才にしか興味が持てないみたい」

花輪さんは「美大を出ているだけですごい」と、とんでもなく的外れなことを言う。私は全然そうは思えない。

私にとって美大出身者は、(そうでない人もいるけれど)自己顕示欲だけ強い凡庸な人が多いイメージしかない。

花輪さんのように15歳から自立(自活)して実力だけで自分の世界を作り上げて来た人とは比べようもない。

「福山さんはいつも張りつめているでしょう。だけど福山さんのペースにはついていけない。俺はばかなんだから、ばかはしょうがないと思って泳がせておいてほしい」と言われ、

私が一緒にいると、私が過集中で常にのめりこんでしまう傾向があるので、気を遣い過ぎの花輪さんにはすごくプレッシャーがかかって落ち着かないんだろうなと思う。

今の私は、来年どうなっているかわからない、もう二度と会えないかもしれないと思い、ついなんでも徹底的にやりたいという感じが出てしまう。

花輪さんは、私など足元にも及ばない超人的な集中力と天才的な閃きの人で、尊敬しているのだが、私と距離が近すぎると緊張して集中できないみたい。


札幌から新千歳に向かう電車の右側の窓から見える私の好きな景色。
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来年はもう来られないかもしれない。もしかしたらまた来られるかもしれない。

先のことはわからない。

 

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2024年6月 4日 (火)

北海道の花輪和一宅へ行った記録(2)

5月26日(日)

パンパンに腫れていた唇の皮が擦り傷のカサブタのようになって剥けてきた。顔の浮腫も少し快方に向かう。

朝は遅くまで寝ていたが、今日だけは最高気温22℃の予報なので、2時半頃から近所を散策。

花輪さんは膝が痛いそうで、私ひとりで周りの家々に咲く植物を見て歩いた。

そこかしこに咲いているスズラン。
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毒があるという黄色と淡いミカン色のレンゲツツジ(蓮華躑躅)。極彩色のフーシャピンクのツツジやサツキは苦手だけれど、この花色は素敵。
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近所の背の高い濃い紫のライラック。
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5月27日(月)

カーテンとガラス戸の向こうは風がごうごう。大粒の雨。樹が激しく揺すられて嵐のよう。

だが昼前からぱあっと光が差して明るい天気雨になる。

青く細いペンで、最近は描かない利発そうな大きな眼をした女の子の絵を描いてくれた。

神経がぴんと張った素晴らしい線。思わず「わあ!すごくいい!」と声がでてしまう。まさにほれぼれ。

最近は昔と違って目が小さくて鼻が大きい顔ばかり描くので「もっと目が大きくて鼻は小さい顔の子を描いて」とお願いすると、必ず「だって目が大き過ぎたらおかしいでしょう」と言うのだ。

「昔描いていた(眼の大きな)顔を描きたくないんだよね」と。

でも今日、この時だけは甦った。

1時半から1時間少し、花輪さんは役員会の会合に出かけた。老人会からやっと抜け出せたかと思ったら、押し付けられていた会長を辞められただけで、役員は抜けられていなかった。

誰もが老人会を嫌がってやる人がいないからしかたないという。

3時前に帰って来て、血圧計を借りた時、花輪さんのセーターから煙草の匂いがした。

まさか、と思って聞くのが怖かったが「煙草吸った?」と尋ねると「吸ってないよ。前に着ていた秋冬の服だから匂いがついてる」と。

ああ、良かった!!疑って悪かった。

70代後半にして禁煙できたというのも奇跡だ。

以前は一緒にいる時に嘘をついて私から姿をくらましてまで煙草を吸っていた。

「福山さんはすごく精神が強いから。誰もが福山さんみたいに強いわけじゃない」と言われて辛かった。

友人に聞いても、この歳までひとりで生きて来た人が今更煙草をやめられるわけがない、依存症は治らないと言われていたのに。

しかしそれでも煙草をやめることができた。花輪さんは本当にすごい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024年6月 1日 (土)

北海道の花輪和一宅へ行った記録(1)

5月22日から29日まで北海道の花輪和一宅に行っていた記録。

5月22日(水)

昨日の朝くらいから副作用が強く出始め、血圧上昇と後頭部痛があり、昨夜からレットヴィモ休薬。

朝7時に起き、これからの旅の体調が持つのか不安でずっと緊張していた。

なんとか無事に飛行機に乗る。新千歳から札幌までの電車で座れなかった。

レットヴィモ服用していなかった時の晴れ晴れとした旅行とは明らかに違う、この薬を始めてからは常に疲労感と筋肉痛がある。

17時15分くらいに札幌駅のエカシ像で待ち合わせ。花輪さんが「東口」と間違って伝えられていたが実際は北口だった。

地下鉄に乗り、最寄り駅のスーパーで食材を購入。バスで家に向かうが、片道のバス代が昨年240円だったのが360円に値上がりしていた。

鱈、豆腐、白菜、葱、春菊などの味噌鍋。

何年も使ってる黒ずんだプラスチックのまな板が恐ろしくて、私が調理させてもらい、まな板を使わず洗った大きな皿の上で切った。(最初に花輪宅に来た時、食後にひどくお腹が壊れて苦しみ、それ以来調理器具に気を付けている)

私は疲れすぎてほとんど食べられない。

花輪さんは鍋と大盛り玄米2杯、そのあとに巨大なホヤを一個平らげ、さらに夏みかん、最後に甘い瓦せんべい。私よりぜんぜん元気。

5月23日(木)

天気予報によると今日だけが23℃予報で明日から気温が下がるようなので、ライラックと林檎の花を見に出かけることにした。

花輪さんが平岸の林檎並木を提案してくれ、まずは東豊線の美園駅へ。

中央分離帯に林檎の並木があるが、もう花は終わっていた。

林檎の樹の下には白いタンポポの穂綿の中に朱色のコウリンタンポポ(紅輪蒲公英)。

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大通り公園のライラック祭りは肉を焼く匂いに吐き気がしてしまうので、食べ物屋の集まる場所を避け、ライラックだけを見て歩いた。

生まれて初めていろんな種類(10種類くらい?)のそれぞれ個性的なライラック(リラ)を見た。

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ライラックはモクセイ科で花の香りも素晴らしい。この香りは切り花にすると消えてしまう。
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レットヴィモ240mg約3週間続けて休薬して2日目。顔はやや浮腫あり。

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3時過ぎに私が場所を調べておいた北口のサイゼリヤへ。

海老のサラダ、ニンジンサラダ、Wチーズピザ、コーヒーゼリー、ドリンクバー。花輪さんが7割食べた。

帰宅してからも花輪さんはご飯を食べたりお菓子を食べたり。

私は夜1時まで仕事していた。

5月24日(金)

気温急降下。最高気温15℃で雨。

寒気と疲労感、頭痛ですごく体調悪くなる。顔は(昨日よりずっと)酷く浮腫んでぞっとするくらい。

何かのアレルギー反応か、唇もパンパンに腫れて痛くなった。

電気敷毛布を貸してもらって寝込む。夜に少し咳。

5月25日(土)

昨日と同じく最高気温15℃。曇り。朝、石油ストーブを焚かせてもらう。

今日も体調悪く、昼も寝込む。すごく冷えて循環が悪いせいか疲労と顔のむくみがとれない。

レットヴィモが抜けきっていないせいだと思うが、普通の風邪気味の時とは違う、酷く疲れた腫れ顔。

なんとか発熱しないようにがんばった。

 

 

 

 

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