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2025年2月

2025年2月21日 (金)

忙しい。 ギャラリーのかたが絵を見に来られる

2月10日(月)

ドアを入ったところの引き出しの上で待っていて、家に帰って来た瞬間にぐねぐねがっつんと甘えてくるちゅび。
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本日の私の顔の浮腫は、最悪の時よりはだいぶましなほう。

2月14日(金)

新宿眼科画廊の展示『影の分際』の初日を見に行く。河口梨奈さんに挨拶。

新宿ゴールデン街にある昔のグループサウンズのお店。入ったことはないけれど、この写真がいっぱい飾ってある窓が健在だったことが嬉しい。

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2月15日(土)

新宿眼科画廊の展示『影の分際』の2日目を見に行き、菊井崇史さんとお話しできた。

藤本哲明さんともZOOMでお話しできた。

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写真家の河口梨奈さん

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けれど今日はギャラリーの人が絵を見に来られる約束があるので、菊井さんのトーク(ZOOMで藤本哲明さんと村津蘭さんとつながっている)の時間までいることができず、残念だが17時すぎに失礼した。

・・・

ギャラリーのかたが絵を見に来られた。

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鉛筆デッサンまで熱心に見ておられた。

「すごくいい」と言ってくださった。私のことを「インテリすぎて淋しい絵なのかと思ったけど、ぜんぜん違ってて、明るくて強い」と。

相当に絵が好きなかたのようで、私がピサネロが好きだと言ったら「ヴェローナ」という町の名前が出てきたり・・。

けっこう話が弾んで夜11時過ぎまでおられた。

まあ、この先どうなるかわからず・・。

体力と時間のこともあるので、今までのように根を詰めてやるのではないかたちで、いろいろおまかせできたら嬉しい。

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2025年2月13日 (木)

村上昭夫『動物哀歌』、抒情と思想、死(生)、アートと動物

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初雁 数寄屋侘助椿(水彩) 

2月12日(水)

村上昭夫の詩集『動物哀歌』を読んでいる。

この詩集は1967年に上梓され、第8回土井晩翠賞を受賞し、1968年に第18回H氏賞を受賞。

その年の10月に村上昭夫は亡くなっている。

最初に私に村上昭夫の名前を教えてくれたのは丹羽文夫さんだ。

丹羽文夫さんは私とメールで文通している人で、横浜市立大学でフランス文学を、京都大学で昆虫生態学を学んだ。

横浜市立大学では奥浩平(私の大好きだった『青春の墓標』を残した人)と同級でサークルも一緒(史学研究部)。

京都では高野悦子(『二十歳の原点』)と同時代の青春を過ごし、『日本的自然観の方法』、『メーサイ夜話』、『ミャンマー行脚』の著者でもある。

 

『村上昭夫詩集』詩人論・作品論より

「村上昭夫の詩がわかりやすく思われるのはその透明性によってであり、平易だからではない。」

「詩は喩によって難解になるのではない。思想の曖昧さが詩を難解にするのである。」

「鮮やかな分析の手口によって読者を魅了するが、読み終わって事態が解明されたようにも、認識が進んだようにも思えない評論が多いのはなぜか、それはおそらく歴史的な社会、あるいは今日的な社会に対峙すべき作品、詩人の思想の眼が曇っているからだ。」

「そこには、弱々しいもの、滅びゆくものに対するシンパシィが溢れている。」・・・辻井喬

「嘘の自分への反逆、嘘の世間への反逆、自己脱却のための闘争の情緒、それが私にとっての詩だとつづる村上昭夫」・・・高橋昭八郎

・・・・

   雁の声

雁の声を聞いた

雁の渡ってゆく声は

あの涯のない宇宙の涯の深さと

おんなじだ

 

私は治らない病気を持っているから

それで

雁の声が聞こえるのだ

治らない人の病いは

あの涯のない宇宙の深さと

おんなじだ

 

雁の渡ってゆく姿を

私なら見れると思う

雁のゆきつく先のところを

私なら知れると思う

雁をそこまで行って抱けるのは

私よりほかないのだと思う

 

雁の声を聞いたのだ

雁の一心に渡ってゆくあの声を

私は聞いたのだ

 

   ねずみ

ねずみを苦しめてごらん

そのために世界の半分は苦しむ

 

ねずみに血を吐かしてごらん

そのために世界の半分は血を吐く

 

そのようにして

一切のいきものをいじめてごらん

そのために

世界全体はふたつにさける

 

ふたつにさける世界のために

私はせめて億年のちの人々に向って話そう

ねずみは苦しむものだと

ねずみは血を吐くものなのだと

一匹のねずみが愛されない限り

世界の半分は

愛されないのだと

 

・・・・

辻井喬の詩論によっていろんなことが明確になった気がした。

戦後、現代詩は三好達治の四季派の抒情性を激しく批判してきたわけだが、

三好達治の「村落共同体の拡がり、そういった時空に包まれている自分という存在への甘い容認の姿勢」、「伝統的な感性とそこに忍びこんだように横たわっている保守的、そして浪漫主義的心情」、その大衆性、「社会的制度をも一つの自然とみなして、それに自己を融合させ、偏在へと自己を拡散させる」抒情性と、

村上昭夫の「死を見詰めて生きようとする意志そのもの」は全く異なる。

村上昭夫の詩は「日本的美意識」とかかわるが、それは三好達治の「自然との一体感、四季の移り変わりと無常観の混同」とは異質である。

三好達治の受容の形態は、「体制によって公認され、いわゆる欧米にはないアジア的なものを日本に発見しようと試みた欧米の審美家によって称揚されることによって、逆に日本人のあいだにも固定観念を植え付けた」ところの「日本的なもの」で語られることが多い。

村上昭夫の詩は「現代の詩人としては例外的なほど思想詩人の骨格を持っている」。

村上昭夫の詩を語る時に「ひたすら抒情性に焦点を当てることは、村上昭夫を平板な抒情詩人に引下してしまう」ことである。

そして村上昭夫の詩は、村野四郎の詩のように「生き物との共感」が「理性的で骨っぽい社会批評によってつくられている」のでもない。

「影のような存在としての生命は理性と言う光にさらされることを嫌うのだと主張しているように思える」。

 

「不治の病」で時間が限られてくると、本当に上っ面のものや浅はかで饒舌なおしゃべりが耐えられなくなってくるのだ。

だから寂寥のなかで動物や植物とともにいるしかないのだ。

どんな優れた作品であっても、結局は鑑賞する側に思想性(と言えるほどの思考力)や、「不治の病」で死(つまりは生)を見つめる感覚を想像する力(深み)がなければ、安易な「抒情」でしか語られることはない。

それどころか、彼らは「自分は抒情でなく高度な理論でやっている」とか「自分はそういう古いやりかたでなく最先端を行っている」と傲慢にもマウントしてくるのだ。

私がある種の現代アートや現代詩に拒絶感があるのは、今の社会状況への対峙ではなく流行り(どんな流れも相対化され主流をなさないが、複数の流行り、あるいは流儀があるようだ)にのっかっているようなものに気持ち悪さを感じるからなのだが、

さらに言えば「体制」によって公認されてるような感性、いかにもありがちなコンテキスト、最初にアートがあって、アートのために自分でないもの(特に動物や他者の苦しみ)から収奪しているものには激しい嫌悪感を抱いてしまう。

 

少し前のことだが、一緒に暮らしていたわけではないが私が愛していてずっと見守っていたある動物の子が若くして急死したことを知って、私がショックで号泣してしまったことがある。(ブログにも、その子に何度も会いに行っている時のことを書いていて、あまりにも悲しすぎて辛すぎて今は名前を書けません)

そのことを友人が、ある動物を世話している人を取材してアートをつくっているKという女性に話してしまい、それを聞いたKは私のことを笑ったそうだ。

どういう意味で笑ったのか、ぜひとも本人に(私が生きているうちに)会える機会があったら、直接聞いてみたいものだ。

動物を「ネタ」にしてアートをやっているくせに、動物の死に大きなショックを受けて泣く人間を笑うとはどういうことなのだろう。

つまり最初にアート(を作るのが当然という前提)があり、アートのための取材であって、動物のための行動からではないのだろう。

問いかけをつくるのもアートのため、つまりは人間の社会の「文化的処方」のため。これを「収奪」という。

私は動物が死んだことに泣いている人間を笑う人間が嫌いだ。私の痛みの激しさは私のものだ。

そのことを思い出すと、癌に悪いとわかっていても胸がむかむかしてくる。

 

 

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2025年2月 6日 (木)

血液検査

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ちゃびが子猫だった頃(墨)

2月4日(火)11℃

国立がん研究センター中央病院で血液検査。

一般の項目の血液検査だけ当日結果が出、腫瘍マーカー(サイログロブリン)の結果は来月。

今日は混んでいて、12時前に受付したが採血できたのは12:20~25くらいだった。

13時にH先生の診察予約だったが13:40くらいに呼ばれた。

「炎症の値が上がってる。風邪で熱を出したりした?」

「いいえ、腸が炎症を起こしたみたいで、ここ1週間くらい食後すぐに右の腰骨の内側が強く痛んでいました。一昨日と昨日、ロペラミドを朝夕2回飲んで、やっと下痢が止まってきました」

「そう。それで脱水を起こしたんだな。肝臓も腎臓も上がってる。水分たくさん摂ってね」

あまり詳細な数値はもう気にしないことにした。

「そういう体調悪い時は副作用が強く出るから、休薬していいよ」

「え!?でもこの前すごく上がっちゃったから怖くて休めなくて・・がんばりました」

「すぐにがんばっちゃうからなあ・・」

「はい・・がんばり気味ですけど・・」

「今度、下がってるといいね」

「え?・・」ここまで来て下がることなんてあるんですか?と聞きたかったけど、聞いてもしかたない気がして聞けなかった。

次にY本先生の診察。

先日、浅井先生に会いに行った時、長くお話してくださったことの報告。

「私も浅井先生の意見で合ってると思いますね。サイログロブリンが上がっている癌は元の乳頭癌の性質なので大人しく、少し勢いのある癌にはレットヴィモが効いていると。

これから何かほかにできる薬があるか探せたら、と思います。もう一度、放射線ヨウ素治療をやってみるとか」と言われた。

私は最初に甲状腺と副甲状腺を全摘した時に、わりとすぐに放射線ヨウ素治療をやって、放射線をがん細胞が取り込まなかった経験がある。

その時は、ヨウ素治療の1か月前からヨウ素を含むもの(海藻など)を一切口にしてはいけなかったのだが、なにか食べてしまったせいではないかと言われた。

今、調べてみると海藻類だけでなく魚類と貝類も鰹節もいけないらしい。それだったら確かに食べていたと思われる。

魚類、貝類、鰹節、練り物、人工着色料の赤色など、ヨウ素が含まれるものを徹底的に摂らなければ、放射線ヨウ素治療が効くとしたら少し明るい気持ちになる。

・・

帰りに新宿のヨドバシカメラに寄った。今は健康家電がほんとうにいっぱいある。同じ階に化粧品まであるのでびっくりした。

・・

17:30からWさんに肩や背中をもみほぐしてもらった。がちがちに凝っていると言われた。

寒いのといろいろな心配と。

 

 

 

 

 

 

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2025年2月 3日 (月)

立春

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スミレ(水彩)

2月3日(月)11℃

やっと立春。この12月と1月は本当に辛かった。

レットヴィモを始めてから冷えるとなおさら浮腫み、浮腫むからよけいに冷える感じ。

そしてもう30年以上悩んでいる胃腸虚弱。冷えると必ずひどくなる。

今朝もお茶を飲んだら右下腹部がずんっと痛くなった。が下痢ではなかった。

やっとロペミンが効いてきたみたい。

昼に昨日の残りの玉ねぎスープとパン。魚肉ソーセージ1本。

夕方、卓球へ。最後に先生にスマッシュを教わったのが楽しかった。

卓球後の浮腫がましな状態の記録(レットヴィモは毎週、火曜の朝から木曜の朝まで休薬。そのほかは毎日飲んでいる)。
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眼が開いているだけまし。

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まだ元気です。

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夜9時頃にまたおなかが痛くなった。

明日はがんセンターで血液検査。そのためにこの一週間で抗酸化の食べ物をたくさん摂ろうと思っていたのに、下痢でだめになった。

とにかく気にしないこと。

2月2日(日)8℃ 一時雨

朝、42.5kgになっていた。やはり何も口にしないうちに下痢。ロペミンを飲む。

カフェインレスアールグレイのミルクティを飲み、ゆっくり熱い風呂に入ったりして、外に出ないで過ごす。

午後になってから蛋白質を摂りたくて、そおっと少しずつ魚肉ソーセージを食べてみた。

お願いだからおなかこわれないで‥と願いながら、ゆっくり、だましだまし食べる。

5時にまたロペミン。

7時頃に玉ねぎをくたくたに煮たスープとパン少々。

たまたま見たyoutubeで昭和歌謡の歌手たちを見、それから引退前の山口百恵の動画を見ていた。

若干21歳で、とてつもない落ち着き。にこりともせずにすわった眼とドスのきいた歌唱。この眼を見ていると非常に落ち着く。

2月1日(土)12℃

一晩中腸が痛くて、痛い、痛いと身をよじっていた。右の腰骨のすぐ内側が刺し込む。

あんまり痛みが治まらないので盲腸ではないかと怖くなる。

朝、なにも口にしない時点で下痢。下痢とわかってほっとした。

Y本先生があまり飲まない方がいいと言ってなかなか出してくれなくて、大切にとっておいたロペミンを飲んでまた寝た。

ロペミンは腸の運動を抑制するので悪いものを食べた時に外に出す力がなくなるから危険、と言われていたが、そんなことを言っている場合ではない。

腸がすっからかんになってまたやせてしまいそう。

昼に起き、2時過ぎ、花屋で八重咲のチューリップを買う。ダークレッド2本、紫と黄色各1本。

夕方、まだ少しでも食べると下痢がとまらない。

もう1錠ロペミンを飲んだ。ミヤリサンとテプレノン(胃の修復薬)も。

夜、葱とカボチャをくたくたに煮て少量のうどんと卵を入れたのを食べた。

まだ食べた直後に腸が痛くなる。

1月31日(金)13℃

ジャージで走っては歩きを繰り返しながら駅の方まで。

手ぶらで行ったが、ティッシュを持たなかったので鼻水に困った。

梅はぽつぽつ咲いていた。乙女椿も。菫が毎年咲くコンクリートの割れ目を何カ所かチェックした。葉は青々。

花屋に八重のチューリップが出ていた。初めて見るダークレッドの花、明日買おうと思う。

八百屋、乾物屋、古着屋などまわって2時間以上。

6時に歯医者の予約だったのでジャージのまま行った。昔詰めた銀が取れたのを持って行き、それを詰めてあっさり終了。

冷えたのか、食べ物を口にした直後に腸に痛みが走る。

夕方から夜に腸が強く痛んで苦しんだ。下痢ではなく腸の下のほうが急激に動いて刺し込む感じ。

1月30日(土)12℃

u-nextに沢田研二主演の『土を喰らう12か月』があったので鑑賞。

水上勉の料理エッセイが原作だそうだが、幼い頃に京都の禅寺に預けられ、そこで教え込まれた精進料理の体験をもとに、1年に渡り、季節ごとの野菜や山菜、拾った梅などを丁寧に料理していく。

長野の厳しい自然は見ているだけで凍えそう。

まるで心を磨くように丹念に野菜仕事をしているジュリー。少しお腹が出ている。

ちょっと優柔不断そうなところがいいのかな。これをもっときつそうな俳優がやると抜け感が無くなる。田舎の葬式のシーンなどは無くていいと思った。

禅寺の修養としての精進料理というところに興味があり、美しすぎてまねはできないが、私には安心して見られた。

これと似たテーマの作品に『リトルフォレスト』という映画(漫画が原作)があるらしいが、合鴨農法(鴨に虫を食べてもらう無農薬の米づくり)で共存している鴨を自ら絞めて殺してさばいて料理して食べるシーンがあるらしく、その情報を読んだだけで吐きそうになった。

とても人気の作品らしいが、生きている鳥を殺して食べる欲望が私には理解できない。私は動物を殺すのが本当に嫌。

 

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2025年2月 1日 (土)

南雄介さんに絵を見ていただく

1月29日(水)

元新国立美術館副館長の南雄介さんに絵を見ていただいた。

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最初にお茶を飲みながらおしゃべり。

アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』と、デリダの『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』などにからめて、証言不可能性、表象不可能性と、アートによる「当事者」の身体からの収奪について私からお話した。

おしゃべりのあと、梱包を解きながら、絵を見ていただく。

私の絵について「破滅的な生き方の人を引き寄せそうな絵ですね」と言われた。

そうだとすれば、それはきっと枯れていく植物の運動を描いていると同時に、絵そのものが崩落しているから(止めてあるけれど)だろう。

私は自分の外にあるもの、枯れていく植物、錆、退色、剥落など人間の手ではなく雨風と時が作ったものに惹かれること、なるべく自分の意図でなく偶然や時が作ったものを画面に召喚したいことなどをお話しした。

私の絵は、現代アートの要素があると同時に桃山の障壁画につながっていて、また、宗達のような要素もあるとも言われた。

現代アートについて、いろいろ質問してお答えいただいた。

現代アートは感性がなくても理論が理解できれば見ることができるので「意識高い系」の若い人たちが見る、とのこと。自分が最先端のアートを楽しんでいるという自負もあるのだろう。

「テキストだけで作品はいらないのでは?と思ってしまうものが多いんですけど」と言うと、「そういうことはありますね」と。

現代アートの3大コンテキストというものも教えていただいて、ああ・・なるほど、と思うと同時に虚しさを感じる。

最先端のメディアアートなどは、メディア(人工)と人工の組み合わせで、私にとっては非常にストレスになるもの。

現代アートの作家の仕事はますます人工にのめり込み、デッサンから乖離し、そこに生きているもの(ロジックが破綻した場所で時とともに生成するもの)を見ようとしない。

南さんは村上隆の企画展をされたことがあるそうだが、「村上隆はきっと福山さんの絵が好きですよ」と言われた。ああ見えて村上隆はホルスト・ヤンセンが好きらしい。

 

 

 

 

 

 

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