大手拓次 ヒヤシンス、薔薇
ヒヤシンスの唄 大手拓次『藍色の蟇』より
ヒヤシンス、ヒヤシンス、
四月になつて、わたしの眠りをさましてくれる石竹色のヒヤシンス、
気高い貴公子のやうなおもざしの青白色のヒヤシンスよ、
さては、なつかしい姉のやうにわたしの心を看みまもつてくれる紫のおほきいヒヤシンスよ、
とほくよりクレーム色に塗つた小馬車をひきよせる魔術師のヒヤシンスよ、
そこには、白い魚のはねるやうな鈴が鳴る。
たましひをあたためる銀の鈴が鳴る。
わたしを追ひかけるヒヤシンスよ、
わたしはいつまでも、おまへの眼のまへに逃げてゆかう。
波のやうにとびはねるヒヤシンスよ、
しづかに物思ひにふけるヒヤシンスよ。
・・・
ヒヤシンスと言えば・・と思い出して大手拓次を検索したら、偶然にも今日、「薔薇忌」の集まりを磯部温泉でやっていたみたい。
行ってみたかった気もします。
大手拓次の詩をすごく好きになったのは15歳くらいだろうか。萩原朔太郎より大手拓次がずっと好きで、何度も繰り返し詩集を読んでいた。
小学生の時に『愛の詩集』(鈴木亨編 ジュニア版 日本文学名作選 偕成社)という本を持っていて、その中に「恋」「ばらのあしおと」「風のなかに巣をくふ小鳥 —―十月の恋人に捧ぐ」「とじた眼に」という詩があった。
その本には60人超の詩人の詩が抜粋されていたのだが、その中で私がすごく好きだったのは大手拓次(それから北村初雄、吉田一穂、安西冬衛、八木重吉、新見南吉、中原中也・・・)。
それが大手拓次を知った最初だが、ひらがなが多くて、なにが書いてあるのかよくわからなくても、文字面と音声とリズムで美しい絵が見えた。
大手拓次の詩は強烈に感覚に訴え、動物、植物、そして色や香りについて書かれた詩が多い。
そよそよと、よろよろと、透明で薄暗くて、陰で、不気味で、つかまえどころがなくて、消えいろうとしているのだが、不思議な生命を持ち、いつまでも繰り返し胸に戻ってくる。
大手拓次の詩は、たくさん好きなのがあって選びきれないのだが、とりあえず『藍色の蟇』から、あと五篇、書き写しておきます。
・・・
あをざめた僧形の薔薇の花
もえあがるやうにあでやかなほこりをつつみ、
うつうつとしてあゆみ、
うつうつとしてわらつてゐた
僧形のばらの花、
女の肌にながれる乳色のかげのやうに
うづくまり たたずみ うろうろとして、
とかげの尾のなるひびきにもにて、
おそろしいなまめきをひらめかしてうかがひよる。
すべてしろいもののなかに
かくれふしてゆく僧形のばらの花、
ただれる憂欝、
くされ とけてながれる悩乱の花束、
美貌の情欲、
くろぐろとけむる叡智の犬、
わたしの両手はくさりにつながれ、
ほそいうめきをたててゐる。
わたしのまへをとほるのは、
うつくしくあをざめた僧形のばらの花、
ひかりもなく つやもなく もくもくとして、
とほりすぎるあをざめたばらの花。
わたしのふたつの手は
くさりとともにさらさらと鳴つてゐる。
・・・
道化服を着た骸骨
この 槍衾のやうな寂しさを のめのめとはびこらせて
地面のなかに ふしころび、
野獣のやうにもがき つきやぶり わめき をののいて
颯爽としてぎらぎらと化粧する わたしの艶麗な死のながしめよ、
ゆたかな あをめく しかも純白の
さてはだんだら縞の道化服を着た わたしの骸骨よ、
この人間の花に満ちあふれた夕暮に
いつぴきの孕んだ蝙蝠のやうに
ばさばさと あるいてゆかうか。
・・・
雪が待つてゐる
そこには雪がまつてゐる、
そこには青い透明な雪が待つてゐる、
みえない刃をならべて
ほのほのやうに輝いてゐる。
船だねえ、
雪のびらびらした顔の船だねえ、
さういふものが、
いつたりきたりしてうごいてゐるのだ。
だれかの顔がだんだんのびてきたらしい。
・・・
花をひらく立像
手をあはせていのります。
もののまねきはしづかにおとづれます。
かほもわかりません、
髪のけもわかりません、
いたいたしく、ひとむれのにほひを背おうて、
くらいゆふぐれの胸のまへに花びらをちらします。
・・・
青い吹雪がふかうとも
おまへのそばに あをい吹雪がふかうとも
おまへの足は ひかりのやうにきらめく。
わたしの眼にしみいるかげは
二月のかぜのなかに実をむすび、
生涯のをかのうへに いきながらのこゑをうつす。
そのこゑのさりゆくかたは
そのこゑのさりゆくかたは、
ただしろく いのりのなかにしづむ。
| 固定リンク












































