「古い本」
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無料での映画見放題が終了する7月17日までに見た映画のメモ
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(若松孝二 2008年)
想像していたよりもずっといい映画だった。
カメラは昔、私のドキュメンタリー映画を撮影された辻智彦さん。
美術は画家の(数年前、高円寺のギャラリーで知り合いになった)伊藤ゲンさん。
冒頭は1960年くらいからの学生運動のあらましを実際の記録映像と原田芳雄の淡々とした語り(この声がいい)で綴る。この部分を見られただけでもよかった。
連合赤軍の山岳ベースでのリンチ殺人は本当に怖いのだけど、理屈や信条を声高に叫ぶ閉鎖されたグループの支配構造の内では、こういう異常な状況にあっという間になだれ込んでしまうのだということは想像できる。
永田洋子役の女優(並木愛枝)がうまくてすごく怖かった。
鈴木清順監督の大正浪漫三部作、『夢二』(1991年)、『陽炎座』(1981年)、『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)を新しい順から見直した。
いずれの作品でも、主人公が妖艶な女性に翻弄されると同時にそこに絡んでくる荒々しい男性に脅かされ、夢か現実か過去か現在かもわからない陰影の濃い迷路を彷徨う。
『陽炎座』と『ツィゴイネルワイゼン』は昔に何度か観ているが、やはりほれぼれする清順美学。
はっとさせる、あるいはぎょっとさせるタイミング、あでやかな色彩と線と陰影の妙、聞き取れないけれど脳裏に残る呟き・・すべてが研ぎ澄まされていて、最高にかっこいい。
『夢二』は前二作に比べると、芸術的には少し緩く感じる。
主人公がビアズレーやシーレを意識したり、新しい流行に自分の画家としての地位が脅かされる不安にさいなまれるところ、リリアン・ギッシュ、アラ・ナジモヴァ、ポーラ・ネグリ、グロリア・スワンソン、パール・ホワイト(順番は忘れた)などサイレント映画時代の女優たちの名前を沢田研二がぶつぶつ呟くところが好き。
映画の終わりのタイトルバックに淡谷のり子の歌う「宵待ち草」が流れ、全身がぞくぞくする。「宵待ち草」はいろんな人が歌っているが、私は淡谷のり子の歌唱が好き。
原田芳雄の野生味が強烈に映えるのが「ツィゴイネルワイゼン」で、「夢二」での原田芳雄は金満家の役柄のせいかあまり魅力的に感じられなかった。
原田芳雄は最近見返した寺山修司の『田園に死す』や『さらば箱舟』でも強烈な印象を放っていた。
『ツィゴイネルワイゼン』の3人の盲目の旅芸人のうち最も異様で不気味な演技をする「先達」は、今更ながら麿赤兒だと気づいた。
その他の映画について。
『天国と地獄』(黒澤明 1963年)・・・山崎努の若い頃の魅力。横浜の黄金町のスラム街のシーンがすごかった。
『砂の器』(野村芳太郎 1974ネン)・・・厳寒の竜飛崎のシーンが心に残った。
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7月23日(火)
血液5本採取。きょうはベッドで採血してくれた。
内臓、内分泌などはレットヴィモを始めて以来、一番よい(肝臓の値がずっと高かったのに基準値内になった)結果だった。
なんとカルシウムが基準値より低くなっている。最近、何度かテタニーが起きていたのでそんな気がしていたが。
6/25 7/23
CA(6.8~10.1) 10.8→ 8.6L
ALP(IFCC38~113)66 → 54
GOT(AST13~30) 27→ 17
GPT(ALT~23) 34→ 16
TSH(0.35~4.94) 0.12L(脳下垂体から分泌される甲状腺刺激ホルモン)
FT4(0.70~1.48) 1.53H (甲状腺から分泌される甲状腺刺激ホルモン)
来月に結果が出るサイログロブリンの数値が下がっていれば、とりあえず今はよい状態。
レットヴィモを最大量で始めた最初の頃の、まともに歩けないような強烈な眠気と脳疲労の感じはない。
暑すぎるので自律神経が乱れている疲労感や胃痛、軽い浮腫はあるが、なんとかまあ元気。
7月24日(水)
昼過ぎに打ち砕くような雷雨。
最近、暑すぎてほとんど外を歩いていなかったので少し歩いてみる。
甘やかな優しい匂い。まだ閉じている烏瓜の花。もうすぐ白いレースのドーリーを開く。
黄色と紅の白粉花、薄紫の槿(むくげ)、黄色い待宵草、ピンクやオレンジの砂糖菓子の藪枯らし。
そこだけ真っ暗な屋敷森のほうに向かって、細く曲がりくねった蛇道の暗渠を辿る。
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7月14日(日)雨
作品を購入いただいたかたにお届けに荻窪へ。
久しぶりに荻窪銀座を散歩した。
懐かしい喫茶店「邪宗門」がまだあった。
ここの二階の座席に座っているだけで、見たこともない不思議な、それでいてなんとも懐かしい風景の中を汽車で旅しているような、そんな気分にしてくれる、とても素敵な場所なのだ。
でも18時から喫煙と書いてあったので入れなかった。
戦後の雰囲気が残る荻窪銀座には「嬉しい店々」「憩いの店々」「此の街で今日の疲れを癒し明日も元気です」などと手書きで書かれた素敵な案内看板がある。
細い路地にくっついて並ぶ店たち。以前に散歩した時には確か3つあった井戸がひとつになっていた。
建物が無くなっている箇所がだいぶあって淋しい。
「RECORDS 懐かしい歌 思い出の歌の数々」と書かれた月光社は健在。店の灯りで街角を照らしていた。
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7月10日(水)
悩んでいた生家のことに関して救世主が現れた。
昨年の私の個展に来てくれて、そこで初めて知り合ったM・Mさんが掃除と修繕と再構築をしてくれることになった。
「お手伝いさせてください」と言われていたが、まさかこんなにも劇的な変化をもたらしてくれるとは想像だにできなかった。
私の生家は戦後まもなくに建った(築77年)木造で、その頃の十二社(今の西新宿)は花街で、どこもかしこも料亭だった。
裏にあった料亭の離れを私の祖父が買ったと聞いているが、60年以上もたまった遺物と、母が掃除できなくなってからの埃と汚れ(ネズミの糞もあり)でどうしようもなくなっていた。
M・Mさんはずいぶん前から一度そのボロボロの家を見てみたいと言っていたのだが、私は見せるのも辛くて恥ずかしくて躊躇していた。
しかし玄関を開けて階段を観た彼は「すごくいい木を使っている。ほとんど傷んでいない。栗だと思う。」と言った。
そして「この一帯(の廃屋など)が潰されてマンションだけになったら西新宿もつまらなくなってしまう」と。
彼はすごいスピードで片付け、分類、掃除を始めた。私も目についた汚れた布類などを10袋以上、ゴミ袋に詰めた。
彼は次の収集日に私に変わってゴミを出してくれた。
後日、私が始末に悩んでいた古い大きな観音開きの洋服ダンスを「解体しておきました」とさらっと言われて、驚きすぎて言葉が出なかった。
のこぎりがなかったので金づちだけで分解したという。
その箪笥の後ろにあった壁も無くして、1階の二部屋を一つの部屋にして、畳をフローリングに作り替えることもできるという。
「修理を見積もっても数百万円かかるから無理」とI工務店の社長さんから言われていた瓦屋根も、雨漏りでしみだらけの天井も修復してくれるそうだ。
もちろん私にできる限りのお礼はするつもりだが、彼がビジネスとしてでなく進んでやってくれていることにあまりに驚いて言葉にならない。
まだ私は彼のことをよく知らないが、M・Mさんはとても不思議な人。
美大の彫刻科を出ていて造形や大工仕事が得意でまだ若いのに、ありがちな自己顕示欲や競争意識、世俗的な欲がない。
インドを始め、アジアを放浪していたこともあり、余計なものがない根源的な生き方について考えているようだ。
東京出身だがつい最近までは地方で農業をしていて、廃屋を借りて住んだり、古い家屋の物の整理、解体、修理もやっていたという。
美大を出てから私には想像もつかないくらい雑多な仕事をしてきたらしい。文化財(仏像)修復などもしてきたので器用なんだと思う。
人に使われるのが嫌で、いつも自由で、その時に住みたいところに住み、自分のやりたい仕事だけする。
静かな人で、能力があっても自分を大きく語ることがない。楽して得しようという気がまったくない。お金に執着がない。そういうところは花輪和一にも似ている。
しかし彼には花輪和一や私のような対人緊張がない。身構えることなく誰とでも普通に話せて、とても淡々とおっとりしている。育ちがよさそう。
かなりの長距離を自転車で平気で走る。
ある舞踏家のワークショップに通っているが、それも人前でやる気はないという。たぶん身体の意識のしかたを学んでいるのだと思う。
彼は私と同じく肉食をしない。家族にいろいろ言われても貫き通したそうだ。
煙草もやらないし、最近はお酒も飲まないみたい。
彼のおかげでで長年の呪縛だった生家が、なにかに使える場所に生まれ変われるかもしれない。
私にとっては本当に奇跡で、こんなことがあるのだろうかとまだ信じがたいのだが、このような予期せぬありがたい出会いも、ずっと絵を描き続けて細々とブログをやっていたおかげなのかと思う。
7月13日(土)
夕方、生家に行ってみた。
観音開きの大きな洋服ダンスだけではなく、食器棚、ガスレンジの下の台(戸棚)、机などが無くなっていて、私も見たことのなかった床や壁が晒されていた。
一階の奥の部屋に木片がうず高く積まれていた。あまりの衝撃。
古くて味わいのあるちゃぶ台や桐の箪笥だけはそのまま残してあった。
メールで「生家に行って見てきました」と言うと「家具をどかさないと家のどの部分が痛んでいるかわからないから」と。
7月17日(木)
私が分類しないといけないものを分類しに生家へ。
衣類や食器、ほんの少しだけど売れそうなもの、リサイクルに出すものとゴミの分類。
母が大切にしていたスーツなどを見るだけで胸が痛んだ。
その後、思い出に関わるこまごまとしたもの(写真、手紙、日記などなど)を見なければならなかった。
私にとって最も苦手な、ものすごく負荷がかかる作業。
私は感覚も感情も過多、感情移入や共感力が過多、おそらく異常なのだ。
なにより話に聞いただけでも脳裏に鮮烈に場面が見えてしまう体質が異常。
貧しくて必死に働いていた母の姿などを思い出し、私が幼くて目撃していたいくつもの場面だけではなく、
さらには私が伝え聞いただけの、私が生まれる前の祖母や父母の苦労したことやつましい歓喜の場面まで生々しく(脳裏に)見えてきてしまい、そのめくるめく強烈過ぎる体験が重すぎ、いろんな思いで泣けてきて自分が壊れそうになる。
なんとかけっこうな量の物をゴミに分類した。
M・Mさんは玄関近くの廊下の天井を剥がそうとしていたが、恐ろしい量の積年の埃が落ちてくるから、私がこまごましたものを整理するまで待つと言った。
私の作業は果てしなく時間がかかるので、途中でそちらをやってくださいと言って、廊下と隔てる扉を閉め、ガラス戸越しに、彼が手で簡単にばりばりと天井を剥がすのを見た。
すごい量の埃がタオルを巻いた彼の頭の上に落ち、彼は掃除機でそれをあっというまに吸い込んだ。
M・Mさんに感謝を伝え、「ずいぶん前にも建築士の人に中を見てもらったけど、すごく反応が冷たかったのに、この家を変えてくれる人がいるなんて信じられない」と言ったら「建築屋は信じられない。もっとダメなやつに言わなきゃだめなんですよ」と言われた。
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7月
バレーボール・ネーションズリーグが終わってしまい、せっかく見放題なのでいくつか映画を観ることにした。
前から観たかったミケランジェロ・アントニオーニの「情事」、「太陽はひとりぼっち」
とにかくモニカ・ヴィッティが魅力的。
「情事」・・・相手の男にクールなモニカ・ヴィッティが惹かれてしまうことが理解できなかった。
古い教会の屋上で鐘を鳴らすと遠くでも鐘の音を返してきて、「鐘が返事してくれてるわ」とモニカが笑うシーンが、仮初めの恋の不安定さを表しているようで、同時に彼女は本当に恋に落ちているのか、落ちていると思い込んでいるだけなのか最後までわからなかった。
「太陽はひとりぼっち」・・・ミラノの人気のない工事現場の風景にかつて行ったベルリンの風景が重なった(時代も場所もずいぶん離れているのだけど、私が行った当時、ベルリンはそこらじゅうで工事をしていた)。わけのわかないラストも好き。
トリフォー「突然炎のごとく」・・・風景は美しい。この映画のジャンヌ・モローは男たちを翻弄する役柄なのにあまり魅力的に見えなかった。
アントニオーニの「夜」の時のほうが素敵。「夜」ではジャンヌ・モローとモニカ・ヴィッティの両方とも好きだ。
イングマル・ベルイマン「のいちご」・・・シュールで美しい映像。昔の追想の中の婚約者と現代の奔放な女性の二役を演じるビビ・アンデショーンがよかった。ラストは悲劇でなくてほっとした。
・・
それから寺山修司原作の「あゝ、荒野」を観てみた。
寺山修司監督の映画は大好きなのだが、この「あゝ、荒野」(岸善幸監督)はまったく寺山修司の匂いがしなかった。
映画のテーマは「宿命に抗う」ということのようだが、「宿命」という言葉の上澄みだけが寺山から踏襲されていても、まったくアングラ感、詩的幻想性はない。
私が生まれ育った西新宿や新大久保界隈はたくさん出てくる(墓地のシーンは私の生家の地主のお寺が撮影に使われていた)のだが、何かが違う。
突然、「暗黒舞踏」のような舞踊のシーンがいかにもとってつけたようで、全然暗黒ではなかった。
役者ヤン・イクチュンはよかった。
寺山の古い映画も何本かあったので、遥か昔に見た映画をもう一度観る。
「さらば箱舟」・・・冒頭、ひび割れた泥の上をよろけながら荷車を引いて行く老人と、それを押している子供。
水辺を俯瞰でとらえているその切り取り方、斜めにカーブする川とさらにもう一本の水墨で滲ませたような水たまり、左下に風にたなびく青い布が縛り付けた朽ちた木。
完璧な抽象画になっていて、しかも顫えている。この最初のシーンだけで胸をつかまれる。これぞ寺山。
砂浜に穴を掘り村中の古い柱時計を埋めて、これでもう村に時計はたった一つだけ、たった一つの時計が村のすべての時間を支配する。
そして犬像の魔除けが乗っている屋根、南国の湿り気、聞き取りづらい言葉をしゃべる人々。
合田佐和子の蹄の脚の少女の絵の強烈さ。
呪術、迷信、差別、嫉妬、欲望、なにもかもが濃くてどろどろして、闇や森の中や水辺には妖しいものが満ちている。
生と死も不分明で、殺したはずの原田芳雄はすぐ近くにいて話しかけてくるし、底知れない穴に入って手紙を運ぶあの世とこの世の郵便配達夫もいる。
底知れない黒い穴は、象徴主義の絵に出てくるような素晴らしく不気味で美しい樹の手前に口をあけている。
寺山はこの樹がどれほど絵的に素晴らしいか、ちゃんとわかってこの樹を選んでいる。
高橋ひとみがかじっていた黄色い花はフリージアだと今回気づいた。この物語では黄色い花びらが魔術的役割を果たす。
耐えられなくて飛ばしたのは高橋洋子の横に豚の頭が並んでいたシーン。豚を日常的に食べているので普通のシーンなのだろうけど、私には絶対無理。
沖縄でニコニコ笑いながら豚の生の頭を持って写真に撮られていた有名な女性小説家を思い出した。
彼女たちには豚の生首は面白おかしい漫画のキャラのようにしか見えないのだろう。
「田園に死す」・・・やはり冒頭のシーンからかっこよすぎて、この恐山シーンでもう興奮。
何度も観ているが寺山の最高傑作だと思う。私が寺山修司で一番好きなのが「田園に死す」「草迷宮」「迷宮譚」の3本。
母親から、古い風土から逃げたくてどこまでも逃げられない少年。
少年が八千草薫と線路の上を逃避行する直後、いきなりカタカタカタと乾いたフィルムが回り、映画の前半が終わる。
暗闇の中で並んで語る「わたし」(菅貫太郎)と批評家(木村功)。
「自分の子供時代を売りに出してしまった。書くと書いた分だけ失うことになる。書くつもりで対象化した途端、自分も風景も厚化粧した見世物になってしまう」
「しかしそうすることによって自分の子供時代や風土から自由になるってこともある。過ぎ去ったことは虚構だと思えばいいんだ」
「しかしそれを書かずにしまっておけば自分の核になったかもしれない。先生は原体験が現在を支えているとお考えになることはありませんか?」
「ないね。むしろそれは首輪みたいなもんだよ。人間は記憶から解放されない限り、本当に自由になることはできないんだ。ボルヘスも言ってるじゃないか。5日前に失くした銀貨と今日見つけたその銀貨とは同じじゃないって。ましてやその銀貨が一昨日も昨日も存在し続けたと考えることなんてどうしてできるんだい?」
それから「わたし」は「少年時代のわたし」と出会う。
まるで忘れていたどうしようもない生家と向き合うことになった今の私、どう片付けていいかわからない過去と向き合うことになった今の私のようで、不思議な気がした。
花輪和一デザインのかわいい子供の「火種売り」は3度出て来た。
花輪和一の描いた「犬神サーカス」の看板たちがそれはそれは素晴らしかった。
ラスト、「わたし」は「少年時代のわたし」に、母親を殺すために草刈鎌と縄を持ってこい、と命令するが
「少年時代のわたし」は新高恵子に犯されてからどこかへ逃げてしまい、私の大好きだった昔の新宿駅前(今の東口ビジョン前)で畳に座ったままの「わたし」と母親が残される。
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6月30日(日)
突然また空き家になってしまった西新宿の生家をどうしたらいいのか、ずっと悩んでいた。
今まで数年、倉庫として借りてくれたIさんのおかげで毎月の借地代をまかなえていたのだが、Iさんが引き上げた今、ただ借地代(それと税金)だけがかかってしまっている。
両親が亡くなった時以来だが、久しぶりに不動産会社に相談してみることにした。
借地権を扱っている大手の不動産会社、いくつか(6社ほど)に電話してみて、すぐ近所の、西新宿の高層ビルの中にある会社が親切だった。
しかし以前聞いた時と同じく、借地権を売るのは厳しいという。
場所は都庁にも近い都心で地価も上がっているが、古い家で、隣りの小さな家がうちの玄関に貼りついているせいで間口が狭い(建て替えしにくい)。
何より大問題なのは、自分のことを「長者」と謳うここら辺一帯の大地主のお寺さんが、借地権を買い取ってもくれず、底地権を売ってもくれず、建て替えも許さない貧乏人いじめであることだ。
不動産会社の人が、同じお寺さんから土地を借りている、うちのすぐ近所の家に依頼されて地主に交渉したことがあったが断られた、という話をしてきた。「なんで許可してくれないんですかね」と聞くと、「嫌がらせでしょ」と言っていた。
・・・
バレーボールネーションズリーグのLIVEを見るために6月18日からU‐NEXTに入った。
そんなことに時間を使っている場合ではなく、どんどん仕事を進めなければいけないのだけれど、
あと2,3年しか生きられないとしても、心が沸き立つ楽しいこと、がんのことを忘れられる時間は大切だ(と心に言い訳してみる)。
昔からバレーを観るのは好きだったけど、特に今、最高に面白い男子バレーを観ずにいられましょうか。
カナダとの準々決勝、そして30日の明け方3時からのスロベニア(予選1位)との準決勝は最高だった。
拾ってつないでつないで、の粘りと機転、瞬間の判断の動作。
本当に今、この時だけをLIVEで見られてよかった。
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