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2025年5月

2025年5月28日 (水)

大阪のアートフェア (5月31日~6月1日大阪城ホール)に絵を出します / 味戸ケイコ展

5月24日(土)

ギャラリーKTOさんから5月31日~6月1日大阪城ホールで開催のOSAKA INTERNATIONAL ART2025に絵を出展していただきます。

本日は絵の搬入をやっと終えた。

渋谷のブルードレスという服屋さん(搬入場所)へ、50号2点と小品14点を3日に分けてバス(新宿駅から渋谷駅行)で運んだ。

ちょうど公園通りのLINE CUBE SIBUYA(昔の渋谷公会堂)のあたりにバス停があるので便利。

大混雑の渋谷駅から絵を持って公園通りを上ってくるのは無理だ。

・・・

そのあと原宿の「装丁夜話」でやっている味戸ケイコさんの個展へ。

「元気で会えてよかった」と言われた。味戸さんはまだまだ頑張りたいととても意欲的。

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80歳を超えて、このみずみずしさ。静かでさびしくて、鳥や植物がともだちの少女の心。

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以前の個展の時の住所にご案内を出してもハガキが戻ってくる人がたくさん出て来た、と味戸さんは言われた。

私も、最近また、とても信頼していた人が急に亡くなったのを知ってものすごくショックを受けた。

癌で闘病中の私より先に、前触れもなくいなくなってしまうとは思っていなかった。

私もなんとか、今できることをやっていきたい。

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2025年5月20日 (火)

薔薇、薔薇・・・

神代植物公園

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グラハム・トーマス

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新宿区のある住宅地

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とても淡いアプリコット色のピエール・ド・ロンサール。

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2025年5月14日 (水)

谷川俊太郎さんお別れの会

5月12日(月)

谷川俊太郎さんお別れの会

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https://www.youtube.com/watch?v=jOlFuDz3Lds

動画は6月11日まで見られるそうです。

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大きなスクリーンに谷川俊太郎さんの幼い時からの写真が映し出され、それとともに谷川さんの肉声の詩の朗読が流れ・・・

若い頃の活舌の良い早口言葉、その場で人を笑わせる詩、泣かせる詩、晩年の死を考える詩・・・

何人かのスピーチもあったのだけど、谷川さんがその場にいるような気がしてそちらに気をとられ・・

後半では、娘さんと二人のお孫さんの詩の朗読もあり、

お孫さんはお二人とも、途中で声がつまって落涙・・・

その様子をしーんと見ていた人たちも、もらい泣き・・

デタッチメントなどど言われることもあるが、谷川俊太郎さんがいかに家族から尊敬され、信頼されていたかがすごく伝わって来た。

最後の谷川さんの肉声朗読は「さよならは仮のことば」と「二十億光年の孤独」。

「さよならは仮のことば」という詩は胸が苦しくなって泣きそうになった。

 

谷川俊太郎さんには拙著『デッサンの基本』と『反絵、触れる、けだもののフラボン』に帯文をいただいています。

『デッサンの基本』の帯文は、4つも書いて下さり、「好きなのを選んで」と言われた。

その時にも、とても思いをこめて書いてくださったのだと涙が出た。

            *

「花」という言葉が花を覆い隠している
デッサンは花という言葉を剥ぎ取って
花という得たいの知れない存在に近づこうとする
            *
紙の上にワープして
花は「花」という言葉から
自由になる
花が生きるように沈黙のうちに線も生きる
それがデッサンではないか
            *
目前の具体物を紙の上に抽象化する過程で失われるもの
それを惜しむことで何かを得るのがデッサンかもしれない
            *
「写す」のは写真でもできる
デッサンは「移す」のだ
花を紙の上に


『反絵、触れる、けだもののフラボン』の帯文は

この書物をオビにするのは、至難の業です。
書いても描いても尽せない
いのちの豊穣に焦がれて
ヒトの世を生きる福山知佐子は
どこまでも濃密なエロスの人だ。

            *

というもので、「いいよ、この本は。だってとても面白いもん」と言ってくださった時、嬉しくて胸が高鳴るというより胸が痛くなった感覚がずっと残っている。

そして今編集制作中の私の絵と沢渡朔さんが撮って下さった写真とをまとめた本に、3篇の詩をくださっています。

なかなか制作に時間がかかっていますが、本当に大切につくっています。

谷川俊太郎さんには感謝してもしきれません。

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2025年5月 4日 (日)

鎌ヶ谷の病院 / 卓球

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桜(墨) 季節がだいぶ過ぎてしまったが、以前に描いた桜の絵。

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桜(小汐山 鉛筆素描)

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桜 (太白 鉛筆素描)

5月2日

鎌ヶ谷の病院。浅井先生に会いに行く。

腫瘍マーカーはTSHと一緒に考えなければいけない(TSHと腫瘍マーカーの両方が上昇の時は危ないということ?)とY本先生が言われていたが、

浅井先生は腫瘍マーカーもTSHも、いろんな要因で変動しやすい、と。

やはり両方ともどんどん上昇の一方となれば危ないが、下がったり上がったりなら気にしすぎない方がいいとのこと。

次のMRIでどこか光っていたら、なにか新しい治療をすべきか、という質問に、

浅井先生は基本的には積極的にいろんなことをしてもしなくてもあまり余命は変わらないという考え。

肺の右中葉摘出の時だけは、浅井先生は一刻も早い手術を勧めた。

国立がん研究センターでは甲状腺癌を摘出して何年も経ったあとの転移の手術は前例がないとのことなのに、浅井先生のひとことで手術が決まった。

それ以外は、浅井先生はレットヴィモは勧めたが、レンバチニブはやらなくても・・・という感じ。

・・

8月で退職されるのか、とお聞きすると、

「前いたところの医局から若い人が来れば、その人に教えるという役割が与えられる。何年かは仕込まないと」というようなお話。

「前いたところとは・・・国立がんセンターですか?東大病院ですか?」

「東大のほうです。今は外科志望の人がすごく少なくなって、耳鼻咽喉科(頭頸科)でがんの手術もやろうという人は本当に少なくなってきていて・・。」

シビアな話だが、どんな科でもお給料は同じだそうで、夜中に呼び出されてがんの手術をするような科は、非常に身体的、精神的にたいへんなので志望者がほとんどなく、

最近は命にあまり関わらなくてお金になる美容外科に行きたがる人がすごく多いそうだ。

このままのペースで外科医減少が進めば、将来的にはがんで手術を受けたくても受けられない人が出てくるかもしれない、と浅井先生は危惧されていた。

「仕事がきつくてお金が少なくてもいいというばかな人が来てくれればいいんだけど・・・」

世の中の若い世代は短絡的になってきていて、昔みたいに志を高く持つ人が減ってきているのかもしれない。

「外科手術って手先の器用さが関係ありますよね?」

「いや、僕なんかすごく不器用のほうだから」

「え?昔、甲状腺摘出の時、同室の人に、浅井先生が担当でいいなあ、ほかの先生がいかにも不器用そうで怖いって言われましたよ」

「え!そんなこと言ったら怒られちゃいますよ。そんなことないです」

「でも私の傷、ものすごく細かく縫ってくださったじゃないですか。」

「それは年齢のことがあったからね」

抜糸(今は溶ける糸だが、当時は抜糸があった)の時に、看護師さんから「わあ、浅井先生すごいわ!若い人には全然違いますね~。ものすごく細かく縫ってる」と言われたのをずっと覚えている。

何十年も経っているのに、あの抜糸の緊張感。糸を引っ張ってチョキン、チョキンと切られる感覚が蘇る。


5月1日(木)

ストレスを吹き飛ばすために、初めての卓球教室へ。アケミさんと一緒。

オーダーで好きなことを教えてもらえ、10分やったらほかの人と交代を4回繰り返す。

とても細かく注意してもらえて夢中になる。必死になって汗だく。

途中から遅刻して高校生(国立の有名校)のS君が来た。明後日、大きな大会の試合だそうで綿密に戦略を練っていた。

終わったあと、アケミさんの自転車に重い荷物を載せてもらって歩いて帰った(家までゆっくりしゃべりながら歩いて50分くらい)。

まだ胃腸が痛くて空腹感がないのだが、やせたくないのでコンビニでサンドイッチを買って食べながら歩く。

甘い匂いがしてきて「ネロリだ。柑橘の花だよ」と、白いぽってりした花を拾ってアケミさんにあげた。

「わあすごいいい匂い。この匂いのアロマオイル買ったことがある」

団地の庭に春紫苑が満開。アオスジアゲハも飛んでいた。

塀の下に桜桃がびっしり落ちているところで、通りかかったご婦人に「あら~これ、サクランボなの?食べられるの?すごい上の方までいっぱい!」と言われ・・・

私が背のびして3粒採って、皆で一粒ずつ食べた。すっぱくておいしかった。

早稲田通りの古い医院の前から渡り、庚申通りを通って高円寺駅前に着いた頃に、はたしておなかが刺し込んできた。

帰宅して部屋に入ったらすごい疲労感で倒れてしまった。

そのあと、からだを奮い起こして高円寺図書館へ。

新しくてちょっと豪華すぎる建物(私は古くてボロい建物のほうが好き)。

疲れすぎてPCの画面入力ができないくらい朦朧としながら、お目当ての本を注文。

 

 

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