『燃ゆる女の肖像』
『燃ゆる女の肖像』(2018)
これは「見ること」「記憶すること」が愛することと同義であること、まさに画家の身体を描いた作品だと思った。
綿密に計算された色彩、線、質感、古色、陰影、選び抜かれた古城とすべて手作りの衣裳、
冷たい海、薄茶色の草原、靄の中の落ち葉、マリアンヌの代赭(赤茶)色のドレスと響き合うエロイーズの深い緑色のドレス、
BGMのない演出が、静かで生々しく感覚に触れてくる(昔の)生活をリアルに感じさせ、
呪文のように同じ言葉が繰り返されて高揚する原始的な劇中歌が、強烈に心臓に迫った。
セリーヌ・シアマ監督がアデル・エネルの役の幅を広げるために書いた脚本だという。
セリーヌ・シアマとアデル・エネルはこの作品の直前まで一緒に暮らしていたそうだ。
18世紀、フランスの孤島。「女性画家」というものが歴史から抹殺されていた時代の女性画家マリアンヌと、望まぬ結婚を控え、肖像のモデルになったエロイーズ(アデル・エネル)との恋。
マリアンヌの眼であり、セリーヌ・シアマの眼でもあるカメラは、海へと急ぐ濃紺色のマントのアデル・エネルの後ろ姿を追いかける。
マントのフードが落ち、風に乱れる金髪と白いうなじ、柔らかい耳があらわれる。
海ぎりぎりの断崖でアデル・エネルが振り向く。青い眼に息をのむ。
画家は愛するのと同じように見つめ、耳の軟骨の形、色、皮膚の質、指の表情、ひとつひとつを眼で記憶していく。
しかし見られていたエロイーズもまた見つめていたマリアンヌの仕草を、表情を、感情をつぶさに見ていたし、
自分が見ていたものを言葉にして相手に返した。
そこにふたりで作っていくものが生まれる。
伯爵夫人が留守にするあいだの、なんのしがらみも制約もない、たった五日間の恋。
令嬢と召使と画家と、身分も立場もないただの女どうしになって遊び、笑い合い、
オルフェウスとエウリディケの物語について語り合う。
なぜオルフェウスは、エウリディケを永遠に失うと知っていて振り返ったのか。
島の夜祭、女だけが焚火の周りに集まり、誰ともなく地の底から湧き上がるようなハミング、繰り返される呪文のようなハーモニーと手拍子。
ニーチェの言葉から発想を得てつくったというこの劇中歌が、情動の高まりに火をつけるその頂点で、エロイーズのドレスの裾に火がつく。
エロイーズは恐怖するでもなく、静かに微笑した顔で焚火をはさんだマリアンヌを見つめ、マリアンヌも見つめ返し、一瞬、時が止まる。
スカートで力強く火を叩いて消してくれた島の女と一緒にエロイーズは砂の上に崩れる。
ふたりの恋に火がついた時の記憶を、別れてからマリアンヌは絵に封じ込める。しかしそれはとても寂しげな絵だ。
残された時間がない激しい恋。
すべてを心にに焼き付け、記憶しようとするふたり。
「思い出してください」というマリアンヌ。
オルフェウスの本の「28ページ」に裸で横たわるエロイーズの身体を小さく写生し、そこに自分の顔をつなげ、エロイーズに残すマリアンヌ。
結婚のための肖像画が完成し、思いを断ち切るように城を出ていくマリアンヌに「振り返って!」と叫ぶエロイーズ。
私は冥府に戻る、あなたは画家として生きて、と思いを込めた純白のローブに包まれたエロイーズ。
必ずマリアンヌは見つけてくれると信じて、結婚してからも、オルフェウスの物語の本の「28ページ」に指を挟んだ肖像をほかの画家に描かせていたエロイーズ。
父の名でしか出品できない展覧会で、絵のなかのエロイーズと再会するマリアンヌ。
マリアンヌの出品していた絵は、冥府に吸い込まれる白い服のエウリディケと、手を伸ばして慟哭するオルフェウスだった。
演奏会で、離れた席にたったひとりで座るエロイーズを見つけるマリアンヌ。
初めて会った時にマリアンヌがエロイーズに好きな曲を教えようと、拙い指でチェンバロを弾いた思い出の曲、ヴィヴァルディの「春」。
エロイーズはマリアンヌを振り返らない。たったひとりで涙を流し、激しく曲に感応しながら、微笑みもする。
それはセリーヌ・シアマの思いに応えるアデル・エネルそのものだ。
ここでしきたりに従順ですべての感情を押し殺していたエロイーズと、奔放に自分の道を突き進むマリアンヌの情動が逆転する。
アデル・エネルは今年、映画界を引退することを発表。「政治的な理由です。映画産業は、絶対的に保守的で、人種差別的で、家父長制的であるから。内側から変えたいと思っていたけれど、MeToo運動や女性の問題、人種差別に関して、映画界は非常に問題がある。もうその一員になりたくない」と語ったという。
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