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2024年11月

2024年11月20日 (水)

谷川俊太郎さんのこと

谷川俊太郎さんが亡くなった。
今作っている次の本——沢渡朔さんが撮影してくださった私の写真と、それに寄せてくださった谷川俊太郎さんの詩と、私の絵をまとめた本の完成を見ていただくことができなかったのがとても残念だ。

少女の頃、あまりに衝撃を受けた『二十億光年の孤独』。
「ネロ」は泣けて泣けて暗唱するほど読んだ。

私の最初の個展の時にご案内を出したら見に来てくださった。
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谷川俊太郎さんには大変お世話になっている。
2009年に作った『デッサンの基本』の帯文をお願いした時には4つも文をくださった。

・・・

「花」という言葉が花を覆い隠している
デッサンは花という言葉を剥ぎ取って
花という得たいの知れない存在に近づこうとする
            *
紙の上にワープして
花は「花」という言葉から
自由になる
花が生きるように沈黙のうちに線も生きる
それがデッサンではないか

            *

目前の具体物を紙の上に抽象化する過程で失われるもの
それを惜しむことで何かを得るのがデッサンかもしれない
            *
「写す」のは写真でもできる
デッサンは「移す」のだ
花を紙の上に

・・・

どれも谷川俊太郎さんの『定義』という詩集にも関わっている、
言葉で覆い隠されている物への「不可能な接近」「邂逅」についての問いを提起する谷川さんにしか書けないことばだ。

『反絵、触れる、けだもののフラボン』の帯文をお願いした時、この本について「とても面白い」とお宅の玄関先で言ってくださったことが忘れられない。
私はこの本でいわゆる「現代詩」とよばれる現代詩手帖に載っている詩のようなものではなく、私にとってのポエジィとは何なのかを、絵ではなく言語のかたちにして問うてみたかったのであり、その文章を谷川俊太郎さんがほめてくださったことはこの上ない恩寵だった。

「この書物をオビにするのは、至難の業です。
書いても描いても尽せない
いのちの豊穣に焦がれて
ヒトの世を生きる福山知佐子は
どこまでも濃密なエロスの人だ。」

吉田文憲さんと一緒にご自宅にお邪魔させていただいたこともある。
端的で示唆に富んだ言葉。
吉田さんはいつもの感じで打ち解けていたけれど、谷川さんの人に対する絶妙な距離感を察しすぎて私はとても緊張していた。

その日、『なおみ』という沢渡朔さんの写真とタッグを組んだとても印象的な絵本をくださった。
あの日、谷川さんと一緒に撮っていただいた写真はどこにいったのだろう。

フェリス緑園都市校での谷川さんの講演も素晴らしかった。
人がまったくいない光景にポエジィを感じると谷川さんは言った。

立場は全く違うが、人疲れするという意味でなんとなく通じていると感じていた。
あの時も大学職員の人が谷川さんにあびせるくだらない質問に、私は傍ではらはらしてしまっていた。
もちろん谷川さんはそういうことに慣れっこで淡々とこなすのだけど。

電車でお会いしても、私はごあいさつした後、隣の席に座ってただ黙って揺られていたりした。
谷川さんはしつこく話しかけられたりすることがとてもお嫌だろうと思っていたからだ。

今作っている本への詩をお願いする時、今までいろいろお世話になり、そのたびに胸が震えたことを手紙でお伝えした。
「谷川先生はもう覚えていらっしゃらないと存じますが」という私に、
「もちろん全部覚えています」とお伝えくださって泣けた。

谷川俊太郎先生、ずっと多くのものを与えてくださり、そのありがたさはことばになりません。

・・・・・・

11月20日(水)

二匹展で対人緊張などで胃が受け付けなくなり4kgやせ、42kgになった。

その後、少しずつだましだまし食べ、やっと少し体重が戻ってきたが、昨日から寒くなったらてきめんに体調が悪い。

顔が冷たい風にあたると浮腫が酷くなり、眼がちゃんと開かないし、首や眼の奥が痛くて頭が重くて・・とにかく苦しい。

人に会えないレベル。

11月19日(火)

がん研究センター。採血5本。

少し肝臓の数値が上がっていて「お酒を少し飲みました」と言うとY本先生に「関係ないですね。薬を続けているせいでしょう」と言われた。

お酒を飲みたくなるのは緊張がとれないのと寒いせいで、飲んだとしても1杯だけ。

サイログロブリン値が上がっていないかが恐怖なのだが、その結果は来月。

 

 

 

 

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2024年11月17日 (日)

平田星司さん個展 静物と伝道者 / 西新宿でガスが使えない

11月16日(土)

西新宿の家へ行った後、平田星司さんの個展(前期)「静物と伝道者」GALLERY KTOへ。

西新宿小学校(昔は名前が違うが私が出た小学校)の向かい。

昔、ちょうどここらあたりにあったケンジ・タキギャラリーでの若林奮先生の個展に来た。オープニングに人がたくさん集まって「すごい人だけど何をやってるんですか?」と道行く人に聞かれた記憶がある。

ずっと見たかった平田さんの「伝道者」を間近で見ることができて満足。油壷の海の底から拾った紅藻に覆われた古いガラス瓶だそうだ。

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本当に美しい。特注したという木の台もぴったり。

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オーナーの奥様の淳子さんが若林先生のファンだという話から会話が盛り上がり・・色々話しているうちに平田さんが来られた。

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平田星司展、これらの作品が見られる前期は11月23日まで。

後期は12月3日(オープニングパーティー)~12月28日、

12月14日には平田星司さんと美術評論家の南雄介さんのトークイベントがあるそうです(要予約)。

ちなみにGALLERY KTOのKTO(クトー)はロシア語でWho(誰)という意味だそうだ。

・・・

平田さんの個展に伺う前、1時半にプロパンガス会社の人と西新宿の家で待ち合わせていた。

一応、家のぐるりを見てもらったが、築80年近い家だとそれだけで会社の規定で工事不可の可能性が高いと言われて絶望的な気持ちになった。

瞬間湯沸かし器は買い替える必要があり、それだけでも15万~20万・・。

なにより家と隣の家との隙間が狭すぎて人が入れない。そこに水道管が埋まっていて、もしも何かあったら修理する人が入れなくてたいへんなことになる、そんなところにガス管工事できないとか。

先日は東京ガスの人に来てもらって、その時にまず建った時の図面がいる、隣との境界線をはっきりさせないとならない、そして地主の工事許可がいると言われた。

公道を掘削するのはお金は無料だが、自分の敷地内の工事は有料。

掘削するためにまず玄関前のたたき(コンクリート)を破壊する必要があり、それは外注になるので20万円超~。

さらに外壁の補強工事をしないとガスメーターが取り付けられないと言われ、湯沸かし器買い替えも含めてものすごい出費になるので無理だと諦めた。

そしたら東京ガスの人が、たぶんプロパンガスだったらそこまで大掛かりな工事にならないと教えてくれたのだった。

しかしプロパンも無理だった!西新宿の便利な場所にあるのにガスを使えない家だなんて!

古いガス管が腐って切断したというが、そうなったら二度と修復できないなんて考えてもいなかったので血の気が引くくらいショックだった。

 

この日は平田さんの個展に長く居たあと、新宿に出て作品のスキャンなどしていたが、消耗が激しく手足が冷えて震えがきてしまった。

どうしても寒気が止まらないので外食してワインを一杯飲んだ。もうすぐ血液検査なのに肝臓の数値が上がったらまずいが。

ストレスと体温低下が最も癌に悪いと思うので応急処置だ。

柔らかい青豆のソテーを食べたら、飲んでもなかなか温まらないからだが遅れてやっと温まって来た。

 

帰宅して西新宿の家の暖房のためにガスファンヒーターをネットで買おうとしたら、クレジットカードが登録できない。

嫌な予感がしたら、すぐに楽天からメールが来た。本日、カードの不正使用があったそうだ。

カードが止められ、新しいカードの発行待ちとなる。

 

 

 

 

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2024年11月13日 (水)

西新宿の生家の改築・のこぎりで爪切断の怪我

11月6日(水)

天井に和紙を貼る仕事がまだ残っていて、この仕事に関してだけは私が手伝ったほうがぴっちり貼れるので少しがんばった。

それをやり終えた後、私は障子2枚に和紙を貼り、その後、トイレの壁にペンキを塗っていた。

奥の部屋で村野君は壁に明けた窓のための枠のようなものを作っていて、木材をのこぎりで切っていた。

ちらっと見た時、「左手の親指が切れそう」と言うと「切らないっすよ」と。

そう言われてから数分後に「あーっ!!」と大きい声が聞こえ「やっちゃった!深い!」

駆け付けると真新しい床板の上にぼたぼたと大きな血の滴が落ち続けていて、すごく痛そうで怖くて、自分がその時どんな言葉を発したのか覚えていない。

爪を切断して下の肉まで切ったという。

彼はすぐに2階に上がって見つけてあった福山家の救急箱から包帯を出して親指にぐるぐる巻きにし、その上から透明な養生テープを巻いていたが、指先はどんどん赤く滲んだ。

親指の付け根に輪ゴムを巻いていた。

そのあと、「もうだいじょうぶ」と言って彼はどんどん仕事を続けた。

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私がうまく塗れなかったトイレの壁をものすごいスピードで仕上げてくれたり。「仕事でゆっくりやってたらどやされる」と。

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ずいぶん仕事をして疲れて西新宿十二社通りにできた食堂に行った。

私はまだ展示の過緊張が抜けず胸筋が固く詰まったままで、ほとんど何も咽喉を通らず、味噌汁だけは飲めた。

「ご飯粒が喉を通らない」と言うと「豆のディップがいいんですよ」

「豆のディップってなに?」「ひよこ豆が買ってあるから」

彼はサンマを「頭が一番うまい」と言って、真ん中の骨だけ残してきれいに食べていた。

十二社の交差点で別れて、帰宅してから、血がどくどく出ていた親指の傷のことが生々しく思い出された。

検索すると壊死するから絶対に輪ゴムで止血するのはだめ、黴菌が入ると化膿するから病院に行くのは必須と書いてあり、不安でたまらなくなった。

福山家の救急箱に入っていた古い包帯なんて不潔っぽいし。

彼は保険証を持っていないので医者を嫌がるが、それでもすぐに外科に連れて行くべきだったのに。

Tが、新しい滅菌ガーゼと包帯と傷薬(ステロイド軟膏)を届けてくれると言った。

夜中の1時すぎにメールが来ていた。

「久々にホッとしました。そのあと、寝てしまいました。」と書いてあった。

 

 

 

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2024年11月11日 (月)

二匹展 6日目(最終日)の記録

11月4日(祝日)の記録

今日最終日、もう本当に体力ギリギリで頭朦朧だったので今朝もレットヴィモ休薬。

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私の西新宿の古い家を改築してくれた村野正徳君。
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いつも変わらずあたたかい斎藤哲夫さん(シンガーソングライター)。
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今日は中塚正人の「風景」を歌ってくださった。
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このシンプルな曲はいろんな人がカバーしているが、哲夫さんの今日のギターと歌唱は一番泣けました。

いずれyoutubeにアップします。

たくさんのお客様。
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昨日来られて「『反絵、触れる、けだもののフラボン』にサインが欲しいんで、明日持って来ていいですか?」と言われた小説家のM・Kさん。ビーチサンダル姿が印象に残った。

私はこの本を小説家のかたにほめていただくのは初めてなので、たいへん感激した。比喩や観念を入れない、見えるものをそのまま描写することに共鳴してくださったとしたら稀有なことだ。


早稲田大学の谷昌親先生。「美容師にそそのかされちゃって」と髪を伸ばしてパーマをかけたヘアで、すごくおしゃれ。
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ポスターハリスカンパニー代表で寺山修司記念館副館長の笹目浩之さん。映画「田園に死す」の中での花輪さんの描いた看板は、寺山修司が撮影の際に火をつけて燃やそうとしたが、スタッフがそれは忍びない、と言って救ったとか。いいお話を聞かせていただいた。
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笹目さんも「とにかくこの絵が最高にいい」とおっしゃっていたペン画。これは30年以上前の花輪さんの個展で一番の大作で、その時に私が譲り受けた宝物なのです。あまりにも繊細で、かわいくて神々しい。
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安部慎一のドキュメンタリー映画を制作中の外川凌さん。

フルーテイスト、篠笛奏者の藤原雪さん。一緒にお写真を撮っていただきたかったのに撮り忘れてしまいました。

とにかくお客様いっぱい。
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昨日、外から大きなガラス窓越しに私の絵を見て、今日見に来てくださったという元モデルのHamさん。Sdsc01008_20241110130901

詩人の中本道代さん。
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シモーヌ・ヴェイユを主軸に芸術、詩学を探求されている今村純子さん。
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5時になった瞬間、テーブルに突っ伏してしまった。肩首背の筋肉が緊張しすぎて強い吐き気がして。

レットヴィモを飲みながら、サンダルで立ちっぱなしで血行不良の姿勢で連日はきつかった(寒気がするので腰と背中に使い捨てカイロを貼っていた)。

そして花輪さんファンのかたたちの熱い思いに触れ、対応する喜びと緊張感、半端なかったです。

ご来場いただいた皆様、熱心に見てくださった皆様、本や絵葉書など購入いただいた皆様、本当にありがとうございました。

新たな出会いも僥倖でした。

 

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2024年11月10日 (日)

二匹展 5日目の記録

花輪和一ネットオークション、本日11月10日夕方5時終了です。

https://blog.goo.ne.jp/anti-lion

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11月3日(「二匹展」5日目)の記録

だるくて身体が持たないので昨夜からレットヴィモ休薬。

わりと早めの時間に伊藤ゲンさんがいらして私の絵を買ってくださった。

今日はありがたいことに、お客様がたくさんいらしてバタバタしていました。

舞踏の興行の会社にいたというマニアックなマンが好きの、とても面白いK野さんがすごく笑わせてくれたり、

私の旧友たちが来てくれたり・・・花輪さんファンのかたがたはいっぱ~い・・

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画家の高須賀優さん。
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彦坂尚嘉先生がまたいらしてくださった。彦坂さんと平田星司さんと颯田さん。

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4時くらいに来られて、ずっと黙って長い時間、大きな絵と連作6枚を見てくださったS藤さん。昨年も来られたという。黒一色のファッションがすっきり決まっていて俳優さんかと思ったが、一般のかただという。

「絵も、文章も、見れば見るほど迷宮にはまる」と言ってくださった。そんなに長い時間黙ってみてくださるかたはいないので感激した。

玄関入ってすぐに展示した私の絵「エロスとテロル」の前でかっこよく佇むひろき真冬さん。
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平田星司さんのお父様(前衛歌人)が昔、SM雑誌に小説を書いていたという話で盛り上がる平田さんとひろきさん。Sdsc00924

平田星司さんのお父様、織裳雪夫さん。当時、売れっ子の団鬼六が皆を引き連れて慰安旅行に行った時の記事とか。Sdsc00925

ポルトリブレの平井勝正さん。
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根本敬さん。
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閉廊前は彦坂尚嘉先生と語り・・
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軽く夕食をご一緒しました。

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2024年11月 2日 (土)

二匹展 4日目

11月2日(土)雨

二匹展、後半となりました。

寒い雨となり、夕方からは土砂降りになったりしたが、予想よりもお客様が来られた。

今日も花輪和一ファンの皆様がたくさん来られました。

カップルで来られた花輪ファンのかた、少しお話してから、男性のかたから「『デッサンの基本』を買いました」と聞いてびっくり。

花輪さんに会いに行ったことを書いていた私のブログから、私のことを知って購入してくださったという。

ものすごく驚いたのは女性のかたが、「きょうは福山さん本人がいらして感激しました。昔、中野ZEROで花輪さんと福山さんが対談されてた時に見ていました」と言われたことだ。

2006年?中野ZEROで映画上映した時、対談したんだっけ・・?花輪さんがスーツで来て、私が壇上で(確か当時の講談社の花輪さん担当の編集者さんからの)質問に答えたこと、花輪さんも質問に答えていたことは覚えている。

そんなレアなイベントをなぜ動画に記録しておかなかったのか、そのへんの記憶があいまい。「東京Walker」にイベント広告が載ったような・・。その当時、私はまだパソコンというものさえ持ってなく、ネットで宣伝した記憶はない。

花輪さんファンのかたたちは本当に息が長くて、よく調べてらっしゃるかたばかり。

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いつもとっても素敵なレトロファッションをお召しのタケイミナコさん。
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いつもとても丁寧な、編集者の鑑、佐藤美奈子さん。
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2回目にお友達を連れて来てくださった漫画家のドブリン!さん。
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右が筑摩書房の編集者の大山悦子さんの後ろ姿。美術について話が盛り上がったのに、お写真を撮り忘れてしまった。大山さんは現代アートをとてもよく見ておられる。
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それから母のケアマネをしてくださっていたMさんが来てくださった。Mさんは昔、演劇をされていたかた。Mさんは何年経っても全然変わらず若々しく見えた。

最後に来られたKさんは彦坂尚嘉さんのお知り合いで、私に興味を持たれたそう。絵を描かれているが、舞踏や役者さんを長くやられていたかた。

Kさんは15年くらい前に十二社の、まさに私の生家のすぐ近くのアパートに住んでいたと聞いて話が盛り上がった。共通の知り合いも多く、不思議なご縁だ。

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2024年11月 1日 (金)

二匹展 3日目

11月1日(金)

朝、彦坂尚嘉さんがfacebookに「二匹展」と花輪和一さんと私について丁寧に紹介してくださっているのに気づきました。

https://www.facebook.com/hikosakanaoyoship

たいへん恐縮に存じます。彦坂さんは「二匹展」最終日にも来られるとおっしゃっている。。重ね重ね恐縮です。

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薄暗い廊下の絵たち。

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窓際の絵たち。

今日も花輪和一さんのファンの方がいらしてくださった。

花輪和一の生の絵47点、未発表の新作多数。一挙公開中です。メールで参加できるオークションも開催中です。

phttps://blog.goo.ne.jp/anti-lion 

なんと、私が花輪さんへのオマージュ「花輪和一――生き延びた童女」を掲載していただいた『法政文芸』を買ってくださったかたがいた!

わ、いいんですか?という感じ。ありがたい~。

今日は私の大切な友人やお世話になっているかたたちがいらした。

私の次の本(沢渡朔さんが撮って下さった私の写真と、私の絵、谷川俊太郎さんの詩がはいった本)・・・(たぶん私の最後の本になるかも)を楽しみにしてくださっている希少なOさん。Oさんは私の大好きな紙関係のお仕事をされている。

日本画家の清野圭一さん。
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清野さんは何年も前からずっと変わらず、私に対して「芸術屋はたくさんいるけど、福山さんは本当の芸術家。数少ない尊敬できる人」と言ってくださるかた。

英米文学、アイルランドのミューラルに詳しい佐藤亨さんと、水声社の私の画集を担当してくださった(たいへんお世話になった)飛田陽子さん。
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私の画集の時は編集長だった飛田さん。

「今は違うのよ」

「今はなんていう役職なんですか?名刺ください」と言っても

「うふふ、言わなくていいわよ。うふふ・・私なんてうふふふ・・」となぜかはにかむ少女のような飛田さん。
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デザイナーで陶芸家の村瀬亜紀さん。しっかり作品を見てくれるかた。
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卓越した水墨画を描かれる新倉章子さん。新倉さんの水墨画は本物。
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新倉章子さんは本物の水墨画を長年真剣に勉強していらして、私が全く知らないことをたくさん知っておられる。

日本画学科を出た人たちがまったく教わったこともない水墨画のお話。

 

 

 

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二匹展 2日目

10月31日(木)

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後ろの棚に展示してあるのは32枚の花輪和一さんの色紙です。

この日も花輪和一さんファンがたくさん訪れてくださいました。ありがとうございます!

どこで「二匹展」を知ってくださったのかお聞きすると面白い。

X(Twitter)が多いが、意外にも高円寺の何カ所か(古書店などなど)に貼らせていただいたチラシ(コピー)を散歩の途中で見た、というかたが・・。貼ってみるもんですねえ。

私は昨日に引き続き血行が悪く、からだが冷えてしまい、午後3時過ぎくらいから首肩の凝り、頭重、浮腫などに悩まされる。

だるくてだるくて、遠赤外線パックを腰にあてていても寒いし、体調は最悪とは言えないが元気はない。

今日、個人的に一番印象に残ったのは、夕方になって来てくれたWさん(私のマッサージをしてくれている人)だ。

Wさんは絵なんてほとんど見たことない、展覧会なんて行ったことがない人なのだが、何度か施術のためにうちに訪れてくれて、私の絵や写真を見るたびに「すごい!今まで知らなかった世界を見せてもらってる気がする!」と感動してくれる人。

Wさんは、玄関を入ってすぐにかけてあった私の暗くて渋い絵を見て、

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「すごい!と思った。あれを見てしまったら緊張して、あそこから廊下を通って中に入っていいのか、と思った。」と言った。

絵を見たことが無い人が、そこで衝撃を受けて立ち止まるタイプの絵ではない、と私本人は思っていたので、その発言にとても驚いた。

 

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もっと驚いたことは、Wさんは私の今回の展示の中で一番大きな絵を見て、
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「これすごい!」と言ってから。その絵の横に貼ってあった

「「動物を食べない」と私が言うと、「じゃあ植物は殺して食べていいの?」と反射的に返してくる人がいる。
私は「あなたは植物を切るように平気で生きた動物のからだを切ることができるのか?」と問いたいのだが。

だが死の恐怖や痛みを感じて身を震わし、泣き叫ぶ生命と、芽を切ってもさらに伸びたり、土の下の根から再生したりする植物の生命、ただそこに開かれてあり、種子を飛ばし、伸びるところまで伸び、眠る動物たちを覆って、風に揺らぐだけの生命とを同等に考えられないことは、本当は誰でもたぶん気づいている。」

という言葉を読んでいきなり涙をこぼしたことだ。

「・・・わっ・・ティッシュちょうだい。泣けてしまう。文章が上手すぎる。無駄がなくて、すごく胸に刺さる」と言ってWさんは泣いた。

wさんも動物の肉を食べられなくて、周りの人にいろいろ非難されたりするのが辛いと言っている人。

「この絵を見て、この文章を読むから余計泣けるのかもしれない」とWさんは言った。

私はそんな素直な反応をしてくれる人がまさかいるとは思ってもいなくて、Wさんが泣いてくれたことに泣きそうになった。

 ・・
「植物もやさしさを示したり、苦しみを味わったりする」と主張するのは、決して超えてはならない境界線を越えている。植物は苦しまない。
苦しみとは、個体としての生物によって「実際に経験されるもの」だ。
死とは、決して後戻りできない、絶対的で不可逆的な終末だ。
――フロランス・ビュルガ

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「動物は他の動物を食べている。人間も人間以外の動物を犠牲にして生きるのが当たり前だ」と言う人がいる。
ライオンやトラが動物を食うのは本能だ。
肉食は単なる人間の文化にすぎない。動物を殺さない食文化もあり得るし、食べられない「本能」も私の中には確かにある。
・・

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〈動物のジェノサイド〉。〈これらのイマージュが「悲壮〔pathétiques〕」なのは、それらが悲壮にも、それこそパトスの、病理=感性的なも
の〔lepathologique〕の、苦痛の、憐れみの、そして共苦〔同情compassion〕の巨大な問いを開くからでもある〉。
            ――ジャック・デリダ 『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』より
・・

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〈先決的、かつ決定的な問いは、動物が、苦しむことができるかであるだろう〉という言葉をめぐって、語れる能力を持っていることを示すことではなくて、動物たち
の苦しみをどれだけ〈共に〉苦しむことが〈できる〉のか、どうしたらその苦しみを〈限界の周りで、限界によって〉〈養い〉、〈生成し、育成し、複雑にできる〉のか
ということだろう。」
——福山知佐子 「応鳴、息の犇めき——ジャック・デリダの動物論に寄せて」より
・・

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私は切断された植物のあいまいな生と死の瞬間を開く。

だが、植物に動物のような感情や痛みがあるとは思わないし、決して植物を擬人化したくはない。

私にはかつて生きていた動物の死骸の一部を展示するようなアートも収奪(動物の虐殺への加担)だと感じられる。

過剰な感覚身体で誰も見ようともしない遺棄されたものによりそい、誰も見ることのできないものを体験し、共通言語から遁れさる「パトスの、

病理=感性的なもの〔lepathologique〕の、苦痛の、憐れみの、そして共苦〔同情compassion〕」を証言することが私の絵の仕事だと思っている。

 

 

 

 

 

 

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