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2025年3月

2025年3月28日 (金)

本のための絵の撮影 桜ほぼ満開

3月27日(木)

糸井さんが1時に絵を運びに車で来てくださった。

春の光の中をドライブ。普段通らない道を通るのがとても楽しい。

三鷹や小金井のあたり、けっこう広い生産緑地があったり、たまに去年の枯れ蔓が乱れる原っぱを見つけるとわあっと興奮する。

日向の桜はもう満開。玉川上水の新芽も、国際基督教大学のあたりもきれい。

西武線の青い列車が菜の花が満開の踏切を通り過ぎて行った。

糸井さんの写真スタジオにて、絵の撮影。

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大きい絵は立てて、レンズとの距離をとって撮影。

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私は撮影と同時にPCに送られてくる画像を見て「この銀箔の部分をもっと金属っぽく反射強くして下さい」とか「この青い色をもう少し濃く出してください」などとお願いして、イメージ通りの画像に近づけていく。

撮り方によっては銀箔の部分が白くなりすぎて平板になってしまうので、暗い部分と光があたった部分を一枚の絵の中にいれるようにしてもらう。

コントラストを上げたり、レフ板を使ったり。

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撮影風景を撮るのを忘れたが、いつもどおり小さい絵(SM)は真上から撮影した。

目視では薄暗い部屋の中で絵は黒茶色っぽくしか見えないのだが、カメラのフラッシュによって撮影された画像は細部までとてもクリアで、色の変化もよく出ていた。

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これは糸井さんのカメラではなくて私が撮ったのでピントがぶれて失敗した画像。

鬱金香(チューリップ)

・・

普段はお菓子を食べない私なのに、糸井さんが出してくれたFIKAというクッキーがあまりにおいしそうで、つい1枚いただいてしまった。

伊勢丹オリジナルの北欧クッキーらしいが、甘くなくてソフトでほろほろするタイプ。とてもおいしい。

朝、小松菜とバナナのジュースだけだったので、頭を使ったら急にお腹がすいてしまったみたい。

前に糸井さんのスタジオに来た時は、娘さんは中学生で、今は大学生で留学している。時がどんどん経っている。

・・

グリーンアパートという古い情緒のあるアパートの庭に、私の好きな野襤褸菊が満開だった。この花は目立たないけれどとても素敵な姿をしているのだ。あまり野襤褸菊を描いている人を見たことがないが、私は何度も描いている。

帰り道では「桜通り」というところを通った。ほぼ満開。

こういう風景を見ると、車の中からでは申し訳ないような気持ちで胸が痛む。花のそばに行って樹の肌合いを感じて匂いをかがないと。

春爛漫の直前の胸が苦しくなるような時間。

中央分離帯にはタンポポが満開。春紫苑はつぼみだった。

 

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2025年3月26日 (水)

ヒヤシンスの絵 / FODMAP 、ブレンダー 野菜ジュース

3月26日(水)

雪さまにリクエストいただいているヒヤシンスの絵、制作中。

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ヒヤシンスの花色は多いが、私は青色、水色、薄紫系統が一番好きだ。

ご注文いただいたかたからも青色系が希望だと言われたので嬉しかった。

淡い青だとスカイジャケット、ブルージャケット(花の根元が鮮やかな空色で花弁は紫がかった青)、デルフトブルー・・・などの種類のヒヤシンスをイメージして描きたい。

ヒヤシンスの詩と言えば、大手拓次である。

ヒヤシンスは特徴的な素晴らしい香りがあって、真珠や霜のように花弁が光って、幼い頃から大好きな花だが、大手拓次の詩を読んでさらにヒヤシンスが好きになった。

その詩は、ヒヤシンスに色をつけた時に載せようと思う。

・・

猫の絵を買ってくださったサヤカちゃん(30年来の友人)と、最近メールで久しぶりに話した。

サヤカちゃんも長く腸の病気に悩んでいる。彼女は高FODMAP食品を避けることを教えてくれた。

FODMAPというのは、小腸で吸収されにくい4種類の発酵性糖質を指す用語とのこと。

Fermentable➝発酵性
Oligosaccharides➝オリゴ糖
Disaccharides➝2糖類
Monosaccharides➝単糖類
AND
Polyols➝ポリオール

お腹によいとされているヨーグルトや納豆、はちみつやオリゴ糖も高FODMAPに含まれる。

玉ねぎ、にんにく、ブロッコリー、キムチ、マッシュルーム、豆類、絹ごし豆腐、さつまいもなど私の好きなものばかり。

そして私の大好きな果物、さくらんぼ、桃、りんご、梨、マンゴー、スイカ、アボカド、プルーン、あんず、ライチ、柿、西洋梨、いちじく、すいか、プラム、ドライフルーツ・・・これらは全部やめられない。

ずぼらな私にはFODMAPを避けるのは難しそう。

何十年も前から欲しかったのにまだ買っていないブレンダーを買って、生野菜ジュースを飲んでみたいです、と言うと、

サヤカちゃんから、ワット数の低いものだとうまくできないというアドバイスをいただき、一番安い150Wのを買おうとしていたのをやめて500Wのを買うことにした。

本日、ブレンダーが届き、仕事から帰宅して夜、生まれて初めての自分で作る生ジュース体験。

小松菜を2株と有機バナナ一本、それにラブレ1本を加えてジュースにしたら最高においしかった。

飲んだらすぐにおなかがきゅるきゅる・・と鳴ってしまったが。ミヤリサンとロペミンを飲みながらだましだまし飲んでいこうと思う。

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先日、卓球仲間のMさんに体重が減ったと言ったら「たいへん、甘いものいっぱい食べなきゃ」と言われたのだが、

私はもう30年くらい、好んで甘いものを食べたことがない。お菓子に興味がなく、ほとんど砂糖を摂らない。

がん細胞はまず糖を吸収するのは事実だが、甘いものを食べても癌の悪化には関係ない、とも言われている。

しかし癌の悪化に関係なくても、身体の糖化、酸化、炎症に関係あることは避けたいし、私は甘いものを食べたいという欲求がまったくない(お酒は時々飲みたくなるが)なので、勧められてもいただかない。

甘いものをお土産にいただいたら、友達にもらっていただいている。

ぶどう糖加糖液の入った飲料も飲まない。

同じく卓球仲間のKさんに「すごくおいしい」という揚げせんべいを持ってきているので食べないかと勧められたが、謹んでお断りした。炭水化物が揚げてあるお菓子は食べない。

癌が動き出してから、絶対に食べたくないものに無理してつきあうこともない。

・・・

明日はまた絵の撮影。

ちゃんと選んだはずなのに、あとから絵を修正したくなったり、選にもれた作品が重要に思えてきたり、どうしても感覚が微妙に変化するので一発で決定!というふうにはならない。

悩み、迷いながら修正を重ねて、頭が少しずつ冴えて、どうにか考えがまとまっていく感じ。時間がかかるのだ。

プロの撮影現場を見るのは楽しい。やりかたを見せていただいていろんな発見がある。

私が現場で、一番撮りたいところのポイント(ディテール、色味など)を説明して、そこに焦点を合わせて撮っていただいて、思い通りの撮影になっていくのがとても充実感がある。

 

 

 

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2025年3月25日 (火)

個展 7月 /  次の本の制作 / 体重減少

 

今年の個展の会期は

7月1日(火)〜7月26日(土)

13:00~19:00 毎週日月休み 

に決定しました。(日曜日に休みなのが気になるけど・・・)

ギャラリーから5月と言われていたが、5月では全く準備期間に余裕がなくて不安だったので、少しほっとした。

2022年に6月30日から3週間、神楽坂で個展をした時に、初日から36℃くらいの猛暑でたいへんだったのが強烈な思い出だ。

今年も7月は暑くなりそうなので、体力をつけないと。

3月22日(土)

次の本の制作。

先日の写真撮影にもれた絵で、やはり撮影しておいた方がいいものが数点あり、作品の補修をする。

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絵の順番とタイトルを決め、本のページを編集する作業が、うまく回らない頭にはすごくたいへんで時間がかかる。

無理やり絞り出したようなアイディアで進めたら、あとで後悔しそうで不安でたまらない。

 

作品補修に薫泥(燻した銀泥)を使った。昔よく使っていた薫泥の色が何番かわからなくなり、夕方、渋谷のウエマツに色見本を見に行った。

私の記憶では2番だと思った(ネットで色を見て調べた時も2番)が、色見本によると1番。色見本自体が変色していてよくわからない。

そのあと久しぶりに公園通りの坂道を上ったが、あまりにも昔の面影がなさすぎて、人が増えすぎていて、どこを歩いているのかわからなかった。

公園通りは昔、私が高校生の頃はジャンジャンの近くに瀟洒な喫茶店がいくつかあり、本当に素敵だった。

「僕の大好きな喫茶店は坂道の途中にあります・・」と歌になるくらい、情緒のある通りだったのに。

アップリンク(大野一雄さんの映画を観に来た)のあったあたりもすごく変わっていた。

ハンズのほうへ歩くと、昔、宇宙百貨があったあたりの小さな崖のような部分に草が生えているところだけ昔のままっだった。

古レコード屋があった裏通り、もう少し行けば、昔、とても素敵だったドリアン・グレイというアンティーク古着屋があった。ネットで調べると、なんとまだ存在しているみたい。明るい時に歩いてみたい。

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朝、体重を計ると41kgだった。BMI値が16。癌とは関係なく、胃腸の調子が悪いせい。

これは私が30代の時に子宮内膜症の治療で女性ホルモンを止めて一番具合が悪かった時の体重と同じ。

女性ホルモンを止めていた時は、人工的に急激な更年期を作り出していたので、頭痛、肩こり、吐き気、めまい、のぼせ、動悸、疲労倦怠で超絶に具合が悪く、起き上がるのもしんどかった。

その時の記憶に比べれば今は楽だけれど、冬からずっと胃腸が痛くて、食べるとお腹がさしこむのでなかなか多くは食べられない。

1日に700kカロリーくらいしか摂れてない日があったから少しずつやせてしまった。

なんとか体重を戻さなければ、と腸の炎症を抑える食べ物を調べたら、まずはDHA。

抗酸化、抗糖化、抗炎症の食べ物と言えば、やはり野菜(特にブロッコリー、トマト、玉ねぎ、ニンニク、小松菜など)、果物(バナナ、カシス、ブルーベリーなど)、そして発酵食品(ヨーグルト、カマンベールチーズ、キムチ、麹菌など)。

それと筋肉維持のために蛋白質を摂らなければ。私の場合は肉類を一切食べないので、最近はちくわとはんぺんとヨーグルトをよく食べている。

3月17日(月)すごく寒い。

一週間前の雪予報だった日は、風がなくて意外にもぜんぜん寒さを感じなかったのに、きょうは予報では暖かいはずが強い北風で体感4℃くらい。

レットヴィモの副作用が強く出て、眼の下の隈と顔の浮腫がひどくなり、頭痛。アートフェアの時に痛めた腰もまだ痛い。

夜間卓球に、久しぶりにデザイナーのアキさんが来てくれた。

私のブログを読んでくれて、体調のことを気にしてくれていたと聞いてとても嬉しかった。

腫瘍マーカーが急上昇と書いていたので、癌でない人はどう話しかけていいか困ると思う。

腫瘍マーカーがいったん下がったんで、今は話しやすいタイミングなのだ。

アキさんは絵を描いていないけど美大卒で、美術界のドロドロ話など通じやすく、さっぱりしていて話しやすい人。

帰り道、凍るような北風で耳も顔も痛く手もかじかんでしまったが、おしゃべりできて楽しかった。

 

 

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2025年3月12日 (水)

彦坂尚嘉さん個展・ART FAIR TOKYO 19 (2025)

3月7日(金)

天王洲アイルの寺田倉庫2、CONTEMPOART TOKYOの彦坂尚嘉さんの個展へ。

天王洲という湾岸の場所が海風で寒いだろうと恐れていたのだが、やはり冷たい強風に震える。顔が冷えると敵面に浮腫が酷くなり、眼の奥が痛む。方向がよくわからず迷ってやっとたどり着いた。

エレベーターを待っていたらちょうど彦坂さんと糸崎公朗さんがいらした。

個展タイトルは「3層の美術・・・イベント・絵画の死・生成AIの絵画」。

昨年、永井画廊でされた個展「ゾンビ芸術と美女絵画」について質問してみた。

「ホワイトアート(原始性、狂気)、ピンクアート(イラスト、想像界)、ブラックアート(想像界と象徴界、言語活動)と分類した絵画は3者の比較では読み解くことができるけれど、例えばAI美女絵画1点だけを見て、それがホワイトアートだと判定できるのですか?」

答えは「それは難しいね」ということだった。そして「永井さんはこの分類について理解しているのですか」という質問に対しては「理解していない」と。

「絵画の死」のウッドペインティング連作について、素材は桂の木と表記してあるが杉とのこと。

「この造形なんですけど、下側が丸くて上側が直角に切ってある、このかたちにはどういった意味があるのですか?」と質問すると

「ダダの流れからやったんだよね。よく覚えてないな・・」とのこと。

1971年から72年まで、3回やったという床にラテックスをまくアクションの写真の前で糸崎さんが撮影してくださった。

私が手を向けているのは当時の25歳くらいの彦坂さんの写真。
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71年の自宅でやった時のは撮影されただけだけれど、ルナ三画廊でやった時はたくさんの人が見に来て、最後には数人の女性が躍っていたりしたそうだ。

ART FAIR TOKYO 19 (2025)について、搬入の時に見てきたそうだが、「今の現代アートはとにかく酷いね。」と言われていた。

「どういうふうに酷いですか?」

「とにかく知能程度が低いとしかいいようがない。芸術に達していない。やっている人もギャラリーもなにもわかってない人たちがやってるね」

また、ずっと避けられていた村上隆とやっと話せて動画を撮ることができたと言っておられた。

・・

駅へと戻る途中で、ガラス張りの店の中にずら~~と数百色もグラデーションで並んだ岩絵の具の瓶を見て、ついつい中に引き込まれてしまった。

こんなところに「PIGMENT」という店。

右の棚にはフルーツを詰めるような細長い瓶に鮮やかな顔料がずらり。店員さんに質問すると、イタリアのゼッキ社の顔料だと。

「テンペラやフレスコに使うものですか?」と聞くとそうだという。

もう極力、絵の具を買い足すことはせず、死ぬまでに今持っている岩絵の具を使い果たすと決めていたのに。

迷いに迷って、ラピスラズリよりも鮮やかなフタロブルーと、最近できた岩絵の具の煌く雲母系の黒を1両目(15g)ずつ買ってしまった。

たくさんの種類の膠がおいてあり、膠に混ぜて使えるというアルギン酸溶液が売られていたのだが、どうなのだろう?

「アルギン酸でつまり海藻ですよね?これをまぜて膠の柔軟性が高まるのですか?」と質問したが・・・結局買わなかった。

・・

次に有楽町のART FAIR TOKYO 19 (2025)へ。

通常の私なら絶対に来ない(今の現代アートは異常に疲れるので。)イベントだが、5000円もするチケットをいただいたので。

彦坂さんのブースは2階の無料コーナーで最初に見つけた。75年の「絵画の死」がテーマのウッドペイントの作品郡が目立っていた。

隣がボヘミアンズギルドだった。ジョン・ケージのシックな色の線だけの絵がよかった。ひとつひとつの線がおざなりでなく、全部違う音色。若林奮先生の繊細な「百線」もあった。

KTOのブースで、塚原史さんと会った。22年の私の吉祥寺の個展からの再会。20年以上前に早稲田大学で私の講演があってお世話になった、とKTOのオーナー田中さんに言ったら驚いていた。

「彼女はか弱く見えて、ものすごく強い人なんですよ」と、塚原さんが田中さんに私のことを言ってくださった。

南雄介さんにもお会いできた。

KTOスタッフで、詩が好きで、特に西脇順三郎と左川ちかが好きという珍しい人、一詩(かずし)さんに紹介された。一詩さんは私となら詩の話ができると、私と会うのを楽しみにしていたそうだ。

そして1階のメイン会場へ入場。
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正直、4日の検査結果でサイログロブリンがさらに上がっていたら来なかった。死を目の前に突き付けられた状態で私が耐えられるようなイベントではない。

意外だったのは、超然と我が道を行くギャラリーがけっこうあったことだ。

ローマングラス専門の店、ガレやドームのガラス器専門の店、中国骨董専門の店、素朴な陶の店、漆細工専門の店、熊谷守一ばかりの店、香月泰男ばかりの店、徳岡神泉や小野竹喬の抽象に近い小品を売っている店、戦争画(宮本三郎など)の専門ブースなど、私にはこれらのほうが面白い。

確かに彦坂さんが言ったように、いかにも現代アートといったものたちに関しては10年前、20年前よりレベルが落ちていると感じる。デザイン要素すらもなく幼稚さを売りにしているようなものも多かった。本当によく見る版で押したような類型。日本古美術のパロディなど。

一番惹かれたのは香月泰男の「幼鳥」。中村宏の女学生の顔の絵。

さり気ない古い厚紙に亀裂が入っているような作品郡を見つけて、「あ、この人はセンスいい」と作家名を見たら松澤宥だった。

概念派でオブジェを消そうとした人だが、皮肉にも、コンセプトを読まなくても、眼から入ってくるものにしっかりとなにかがある。まわりに展示されている大方の現代アートの人たちとは知能もセンスもまったく異なる。昔の人の感覚は違う。

なんの予断もなくただ眼をすべらせて行って、「あ、この人はいい!」と、そこだけ異質なものを発見して作家名を見ると、必ず昔の人の作品なのだ。

極力疲労しないように、眼からストレスになる悪いものを入れないようにと気を引き締めて行ったのだが、やはりそうとう疲れた。

最後のほうで東京画廊の山本豊津さんにもご挨拶できた。あいかわらずとても忙しそう。

右の腰に今まで経験したことが無いような痛みが走り、生まれて初めてのぎっくり腰になる危険を感じた。

銀座INZまで歩いて軽食、休憩して帰宅。

 

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2025年3月 8日 (土)

腫瘍マーカーが下った(奇跡!?)/ 植物の名前

 

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椿 曙(あけぼの)(鉛筆、水彩、)

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椿 八重 春曙光(しゅんしょっこう)(鉛筆、水彩)

3月4日(火)5℃ 暗い灰色の空 夕方から雪

国立がん研究センター中央病院。まず採尿と採血。

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甲状腺癌の腫瘍マーカー(サイログロブリン)の値は、2024年7月880、9月1377、11月3075、12月6470、

この12月の結果6470という過去最悪の数値が1月7日に出て大ショックを受け、もうレットヴィモが奏功していないのではないかと疑われ、

もう絶望に近い気持ちで1月9日にPETMRIを受けたら、不思議なことに全身どこも光っていなかった。

そして鎌ヶ谷の浅井先生に結果の報告をしに行くと、腫瘍マーカーの値が上昇するのは初期のおとなしいタイプの乳頭癌であり、もう少し増殖の速い癌はレットヴィモで抑えられているのではないか、とお聞きしたのが前回までの話。

・・

内科のH先生に呼ばれるまでの1時間ほどの待ち時間、考えないようにしてもだんだん気持ちが追い詰められ、今日は1万越え、もしかしたら2万越え、という数値が頭にちらついてしまう。

1月の末には、あんなに気持ちが前向きだった森永卓郎さんが亡くなり、2月の最初には、長年ブログを読んできた吉野実香さんが亡くなったのも私にはそうとうのショックだった。

呼び出し機械が黒く点滅するのを見た時、いよいよ宣告される、と真っ暗な気持ち。

そして診察室に入ると・・・「検査結果は、下がってました」

「え?・・」

「682。一瞬6000かなと思ったんだけどね。600」

「え?!なんで・・?」

「Y本先生も先に見てコメントされてるけど、甲状腺癌が破壊されたときに血液に流れ込むことがあるみたいで。レットヴィモが効いて癌が壊れる時に血液中のサイログロブリンがすごく高くなることがあるのよ。1万に上がってそのあとぐっと下がったりとか。そういう例があったのを忘れてた」

「それって珍しいことなんですか?」

「あまりないね。だけどレットヴィモが効かなくなるには早すぎるし、おかしいと思ってた。治験からやってる人は2年、3年は続いてるからね。正直、この薬はまだわかっていないことが多いけど・・」

「ええ~・・なんかもう今日はすごく緊張して・・」悲観で固まっていたのでなんだかすぐには信じられない気持ち。

「緊張しやすいんだよね。とにかくレットヴィモが効いているということ。そんなわけで薬とじっくりつきあっていきましょう」

そして次にY本先生の診察。

「甲状腺癌の生検で腫瘍に針を刺すと、潰れたがん細胞が血液に流れ込んでサイログロブリンの値がすごく上がってしまうことがあるんです。だから針を刺す前に血液検査をする、という決まりがあるんです」と言われた。

昨年の3月に2324になった時、一昨年に人生で一番痛い手術をして右肺中葉を切除したのに、1年も持たずに脳や骨に転移していて切除する前と同程度の数値になってしまったことに絶望しそうになり、

そのあとレットヴィモ服用によりいったん700まで数値が下がったのに、それからたった4か月、5か月で数値が3000、6000と急上昇したことに、正直、そうとう心がすさんでしまっていた。

もうあとは進行していくだけ、耐えていくだけ、と思うと孤独感や虚無感がひどくなり・・。しかしこんなことがあるのだろうか。

・・・

夕方、Wさんのマッサージを受ける。肩も首も顔も頭もがちがちと言われる。

今日、1万越えの数値だったら、これからどんどん悪くなる一方だと緊張していたから。

「ほら、6000の時に私が、今がピークだからだいじょうぶって言ったじゃない」

「そうだっけ?・・・」適当に慰めてくれたことが本当になった。

帰り道、牡丹雪が暗闇の中に舞い、街路の銀杏の木の根元に白く積もっていた。

3月3日(月)

前日の予報では雪だったが、雨に変わったので使い捨てカイロをお腹と背中に貼って夜間卓球へ。寒いので先生のほか4人しか来ていなかった。

明日、がんセンターで腫瘍マーカー結果が出る恐怖を忘れるため、打つことだけに意識を集中して10勝。

新入りの力まかせにスマッシュを打つ(しかし空振りが多い)男性に勝てた。

3月2日(日)22.1℃

「この植物の名前は何でしょう?」という木の札。

最初の樹は「イヌシデ」と答えて、木の札をめくったら正解だったので驚かれる。

この樹は、井之頭公園の端っこの原生林にたくさん生えていて、少し斜めにねじれながら伸びるこの樹の枝ぶりと、縦に亀裂が入った灰褐色の木肌が絵になると感動して、昔に名前を調べたことがあるのだ。

シデとは「四手」であり「紙垂」であり、神道で玉串やしめ縄などに垂らす紙に、淡い緑色の花穂のかたちが似ているからである。

似たようなアカシデ、クマシデなどの樹との区別は私には難しいが、武蔵野の林にはイヌシデが多い。

2番目に出会った「この植物の名は?」に「マンサク」と答えてまた正解して「げっ」と言われる。

「花が咲いてないのに、どうして枝ぶりだけでわかるの!?」と。

実はよくよく細部まで見ると、去年の枯れて萎びた花が一輪、枝の端っこにぶらさがっていたので、花の形ですぐにマンサクとわかったのだ。

3番目に出会ったのは早咲の椿。

この花はふっくらした上品な薄桃色で、花弁に可憐な皺があり、花芯の黄色自体が柔らかく光っているような優しい色合い。

「曙(あけぼの)だね」と正解して「ぐげっ」と言わせる。

この花は初釜によく使われるらしい。

同じく蕊の黄色が滲み出したように、花弁の根元が薄黄色に光る椿に、八重咲きの「春燭光(しゅんしょっこう)」という花がある。この花はまだ莟だった。

ヒヨドリがせわしく飛び交っていた。持っていた小さな苺の実を木の幹に置いておいたら食べてくれそうだった。

 

 

 

 

 

 

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2025年3月 2日 (日)

ギャラリー / 新宿

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八重のアネモネを描こうとすると葉っぱを齧ろうとするプフ。

アネモネはプロトアネモニンという毒が危険なので、絶対に食べられないように花は冷蔵庫に入れている。

2月18日(火)

平田星司さんとZOOMで話す。

2月20日(木)

ギャラリー十二社ハイデの伊藤ゲンさん展の設営。

ちゃんと設計図を書いて、きちんとやっておられることに感心した。

レトロなぬいぐるみやおもちゃの絵。すごくこの場所に合っていると感激。さすがです。

・・・

午後から企画ギャラリーのオーナーに会いに行った。

ギャラリーが開くまで少し時間が合った。

ギャラリーの裏手のほうに「アトリエ」というとても古い錆びた看板のある不思議な家があった。美術ではなく音楽系のなにかだった。

大輪緑萼の梅が満開で、鳥の声がした。陽が当たる場所では春の野芥子が咲いていた。

いろいろ指示されることはあると覚悟していたが、一番気になっていたのは、私の病気のことがちゃんと伝わっていないのではないかということだった。

昨年、最初にオーナーの奥様にお会いした時、「声が素敵」と言われ、「声帯を片方切ってるんですよ。甲状腺癌で」というお話をして、現在、分子標的薬を飲んでいることも伝えていたのだが・・。

だから体力的に、ばりばり新作を描くことはもうできないかもしれないと伝えないといけないと思い、心が苦しかった。

オーナーと話ができるまで待っていたのだが、現在の展示を見に来ていたSさんという作家さんが同席して、企画画廊では画廊の言うことを聞かないといけない云々を私に説いてこられて激しいストレスを感じた。

Sさんは自分の過去の展示のハガキを私にくれたが、私の絵を見たこともないし、私がどういう活動をしてきたのかも知らない。

「すみません!お願いですから席を外してください!オーナーと直接話させてください!お願いします!すみません!」と深く頭を下げて退席していただいた。

病気のことを言う時、緊張して泣いてしまった。

オーナーは、奥様から聞いていると言われて、ほっとした。

その上でまだ私はもう少し生きられると思って、企画してくださるならありがたいことだ。

「奥さんは、あの人はいつも明るい人ね、って言ってるよ」と言われ、私はそんなふうに見えるんだ、と意外だった。

2月21日(金)

篠原誠司さんと電話で話す。

篠原さんは最近までアメリカに行って2つの企画展をされていた。アメリカの郊外の大きなお屋敷に泊まって、向こうのコレクターがどんなふうに家に絵を飾っているかを見たという。

画家のいろんな生き方の話。

2月23日(日)

画家の小穴さんと映像作家の光永さんが来られるというので、ギャラリー十二社ハイデへ。

一緒にランチをしていろいろお話した。

光永さんは、私があとがきに文章を書いたデリダ(鵜飼哲訳)の『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』の文庫版を持って来てくれていた。

伊藤ゲンさんの個展は、玄関に昭和懐かしい貝殻の人形や、古い大きな熊のぬいぐるみなどが増えていた。

あいかわらずうちの中は寒いのだけども、とても楽しい雰囲気。

帰りに新宿駅まで歩き、「あの枯れた蔦の絡まってるのはなんですか?」とハルクの前で光永さんに聞かれ、一瞬、戸惑った。

新宿西口の地下広場のタクシー乗り場から地上へと、ループ通路の巨大な吹き抜け。蔦が絡まっているのは、その真ん中のタイル貼りの筒状オブジェだ。

設計は板倉準三で、66年に出来、「地下空間の地上化」というコンセプトを掲げたという。

このクールだったループ状の吹き抜けが、もうすでに破壊されていて、タクシーが通ることができない。新宿西口は見るも無残だ。

まだかろうじて残っている筒状のオブジェは、私が大好きだった新宿駅前の象徴。

私が幼い頃の新宿のイメージはとにかく革新的で、なにもかもがかっこよくて、

テレビや映画や古い漫画で知っている新宿は、ものすごいエネルギーが渦巻いていて、常に新しい状況と、反発する力、爆発する力が・・。

ヒッピーも新宿騒乱もゴーゴー喫茶も、風月堂も、そういう青春には間に合わなかったけれど、映像で何度も見ている。その場にいたはずはないのに、その場にいたように記憶に溶け込んでいる。

ペロ(伊坂芳太郎)や宇野亞喜良、カルメン・マキや浅川マキのイメージも。

映画『女番長 野良猫ロック』は何度も見た。和田アキ子がバイクで西口地下道への階段を下って突っ走るシーンが大好き。当時の歌もかっこいい。

都会で、泥臭くて、サイケで、アングラで、熱くて、廃墟の中から宝物を拾えるような夢があった新宿。

紀伊国屋の中にあったこまごまとしたお店は闇市の名残だと聞いた。懐かしいLENE。西口にいくつもあった古レコード店。7丁目、8丁目の古いアパート群。駄菓子屋。

宮谷一彦や真崎守や上村一夫の漫画でも、歌謡曲でも、新宿は何度も描かれていた。

日本で一番、劇的に変わった町、新宿。

昔の新宿の痺れるようなかっこよさは、身近な友人や、人生の先輩たちとは当たり前に共有されてきたけれど、年下の人たちとはまったく共有されていないんだな、とふと気づいて、言葉が出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

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